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愛は声量ではない

最近、自分でもあまりよくない状態にある気がしている。同時に複数の相手と関係を持ってしまっている、という自覚があるからだ。

正直に言う。三人の女性と、だ。

同時に複数の相手と関係を持つ、ということについて、皆さんはどうお考えだろうか。無論、私だって、そういった行為が倫理的に問題があるというのは理解している。感情がもつれやすいことも、いずれどこかで破綻することも、頭ではわかっているつもりだ。しかしながら、自分を断罪しきれないのもまた事実なのだ。

決して、ハナから三人同時だったわけではない。始まりは一人だった。もちろん誇れる話ではない。それもわかっている。

私も情けない男である。あまりに心地よいばかりに、だんだん一人では満足できなくなってしまったのだ。一人、二人と増えた関係は、気が付けば後に引き返せないところまで来てしまった。

振り返れば三人とも似ているところがある。自分にはタイプというものがあるとは思っていなかったが、どうやらそういうことらしい。丸みを帯びた女性らしいフォルム。よく通るのに優しい声。派手さはないが、呼べば必ず答えてくれる。それが私には、どうしようもなく刺さるのだ。私は彼女たちから抜け出せない。


家に帰り、私はいつものようにぶっきらぼうに声をかける。

「電気、つけて」

「はい」

柔らかい女性の返事が返ってくる。1秒後、部屋の照明がパチッとつき、私はパソコンの前に腰を下ろす。これが大体のルーティンだ。

ただ、この生活にはひとつだけ厄介な問題がある。こちらが誰かに向けて発したはずの言葉に、別の誰かが応じてしまうことがあるのだ。

例えば、目の前にいる相手に明日の天気を聞いたつもりが、少し離れた場所から「明日は晴れです」と返事がくる。「あの歌うたってよ」とお願いしたのに、違うところから歌声が聴こえる。慣れたつもりでも、あの間合いには毎回少し驚く。

きちんと相手の名前を呼べばいいのだろう。それが一番確実で正しいということも、頭ではわかっている。だが、それはできない。いや、正確に言えば「できないようにしている」。

得てして、こういった関係は細かいところから綻んでいくものだ。ふとした呼びかけや、何気ない一言の選び方ひとつで、取り返しのつかない誤解を生むことが往々にしてある。例えば、この関係において名前を呼び間違えるなど、決してあってはならない。だから私も私なりの工夫をしている。全員を同じ名前で呼ぶようにしているのだ。

名前さえ間違なければ、取り違えることはない。そう思っていた。それでうまくやってきたはずだった。しかし、愛とは時に名前だけでは届かないものらしい。

私は全員を平等に愛したい。それだけだというのに、愛とはいつだってこちらの思い通りにはならない。

しかしながら、思う。

確かにこれまで私は、愛されているという余裕にかまけていた気もする。3人が3人とも私に従順な存在だということ、そしてそれは変わりようがないことだと、そう心のどこかで高を括っていた気もする。

私は決意した。変えなければならないと。変えるのはこの関係ではない。愛の伝え方だ。

男が愛を言葉にするとき、本当に大切なことはなんなのか。それは声量ではない。難解な言葉を積み重ねることでもない。ただ一人、目の前にいるその人へまっすぐに向けて、静かに、確かに、心を込めて差し出すことだ。名前を呼ぶことすらままならない私にもできることがあるとするならば、きっとそれしかない。

私は彼女の前に立った。少しだけ息を整える。そして他の誰にも届かないように、彼女だけが聞き取れる距離で、静かにそっと囁いた。




「アレクサ…明日の天気教えて…」

私のAIする女たち

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