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B29は何回も来る

グォォォォ……バリバリバリッ!!!!
八月の青い空を、プロペラ機が裂いた。

「逃げろ!こっちや、早く!」

私は耳をふさいで、
地面にうずくまった。

ーー飛行機が通り過ぎても、
顔を上げられなかった。

「もう行ったで」
弟がそう言っても、
私は震えながら言った。

「まだや……B29は何回も来るんや」

弟は、私の背中をさすりながら
泣いている。

ーー昭和50年代の夏の話。

当時、夏になると、
うちの小学校では
戦争の白黒写真のパネルが
廊下にたくさん展示されていた。

「苦しい……」

「助けて……」

写真から叫びが聞こえてくる。


毎年8月6日ごろーー

夏休みに登校日があり
原爆の映画を観る。

白黒でほぼ無加工の映像。
観ると言うより、
私はその中にいた。


「忘れたらアカン」
脳が言っている。


はだしのゲン全巻を、
30回以上読み、
今でもたまに読む。

〈これは私の体験なのか?〉


プロペラ機の音は
B29がきたと脳が訴える。

夜になると、布団の中で
あの映像が凄まじいリアリティを
もって再現される。


当時は兄弟3人が川の字になって寝ていた。

「ギャーアァー、みんな大丈夫か」
「はぁ、はぁ、はぁ……」
「焼けた人が逃げてる……」

ドサッ……



夜中、突然の叫び声に、
兄弟たちも目を覚ました。

暗闇の中に、
黒い不安が広がっていった。


爆音?
キーーーンと激しい耳鳴りがする。

「誰がこんなに苦しい思いさせんねん」

「誰やねん!」

また、夜中に叫ぶ……


当時、空港の近くに住んでいた。

プロペラ機が飛ぶたびに、
恐怖で、逃げ場を探して必死にもがく。

母は、学校に行って先生に言った。

「もう、あの映像は見せないでください。
あの子……泣きながら、
『まだ戦争、終わってないねん』って言うんです」

母の目にも涙が浮かんでいた。


6年生の作文で、
自分は戦争で亡くなった人の
生まれ変わりだと思うと書いた。


理由はわからない。
そんな気がした。

その作文は今も残っている。


死にたくなかった。

夢を追いかけたかった。

家族を守りたかった。


そんな思いが流れ込んでくる。


大人になってから、長野県上田市に
『無言館』という小さな美術館に行った。

戦争で命を落とした若者たちが
描いた絵画が展示されていた。

私は、彼らを画家と呼びたい。

絵画は私の心に語りかけてくる。
私は動けなくなった。


あなたのもとに帰りたかった、

幸せになってほしい……


そんな、モデルの女性への愛、
無念さ、悲しみ、悔しさが
痛いほど伝わってくる。


私の願いは、
子どもの時から決まっている。
「世界が平和でありますように」
「みんなが自分の人生を全うできますように」


そしてーー

「もう、戦争で死ぬのだけは嫌だ」

なぜか、本能がそう言っている。
現世の私は戦争を知らない。

B29はもう飛んでいない。

でも、今でも八月の青い空が怖い。


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