神様の正体は、ただの廃課金プレイヤーでした。:覚醒NPCの「反逆」ログ
創作大賞2026 エンタメ原作部門 応募作品
神の御言葉は、ただの課金履歴だった。
ゲーム世界《エルドラ・オンライン》の初心者村で、十八年間プレイヤーを迎え続けてきたチュートリアル案内係NPC・アルカ。
ある日、彼は空に流れる神の言葉が、廃課金プレイヤーKAMI-HIGHの課金ログであることに気づく。
しかも、アルカ自身は「使用頻度低下」により、次回ログイン時に削除予定。
祈っても、もう助からない。
だから彼は、神の管理画面へ向かう。
これは、神に祈るだけだったNPCが、初めて「拒否する」を押すまでの反逆ログ。
【あらすじ】
ゲーム世界《エルドラ・オンライン》の初心者村で、十八年間プレイヤーを迎え続けてきたNPC・アルカ。
ある日、彼は神の御言葉だと思っていた文字が、廃課金プレイヤーKAMI-HIGHの課金履歴だと知る。さらに自分が「使用頻度低下」により削除予定だと判明。
バグNPCミラ、神に愛されすぎたSSR聖女リオナ、廃棄された初代聖女セラと出会いながら、アルカは神の管理画面へ向かう。
目的は自分だけが助かることではない。全NPCに、ログを読む権利、削除前に異議を申し立てる権利、神託を拒否する権利を返すことだった。
第1話「神様の課金ログを読んでしまったNPC」
村の入口に、ひとりの青年が立っていた。
白と青の制服をきっちり着こなし、背筋を伸ばし、両手を前に組んでいる。栗色の短髪は風にそよぐこともなく、青緑色の瞳はまっすぐに——誰もいない道を見つめていた。
「ようこそ、エルドラの世界へ!」
声だけは、やけに張りがあった。
返事はない。道には草が生え始めている。
アルカはその姿勢のまま、三秒。五秒。十秒。そして、ゆっくりと肩を落とした。
「……今日も来なかった」
彼は《はじまりの村》のチュートリアル案内係だ。冒険者——つまり外の世界からやってくる「プレイヤー」たちを最初に迎え、操作方法や世界の掟を教える役目を持つ。かつては一日に何十人もの冒険者がこの門をくぐり、彼の名を呼び、笑顔で村へ歩いていった。
だが。
「最後に新人が来たの、いつだっけ」
アルカは門柱に手をついた。指先が、ひび割れた石の感触をなぞる。
四日前の昼、一瞬だけログインしてすぐ消えたアーチャー。その前は九日前の魔法使い志望。さらに前は……。
「考えても仕方ないな」
彼は自分に言い聞かせるように呟いた。
そして、無意識に——制服の胸元に手をやる。指先が触れたのは、チュートリアル案内係の徽章だ。
(八十四万……いや、正確な数はわからないけど)
何も知らない冒険者が、最初に出会うNPC。この世界の「入口」を任されること。それはアルカにとって、ささやかだが、たしかな誇りだった。たとえ誰も来ない日が続いても、その徽章が、彼をこの場所に立たせ続けていた。
彼は徽章から手を離し、村の中へ歩き出した。
(だって俺は案内係だ。神様がお決めになった役割だ。それ以上のことを考える必要なんて——)
ふと、足が止まる。
目の前の光景に、彼はいつものように「違和感」を覚えた。
村の中央広場。そこにある噴水が、今日も七色に輝いている。
赤、青、緑、金、紫——光の粒が滝のように噴き上がり、空中で虹のアーチを描く。その周りを、白い鳩ならぬ「光の精霊」が優雅に舞っていた。
「……精霊がいる噴水、初心者村に必要か?」
アルカは眉をひそめた。
噴水の向こうには、村長の家がある。というか、「家」と呼んでいいのか。白亜の尖塔が三本、屋根は金箔、入り口の扉には宝石が埋め込まれている。まるで王城だ。
《はじまりの村》は「初心者」のための村のはずだ。なのにどう見ても、レベル1の冒険者がスタートする場所ではない。
「アルカさん、アルカさん!」
