【小説】建築的恋愛プロムナード(5)

第五話 ウェルカム・トゥ・ザ・ジャングル
ゆいは大好きな上野の美術館に来ていた。
街の喧騒から木々の中へ。
アスファルトの反響音が土に吸われる。
音が変わり空気が変わる。
ゆいが振り返る。
「ランチはちゃんと予約しているんだろうな。」
木立の向こうに屋根が見える。
全景を一度に見せずに期待感を煽る。
上野公園にある有名な和食店。
飛び石を渡り門を潜る。
視線が自然に誘導される。
建物に入ると時間軸が変わった。
「なんだこれは。」
ゆいは目を瞑り、ホームグラウンドでありながら、少しばかり高揚してしまった自分を悔いた。
「恋愛上級者の店じゃないか。」
「お褒めの言葉をいただき、光栄です。」
風情ある造り。
靴を脱ぐ。
段差、陰影、そして座敷へ。
目の前に広がる庭園、梅雨の雨を受けて鉛色の空に抑えつけられた翠が力強く萌ゆる。
歩くたびに、空間が少しづつ心をほどいていく。
「まさか、これほどとはな。」
慎次郎は笑顔で返した。
あの日の敗北以来、
スタンド『ジョン・ボン・ジョビ』は鳴りを潜めている。
二人の会話は空間デザインから、まどかの成長、そして、音楽、映画、スイーツ、写真、デッサン。
薄い雨が軒を通り、そのまま落ちていく。
懐石はデザートまで進み、ゆいはとうとう本題を切り出す。
……。
ゆいは呼吸を腹式に変えた。
「で、そのシャツ、ボーナスをいくらつぎこんだ。」
……!
アクセル・ローズがシャツの中で叫んでいる。
前回から微妙にアップデートしていた。
慎次郎が長考に入った。
焦り、迷い、後悔、すべてを一度飲み込む。
そして、目を見開く。
「一万です。」
……。
「嘘をつくな。」
「三万……。」
「話半分だな……。」
「六万……です。」
「決めた。そのシャツのレシート、持っているか。」
アクセル・ローズがシャツの中で叫んでいる。
先程より哀愁が漂うように見える。
スタンド『アクセル・ローズ』は一度も能力を発動することなく古着屋に帰って行くことになった。
◇
慎次郎は懇意にしている古着屋に彼女連れのオーラを纏いつつ入店した。
ゆいはその古着屋で、店員に有無を言わせずアクセル・ローズを返品した。
慎次郎はすでに代わりの無地のシャツを着ていた。
どこにでもある普通のシャツ、1000円台。
貧弱、そしてとてつもない喪失感、どこで間違ったのか、自問自答を繰り返す。
ど根性ガエルのピョン吉を失ったひろしの気持ちが今になってわかる。
ゆいが感情なく慎次郎を追い込む。
「おまえ、今、心の中で貧弱ゥゥって叫んだだろ。」
慎次郎は心を読まれて驚く。
……彼女はどこまで見えている……。
「泣くな。あとで私がサインしてやろう。黒マジックでな、世界に一枚だぞ。」
◇
前回のまどかのデザインは、社内のプレゼン段階から評判が良かった。
三上社長の采配で、当日は慎次郎ではなく、まどか本人のプレゼンとなった。
まどかは一人のデザイナーとして、プレゼンに向けてゆいと慎次郎と三人で毎日夜遅くまで詰めていた。
ゆいの檄が飛ぶ。
「まどかは相手のことをいつも考えている。だれよりもプレゼンに向いている。」
まどかもゆい譲りの打点ずらし。
「なるほど、自分のことしか考えてないおじさん……社内に多すぎですよね……どこかのしんどい次長とか、顔がセクハラの社長とか、刈り上げすぎたツーブロックとか。」
突然、まどかが慎次郎に悪意のないバックスタブを決める。
ぐふっ。
さらにゆいが追い討ちをかける。
「おじさんのかまってちゃんか……確かにキツイな……もはや、禁忌の存在といっていいだろう。本人たちは気づいてないがな。あのシリーズは全て自分がみえていない。」
慎次郎がどんどん小さくなっていく。
呼吸が荒い、命の灯火が消えかけていた。
「大丈夫です。慎次郎さんは若い子の前で、たまにちょっとだけはしゃぎすぎるだけですから。」
慎次郎が膝をつく。
すでに魂が肉体から離脱しかけている。
まどかがすかさずフォローを入れる。
「大丈夫。私が社内的に押さえ込んでいますから。しんどい次長はだれも止めてないんで評判が坂道転げ落ちてますけど。」
