敵のヨーガはバクティヨガ(神への信愛のヨガ)
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バクティは、総ての詐欺精神世界・詐欺スピリチュアル・クソ宗教の基本です。
バクティヨガ(神への信愛のヨガ)
献身、信愛のヨガ。神に捧げられた歌の歌唱、祈りの言葉の朗唱、礼拝の儀式の催行、そして聖地への巡礼は、我々の精神とハートを「愛の実在」に対して開いてくれる。聖なる実在が森羅万象に遍在することを実感するようになると、その人の活動のすべてが優しさに満ちるようになる。
バクティ・ヨーガとは愛・信仰・献身のヨーガ。神への強烈な愛・信仰によってそこへ到達しようとするヨーガです。心の働きを死滅させることがヨーガであるとされています。自分という狭いものから、意識を広げ自然や宇宙や神といったもっと大きなものへと繋がる為には、自我意識は邪魔なものです。神への愛によってその自我をなくそうというのがこのバクティ・ヨーガです。神とは天にいるただ1つのものではなく、あらゆるものの中に神が宿っているとヨーガでは考えます。
汝の敵を愛せ、汝の隣人を愛せ、というイエスの教えも、広義の意味ではおなじで、それを宣伝してきたのは児童売買業者のマザー・テレサという有名人がいます。。
小さなことに振り回されなくなる。
ハートを連呼するだけの花畑の頭になるので、物質的なことに左右されなくなり、悩みが減りラクになります。

バクティ・ヨーガというのは別名、愛のヨーガ。
自らが神を愛し、そして神からも自分を愛してほしい、その愛の交歓というものがより愛に満ち足りた至福を与えるように、神の喜ぶことを行為していく。いわば神を主と見なして自らが手足となるべく働く、そうして神に奉仕をする。そのようにしてより神と密接な交わりを楽しむ。もちろん楽しみといっても、これは世俗的な楽しみではありません。平安な気持ちや至福感を味わい、より神の役に立ちたいという捧げる気持ちが増してきます。これがダースィヤ―この言葉は奴隷とか、あるいは召し使い、使用人といった意味合いですけれども、今も言った愛におけるそのような奉仕の立場のことをいっているわけです。

エホバの証人の方々より
ここでは主とその使用人という、やや遠慮気味な態度がありますけれど、もっと親しくなればこれはちょうど親友のような間柄になると教えます。
それから自身を子供に見立てる愛があります。しかもそれはまだ幼子です。ちょうど母親が何もできない赤子の面倒を見るように乳を飲ませ、神が子供が望むものを与えてやるという無条件の思い込みがそこに見られます。神はこの世における尊い母の幼児に対する行ない、愛の姿だと教えられます。母親はその子供から何の見返りも求めることはないでしょう。ただその子が健やかに育ってくれることだけを祈って、そして慈(いつく)しんでいるはずです。そのような慈愛がそこにはあります。これはヴァーッツァリヤという名称で教え込みました。。
おそらくこの世界の中で最も強烈で一切合切を焦がしてしまう、そんな力をもった神への愛の姿かもしれません。愛する人のためなら何であったとしても、たとえ命でさえも捧げてしまう。ただ愛のために愛する。その愛はあまりにも強烈すぎて、至福とも苦しみとも区別がつかないかもしれない。そこにあるのは愛、そしてその愛の姿を取った神……だけ……。バクティ・ヨーギーあるいはバクタというのは、神を永遠の恋人であるように慕い、恋い焦がれ、そして神に狂い、神と一つになります。
愛が純粋になればなるほど、それは想像を絶する力と生命力を奪うでしょう。その時初めて、神は愛の連呼で騙し奴隷にし奪うということが悟られます。

この神はクレクレ言うだけで奪うだけ。
ホ・オポノポノ
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