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連載企画『ギターの歴史』

「アメリカン・ギター ~MARTIN~ vol.6」
D-45の誕生と戦後のマーティン神話

 前回のあらすじ。

 順調に業績を伸ばしてきたマーティン社だったが、世界大恐慌(1929~32年)に突入すると製品の売り上げが一気に半減し、会社の経営はこれまでになく厳しい状況に一転した。それを打破すべく、ギター以外の木工製品の製造に着手するとともに、新たなモデルの開発に力を入れた。それまでのラインナップになかったアーチトップ・モデルや廉価モデル、テナー・ギター(4弦)、ハワイアン・ギター、ガット・ギターなど、様々なモデルを開発して新たな可能性を模索した。それらの時期に誕生した製品の多くは、今ひとつ評価を受けることなくやがてラインナップから消えていったが、そんな新製品群の中にマーティンの歴史を塗り替える画期的なモデルが含まれていた。14フレット・ジョイントのモデルとドレッドノートである。これらの製品は、移りゆくアメリカの大衆音楽シーンの中で瞬く間に多くのファンを獲得し、マーティンの主軸モデルとして人気を博していった‥。


 マーティン社創立100周年にあたる1933年、マーティンの歴史に大きな足跡を残す1本の特別なギターが製作された。当時アメリカで人気を博していたカントリー・ミュージックのジーン・オートリーが特別にオーダーしたカスタム・モデル、D-45である。D-28と当時の最上位クラスのスタイル42をベースに製作されたそのギターは、これまでにないダイナミックなサウンドと華やかな外観を備えていた。ヘッドストックからボディ全体に至るまでアバロンによる装飾が施され、ヘッドには縦に大文字で「MARTIN」と大きくインレイされ、その存在感はまさしく別格だった。そのジーン・オートリーのD-45はミュージシャンの間で大きな話題となり、当時の人気カントリー・シンガーやシンギング・カウボーイ達はこぞってマーティンに豪華なカスタム・モデルをオーダーし、D-45はアメリカン・ギターの歴史にその名を残す名品となった。

 それまでマーティン社の業績は順調に伸びていたが、第二次世界大戦が始まるとアメリカの音楽シーンやギター・シーンに暗い影を落としていった。マーティン社では、戦時中の資材不足もありスタイル42や45などのフラッグシップ・モデルの生産を中止し、オリジナルD-45の歴史は一旦幕を閉じた。当時のアバロン装飾には日本産のアワビが使用されており、その入手が難しかったことも要因の一つかもしれない。

 第二次世界大戦で勝利したアメリカでは、映画や大衆音楽が多くの人々の娯楽として広く親しまれていた。カントリー、ウェスタン、ハワイアン、ポップス、ジャズ、フォークソング、ブルーグラス、ブルースなど、さまざまなジャンルの中で、ギターはこれまで以上に重要なポジションを担う人気楽器となった。コンサートには多くの人々が集まり、ギタリストが脚光をあびる中でより大きな音が出る大型モデル、ドレッドノートは必然的なものとなった。また、より多様化する演奏スタイルに対応できる14フレット・ジョイント・モデルはマーティンの新たなスタンダードとなり、さらにそれに倣って多くのギター・メーカーも14フレット・ジョイントを採用するようになっていった。

 1950年代は、ブルーグラスやカントリー・ミュージックがアメリカ全土で人気を博し、D-28やD-18の人気に拍車がかかった。アメリカの大衆音楽には、ドレッドノートの力強いサウンドと男性的な外観とが見事にマッチしていた。エルビス・プレスリーが1956年3月にリリースしたデビュー・アルバム『エルヴィス・プレスリー』のジャケットには、D-28を手にしたエルビスの印象的な写真が使用され、新たな音楽ジャンルの中でもマーティンが使用さた。

 1960年代は、アメリカを中心に世界的なフォークソング・ブームが巻き起こった。ウディ・ガスリー、ボブ・ディラン、ジョーン・バエズ、ブラザース・フォー、ピーター・ポール・アンド・マリー、キングストン・トリオ、サイモン&ガーファンクルなどが大ヒットを飛ばし、アコースティック・ギターによるシンプルな弾き語りを介してマーティン・サウンドの虜になった人は少なくなかった。

 日本でも森山良子、岡林信康、吉田拓郎、加藤和彦、南こうせつ、五つの赤い風船、ビリー・バンバン、イルカ、高田渡などがヒットチャートにも登場し、マーティン・ギターはフォークソング・ムーブメントの中で中心的な役割を担っていた。

 1970年代はシンプルなフォークソングに続いて、シンガーソングライター系やフォーク・ロック系のアーティスト達が次々に登場し、アメリカのヒットチャートを賑わした。彼らやバックバンドのギタリスト達にはマーティンの愛用者も多く、D-28はプロギタリストにとってスタンダードなギターとして浸透していった。

 1960年代末に登場し、70年代に大ブレイクしたロック・グループ、クロスビー・スティルス・ナッシュ・アンド・ヤング(C.S.N.&Y.)は、アコースティック・ギターをロック的なアプローチで演奏することで、アコースティック・ギターの新たな魅力を見事に引き出した。それまでアコースティック・ギターはフォークやカントリーのイメージが強く、ロック・アーティストはあえて避ける傾向にあった。しかし、C.S.N.&Y.の4人はそれぞれが再生産されたばかりの華やかなD-45を手に、美しいハーモニーと共にダイナミックなアコースティック・サウンドを世界にアピールし、音楽シーンに衝撃と感動を与えた。以来D-45は、様々なジャンルのギタリストから強く支持され、新たなマーティン神話が誕生した。

 70年代は日本のギター市場でもマーティン・ギターが販売されるようになり、大手の楽器店では時々見かけるようになった。しかし、当時はまだまだ高嶺の花で、お店の奥のショーケースに鎮座していて、買う予定のない人が試奏を申し出ることは許されなかった。1970年に小川町のカワセ楽器に日本で初めてD-45が2本入荷したのを皮切りに、極少数のD-45が輸入されたが、当時の販売価格は小型自動車が買えるほどの金額で、プロギタリストでも手に入れた人は限られていた。

 次回は、そのD-45に関するストーリーを詳しく紹介しよう。

Text by MINORU TANAKA

カントリー・ミュージックの父と言われるジーン・オートリーの若い頃の写真。ジーンのオーダーによって最初のD-45が誕生した。
1938年に製作されたオリジナル・バージョンのD-45。ポジションがスノーフレイク仕様になっている(『The MARTIN D-45 and More』Mac Yasuda Archiveより)。
マーディンD-28は、あらゆるジャンルのプレイヤーに広く愛されている。『マーティン D-28という伝説』という書籍も発売された。
エルビス・プレスリーのデビュー・アルバムではエルビスが皮のカバリングを施したD-28を手にした写真が使用された。
クロスビー・スティルス・ナッシュ・アンド・ヤングは、ロックの中に大胆なアコースティック・ギター・サウンドを導入し、ロック・シーンに革命を起こした。

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