スーパーマーケット・アドベンチャー
子どものころはそうでもなかったけれど、大人になってから好きになったものがいくつかある。
茄子のお味噌汁。
水炊き。
湯豆腐。
観葉植物。
コーヒー。
温泉街。
スーパーマーケットも、そのうちのひとつだ。
といっても、好きになったのは社会人になってしばらく経ってから。
実家を出て自分の食事の準備を自分で見るようになった当初、スーパーマーケットはゲームのダンジョンのように思えた。ぐねぐねと入り組んで、上手に利用するには知識と経験が必要な場所。
学生時代も料理はそれなりにしていたのだが、こと「食材を調達すること」についての私の役割は荷物持ち程度で、何を買うかの判断は母に任せっぱなしだったのである。
自炊をするためには油や醤油やお砂糖が必要だと理解はしているのだけれど、それらが置いてある棚の前に立っても、実家ではどれを使っていたのか皆目思い出せない。
1リットル198円の醤油と500ミリリットル398円の醤油は何が違うのか、料理酒の存在意義とはいったい何なのか。小麦粉と片栗粉は両方買ったほうがいい? 豚肉はロースとバラどっちを買えばいいの?
そもそも私が今日買い物に使っていい適性額はいったいいくらなの。1週間分なら? 1か月分なら?? 実家で自然に食卓に上っていたソーセージや果物やチーズなどが、自分で買うとなるとかなり高価に見えることにも驚いた。
おそるおそる、必需品と思われる食材を籠の中に入れていく。就職活動と卒業旅行で学生時代の貯金を使い果たしていた私にとって、食費で無駄遣いをしてしまう、という事態は恐ろしいもののように思えた。
とりあえずその日一番安い野菜と肉(魚はたいてい高価に感じた)を買い、クックパッドでその食材を使ったレシピを検索する、というやり方で最初の1か月を乗り切った。
自炊にある程度慣れてからも、食材を無駄にすることが怖かったので、調理方法のイメージがわかない食材は避けるようにしていた。
■2013年秋、筋子とのエンカウント
転機が訪れたのは、就職して最初の秋だった。
いつものように近所のスーパーマーケットに行き、鮮魚売り場をうろついていると、見慣れないものが目に入った。ちょうど明太子を何十倍もの大きさにしたような見た目をしている。ポップには、秋の味覚、の文字。「秋の味覚、生筋子が入荷しました! ご自宅でいくら丼はいかがですか?」
いくら!!!???
好物の中でもトップ5には入るであろう食べ物の名前に、目が釘付けになる。無造作に積み上げられた、謎の赤い物体。よく見ると確かに、薄皮の向こうにぷちぷちとした魚卵が無数に見える。これがいくらになるのか……。
値段は500グラムで3,000円ほどだったと思う。普段60グラム800円とかで売られてるいくら様が、グラム600円! しかも500グラムを独り占め!
白米:いくら=1:1のいくら丼を食べている自分の姿が脳裏に浮かんで、じわっと唾液が湧く。
その場でスマホを出して、「生筋子 いくら」で検索すると、筋子をほぐしていくらの醤油漬けを作るレシピがいくつも出てきた。北海道では、自宅で筋子からいくらを作ることが当たり前になっている、ということも。
貧乏新入社員にとって、3,000円は大金だ。
もし調理を失敗してしまったら……ということもちらっと頭をよぎったが、意を決して筋子をひとパック、買い物かごに入れた。食い意地の勝利である。
結論から言うと、初めてのいくらしょうゆ漬け作りは大成功だった。
塩水で洗いながら卵全体を覆っている薄皮を取り除き、ほぐして一粒一粒をばらばらにした後、醤油やみりんなどで作った調味液に漬け込んでいく。卵が潰れてしまわないか心配だったのだけれど、意外と丈夫で作業は簡単だった。ちょっとしぼんだように見えた粒も、一晩漬け込むと調味液を吸ってぷりぷりになってくれた。正直、パックに入って少量で売られているようないくらよりも格段に質が良いように見える。粒が大きいし、表皮がぱつんと張ってつやつやしている。ごはんにたっぷりかけて頬張ると、鮭のおいしいところをぎゅっと凝縮したような風味がはじけて、おいしい。


