なぜ手塚治虫は『未来編』で「時間軸をぶっ壊す」必要があったのか?これが劇画への最終回答
「火の鳥」創作の裏側第三回、
「未来編」とは一体なんだったのかを見ていきます。
日本という国の成り立ちを描いた「黎明編」から一転
人類文明が破滅する冒頭から始まる「未来編」の爆誕
これには参りました。
前作「黎明編」の低迷を完全に振り払う面白さ
とにかく「未来編」からのスケール感はハンパありません。
いきなり不老不死になった主人公が何億年もの時を経て
地球上に人類を復活させるという恐ろしく壮大なインテリジェンス
そのほか「コスモゾーン」なる訳のわからんものが突如出現してきたり
途方もないカタルシスを放り込んで来たり
とにかく
これまでにない斬新な表現技法が次々と飛び出し並のSF作家なら裸足で逃げ出すほど、只事ではない雰囲気を漂い散らかしました。
なんすか急なこの展開
誰がこんな展開予想できます?
これ、どんな考察系Youtuberも予測不可能な展開です。
この「未来編」の凄まじさ
本当のスゴさがどこにあるのか、そのポイントをいくつか語っていきます
革新的だったSFの世界
まず「未来編」の何がすごいって
何と言っても「黎明編」からの作風を一変させたことにあります。
日本神話誕生から突然の人類全滅ですからね。
この猛烈な振り幅。
これは全マンガの中でも屈指の展開と言えます。
さらに「火の鳥」の凄さを語るときに
過去と未来とを交互に描きながら、少しずつ現代へと近づいていくというストーリー構成がスゴイと良く言われますが、実は連載時1967年にこのSF世界を打ち出せたことが何よりスゴイ。
これまでもSFマンガと言えばあるにはありましたが、
ほとんど無かった時代です。
SFの代表作である「銀河鉄道999」や「宇宙戦艦ヤマト」も1970年代に入ってからですし「未来編」連載当時の1967年12月ではSFマンガ自体が少なかった時代です。

そんなSF黎明期にあっていきなりこの破壊的な世界観ですよ。
手塚先生。早すぎますて、
現代に読んでも凄まじいのに当時の衝撃度は文字通り破壊的と言えます。
この究極の展開こそが「黎明編」低迷からの逆襲
手塚流の劇画への対抗の解答策であったと思うんです。
当時の状況を今一度振り返りますが
劇画の「ガロ」に対抗して作られた雑誌「COM」
その看板作品として満を持して発表した「火の鳥黎明編」が驚くほど人気がなくなおかつ雑誌「COM」の中でも石ノ森先生、永島慎二先生にも
人気で蹴散らされてボコボコにやられた手塚先生
加えて同年の8月にも
「カムイ伝」や「ゲゲゲの鬼太郎」に対抗して、
「どろろ」を発表するもこれも上手くいっていません。
とことん劇画にやられっぱなしで気が狂う手塚先生
ここで出した結論
それこそが
手塚先生が最も得意とした「SF未来」で対抗したんではないかと思います。
ぶっ壊れた時間が奇跡を起こす
あれ?「火の鳥」は元々、過去と未来を行き来する設定だったのでは?
確かにこのような疑問が出てきますが、その構想は確かにあったと思います
しかしそれはSFを舞台とした物語程度の設定で
おそらくここまで壮大な時間軸を扱う設定ではなかったのではと思います。
初代1954年「黎明編」から
「ギリシャ、ローマ編」そしてCOM版「黎明編」と
ずっと歴史を舞台にした設定でした。
おそらく「未来編」の最初の構想もSFを舞台として巻き起こる「不老不死」の物語程度であった可能性の方が高いと思います。
そこに突如として「時間軸」「時空を超える」設定を追加してきた。
時系列ぶっ壊れ設定を送り込んだ
これこそが「劇画」に対抗する秘策であり
「火の鳥」覚醒のキッカケになったと最大のポイントではないでしょうか。
当時の「劇画」の特徴と言えば現代描写や歴史もののように
日常を切り取った描写のものが多く
時間軸を扱うといった概念がありませんでした。
故に「劇画」にはできない、表現しないであろう領域で勝負する選択肢が「時間ぶっ壊れ演出」だったと思います。
しかも幸運なことに「時間を飛び越える」設定が「火の鳥」の世界観
人間の業の深さを描くテーマにめっちゃマッチングするんですよね。

時間軸をぶっ飛ばしたら人類の輪廻転生も描けるやん。
宇宙規模の生命讃歌もできるやん
…って思ったかは知りませんけど
明らかに「未来編」には今後の「火の鳥」の方向性を決定づける
大きなテーマが示されたとともに手塚先生が今後、描こうとしていく信念めいたものを十分に感じとれる設定となりました。
スケールが大きいからスゴイのではない。
そしてシリアス、壮大なテーマを扱うからこそタッチも変えてきています。
「黎明編」から見て明らかに対象年齢を上げているのが分かります。
劇画にはできない、表現しない路線でいくなら完全ファンタジータッチでも良かったのですがあえてそこはシリアスに寄せている。
おそらく劇画に対抗というよりSF設定にリアル感出すためと思われます。
青年誌であるにも関わらず前作「黎明編」では少年誌タッチでドンズベリした反省も活かしてここはキッチリ修正してきていますね。
やはり丸みを帯びているタッチよりも
修正された方がしっくりきますよね。
こうして元々あった古代史と未来を横断する構想をあてはめ「火の鳥」の土台となる超時空的マンガが完成していったのではなかろうかと…。
ただここで勘違いしてはならない事があります。
これは声を大にして言いたい。
それは「未来編」は壮大、スケールが大きいからスゴイと解釈されることが多いですがスケールが大きい事と面白いというのは全く別次元の話です。
だから「時間軸」を取り込んだ事がスゴイのではなく
それを面白くさせた手塚治虫の凄さ、
これが真の「火の鳥」の覚醒と言いたい。
SFの土壌があまりない時期に
マンガ的表現の面白さが詰まった圧倒的ストーリーを描く
この難解な設定を
娯楽として成立させた技量こそが手塚治虫の真の凄みと言いたい。
ファンタジーなんだけれども
現実らしさを感じさせるリアリティとファンタジーの塩梅が抜群に気持ちいい、「未来編」は本当にバランス感覚が最高なんです。
これね、読んでいるとほとんど気づきにくいことなんですけど
マジで凄まじいことやってるんですよ。
宇宙生命なんていう意味不明の概念とか
ムーピーなる不定形生物の存在とか
どうやって表現するの?っていうビジュアル化もシレ~っとこなし
なおかつ人類の創造主、生命の原型ともいえる哲学的なドラマを
放り込みながらそれを成立させてしまう説得力。
これらを総括してしっかりマンガとして成立させている
誰も想像しえない範疇を超えてきて且つ
それを成立させた事に本作の本当の凄みがあるんですよ。
だって50年以上経過した今読んでも古く感じさせないでしょ。
これこそが手塚治虫が「マンガの神様」と言わしめる片鱗なので
是非ここは味わってほしいですね。
…とはいえこんな凄まじい傑作を計算ではなく
偶然、偶発で本当に描けたのか。
ちょっと話が飛躍しすぎやしないかい
そう思われるのも当然。
次回は「未来編」覚醒の経緯について
むしろ必然の覚醒ですらあった内容をお届けしますので
是非次回もご覧いただけますと幸いです。
ではでは。
