カールマルクスが渋谷に転生した件 40 ひかり、インフルエンサーになる(前)
ひかり、案件獲得
「これ、本当に環境に優しいのかな…」
金野ひかりは、届いたばかりの高級ブランドのバッグを手に取りながら、深いため息をついた。
バッグには「サステナブル・ラグジュアリー」というタグが付いている。天然素材を使用し、生産過程での環境負荷を最小限に抑えたという謳い文句だ。定価98,000円。
「一体、何が『サステナブル』なんでしょうね」
マルクスが覗き込む。彼は相変わらず黒いフロックコートに身を包み、髭を整えている。
「ブランドの担当者から連絡があって」ひかりはスマートフォンを手に取る。「この新シリーズのプロモーション、やってほしいって」
画面には破格の報酬額が表示されている。
『投稿1件:50万円+商品提供』
「むむ」マルクスの髭が震える。「かつての工場労働者の半年分の賃金か」
「環境経済学を学ぶ大学生として、こういうサステナブルな取り組みを応援したい気持ちもあるんです。でも…」
「しかし?」
「何かが違う気がして」ひかりは眉をひそめる。「アイドル研修生の時から、ずっと考えてきたんです。価値って、本当は何なのかって」
マルクスは静かに頷く。この若き経済学徒の言葉には、いつも鋭い直観が含まれていた。
「私ね、研修生の頃、『価値』の作られ方を、身をもって学んだんです」
2年前——
「はい、笑顔!もっとキラキラした感じで!」
カメラマンの声が響く中、17歳のひかりは必死に「理想の表情」を作ろうとしていた。
「ブランドイメージを大切に。あなたたち一人一人が、うちの事務所の『ブランド』なんだから」
それは、人格さえも商品として磨き上げていく世界だった。
歩き方、話し方、SNSでの投稿の仕方まで、全てが計算され、演出され、商品化される。
「今思えば」現在のひかりが言う。「アイドルって、究極のブランドだったんですよね。商品としての『夢』を売る。それ自体を演じることで、夢は商品になる」
「ほう」マルクスが興味深げに髭をなでる。「まさに物神性の極致というわけか」
「でも、このバッグも同じだと思うんです」ひかりはバッグのタグを指さす。「『環境に優しい』って謳い文句は、新しい形の『夢』の販売では?」
マルクスは黙ってスマートフォンを手に取る。検索画面には、このブランドの生産工場に関する調査報告が表示されている。
発展途上国での劣悪な労働環境。
環境負荷の数値の恣意的な解釈。
「サステナブル」の定義の曖昧さ。
「やはり」ひかりが溜息をつく。「グリーンウォッシングですよね」
「しかし」マルクスが指摘する。「君にはそれを暴露する力がある。SNSでの影響力を使えば…」
「それが、また難しいんです」
ひかりは自分のインスタグラムのアカウントを開く。フォロワー数は着実に増えている。環境問題や経済の話題を、Z世代向けにわかりやすく発信してきた成果だ。
「暴露することで、また新たなコンテンツになってしまう。批判自体が消費されて…」
「ふむ」マルクスが考え込む。「確かに、資本主義は批判さえも商品に変えてしまう」
「かつて私は、アイドルという商品でした」ひかりがゆっくりと言葉を選ぶ。「今度は環境活動家という商品になろうとしている。この構造から、本当に抜け出せるんでしょうか」
ひかり、コラボする
その時、スマートフォンが震える。新しいDMだ。
『こんにちは!私もサステナブルファッションの発信をしている者です。実は、このブランドの裏側について、一緒に追究してみませんか?』
差出人は、人気インフルエンサーの山田みどり。サステナブルファッションについて発信を続け、時にはブランドの問題点も指摘してきた存在だ。
「ふむ」マルクスが髭をいじる。「これは意外な展開だな」
「みどりさん、最近、アパレル業界の環境負荷についての調査をしてるんです」
ひかりが説明する。「特に、『サステナブル』を謳う高級ブランドの実態について」
「なるほど」マルクスの目が輝く。「これはまさに、新しい形の連帯の可能性では?」
数日後——
渋谷のカフェで、ひかりはみどりと対面していた。
「実は私、元アパレルメーカーの社員なんです」
みどりが打ち明ける。
「『サステナブル』って言葉が、どんどん中身を失っていくのを見てきました。でも、これをSNSで告発しても、結局は『炎上商法』って言われるだけ。だから…」
「だから?」
「もっと違うアプローチを考えてるんです。批判だけじゃなく、本当の意味での『価値』を示せないかって」
ひかりは思わず身を乗り出す。
「本当の価値…」
その夜、ひかりは机に向かっていた。
画面には、あるプロジェクトの企画書が表示されている。
『Real Value Project』
- サステナブルを謳う商品の実態調査
- 生産現場のドキュメンタリー
- 代替的な価値の可視化
- 新しい消費のあり方の提案
「なるほど」マルクスが覗き込む。「単なる告発ではなく、新しい価値の創造か」
「はい」ひかりが頷く。「私、気づいたんです。アイドル時代に学んだ『演出』の技術も、環境経済学で学んでいる理論も、全部繋がってるって」
「どういうことだ?」
「価値って、結局は人々の関係性の中で生まれるものですよね。だから、その関係性自体を変えていけば…」
マルクスは静かに微笑む。
「君は面白い地点に到達したようだな。物神性を批判するだけでなく、その先にある可能性を見出そうというわけか」
ひかり、バズる
数週間後——
ひかりのインスタグラムには、新しい投稿が並んでいた。
高級ブランドのバッグと、地域の手作り市で見つけたバッグを比較する投稿。
それぞれの作り手の想いや、環境負荷の具体的なデータ。
そして、「価値」について考えるきっかけを投げかける言葉たち。
コメント欄は賑わっている。
『目からウロコだった』
『ファッションの「価値」って、本当は何なんだろう』
『地域の作り手さんの商品、気になる!』
「反響がすごいです」ひかりがスマートフォンを見せる。
「私たちの買い物って、結局、何かの『物語』を買ってるんですよね。だったら、その物語自体を変えていけば…」
「ブランドという物神を、別の形の価値に置き換えていくというわけか」
マルクスが感心したように頷く。
「そうです。でも、それは単純な否定ではなくて」
ひかりは言葉を選ぶ。
「新しい物語を、みんなで紡いでいくような…」
渋谷の街に夕暮れが迫る中、二人は議論を続けていた。
高層ビルの壁面には、相変わらず高級ブランドの広告が踊っている。
しかし、その光の中に、確かに新しい物語が芽生え始めていた。
