カールマルクスが渋谷に転生した件 3 マルクス、はじめてのスマホ(前半)
マルクス、初めてのスマホ

「しかし…どう使うのだ。このスマートフォンとやらは」
マルクスは箱から取り出したばかりの機械を、まるで危険な爆弾でも扱うように、おそるおそる両手で持っていた。
「はい。まずは電源を入れてみましょう。ここの横のボタンを長押しするんです」
さくらが教える。
「む...これを押せばいいのか...おや!?」
突然画面が明るく光り、マルクスは思わずスマートフォンを落としそうになる。
「大丈夫ですか?まだ起動したばかりですよ」
さくらは微笑みを押し殺しながら続ける。
「次は画面のロックを解除します」
「ロック?」マルクスは眉をひそめる。「鍵前屋を呼ぶ必要があるのか?」
「いえ、画面をこうやって上にスワイプするんです」
「スワ...イプ?」
マルクスは指を画面に這わせるように動かす。
「もう少し強く触れていいんですよ」
「こうか...ああ!」
今度は逆に強く押しすぎて、画面が激しく点滅する。
「エンゲルスに見せたら、きっと卒倒するだろうな。これは魔法か?それとも新手の生産手段か...」
マルクス、初めてのSNS

「じゃあ次は、SNSのアカウントを作りましょう。このXっていうアプリを開いてみて」
「X...?」マルクスは首を傾げる。「なんとも不吉な名前だな。かつての私の原稿のように、編集者に没にされそうだ」
「大丈夫です。ここであなたの思想を発信できるんですよ」
「ふむ...この白黒のマークをこうやって...」
マルクスが画面をタップすると、青い「アカウントを作成」のボタンが現れた。
「では、ユーザー名を決めましょう。お名前は?」
「『KarlMarx』でいいだろう」
マルクスが一文字ずつ慎重にタイプする。
「あ、もう使われてますね。『RealKarlMarx』も使われてるし...」
「なんと!」マルクスは髭を震わせた。「私の名が既に使われているだということか。これも一種の疎外か...デジタルの世界では、私は私ですら在り得ないというわけか」
「じゃあ...TheRealMarx_1818とかは?」
「1818?ああ、私の生年か。しかし、なぜ下線を付ける?原稿の校正でもあるまいに」
「いえ、これがルールというか...あ!プロフィール画像も設定しないと」
「なんと、この小さな箱に写真機能まで...」
マルクスは驚きの表情を浮かべる。
「ダゲレオタイプの時代から随分と進化したものだな。しかも即座に写真が現れるとは」
「はい、カメラを起動しますね。あ、今インカメラになってます」
「おや」
突然画面に映った自分の顔に、マルクスは思わず後ずさる。
「これは...私の髭が乱れているな。少し整えさせてくれ」
さくらは、意外にも身だしなみに気を使うマルクスの姿に微笑む。
「けっこうおしゃれなんですね」
「いやいや」髭を整えながらマルクスは答える。「肖像写真は後世に残るものだ。プロレタリアートに向けて発信するからには、それなりの威厳も必要だろう」
マルクス、はじめての投稿
数枚の写真を撮影した後、マルクスは真剣な面持ちで自己紹介文を考え始めた。
「自己紹介は...『資本論の著者。ロンドンで没し、なぜか令和の渋谷で目覚める。搾取と戦いながら、スマートフォンの使い方を勉強中』...というのはどうだろう?」
「それ、意外といいかも!では、最初の投稿を...」
画面に向かって、マルクスは慎重に文字を打ち始めた。
「むう...日本語のキーボードとやらが、妙に小さいな」
「ローマ字入力のほうが楽かもしれませんよ」
「なるほど。これならタイプライターと同じか」
『我、カール・マルクスなり。資本主義は...』
と入力したところで、マルクスは一旦手を止めた。
「どうかしました?」
「この先をどう書くべきか。あまりに多くの変化がある。工場労働は減り、その代わりに人々は発光する板に囚われている。商品は実体を失い、デジタルの幻影と化している。これをどう表現すれば...」
マルクスは深く考え込んだ末、最初のツイートを投稿した。
『資本主義的生産様式の現代的展開における本質的矛盾について。第一に、労働の非物質化による新たな疎外の形態が...』
「あの...」さくらが心配そうに覗き込む。「ちょっと難しすぎるかも」
5分経過。いいねゼロ。マルクスは不満げに髭をいじる。
「むう...かつての私の著作も、最初は全く売れなかったものだが...」
「もう少し身近な話題から入ってみては?」
『我、カール・マルクスなり。令和の渋谷にて目覚める。資本主義の進化には驚愕するばかり。スマートフォンなる機械と格闘中』
今度は数分で「いいね」が付き始めた。
『またマルクスのなりきり垢か』
『AI搭載マルクスbot?』
『草』
「草?」マルクスは混乱する。「なぜ突然、植物の話に...」
「いえ、それは笑いを表す表現で...」
その時、一つのリプライが飛び込んできた。
『現代のスマートフォン依存って、マルクス的に見るとどうなんですか?』
「ほう!」マルクスの目が輝く。「これは興味深い質問だ」
『スマートフォンは現代の紡績機かもしれない。しかし我々は今や、機械を操作するのではなく、機械に操作されているのでは?』
今度は「いいね」が100を超えた。
「おや、手応えがあるぞ」
マルクスは調子づいて、次々とツイートを打ち始める。
『諸君、今日のコンビニバイトにて気付いたのだが、この国の労働者は「お疲れ様です」と挨拶を交わす。疲労を前提とした労働とは、これぞまさ、に...』
「あ、句読点の位置が...」
さくらが指摘する前に、投稿ボタンを押してしまった。
「なるほど。つまり、より多くの『いいね』を獲得するためには...」
「マルクスさん」さくらが心配そうに声をかける。「いいねを意識しすぎるのは、それはそれで資本主義的じゃ...」
「ふむ」マルクスは髭を撫でながら考え込む。「確かにその通りだ。いいね数という新たな価値形態に、私自身が囚われようとしていたというわけか」
そこへ新しい通知が届く。
『就活辛すぎ...もはや魂を売るしかないのか...?』
マルクスの目が輝いた。
『若き同志よ。君の魂は商品ではない。労働力という商品を売っているだけだ。その区別を理解することが、抵抗の第一歩となる』
「お、いい感じですね」さくらが覗き込む。「でも、ハッシュタグを付けたほうが...」
「ハッシュ...タグ?」
「こういう記号です。#就活 とか #資本主義 とか付けると、同じような悩みを持つ人たちに届きやすくなるんです」
「むむ」マルクスは顔をしかめる。「これではまるで図書館の分類記号のようだな。しかし、プロレタリアートの連帯のためならば...」
『本日の洞察。現代の若者たちは、自らの労働力を商品として売り出すため、己を商品のように磨き上げることを強いられている。 #就活 #資本主義 #搾取 』
「おお!」さくらが声を上げる。「リツイートが増えてます!」
「リツイート?」
「他の人があなたの言葉を共有してくれているんです」
マルクスの目が潤んだ。
「まさにこれこそ...デジタル時代のプロレタリアートの連帯というわけか...」