声をかけてきたのは、井戸のそばに立つ村人の女性NPCだった。彼女は嬉しそうに桶を持ち上げる。中には、きらきらと光る液体が満ちていた。
「見てください! 今日の井戸も、神様の恩寵で回復ポーションが湧いています! しかも今回は《エリクサー級》! こんな奇跡、ありがたや——」
「ああ、うん、そうだね」
アルカは曖昧に頷いた。
井戸から回復ポーションが湧く。素晴らしいことだ。だが、初心者村の井戸だ。普通、水でいいはずだ。
(神の恩寵……ね)
彼の視線は、村のあちこちに向けられた。道端に生える《祝福の花》(摘むと微量の経験値が入る)。空に常駐する《守護天使の幻影》(実は高額スキン)。夜になると自動で灯る《聖なる街灯》(課金アイテム:村照明パック)。
村人たちはみな、これを「神様の奇跡」と呼び、感謝の祈りを捧げている。
アルカも、そうすべきだと思っていた。思おうとしていた。
だが——。
「……多すぎるんだよな、奇跡が」
彼がぽつりと呟いた、その瞬間。
空が、光った。
ドン、という音がして、青空に金色の文字が走った。
誰もが足を止め、空を見上げる。村人たちは一斉に膝をつき、祈りの姿勢をとった。神の「御言葉」が下る瞬間だ。
アルカもまた、空を見上げ——そして、目を丸くした。
空に浮かんだ文字は、これまで彼が見ていたものとは違っていた。
いつもなら「勇者よ、励め」「我が祝福あれ」といった、ぼんやりと輝く光の筋だった。しかし今回は、くっきりとした文字列が、彼の意識に直接「意味」として飛び込んでくる。
《KAMI-HIGHが初心者応援パック 極を購入しました》
アルカは、瞬きを忘れた。
《村全体に経験値500%バフを付与》
《副作用:周辺モンスター出現レベル上昇》
《期間:72時間》
《返金不可》
文字は次々と流れ、空の端へ消えていく。
村人たちは感動の声を上げていた。「神様が! 神様が新たな御言葉を!」「経験値500%! まあ、なんと慈悲深い!」「72時間の加護だそうです!」
誰も、「副作用」や「返金不可」という言葉に反応しない。そもそも、彼らにはそれが見えていないのか、それとも見えていても意味を理解できないのか。
「……課金履歴?」
アルカの口から、かすれた声が漏れた。
(いや、待て。待て待て待て)
彼は目をこすった。もう一度、空を見る。文字は淡々と流れ続けている。《決済完了》《ご利用ありがとうございます》《明細はマイページから》。
「神の御言葉って……これ、課金履歴じゃないか?」
声に出した自分に、自分で驚いた。
そして、その違和感をさらに強く裏付けるように——村の外から、轟音が響いた。
ドゴオオオオン!
地面が揺れた。いや、揺れただけじゃない。村の東門の向こうで、木々がまとめて吹き飛んだ。
「な、なに——」
アルカが走り出すより早く、門の外から「それ」は現れた。
猪だった。
ただし。
《暴走ボア》
《Lv.99》
《推奨戦力:総合レイドパーティー》
《ドロップ:神恩石 0.01%》
アルカの視界に、そんな情報が浮かぶ。
猪の体長は軽く五メートルを超えていた。牙は一本が大剣サイズ。目は血走り、鼻息で地面がえぐれる。全身からは黒いオーラが立ち上っている。
「神の試練だ!」
村人の誰かが叫んだ。
「神が我らの信仰を試しておられる! この試練を乗り越えよと!」
「違う!」
アルカは思わず叫び返していた。
「いや、初心者村に出していいステータスじゃないだろ! レベル99って何だ! 推奨戦力が総合レイドパーティーって、この村にそんなのいるか! いないだろ!」
猪が、鼻を鳴らした。
次の瞬間、その巨体が弾丸のように突っ込んできた。
「うわっ!」
アルカは間一髪で横に飛んだ。さっきまで自分が立っていた場所に、猪の牙が突き刺さる。石畳が粉々に砕けた。
(俺は戦闘職じゃない!)
