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一つの面だけで世界を見たとき、人は本質を見失う〜ニュースになった熊しか私達は知らない〜

最近、熊の報道を見ていて
考えることがあります。

熊が人を襲った。
熊が住宅地に現れた。
熊が駆除された。

すると世の中は大きく二つに分かれます。

「危険だから駆除すべきだ」
「人間のせいなのだから守るべきだ」

まるでどちらかが正しく、
どちらかが間違っているかのように。

けれど私は、そのやり取りを見ながら
いつも思うんです。

本当にそんなに単純な話なのだろうか。

私たちは一つの面だけを
見てしまう


人間の脳は複雑なものが苦手です。
だから無意識に、

善か悪か。
敵か味方か。
正しいか間違いか。


そんな二択にしたがります。
その方が安心できるからです。

しかし現実は違います。
物事はすべて多面体です。
一つの面だけを見れば正しく見える。
別の面を見れば全く違って見える。
熊の問題も同じです。

熊が怖いという事実


熊は危険な一面を持つ野生動物です。
これは紛れもない事実です。
実際に被害も起きています。
山間部で暮らす人たちにとっては
命に関わる問題です。

家族を守りたい。
子どもを守りたい。

そう思うのは当然です。
恐怖を感じることも当然です。
この面だけを見れば、「駆除すべきだ」
という意見は理解できます。

熊もまた生きているという事実


しかし別の面もあります。
熊は悪意を持って
人里へ来ているわけではありません。

彼らにも家族があります。
守りたい子どもがいます。
空腹があります。
恐怖があります。
生きたいという本能があります。


私たちと何も変わりません。
ただ姿が違うだけです。
生きる場所が違うだけです。

そして忘れてはいけないのは、
熊は昔からそこにいたということです。
後から環境を大きく変えたのは人間です。

山を切り開き、
道路を作り、
住宅地を広げ、
森林を分断してきました。

この面だけを見れば、
「熊ばかりが悪者にされるのはおかしい」
という意見も理解できます。

報道は(本来は)事実を伝える。
でも全体は伝えない


ここで大切なのは、
報道全てが悪いという話ではありません。
報道には大切な役割があります。

それは[危険]を知らせることです。
しかし報道されるのは基本的に事件、
もしくは何かしらの意図がある内容です。

山で静かに暮らしている熊は
ニュースになりません。

母熊が子育てをしている姿も
ニュースになりません。

木の実を探して歩いている熊も
ニュースになりません。

ニュースになるのは、人を襲った熊です。

つまり私たちは、熊そのものを見ているのではなく、「ニュースになった熊」だけを見ている可能性があります。

情報は必ず多面的に見る


そしてこれは熊だけの話ではありません。
今は情報があふれる時代です。

○テレビをつければ
専門家(に見えるだけの人も)が話す。
○SNSを開けば誰かが断言する。
○動画を見ればもっともらしい解説が流れてくる。

私たちはいつの間にか、
「そうなんだ」と思い込んでしまいます。

しかし情報とは本来
真実そのものではありません。

情報とは、
誰かが見た世界の一面です。


同じ出来事を見ても、
立場によって見える景色は変わります。


熊を怖いと感じる人もいる。
熊に同情する人もいる。
どちらも嘘ではありません。
どちらも事実です。
ただ見ている面が違うだけです。

本当に危険なのは、
間違った情報ではありません。
一つの情報だけで世界を理解した気に
なることです。

誰かが言ったから。
有名人が言ったから。
専門家が言ったから。
テレビで言っていたから。
SNSで拡散されていたから。

それが真実とは限りません。

だからこそ必要なんです。

鵜呑みにしないこと。
疑うことではありません。
考えることです。

反対意見にも耳を傾ける。
別の角度から見る。
背景を調べる。
自分が見落としている面を探す。

そうして初めて物事は立体的に見えてきます。

境界線が曖昧になる時、
問題は起きる


それぞれの領域に踏み込みすぎないこと


私は今回の熊の問題を見ながら、
「境界線」についても考えています。

本来、人間の世界には人間の世界があります。
熊の世界には熊の世界があります。

お互いの境界線が保たれている時、
大きな衝突は起きません。

しかし境界線が曖昧になると摩擦が生まれます。

人間が山へ入りすぎる。
自然を人間の都合で変えすぎる。
熊が人里へ下りる。
互いの領域が重なり始める。

すると問題が起きます。

実はこれも、人間関係と全く同じです。

親子も。
夫婦も。
職場も。
友人関係も。

相手の領域に踏み込みすぎる。
自分の価値観を押し付ける。
相手をコントロールしようとする。


すると苦しみが始まります。

問題の多くは、
境界線が失われた時に起きる

命への敬意を忘れた時


私が最も気になるのは、
熊をどうするかではありません。
その議論の中で、命への敬意が
失われていくことです。

自分の命は大切。
家族の命も大切。
子どもの命も大切。
もちろんです。

しかし本当に命への敬意を学ぶなら、
その視点はもっと広がっていくはずです。

熊もまた命です。
鹿も命です。
鳥も命です。
木々も命です。
私たち人間も命です。

みな生きたいと願い、
大切な存在を守ろうとしながら生きています。


命に優劣はありません。
立場の違いがあるだけです。
種の違いがあるだけです。

そして本当の敬意とは、
自分が好きな存在だけを
大切にすることではありません。

自分とは違う存在にも
居場所があることを認めることです。


最後に


熊の問題は私達人間の姿勢への問いかけ



熊との問題は、実は熊の問題ではありません。
それは私たち人間への問いかけです。

あなたは一つの面だけを見ていませんか。
あなたは誰かの言葉だけを真実だと
思い込んでいませんか。

あなたは自分の正しさだけで
世界を見ていませんか。

あなたは自分の家族だけを
大切にしていませんか。

共生とは、優しさではありません。
共生とは知性です。

多面的に物事を見る力です。
境界線を尊重する力です。

そして、
自分以外の命にも敬意を払う力です。
私たちはこの地球の支配者ではありません。
数え切れない命たちと共に生きる、
一つの存在です。

だからこそ大切なのは、
排除することでも、
盲目的に守ることでもありません。

まず観ること。
もう一度観ること。
そして、自分とは違う立場からも観てみること。

その姿勢を失った時、
人は熊と共生できなくなるだけではありません。

人とも、自然とも、そして自分自身とも
共生できなくなるのかもしれません。

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