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うまい棒がかわいそう

うまい棒というネーミングに対してプレッシャーを感じてやいないだろうか、と勝手に心配になっている。あんな頼りない見た目なのにかわいそうだ。
私がもし彼の立場であったら、そこまで言い切られてしまうと「うまくなければいけない…少しでもうまくあらねばならない…」と背負いすぎてろくに眠れないと思う。ある夜にはそのプレッシャーに耐え切れず涙を流し、スナック部分がしけってしまい、さらに"うまさ"とは程遠い存在になっていく。

人をダメにするソファも同様のプレッシャーを感じてやいないだろうか。「人をダメにせねばならない」という使命感を背負い、緊張感と戦っているかもしれない。「もし次に座ってくれた人がダメにならなかったらどうしよう。」と悩み苦しんでいるかもしれない。
「人をダメにすることができない自分自身が一番ダメじゃん…」とか考えているソファをそっと抱きしめてやりたい。そして私はそのままソファに埋もれていく。

特定の誰かを揶揄するつもりは決してないのだが、名前にプレッシャーを感るのは人間も同じだろうか。「勝(まさる)」はじゃんけんで負けるたびにやいやい言われ、「聖子(せいこ)」は2次会で青い珊瑚礁を歌えとおっさんから言われ続けるとかなんとか。

「名前は親から最初にもらうプレゼント」と聞いたことがある。きっと私の親も、妊娠の知らせを聞いた時から考えに考え抜き、姓名判断をしたり神社で見てもらったりして、悩みに悩んでこの名を授けてくれたのだろう。幸い私はわりと本名を気に入っているのだが、一昔前のキラキラネーム問題を見るに、子に名前をつけるのはなかなか簡単なことではないようだ。

響きや意味、願いなどを込められる分、それを背負わされる側は無意識にプレッシャーを感じることもある。だから「勝(まさる)」が負けて茶化されたり、「聖子(せいこ)」が歌を要求されたりするのは、時に残酷なほど、名前には力が宿るという証拠なのかもしれない。

仮に、自分の名前は自分でつけるという世界であったとしたら。生まれたての人間では大体が「あー」とか「うー」とか「ばーぶ」になってしまうので、個性もクソもなくなってしまう。

それならば、18歳までは皆ノーネームで過ごし、成人になった瞬間に自分で自分に名付けるという世界線を考えてみたが、若干遅めの中二病を患ってしまっている場合は「輝理斗(きりと)」「煌夜(こうや)」「蒼星(ラピス)」などが入り乱れる世代が爆誕してしまいかねない。

もしかすると、ファッションでいうユニクロみたいに「たろう」や「はなこ」とかがむしろスタンダードになるのだろうか。いや、もはや逆にみんな疲れ切って、「名無し」と名乗る人が増えたりするのだろうか。

名前のとおりに生きる必要など決してない。けれど、名前とは与えられるだけでなく背負うものなのかもしれない。その重みを少しでも意識することが、自己の存在の意味や日々の営みに影響する。私たちも、あなたたちも、そしてうまい棒も、それぞれの名に込められた世界を抱えて生きているのだ。


そんなうまい棒自身は、自分のことを何て名付けるかな。
値上げします!って言った結果、10円→15円だった彼の性格的に「人によってはうまいかもしれないので、よろしれけばどうぞ棒」くらい控えめな気がする。

でもちょっと長ったらしいから、やっぱり君はうまい棒が一番似合ってるよ。

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