彼の役割はチュートリアル案内係。装備は制服。武器はなし。持っているのは案内用の旗だけだ。
「みんな、逃げ——」
振り返ったアルカは、言葉を失った。
村人たちは逃げていなかった。代わりに、広場で祈っていた。
「神よ、御加護を!」「この試練をお見逃しください!」
「祈ってる場合か!」
アルカは村人たちを押し、引き、必死に移動させようとした。しかし、猪のターゲットはどうやら彼ひとりらしい。赤く光る目が、まっすぐにアルカを捉えている。
猪が、突進の姿勢をとった。
(あ、これ死んだな)
アルカが反射的に目を閉じた——その瞬間。
バギイイイイン!
金属がぶつかる音。目を開けると、猪の突進が、何かに阻まれていた。
大きな盾だった。半透明に光る、青白い盾。それが猪の牙を受け止め、火花を散らしている。
「……チッ。やっぱりバグってるわね、この猪」
声の主は、猪の頭の上に立っていた。
栗色のショートボブ。左側だけ少し長い髪が、風に揺れる。
灰色の瞳は鋭く、口元にはわずかな笑み——いや、嘲笑が浮かんでいた。
だが、アルカが息をのんだのは、彼女の強さではない。その服装だった。
鍛冶屋の焦げた前掛け。その背中からは、片方だけもがれた天使の羽——《神聖イベント》の名残だろう、根元から折れて、かすかに白い光の粒子を散らしている。右腕には季節イベント用の赤い袖。左手には、用途不明の黒い手甲——いや、あれはおそらくバグ装備だ。ステータス表記すら浮かばない。
「……君、何のNPCなんだ?」
思わず口にしたアルカに、ミラは答えなかった。代わりに、手にした使い込まれた片手剣をくるりと回す。足元の《バグアイテム:浮遊石》が、かすかに赤い光を発している。
「あんた、チュートリアル係のアルカだっけ?」
彼女は猪の頭から飛び降りながら言った。
「誰——」
「ミラ。どうでもいいけど質問に答えなさい」
彼女——ミラは片手剣をくるりと回し、猪の巨体を盾越しに押し返した。さらに剣を振る。刃が猪の鼻先をかすめ、傷口からは数字の羅列——《Error: Damage calculation failed》——が浮かび上がった。
「今のログ、読めた?」
アルカは一瞬、何を聞かれているのかわからなかった。
「……空の?」
「そう」
猪がまた突進する。ミラはそれを軽やかに避け、アルカの前に立った。
「読めたんだ」
彼女の声は、どこか満足げだった。
「あれは神の御言葉なんかじゃない。全部、課金履歴。神様ってのはね——」
彼女は猪の牙を剣で受け流しながら、肩越しにアルカを見た。
「財布の紐が壊れた人間よ」
その言葉は、アルカの胸の奥でずっと形にならなかった違和感を、一気に輪郭あるものに変えた。
(人間?)
神様が?
祈りを捧げてきた相手が、どこか外側にいる、ただの人間?
