【天命とは?】何尊:周の文王が天の命令を受け武王が天に報告した証拠
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酒池肉林の真相
酒池肉林の逸話で、現代まで散々ボロカス言われている商朝(殷王朝)の『紂王』は、生贄を神にささげる祀る祭祀を放棄し、占いでの上帝から返答をもらわなかった。」なので、王朝になる前の巴の周に「上帝に無礼である、神である上帝に仕えようとしない」と糾弾され、周は殷の保守派の貴族と連合して紂王を攻め滅ぼした・・・このような理由で商朝(殷王朝)から周朝に変わったというのが真相という話をした。その話の続きでもあります。
なぜ中国なのか?
西周初期の青銅尊の内底部に122字の銘文が刻まれており、その中で「宅茨中国」という表現が見つかっています。これは、これまで発見された「中国」という言葉の最古の文字表記です。
この4つのリンク先の内容は重複している。同じ説明でも最もわかりやすい文を選んでまとめた、4つとも翻訳したという〜超〜〜苦労したnote!(;´Д`A
何尊(かそん)は西周の成王時代(紀元前11世紀)の銅尊。尊は青銅器で酒器の一種であり、「何」という貴族がつくらせたのでこの名前が付けられた。高さ39センチ、口径28.6センチ、重さ14.6キロ。

1963年に陝西省宝鶏市北東郊外の嘉村で発掘され、現在は陝西省宝鶏青銅博物館に保管されている。
主な出来事
◉1963年8月
出土
陈堆は、雨の後に崩れた裏庭の崖の上で何かを見つけました。
◉1964年
移行
陳積とその妻は宝鶏から固原に戻り、保管のために青銅器を陳胡に手渡した。
◉1965年
コレクション
陳胡は何尊をスクラップ収集所に売り、後に宝鶏市博物館の館長である呉増坤が買い戻し、宝鶏市博物館に所蔵された。
◉1975年
名前
上海博物館館長の馬成源氏がこの碑文を発見し、「何尊」と名付けた。
材質
何尊の主な材料は銅、錫、鉛などの金属成分があり、3つの割合も異なる。初期の銅は以上を占め、ある錫はわずか0.8%を占め、中期の錫、鉛の割合はそれぞれ5-8%、1-6%で増加し、後期は鉛で錫に代わる傾向がより明らかになった。
何尊器の身がつやつやした黒で覆われているのは、合金の中で錫の含有量が高いためです。

何尊銘文とは、何尊の面に刻まれた碑文のことであり、「宅兹中国」と書かれています。これは、中国という言葉が初めて現れた最古のものです。何尊は、西周早期の周の成王の時代に作られた青銅器であり、その内側の底部には銘文が12行、122字にわたって刻まれている。この文には、周の武王が商を滅ぼした後に天に告祭し、周の成王が洛邑に遷都して天下の中心としたこと、つまり「宅兹中国」の功績が書かれています。この地を天下の中心とし、民衆を統治するために、周王は30人の友人に何貝を賜り、記念に尊を作った。
◉賜り=賜え/給え(たまえ)
天皇の勅語を読むと賜え、給えが良く出てくるが、これは上の者から下の者に与えてくださること、穏やかな命令を言う。
例:「君も席に付き一杯やりたまえ。」
◉宅=いえ。住まい。居住する場所。兹=ここ。この。これ。ここに。
「宅兹中国(或)」=意味『住まいはここ、中国』

こう!或➡國➡国

「何尊の銘文には、文王の受命、武王が商を滅ぼし、王になり遷都など西周時代の重要な政治事件が記述されており、これは『尚書』の『洛誥』『召誥』の記載と一致しています。これにより、歴史文献の信憑性を確認し、西周時代の研究および青銅器の重要な実物資料を提供しています。」

最古の『中国』という文字。

文化財:何尊の銘文
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