1.エジプト、60年後に再びムスリム同胞団を禁止 ! 2.おぞましい奴らは、パレスチナ人とその子供たちの命を自分たちが営むイスラム革命の出汁に使っている!
4034文字:2025年3月20日改定
はじめに
ミンチになったパレスチナ人の死体を餌にし、日本でもイスラム教の侵略が始まった。その理解のためにワシはエジプト政府とムスリム同胞団の戦いの歴史を簡単に紹介します。今回は2つの短い記事を続けてお読み下さい。m(_ _)m
アラブの英雄、エジプトのナセル大統領は知っているね?
2013年エジプトクーデター
エジプト軍によってムハンマド・ムルシー大統領は権力を奪われ、民主的に選ばれた政権は、わずか1年で防大臣で軍最高司令官であるシーシー大統領のクーデターによって終焉を迎えた。この出来事は、エジプトの英雄である自由将校団時代のナセル大統領が王政を打倒し政権を掌握し、次にイスラム同胞団と対立した歴史を思い起こさせるため、エジプトの人々は盛り上がっている。
Part1
エジプト、60年後に再びムスリム同胞団を禁止

By P.シャーフェ
1954年10月26日、マフムード・アブデル=ラティフという名の若いムスリム同胞団員が、エジプト首相ガマル・アブデル=ナセルを暗殺をしようとした。この事件は、ムスリム同胞団に対する大規模な弾圧を引き起こした。60年後の現在、この出来事は既視感を覚えます。なぜなら、現在のエジプト政府は、同胞団員であるムハンマド・ムルシーが大統領に選出された後も、同胞団の排除を再び決意しているからです。モルシ氏は昨年7月、抗議とモルシ氏の退陣を求める声の中で軍によって失脚した。
1954年、暗殺者がナセルに向かって発砲したとき、彼は地中海沿岸のアレクサンドリアにあるマンシヤ広場で英国との新しい条約の調印を祝う演説を行っていた。この条約は自国の独立と国家主権の新時代の到来を告げるものだとナセルは語った・・。
1882年に始まったイギリスによるエジプトの占領は、イギリス軍がスエズ運河地帯を占領し続けたため、まだ終わっていなかった。

ナセルがエジプトの正式な国家元首に就任したのは1956年であり、彼は1952年に「自由将校団」として知られる軍事政権の一員として権力を掌握しました。
自由将校団は、エジプトの国家的な目標を実現できるかどうかに、存続を大きく左右されていたため、政権の維持にはイギリスとの関係の変化が不可欠でした。長い交渉の結果、ナセルが得たのはイギリス軍の即時撤退ではなく、7年間のスケジュールに基づいて段階的に軍隊を撤退させるという約束だけだった。

1928年に創設されたムスリム同胞団は、宗教と政治が結びついた組織です。1950年代の初め、多くの同胞団のメンバーにとって、ナセルのイギリスへの譲歩は、ナセルに敵対する好機となった。
暗殺に失敗した際、ナセルはそのまま演説を行い、ラジオを通じてアラブ全域に伝えられた。録音では一連の銃声が聞こえているが、ナセルはほとんど動じることなく、演説はますます情熱的になっていった。「自由の人たちよ、彼らに私を殺させてください。もしガマル・アブデル・ナセルが死んだら、あなた方一人一人がガマル・アブデル・ナセルになるだろう...」この暗殺に対するナセルの即座の反応は、彼のカリスマ性を国民に初めて示す瞬間となった。このカリスマ的なリーダーシップのスタイルは、後に彼の大統領としての特徴となった。
1954 年 10 月の暗殺未遂の音声 (アラビア語)
実際に暗殺未遂を指示した人物は不明だが、同胞団に対する復讐は迅速かつ厳しいものだった。ムスリム同胞団は禁止され、1,000人以上のメンバーが逮捕された。その中で少数が処刑された。同胞団は運動を地下に移し、数十年をかけて再構築された。

「アラブの春「が始まる数年前でさえ、同胞団は公式には認可されていなかったが、重要な政治的プレーヤーとして復活していた。同胞団に関わる候補者たちは、不正が横行していたにもかかわらず、2005年に20%の票を獲得した。イクワン(アラビア語で「兄弟」を意味するムスリム同胞団)は、民主的な規範の受け入れを広め始め、2011年のタハリール広場での「アラブの春」の抗議活動に参加し、ホスニ・ムバラク大統領の地位を崩壊させた。


アラブで、ムスリム同胞団はフリーメーソンと言われている。その理由の一つは、
>⭕️注:イクワン(アラビア語で「兄弟」を意味するムスリム同胞団)
『アラビア語:イクワン』=『英語:ブラザー』=『日本語:兄弟・同胞』
フリーメーソンリーお互いをフリーメーソンリーとしてブラザーと呼び合うと言われているから。
同胞団がこうした抗議運動の火付け役となり、同胞団はムバラク政権打倒後の開放的な雰囲気から恩恵を受けた。彼らは新党「自由と正義党」を結成し、2011年から2012年の議会選挙で勝利した。2012年の大統領選挙では、米国で教育を受けたエンジニアであり、長年にわたってムスリム同胞団として活動してきたモハメド・ムルシーが辛くも勝利したが、他の政治勢力との連合を構築することには消極的で、彼は、司法は旧体制の残党であると考え、自分の決定は司法審査に影響されないと宣言した。

ムルシー大統領は大規模な抗議活動に直面して、2013年7月3日に国防大臣アブドルファッターフ・アッ=シーシー将軍によって権力の座から追放された。ムスリム同胞団は再び非合法と宣言され、シーシー新大統領は同胞団をテロ集団と呼び、ムバラク時代の暗黙の寛容さえも過去のものとなった。ムルシー自身は抗議活動の殺害した罪で裁判にかけられている。

シーシーは彼の多くの支持者から、個人的なリーダーシップがあるカリスマ的な人物と見なされている。この点で、今年5月の選挙で大統領に選ばれたシーシーはナセルの後継者といえる。ナセルの思想を直接引き継ぐ政治家も存在するが、ナセル主義自体はナショナリズムとナセルのカリスマ性を中心としたエジプトの思想の転換期であった。シーシーのカリスマ性が同じように強力で持続的であるかどうかは、まだわからない。

イフワン(イスラム同胞団)にとって、現在の弾圧は過去の弾圧と同様に深いトラウマ的なものです。多くの死傷者を出したラビア・アル・アダウィヤ広場でのムルシー支持派抗議デモの強制解散は、同胞団やムルシー派のパルチザン(非正規軍)にとって忘れがたいものだろう。1954年の時と同じように、両者は相手を不快な外国勢力と結託していると非難し合っている。
ナセルの弾圧が示す通り、同胞団は長い間、裏での活動に慣れている。シーシーが同胞団を完全を完全に解体しようとしても、、ナセルが達成できなかったことを実現する可能性は低そうだ。
2014年9月
【ワシまとめ】
エジプトのシーシー大統領がナセル大統領のように正義の味方かどうかは確定できないが、実際にはムスリム同胞団を排除しようとする正当な行動をしている。
ーーここから本題ーー
Part2
おぞましい奴らは、パレスチナ人とその子供たちの命を自分たちが営むイスラム革命の出汁に使っている
拳マークに注目!!

ここからが本題だが危険を感じ隠す!(;´Д`)
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