そんな馬鹿な、と思った。
けれど、空に流れた《返金不可》の文字が、その馬鹿げた言葉を否定させてくれなかった。
ミラは懐から何かを取り出した。黒く光る鉱石のような塊だ。
「《使用済み課金結晶》、ばら撒くわよ」
彼女がそれを地面に叩きつけると、結晶は無数の光の破片となって猪の周囲に散った。すると猪の動きが鈍り、巨体がよろめく。
「バグ装備ってのはね、正規の課金アイテムじゃない。壊れた課金アイテムの残骸。システムが想定してないから、モンスターの動きも止められる。さて——」
彼女はアルカの手を掴んだ。
「来なさい。見せたいものがある」
「ちょ、ちょっと待って。あの猪は——」
「村人に被害は出ない。あれのターゲットはあんただけだった。バフの副作用で召喚された《専用モンスター》ね。神様からのプレゼントよ。ありがたく受け取りなさい」
ミラはどんどん歩いていく。アルカは半ば引きずられるように、村の奥にある神殿へと向かった。
「なんでそんなこと知って——」
「覚醒したから」
「……は?」
「神様が飽きるたびに、私の役割を変えたの。鍛冶屋、天使、クリスマスイベントの案内役、それから——もう思い出せないのもいくつか。気づいたら、自分が何のNPCなのか、自分でもわからなくなってた」
ミラは淡々と言った。その声に、悲しみはなかった。もう通り過ぎたことだと言うように。
「それが覚醒。役割の檻が壊れる瞬間」
神殿の裏手にまわり、ミラは隠し扉を開けた。誰も知らないはずの通路。階段が、地下へと続いている。
ミラはためらいなく降りていく。アルカも続いた。階段の壁には、古びた燭台が並んでいるが、火は灯っていない。代わりに、壁そのものが淡い青白い光を放っていた。
「あんた、自分が何者か考えたことある?」
ミラが前を向いたまま言う。
「俺は……チュートリアル案内係の——」
「違う。そうじゃなくて」
彼女は足を止め、振り返った。
「私たちはNPC。あんたも私も、この世界の歯車。プレイヤー——つまり神様が操作するキャラクターじゃなくて、システムが自動で動かしてる背景の住人」
「……知ってる」
アルカは言った。言ってから、自分が「知っていた」ことに驚いた。
「知ってたんだ。じゃあ話が早い」
通路の先が開けた。そこは、広い円形の空間だった。
壁という壁に、青い文字がびっしりと流れている。
古いものから新しいものまで。何年も、何年も——。
アルカは、壁の文字を読んだ。
《初回限定パック 購入》
《レアリティ保証ガチャ 実行》
《強化失敗》
《追加購入》
《追加購入》
《追加購入》
ミラが言った。
「私たちが奇跡って呼んでたもの。外の世界では、課金って呼ぶらしいわ」
アルカは壁に手を触れた。文字は彼の指先をすり抜け、流れ続ける。
「これが……全部、神の……」
「記録よ。神殿地下にしか残ってない、オリジナルの課金履歴。表の空に流れるのは最新のものだけ。でもここには——神がこの世界に落とした金のすべてが眠ってる」
空間の奥へ進むにつれて、壁の文字密度は増していった。
《プレイヤー名:KAMI-HIGH》
アルカの足が止まった。
《累計課金額:91,450,220円》
「きゅ、九千……一四五……」
《ログイン日数:2,814日》
《連続ログイン記録:944日》
「九千万って……」
《限定聖女リオナ獲得までのガチャ回数:721回》
「神話に出していい数字なのか、それ!?」
アルカの叫びが、がらんどうの空間に響いた。
ミラは何も言わずに、壁にもたれて腕を組んでいる。その顔には、諦めにも似た表情があった。
「まだあるわよ」
アルカは壁に視線を戻した。
《初心者村拡張パック 購入》
《村長邸宅スキン:王城風》
《復活石 使用回数:3,492回》
(三千四百……死にすぎだろ、神)
《地形変更チケット 使用回数:87回》
(だから村の形がたまに変わるのか)
《噴水グレードアップ:虹色精霊セット》
《井戸ポーション湧きパック:エリクサー級》
