カールマルクスが渋谷に転生した件 38 ケンジ、めっちゃ調子にのる(前)
ケンジ、スカウトされる
「君の編集センス、すごく面白いよ」
渋谷のカフェで、スーツ姿の中年男性—全国ネットの報道番組プロデューサーが、タブレットでDas Kapital TVの動画を見せながら語りかける。
「特にこの『資本論』の解説回。難しい理論なのに、テンポよく、若者の心をつかむ。センスあるね」
「あ、ありがとうございます」
思いがけない評価に、ケンジが少し照れる。
「うちで週一の若者向け報道番組、立ち上げるんだ。その演出を任せたい」
プロデューサーが企画書を差し出す。
「ただし、これは専念してもらう仕事になる」
『週給30万円』
契約書の数字を見た瞬間、ケンジの目が輝いた。
(これって月収120万!?超勝ち確じゃん!)
「その、マルクス先生たちには...」
「ああ、もちろん」プロデューサーが温かく笑う。「彼らには感謝を伝えるべきだよ。君の才能を育ててくれたんだから」
「えへへ」ケンジが後頭部を掻く。「まあ、確かにボクも、そろそろステップアップ...」
その時、スマートフォンが鳴る。
『共和民主党広報部』からの着信。
昨日から何度も連絡が来ていた。
「あ、すみません」
ケンジが着信を確認する。
「これ、実は共和民主党からも...」
「ああ、聞いてるよ」プロデューサーが頷く。「党の広報動画も評価高いんだって?」
「まあ」ケンジが得意げに。「向こうは週40万って言ってきてて...」
「君、交渉上手だね」
プロデューサーが笑う。
「じゃあ、うちも35万にしよう」
「マジっすか!?」
思わず声が裏返る。
(これマジで人生の勝ち確じゃん...)
(高級寿司食い放題、デートも...あ)
「あの」ケンジが少し声を落とす。
「一つだけ気になるんですけど。今、Das Kapital TVで企画してる動画があって...」
「労働者の告発系?」
「はい。ブラック企業の内部告発とか、非正規切りの...」
プロデューサーの表情が少し曇る。
「うーん、それは難しいかな。テレビって、スポンサーとの関係も...」
「そうですよね...」
「ただ」プロデューサーが前のめりになる。「その代わり、もっと多くの若者に届く発信ができる。視聴率5%なら、100万人に届くんだ」
その数字に、ケンジの心が揺れる。
ケンジ、マルクスに見限られる
「だから、ステップアップの時期かなって...」
ゲストハウスの離れで、ケンジが早口で説明を終える。
しかし返ってきたのは、重い沈黙。
「つまり」マルクスの髭が震える。「我々を見捨てるというわけか」
「見捨てるっていうか...」ケンジが焦って言い訳を。「視聴者も100万人っすよ?もっと影響力のある...」
「影響力?」
マルクスが立ち上がる。
「君は我々の活動を、単なる『影響力』の問題だと思っているのか!?」
「まあまあ」さくらが制止しようとするが。
「いや」ケンジも突然、感情を爆発させる。「だってボクだって、ちゃんと考えてるっすよ!このまま細々とユーチューバーやってても...」
「細々と!?」
マルクスの髭が逆立つ。
「君は我々の理論を、そんな矮小な...」
「理論理論って」ケンジが思わず声を荒げる。「現実を見てくださいよ!ボクだって、いつまでも貧乏なユーチューバーじゃ...」
「君がそこまで言うなら」
マルクスが冷たく言い放つ。
「好きにするといい」
「えっ」
「さあ」マルクスが背を向ける。「行くといい。テレビの世界でも、政党の広報でも、君の『才能』を好きに売るといい!」
「マルクス先生!」さくらが驚いた声を上げる。
ケンジ、勝ち組になる
「はい、カット!」
テレビ局の編集ブース。ケンジは新番組の演出で、若者へのインタビュー映像を編集していた。
「この子のコメント、もうちょっとドラマティックにできない?」
チーフディレクターが後ろから声をかける。
「就活中の女子大生が将来に不安を語るシーンなんだから、もっと感動的に...」
「でも」ケンジが戸惑う。「本人、実際はもっと淡々と話してて...」
「それじゃ視聴率取れないでしょ」
チーフが肩をすくめる。
「悲しい音楽入れて、スローにして。あと、涙のアップもね」
(これって、現実を歪めてるんじゃ...)
「あ、それと」チーフが企画書を見せる。「次回のテーマ、『若者の夢』から『頑張る若者』に変更。スポンサーから『暗すぎる』って...」
帰り道、渋谷の街頭ビジョンに自分の作った番組が流れていた。
確かに「感動的」な映像に仕上がっている。
でも—
「これ、本当に現実なのかな...」
ふと視線を落とすと、路上で段ボールに座る若者が。
その隣には『就活失敗 働きたい』と書かれた段ボール。
(こっちの方が、よっぽど現実なのに...)
その時、スマートフォンが震える。共和民主党からのメール。
『若者支持率アップのための動画、ぜひ君の演出で...』
*
次の演出会議。企画プロデューサーが熱心に語りかける。
「ケンジくん、次回は『片親家庭で3人の弟妹を育てながら就活頑張る女子大生』の密着ね」
「はい...」
「涙のシーンは必須。『諦めなければ夢は叶う』っていう締めで」
プロデューサーが企画書をめくる。
「スポンサーの求人サイトのCMも自然な流れで...」
(マルクス先生なら、これを何て言うだろう)
ケンジは考え込む。
(「貧困を感動物語に変換して商品化する」とか...)
「あ、それと」
プロデューサーが付け加える。
「実家が本当は裕福だとか、バイトより仕送りの方が多いとか、そういう『余計な事実』は編集でカットでいいから」
「でも、それじゃあ...」
「テレビはエンタメよ」
プロデューサーが優しく諭す。
「視聴者が求めてるのは、感動する『物語』なの」
帰り道、ケンジは立ち止まる。
Das Kapital TVで扱った労働問題の取材映像が、まだスマホに残っていた。
『正社員になれるって言われて入社したのに、いきなり契約社員にされて...』
『残業代なんて、最初から諦めてます』
生々しい告発の声。
編集による粉飾なしの、現実の声。
「物語にしちゃいけない現実ってあるよな...」
ケンジが呟く。
「どれだけ視聴者が求めようと」
ケンジ、決断する
「はい、今回の視聴率です」
編集部での週明めミーティング。
「片親家庭の就活生」の回が7.8%。局の期待を大きく上回る数字だった。
「さすがケンジくん!」
「これはシリーズ化決定ね」
「次は『障害を乗り越えて起業した20歳』なんてどう?」
歓声が飛び交う中、ケンジは机の下で拳を握りしめていた。
「あの...一つ提案があるんですが」
思い切って声を上げる。
「実は、『若者の労働問題』について、もっとリアルに...」
「ダメダメ」
チーフが首を振る。
「暗すぎるでしょ。視聴者は救いを求めてるの」
「でも」
「考えてみなよ」
プロデューサーが諭すように。
「7.8%って、およそ150万人が見てるってこと。Das Kapital TVの時より、遥かに多くの...」
「数じゃないっすよ!」
思わず声が荒くなる。
「数を稼ぐために、現実を歪めて、傷ついてる人の声を感動ポルノに変えて...」
会議室が凍りつく。
「ケンジくん」
プロデューサーが静かに、しかし厳しい声で。
「テレビってそういうものなのよ」
「...わかってます」
ケンジは立ち上がる。
「だから、僕、辞めます」
