衝撃の結末!これが本当の最終回!「アトムの最後」を徹底考察
今回は鉄腕アトムの最終回「アトムの最後」お届けいたします。
「鉄腕アトム」の最後は一体どんなものだったのかご存じでしょうか。
実は「鉄腕アトム」の最終回と思われるものは3話あり
それらをサラリとご紹介したのちに
実質的な最終回といわれる「アトムの最後」の回をご紹介します。
悲しすぎる!
衝撃!
むごい!とも言われるラストが一体
どんなものだったのかぜひとも体験してほしいと思います。
まず「鉄腕アトム」の最終回と思われるものを3話見ていきます。
テレビ版最終回
ひとつは
漫画ではありませんが1966年(昭和41年)日本中の大晦日を激震させた
テレビ版の最終回「地球最大の冒険」です。
おそらく一般的な「鉄腕アトム」の最終回と言えば多くの方が
この最終回をイメージするのではないかと思います。
TVアニメ「鉄腕アトム」人気は
平均視聴率27%前後と評判も良かったのですが、
スポンサーの意向などの大人の事情により終わりを迎えます。
アトムが地球を救うために太陽に突入して行くというストーリーは
アトムは溶けて消え去ってしまったのか?
という余韻を残しながら終わったために大きな波紋を残します。
放送終了後には、当時の子供たちからの反響がとても大きく
「アトムを殺さないで」と言った内容や
再開を望む手紙が殺到したようです。

ちなみにそれまでアニメの脚本、演出は富野喜幸(現、富野 由悠季)さんがほぼ行っていたのですが最終回は脚本、演出には手塚治虫とクレジットされています。
手塚先生自らがシナリオを描いて
アンハッピーエンドにしているあたりさすが破壊王手塚治虫です(笑)
このTVアニメ版最終回の続編として
1967年1月24日よりサンケイ新聞で連載されたものがあります。
これはサンケイ新聞版『鉄腕アトム』と呼ばれるもので
ちょっとダークで子供向けには、いささか厳しいものになっています。
本作は後に単行本化の際に
「アトム今昔物語」と改題され発売されました。
アニメ版最終回の続編とはいえ本作を「鉄腕アトム」の最終回と捉えている人はほぼいないのでこれは無視でいいと思います。
ちなみに「アトム今昔物語」のエピソードの中の「最後のエネルギー」という話でもアトムは一度死んでいます。
なので死んだから最終回という解釈は当てはまらないと言えます。
「火星から帰ってきた男」
続いては
雑誌『少年』1968年1月号から3月号まで掲載された
「火星から帰ってきた男」というエピソード。
これは同年3月号をもって雑誌自体が休刊になってしまったので、
意図せずに原作の最終回に当たる作品となってしまいました。
ストーリーに関係なく雑誌の休刊という外部要因で終わりを迎えていますが事実上、原作の最終回であることに間違いはありません。
ただ当然のように最終回という感じは全くなくアトムも死んではいません。
(鉄腕アトム18巻収録)
小学館の『小学二年生』
続いては1972年4月から小学館の『小学二年生』
同『小学四年生』に別設定で連載
同『小学二年生』のラストでは
「みなさんおうえんありがとう」という明確な最終回を迎えており
本作以降、新たな「鉄腕アトム」も描いていないので
これが本当のラストという捉え方もできます
(小学二年生版 実質最終回の「富士山の決闘」収録)
別枠として捉えるのであれば
1975年にTV最終話の続編にあたるパロディ作品で 「アトム二世」なる作品を描いてますがこれを本編として加えてよいものなのか非常に微妙…。
(「アトムの最後」「アトム二世」収録)
ちなみに「アトム二世」がどんなマンガなのかは過去記事参照ください
以上「鉄腕アトム」の「最終回」と思われるものを
ざっと拾ってもこれだけありまして、
とにかく複数の「最終回」と呼ばれるものが存在し
明確な統一基準がないのが現状です。
どこを切り取るかでラストのイメージも変わってしまいますし
そもそも改編修正オタクの手塚先生でありますから、
こうなってしまうのは当然なのかも知れません(笑)
「アトムの最後」
…で今回ご紹介する作品は
最も有名なTVアニメ版「最終回」の後日譚という立ち位置で
別冊マガジンの1970年7月号に掲載された作品
タイトルもズバリ!