味を占めて、生筋子に関しては贅沢してもよし、と自分に許すことにした。それから毎年、秋になるとスーパーで生筋子を探すのが習慣になった。
そしていくら作りが成功したことで、スーパーでの買い物に対する意識も少し変わったのだった。
よくよく見てみると、鮮魚売り場では聞いたことのない名前の魚が売られているし、精肉売り場の棚にはいったい身体のどこの部分なのかわからないような肉の部位が並んでいる。これって家で調理できるんだ!? と驚くような食材も。
今までは、買ってみて調理に失敗したら嫌だしな、と避けていたような食材が、妙に魅力的に見えてきた。いくらの醤油漬けがお家で作れるのだもの。家でおいしいものを食べるために、もっと冒険してみてもいいのかもしれない。
そう思うと、スーパーというダンジョンを攻略する意欲がわいてきた。自分の今のレパートリーにある食材から少し視野を広げてみれば、思わぬお宝が見つかるかもしれないのだ。
■今まで見つけたお宝たち
そうやって、少し意識を変えてスーパーをめぐってみると、前よりも買い物が楽しくなった。聞いたことのない食材を見ると、どんな味がするのだろう、とわくわくする。飲食店でしか食べたことのなかった肉の部位を発見すると、あの味がご自宅で!? と、ときめく。
ネットで検索すればたいていの食材の下処理や調理法は出てくるので、本当に便利な時代になったものだ、としみじみしながら、ありがたく使わせていただいている。
以下、今まで見つけたお宝たちの一部(やや呑兵衛仕様のチョイスとなっている)。
人によってはお馴染みの食材かもしれないが、料理初心者だった私にとっては冒険の軌跡である。
○鮪の腹鰭
最近のヒットが鮪の腹鰭。普段いかないスーパーへ遠征した時に見つけた。
たまに鮪の解体ショーをやっている店舗のようで、鮮魚売り場に大きな兜がどーんと置かれていた。
その隣に置かれていたパックの中身がよくわからない。ちいさなヒレの根元にピンク色の魚肉がたっぷりとくっついているように見える。あんまり見たことのない形状だ。というか鮪のヒレってこんなに小さいんだっけ?
でもなんだかおいしそうな気配がして(身体の端っこや骨の周りのお肉はどこもおいしい)、値段も安いしためつすがめつしていたら、品出しをしていた店員のおじさまが声をかけてくれた。
「それは買いやで! 滅多に出ぇへんやつよ!」
「どこの部位なんですか?」
「鮪の、ここんとこやね(お腹を指しながら)。塩焼きがええよ!」
勢いに押されるようにして購入し、塩を振ってグリルに入れた。

焼き始めてしばらくたち、中の様子を見ると受け皿へ脂が滴りに滴って、池のようになっている。受け皿に水を引かないタイプのグリルなので、火が脂に引火するんじゃないかと心配になるほどだ。突然グリルが爆発したらどうしよう? はらはらしながら弱火にしたり一旦火を止めたりして、なんとか焼き上げた。
たっぷりした肉に箸を入れると、じわりと脂がにじみだす。にじみだすというか、流れ出す。
考えてみれば腹鰭は当たり前ながら、お腹についたヒレだ。鮪のお腹と言えば、大トロである。図らずも私は今、大トロをグリルして食べようとしているのだ。ひいぃ。
言わずもがな、おいしかった。身はふわっとしたところととろっとしたところがあって、脂もすっきりした味で、胃にもたれない。日本酒が水のようにすいすい入る。
山葵をつけても良かったと今後悔しているので、近いうちにまたぜひ仕入れてほしい。
○魚の白子
私がスーパーでちょっと贅沢な食材を買う動機のひとつとして、「お店ではちょびっとしか食べられないものを山盛り食べたいから」というのがある。
白子はその代表だ。居酒屋で白子ポン酢を頼むと、たいてい2~4切れがワカメに乗ってくるじゃないですか。2人で飲んでたら自分が食べられるの1~2切れじゃないですか。もっと食べたいけど相手が白子をそんなに好きじゃなかったら一人一皿っていうのも厳しいじゃないですか。お値段も張るし。