刈り上げすぎたツーブロックだけがエアコンの風になびいていた。
「しまじろう、気にすんな。」
「あープリン食べたーい。」
……。
ゆいが突然閃いた顔をした。
「そうだ。しまじろうの場合、アクセル・ローズのシャツでも着れば若い子にモテるかもな。」
「あっ……私もそう思ってた。」
慎次郎もハッと閃く。
「希望の光、見えました……。」
「そんなわけないだろ。」
二人の声が重なった。
後ろの席で聞き耳を立てていた進藤次長も膝をついていた。
ゆいとまどかはそれを冷たく見下ろした。

プレゼン当日、大会議室。
参加者は二十人以上、WEB接続はそれ以上。
まどかは壇上に立ち、沈黙を待った。
ゆいと慎次郎のプレゼンのイメージを完璧にトレースする。
相手に体験を届ける。
あの場所に連れていく。
「皆さん、お集まりいただきありがとうございます。本日のプレゼンターとなります。氷室まどかと申します。」
会場の視線が一斉にまどかに向く。
体がギュッと強張る。
深呼吸と同時にゆいの言葉がリフレインする。
『大丈夫、だれもまどかの内面なんて興味ないんだ。
楽しめるかどうかだけだ。』
ついでに慎次郎の言葉も追いかけてくる。
『いいプリン、見つけました。何とぞ良しなに。』
……。
会場の沈黙が、次第にまどかの高揚感に変わった。
「さっき、この街の駅前のプリンを食べました。凄く有名らしくて同僚が並んで買ってきてくれました。本当に美味しかったです。この街で仕事をしたいと思うきっかけになりました。」
まどかはゆい譲りのスマイルを決める。
会場に僅かな笑い声が反響する。
ゆいは目を輝かせていた。
慎次郎は目がバタフライになっていた。
「きっかけはきっとプロムナードなんです。日本語では散策、散歩になります。その場所に行って体験しないとわからないことが沢山ある。それが誰かと、そしてちょっとした偶然と繋がっていく。建物だって同じかもしれません。」
コンセプトの説明に入る。
全員がまどかのプレゼンに耳を傾けている。
自信に溢れているデザイナー。
こんな人達と一緒に仕事をしてみたい。
そんな空気が流れはじめていた。
クライマックス。
動画が流れる。
シーンが変わるごとに、感嘆の声が漏れる。
最後にエントランスに戻り、黒い人型のスタチューで場面が閉じた。
そして、まどかの最後のメッセージ。
「建築を歩くことは、人生や恋愛を歩くことと同じ。私はそう思います。それをこの建物を通して、感じてほしい。」
まどかがプレゼンを終えた瞬間、慎次郎の思考が加速しはじめた。
ゲートオープン!
突然、時間の流れが止まり、
動画の中の黒い人型のスタチューがジョジョ立ちを決めた。(ように見えた)
慎次郎は心の中で叫んだ。
「時は動きだす。」
次の瞬間、会場が拍手で沸いた。
まどかはゆいと慎次郎だけに見えるように小さくガッツポーズを決めた。
◇
三人だけの小さな打ち上げ。
次の日曜日、三人で上野に行こうとなったのだが、急遽、まどかがアクシデントで遅刻してくることになった。
「遅れてごめんなさい。二人だけの時間、楽しめました?」
「言うじゃないか、まどか。」
ニヤリと笑うゆい。
「大人のデートを満喫したぞ。これからザギンにシースーだ。お金持ちのしまじろうの奢りかもな。」
「いいですね。回ってないやつ。食べたーい。」
「ななななななにー。」
「しまじろう、今の『ウェルカム・トゥ・ザ・ジャングル』だな。ガンズの。」
ゆいとまどかは、何か汚くておぞましいものを見たかのような表情になった。
「そういうとこだぞ。おごり決定な。」
「おごり決定ですって、慎次郎さん。ありがとうございますぅ。」
プレゼンの時に決めた、あの笑顔だ。
「弟子のために身を切る師匠。一生ついていきます。たとえ、シャツからアクセル・ローズがいなくなっても。」
「え、まどかさん、何で知っているんですか……。」
「ゆいさんから、LINEとともに送られてきましたよ。」
まどかのスマホには、美術館のエントランスで落書きTシャツを着た黒いスタチューと同じポーズの慎次郎の写真が壁紙になっていた。
写真の中の鏡に映り込むゆいが笑っている。
了