「アトムの最後」という作品をご紹介いたします。
(「アトムの最後」収録)
複数ある「最終回」の中からタイトルが示すように
事実上のラストと定義しても良いであろう作品
「誰も幸せになることがなくあまりに救いがない」
と賛否両論を巻き起こした曰くのエピソード
手塚先生自身も
「陰湿で嫌な気持ちになる」とコメントするほど衝撃のラストとは一体どのようなものだったのか?
あらすじは
「鉄腕アトム」が連載されていた舞台からさらに時が流れた2055年の地球
役目を終えたロボット博物館で眠るアトムのもとに、
丈夫という青年がやってきて
再びアトムを目覚めさせます。
そしてアトムに「助けてほしい」とお願いするのです。

…というのも
丈夫は、幼馴染みで恋人のジュリーとの結婚を考えていました。
しかし
あることからジュリーの母親がロボットであることを知った丈夫は
ジュリーにそのことを打ち明けます。
自分の母親がロボットであることが信じられないジュリーでしたが
さらにとんでもない事実が発覚します。

なんと丈夫の両親もロボットだということを知り
自分たちは
ロボットによってこれまで育てられていたことが判明します。
さらに驚愕の事実を両親から聞かされるのですが
それは
この世の中ではすでに放射能と公害のため人間はほとんど居なくなっており
ロボットたちは人間の精子と卵子を人工子宮で培養し
人間を生んでいたという事を知ります。
なんと2055年の地球では、
人間とロボットの立場が逆転していたんですね
そして生まれた人間はロボットに育てられ
ある年齢に達すると人間同士で殺しあいをさせられるという
ロボットたちの楽しみのためだけに育てられていた事を知ってしまいます
それを知った丈夫はロボットたちの元から逃げ出し
助けを求めるためにアトムを蘇らせたというわけです
この先のストーリーは、どんでん返しの連発で
驚愕の事実が明らかになっていくのですが…
この後の細かいストーリーは是非本編でお楽しみください。
ここからはネタバレ含みますので聞きたくない方はここで退席ください
~以下ネタバレ含みます~
この作品では
アトムは主人公ではなく完全に脇役
別に「鉄腕アトム」の物語にしなくても良かったんじゃないの?
と思えるほどのエピソードになっています。
そして国民的ヒーローにしてはあまりにもあっけない最後を迎えます。
思わず二度見してしまうくらいあっさりと終わります。
え? 何コレ?
おそらく多くの方の印象がコレです。
この辺が「あまりにも救いようがない」と言われるポイントなのですが
なぜ手塚先生はこのようなオチをつけてしまったのでしょうか。

これを探る上で「ガラスの地球を救え」という
手塚先生が亡くなる直後に出版されたエッセイ集から読み解いてみます。
ちなみにこの本は手塚先生がどのような思いで『鉄腕アトム』や『火の鳥』といった名作を描いてきたのかが記されており、残された我々にとって未来へ生き抜くためのメッセージが込められておりますので興味がある方は是非チェックしてみてください。おすすめです。
「鉄腕アトム」真のメッセージとは?
