知らない人の良い一日
セルフのガソリンスタンドで思うことがある。
レシート置いていくなよ。
給油機の横でぺらっと残っている紙。風に揺られて、いかにも「誰かがさっきまでここにいました」という顔をしている。
いやまあいらない気持ちは分かる。けどだったらせめて、取ってから捨ててくれと思う。なんで次の人間に託すんだ。
あの細長い紙が一枚あるだけで、そこは「誰かがいた場所」になる。特に夜なんかだと、照明に照らされた無機質な空間の中でレシートだけがやけに生々しく見えるのだ。
誰かがいた痕跡というのは、どこにでも紛れ込んでくる。
スーパーでも最近はセルフレジが多い。とはいえ、楽なので選べるなら選ぶようにしている。
仕事帰り、いつものように適当に夕飯を買う。その時前に並んでいたのは、無言で手際よく商品を通していくおじさんだった。
ピッ、ピッ、ピッ
動きに一切の無駄がない。慣れている。信頼できる男の背中。
会社でも若手を引っ張るような頼れる上司なんだろう。家では会話は減ってきたけど、たまにリビングで同じテレビを見ている時間くらいはあるんだろう。そんな、人生が満たされた男の背中だった。羨ましかった。
会計が終わり、おじさんはすっと立ち去る。
そこにはレシートが、残されていた。
私は一歩前に進みながら、その紙に目をやる。普段なら全く気にしないが、この時はなぜか無視できなかった。
あまり良くないと思いつつ、中身を覗く。
牛乳、お惣菜の唐揚げ、缶ビール2本、キャベツ半玉
白くて細長い1枚の紙には、あのおじさんの生活が印字されていた。
このおじさん、ちゃんと働いてちゃんと疲れて帰ってきたんだろうな。
これは今日はもう作らないと決めた日の買い物だ。唐揚げで楽をしつつ、キャベツで一応野菜も食べてますという自分へのアピールも欠かさない。
ビールは2本。もう少し飲みたいけど、明日の自分に怒られないギリギリのところで止める本数。牛乳はむしろ明日の自分のため。毎朝コップ1杯ずつ飲んでるんだろう。
それだけのことなのに、なんだかちゃんとしてるなと思った。小さな折り合いを毎日つけながら生きている。それが妙に眩しかった。私にはまだ、そういう加減がわからない気がしたのだ。
と同時に、そんな読み方ができてしまう自分のことに気づいてしまった。
私が最初、背中から想像したあの人の人生も、このレシートから見えてきた気がした生活も、全部私が勝手に作ったものだ。
たった数秒見ただけの断片を好きなように解釈して、「いい人生そうだな」と少しだけ羨ましくなっているだけ。
おじさんは振り返ることもない。レシートの存在なんて最初からなかったように遠くへ消えていく。きっともう二度と会うことはないだろう。
ふと気がつく。
SNSと似ている。
そこに並んでいるのは誰かの断片であり、切り取られた一瞬でしかない。知らない人の一日を勝手に見て、勝手に誰かの人生を想像して、勝手に比べて、勝手に羨んだりしているだけ。
そんなものに一喜一憂する必要なんて、全くないのに。
私はそのレシートを持ったまま、自分の買い物を始めた。ピッピッと商品を通しながら、さっきのおじさんと同じ動作をしている。後ろに誰か並んでいるだろうか。そして私の背中も同じように読まれているんだろうか。
今日の私のカゴには、カレーを作るための野菜や肉、おやつ代わりのチョコレートが入っていた。誰かに見られたら、どんな人生を想像されるんだろう。ちょっとくらいは羨ましがられるんだろうか。それとも、どうでも良い一日だと思われるんだろうか。
会計が終わって、自分のレシートとおじさんのレシートが手元に2枚あった。
どちらも同じように薄くて、同じように少しだけ温かい。それが機械の熱なのか、さっきまでそこにいたおじさんの体温なのかはわからない。
私は両方を手のひらでクシャクシャにまとめて、ゴミ箱に捨てた。