そういうわけで冬に鱈の白子が出回り始めると、喜々として買い求める。ぐりぐりした畝の境目が、なるべくくっきりと出ているものを選ぶ。
塩水で軽く洗い、さっと湯通しした後は、ポン酢で食べてもいいし、きのこと一緒にホイル焼きにしてもいいし。つい日本酒をあわせがちだけれど、小麦粉をはたいてバターソテーにするとワインにも合う。痛風? 知らん。
鱈の白子、じゃなくて魚の白子、としているのは、鱈以外の白子もいろいろ試してみているからだ。
例えば秋口に出回ることが多い、鮭の白子。ほんのりピンク色をしていて、のぺっとした紡錘形に近い形だ。鱈の白子は薄皮の中にとろっとした中身が詰まっているような食感だけれど、鮭のものは身がもう少ししっかりしていて、レバーを柔らかくした感じに近い。箸で切り分けても決壊しないので、ちびちび食べるのに持って来いである。
買ってきた鯖をさばいたときに、見事な白子が出てきたこともあった。アニサキスが見え隠れしていたのでしっかり目に茹でて取り除き、他の魚のものと同じようにポン酢をかけて食べたら、味が濃くておいしかった。
○まるごとの鯖
岡山に住んでいたころ、よく「二軒屋商店」という激安スーパーにお世話になっていた。
加工食品や精肉は正直あまり食指が動かない品ぞろえだったのだけれど、魚の質と値段がすごかった。黒々とした目の魚が鱗をきらめかせ、投げ売りに近い値段で売られている。
海のすぐそばだったので、漁港から直接魚を仕入れていたのかもしれない。
そのスーパーで、大きな鯖が2尾セット138円で売られていたことがあった(そういうことが起こる店だったのだ)。そのときは夫も私も恥ずかしながら魚を捌いたことがなかったのだけれど、あまりの安さに目がくらんで持ち帰り、YouTubeで解説動画を見ながらなんとか三枚おろしにした。
今住んでいるところはずいぶん魚が高いのだけれど、鯖だけは時々、丸のままで買う。

切り身でない鯖を買うことのよいところは、鮮度がわかりやすいので、新鮮なものを選べば自宅で〆ることができるところだ。あと、たいていは捌かれた状態のものを買うより、大きな切り身が手に入るところ。
巨大な半身にまんべんなく塩を振って水分を出した後、酢を張ったバットに片面6~7分ずつ漬けると、肉厚でごくレアな状態のしめ鯖が出来上がる。それを分厚く切り、生姜や山葵をたっぷり添えて食べるのがこの上ない幸せだ。
アニサキスが怖いので、必ず一晩以上冷凍してから食べるようにしている。
○ふりそで
鳥肉もよく見ると、いろいろな部位が売られていておもしろい。せせりや砂肝、レバーなどは味の想像がつくけれど、「ふりそで」というのを見た時は、思わずどの部分なのか調べてしまった。
手羽元と胸の間で、人間で言うと肩の部分らしい。
希少部位、と書かれているのをみて、迷わず籠に入れるミーハーっぷりを発揮する。
唐揚げにして食べると、まさに胸肉と手羽元・手羽先当たりの脂が乗った部位との良いとこ取りといった感じだった。ぷりぷりと弾力があってジューシーながら、腿肉や手羽元よりはさっぱりとしている。余談だが、一羽から少ししか取れない分、もともとの大きさが一口大になっているのも調理しやすくて嬉しかった。
その一度きり、見かけていないのが残念だ。
○きんかん
果物ではなく、鳥肉の部位の話をしたい。
卵管と未成熟の卵という、「そこ食べるの!?」な場所なのだけれど、黄色い卵の部分を噛み割ったときの濃い風味が好きで、焼き鳥屋で見つけるとつい頼んでしまう。
これもたまに、スーパーで見かけることがある。焼き鳥屋さんのように卵を半熟で仕上げる技術はないので、山梨のB級グルメに倣って、醤油と砂糖、生姜で甘辛く煮ることが多い。

こってりとした味付けが、焼酎によく合う。
■徒歩7分のダンジョンで冒険を
自分のレパートリーから少しはみだすことを覚えたら、スーパーマーケットは楽しい場所になった。
時には選択を失敗することもあるけれど、自分の失敗の責任を自分で取れる、というのも大人のよいところである。
これからもスーパーというダンジョンで、おいしいごはんとお酒を求め、小さな冒険を積み重ねていきたい。