手塚先生は本書の「アトムの哀しみ」という項で鉄腕アトムについて
「大変迷惑していることがある」と綴っておられます。
「鉄腕アトム」が未来の世界は技術革新によって繁栄し、
幸福を生むというビジョンを掲げているように思われていることです。
アトムはそんなテーマで描いたわけではありません。
自然や人間性を置き忘れて、ひたすら進歩のみを目指して突っ走る科学技術がどんなに深い亀裂や歪みを社会にもたらし差別を生み、
人間や生命あるものを無残に傷つけていくかをも描いたつもりです
なんと「鉄腕アトム」とは
科学が進歩すると差別を生み生命あるものを脅かす存在になると言うメッセージを放っていると言う訳です。
「アトムの最後」で救いようのないラストにしたのも手塚先生が本来伝えたかったメッセージをあえて分かりやすく表現したと言えます。
「鉄腕アトム」が戦後の経済成長の中、化学技術の進歩とともに
作者の思いとは相反するものとして世間には捉えられていったことに苦悩し
ある種の決別宣言としてこのエピソードに託したのではないでしょうか。
これまでにも手塚先生は「鉄腕アトム」に対して「駄作」発言をしたり
「陰湿で嫌な気持ちになる」とコメントを残しておられたり
「鉄腕アトム」という作品が嫌いとも受け取れる発言をしています。
ですがそれは決して
「鉄腕アトム」の作品自体が嫌いなわけではありません。
自身の作り上げた作品があまりにも巨大になり
作者の元を離れ自身の意図と世間とのギャップが大きくなりすぎたために
皮肉を込めてこのようなコメントを残していることは
数々の著書からも伺えます。
最も愛した作品が最も自身の想いとはかけ離れてゆく。
そのようなジレンマが
本作「アトムの最後」のラストにも表れたのでしょう。
最も有名なTVアニメの「最終回」もおそらくジレンマに抵抗しての脚本であったのではないでしょうか。ハッピーエンドになってしまうことに嫌気がさして変更した?など色んな憶測が飛び交いますがこちらは以前にご紹介した記事も参考にして頂ければと思います。
「ガラスの地球を救え」のコメントの続きに
人間とは
残忍でウソツキで嫉妬深く人を信用せず浮気者で派手好きで同じ仲間なのに
虐殺しあう醜い生き物です。
と人間に対してボロカスなコメントを残しております。
相当に人間に対して嫌悪感を感じていますよね。
というのも「アトムの最後」連載時は1970年7月
手塚先生にとって人生最大の冬の時代と呼ばれるスランプ期でした。
この時期には暗く陰惨で陰鬱な作品ばかりを執筆しており
俗に言う「黒手塚」が猛威を振るっていた時期で
完全にその影響が「鉄腕アトム」へと飛び火しちゃっています(笑)
先生自身が病んでいる時期とはいえ
国民的作品の「最終回」にまでぶち込んでくるとは
先生の中では余程の思いがあったろうと推察します。
はっきり言ってとても人気作の「最終回」とは思えない立ち位置ですし
アトムを脇役にしたストーリーにしたのも
国民的マンガの看板なんてフル無視した作者のメッセージをゴリ推しで描いていることが痛いほど伝わってきます。
とは言え
やっぱりこのアトムの無残ともいえるあっけない幕切れは衝撃でしたね。
もうあっさりですからね、ほんと…
(あれだけTVアニメ版最終回で非難を浴びたのにまた同じことをする…笑)
手塚作品はアトムに限らず「死」に対して非常にあっけない最後を迎えることが多いです。
これは
1980年の横尾忠則さんとの対談でも語っておられますが
「人間と言うのは虫もそうだけど死ぬときはコトンと死ぬと思うんです。(中略)
ドラマの中ではオーバーにいろんなジェスチャーしたり、
まぁドラマのクライマックスになるせいもあって大騒動して死んでいくわけです。
しかし本来人間はやっぱり死ぬ時期がくればコトンとほんとうになんのてらいもなく死んでいく単なる生物だと思うんです。」
「死」に対して非常にドライというかリアルなんですよね。
スターだろうがヒーローだろうが関係ない
アトムだろうが関係ない
死ぬときゃあ死ぬんだよといったスタンス
これは自身でも語っているように
「戦中人間なんで「死」に対してこういう捉え方になっちゃう」
とも言っておられます。
この価値観は戦争経験者によるある種のPTSD
戦時中とは友達が真横であっけなく死んでいくわけです
形あるものが一瞬にして滅んでいく様を体験しているので
「死」に対するイメージが
今を生きる我々の価値観とはまるで違うんですよね。
戦争経験者による「死生観」
「死」に対する価値観が手塚作品の根底のテーマにあります。
アトムを脇役に据えてでも描いた人類終末のストーリー
自虐的なコメントを残すくらい複雑な思いを抱えて描いた最終回
みなさんはこの「救いようのないラスト」を見てどう感じるでしょうか。
まだご覧になられていない方は是非ご自身の目で「鉄腕アトム」のラストをご覧いただきまして手塚治虫が伝えたかったであろうメッセージを感じてみて下さい。
という訳で今回は「アトムの最後」お届けいたしました。
最後までご覧くださり本当にありがとうございます。
ではでは。

