16時の違和感から始まった、設計の話。
16時になると、頭がぼんやりする。
モニターの文字を目で追っているはずなのに、意味が入ってこない。
同じ行を何度もなぞって、それでも理解できなくて、静かにため息をついた経験が、あなたにもあるだろうか。
私にはある。以前は毎日のようにあった。
今は、少し減った。
環境を少しずつ整えてきたおかげかもしれない、と思っている。
一番困るのが、眼鏡をかけているのに目の焦点が合わなくなる瞬間だ。
なんとなく視界がずれている感じ。
右手首がじんわり熱を帯び、重くなるのと同期するように、思考も止まる。
その間、メールも資料も長文レポートも、ただそこにあるだけになる。
これが、私にとって本当の絶望だ。
昔はこんなじゃなかった、と思う
若い頃は、夕方でもまだ動けた。
定刻前に切れた、という感覚が今ほどなかった気がする。
長い会議を終えてから資料を作って、それでも頭はある程度回っていた。
もちろん疲れていたけど、脳が完全に落ちる感じではなかった。
それが変わったのは、40代に入ってからだ。
同じ時間、同じ仕事量なのに、夕方の失速が明らかに早くなった。
しかも、長文や普段あまり触れない内容ほど、頭に入らない。
知らない領域の資料を読もうとすると、15時すぎにはもう限界だったりする。
思い返せば、昔よく言われた「まとめを先に書いてくれ」と言っていたあの上司も、実は16時の絶望と戦っていたのかもしれない。
あの時イラッとした自分を、今の自分が見たら、きっと苦笑いするだろう。
忙しいからもあるだろうけど、受け取る側の脳にも体力があって、それが消耗したあとには長い説明がもう入らない。上司や先輩たちはそれを知っていたんだと、40代になった今、ようやく腑に落ちた。
仕方ない、で終わらせたくない
衰えていることは、認めている。
目が疲れやすい。
集中力の持続時間が短くなった。
16時の壁は、体の仕様として存在している。
そこに抗っても消耗するだけだし、「まだいける」と気合を入れてもパフォーマンスは戻らない。
それでも、仕方ないの一言で片づけてしまうと、そこで思考が止まる。
怖いのは衰えそのものよりも、何も見直さないことかもしれない。
全部やめたら、悪いところが折り重なって、加速度的に落ちていく気がしている。
だから最初にすることは、現状を認めること。
16時に脳がシャットダウンすることを、異常だと思わないこと。
そこから、どう設計を変えるかを、静かに考える。
崩れないための、小さな仕組み
特効薬はない。
ただ、いくつかの小さな補完策を試している。
道具を変えたり、体の動かし方を変えたり、1日のなかに意識的な余白を作ったり。
派手な改革じゃない。
少しずつ、地味に。
「若い頃に戻る」ためじゃなく、落ちるスピードを緩めるための設計として。
その話は、また別の機会に。
例えば、トラックボール一つで手首の熱が引いた話や、モニターの高さを直した話など。
小さな設計変更の記録を、少しずつ残していこうと思う。
それでも、今日も16時はやってくる
何をしても、16時はくる。
完璧に防ぐ方法は、たぶんない。
それでも以前と少し違うのは、その瞬間を「また終わった」と受け取らなくなったことかもしれない。
16時の違和感は、何かが終わる合図じゃなかった。
たぶん、設計を見直すタイミングだった。
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モニターを3.5cm下げただけで、16時の感じ方が少し変わった話を書きました。
