【日記】歴史は繰り返す。気をつけろ。【参院選】
今回は、珍しく政治の話だ。気が進まない。だが、書く。
よく、友人間では野球と宗教と政治の話はするな、と言われる。なぜなら、必ず意見が対立するからだ。立場が違えば見える景色も違う。当然のことだ。こんな記事を書けば、フォロワーを失うリスクもある。そんなことはわかっている。
とはいえ、昨日の参院選の結果を見て、書かざるを得ないと思ったのだ。
参政党14議席の衝撃
参政党、14議席獲得。流石に衝撃だった。
まあ、彼らのマニフェストの細部は置いておこう。「天皇を中心とした国体」などは時代錯誤感甚だしいが、特に否定しようとも思わない。わたしは天皇制には懐疑的だが、天皇家はその役割を果たしていると考える立場だ。
小麦粉が体に悪い、オーガニックな生活が云々、ワクチンがどうたらこうたら、も置いておこう。そのあたりは科学を信じたい。ちなみにわたしは、範馬勇次郎の「毒も喰らう、栄養も喰らう」の信者である。
本題に移ろう。
排外主義という亡霊
単純に、排外主義について強い危機感を覚えているのだ。
排外主義は、歴史上、常に国や政府が弱体化した時に、言い換えれば社会に余裕がない時に現れる。近年では、ドイツにおけるAfD(ドイツのための選択肢)がその典型だ。彼らは、年々増加する移民に対して「ドイツ人のためのドイツ」を掲げ、着実に支持を伸ばしている。私も実際にドイツでAfDの集会を見たことがある。外国人として、怖かった。あの熱狂は、理性ではない何かに支配されていた。
トランプだってそうだ。フランスの国民連合、イタリアの同盟、イギリスのBrexit——これらすべてに共通するのは、「我々vs彼ら」という単純明快な構図である。
彼らは、民衆をまとめるために、わかりやすい敵を作る。外国人という敵を。「日本人ファースト」——このスローガンは、トランプの「America First」の露骨な模倣であり、その排外主義的な本質を隠そうともしない。9.11を思い出してほしい。攻撃があったからこそ、ブッシュ政権は結束を呼びかけることができ、政権を延命させた。
共通の敵を作ること。これ以上に分かりやすいイデオロギーはないのだ。日本国籍者にとって最も分かりやすい敵は何か。そう、外国人だ。
理解できる部分、危険な部分
もちろん、理解できる政策もある。外国人の土地取得制限は、投機目的であれば規制すべきだと思う。なぜなら、本当に土地を必要とする人に土地が行き渡らなくなるからである。居住目的で、数年の納税実績があれば、国籍は問題ではないだろうとも思うが。
いずれにせよ、そこに込められた排外主義的な感情、「日本をなめるな」という勇ましいスローガンの裏に潜む他者への排斥の論理に、私は強い疑念を覚える。
問題は政策の中身だけではない。その政策を支える感情の質なのだ。
危険な既視感
さて、ここまで来て、勘のいい読者の方ならお気づきだろう。参政党のこの勃興は、あの時代状況と酷似している。
1930年代のドイツ、ナチスの台頭だ。
いや、待ってほしい。もちろん、参政党は外国人を虐殺していないし、排外主義的な政策だってナチスに比べたら可愛いものだ。彼らは合法的に、民主的な手続きによって議席を獲得した。
しかし、ナチスだって初期はそうだった。
混迷を極めた第一次世界大戦後のドイツにおいて、ハイパーインフレと政治不信の中で、カリスマ性の塊のヒトラーが「強い古いドイツ」の復活を訴え、失われた栄光の回復を約束した。最初は小さな政党だった。彼らも最初は「合法的」だった。
もちろん、現在の参政党がナチスと同じことをするなどとは言わない。ただ、民主主義の手続きで誕生した政党が、民意を盾に他者を排除し始める——そうした「構造」には既視感を覚えるのだ。
歴史は繰り返さずとも、韻を踏む。
本当の問題は何か
参政党を憂いているのではない。参政党の支持者がここまで膨らんだことに憂いているのだ。
14議席という数字が表しているのは、この国に深い「何か」が蓄積されているということだ。不満、不安、居場所のなさ、将来への絶望——そうした感情が、最も単純で分かりやすい「解決策」に向かっている。
既存の政治が応えられなかった声が、危険な方向に流れている。
そして、ここに根本的な問題がある。オルタナティブな左派政党が存在しないことだ。
日本共産党は硬直化し、立憲民主党は中途半端で、れいわ新選組は小規模に留まっている。真に人々の経済的不安に応える、魅力的で現実的な左派の選択肢がない。だからこそ、反体制的なエネルギーが極右に流れてしまう。
これは政治的な空白の問題なのだ。
これは参政党だけの問題ではない。この国の政治全体の問題なのだ。
我々にできること
では、我々は何をすべきか。
まず、軽蔑してはいけない。参政党に投票した人々は「無知」でも「愚か」でもない。彼らの不満や不安は、多くの場合、真っ当なものだ。問題は、その真っ当な不満が誤った方向に方向づけられつつあることなのだ。
そして、我々は監視しなければならない。この国のナショナリズムが、人間の尊厳を奪うものにならないように。民主主義が、民主主義を破壊する道具として使われないように。
歴史は警告している。そして今、我々は歴史の分岐点に立っている。