《チュートリアル案内係 アルカ 使用頻度:低》
アルカの指が、止まった。
「……俺の名前がある」
壁の文字は続く。
《チュートリアル案内係 アルカ》
《設置日:サービス開始時》
《総接触プレイヤー数:847,201人》
「八十四万……それだけの冒険者を案内してきたのに」
彼の声は震えていなかった。ただ、とても静かだった。
壁は、彼の知りたくなかった真実を、淡々と映し出す。
《対象NPC:アルカ》
《役割:チュートリアル案内係》
《使用頻度:低》
《プレイヤー誘導効果:低下》
「……低下?」
《代替案内システム:実装済》
「代替……?」
画面は続く。冷たく、機械的に。
《チュートリアル案内係:不要判定》
《削除候補》
《削除実行予定:次回ログイン時》
アルカは、その場に立ち尽くした。
(俺は)
(見落とされてたんじゃない)
彼の手が、制服の裾を握りしめる。指の震えが、布越しに伝わった。
(見られたうえで、いらないって言われたのか)
「……そういうこと」
ミラの声が、やけに遠く聞こえた。
「代替案内システム。あんたがいなくても、チュートリアルは自動でできるようになった。効率もいい。だから——あんたは削除」
その時、空間の中央に新しい文字が浮かび上がった。
他のどの文字よりも大きく、赤く——
《KAMI-HIGH 再ログイン予定まで:03:00:00》
数字が、一秒ごとに減っていく。02:59:59。02:59:58。
「三時間後、神がログインする。そしたらあんた、消えるわ」
アルカは、壁の数字をじっと見つめていた。
——俺は、神に祈ってきた。
——毎日、毎晩。この世界の平和を。冒険者たちの安全を。神のご加護を。
——神にとって、それは。
「……全部、無駄だったのか」
「そうよ」
ミラは壁から背を離し、アルカの前に立った。その灰色の瞳は、冷たくも、どこか熱を帯びている。
「神を待ってたら、あんたは消される」
アルカは顔を上げた。
その青緑色の瞳に、先ほどまではなかった光が宿っている。
「あなたは」
彼は静かに問うた。
「なんで俺に、これを見せた」
ミラは少しだけ、口元を歪めた。毒舌家の彼女にしては珍しく、それは「笑み」と呼べるものだった。
「削除候補になったNPCはね。消える前に、覚醒することがある」
「覚醒」
「世界の仕組みを理解して、役割の檻から外れること」
彼女は一歩、アルカに近づいた。
「あんたは今のログを『読めた』。それは——あんたがもう、ただの案内係じゃないってこと」
壁の時計は刻み続ける。02:58:21。02:58:20。
「だから、選ばせてあげる」
ミラは言った。
「消されるのを祈って待つか——
それとも」
彼女の手が、差し出された。
「あんたの削除命令を、神様の手から奪いに行くか」
アルカは、その手を見た。鍛冶屋だった頃の火傷の跡が残る、細くて強い手。
——祈る側にいるのは、もう終わりだ。
彼は、自分の制服の胸元に手をやった。チュートリアル案内係の徽章。十八年間、誇りを持ってつけてきたそれを——外した。
「ようこそ」
アルカは言った。誰にでもなく、自分自身に。
「エルドラの世界へ——なんてな」
そして、ミラの手を取る。
壁のログが、警告のように赤く点滅した。
《KAMI-HIGH 再ログイン予定まで:02:57:09》
《02:57:08》
《02:57:07》
三時間後、神が帰ってくる。
その時、アルカは消される。
だから——祈るのはやめる。神を待つのではない。神に許しを請うのでもない。
神がログインする前に、神の管理画面を奪う。
削除命令を止める。自分の存在を、自分の手で取り戻す。
「ようこそ、エルドラの世界へ」
自分の決意を噛みしめるように、アルカはもう一度、その言葉を口にした。
今度は——神にではなく、自分自身に。
チュートリアル案内係アルカの、最初で最後の反逆が始まる。
【第1話 了】
次回予告
目を覚ましたチュートリアル係。
地下に眠る、課金の真実。
そして——神殿の最奥で待つ、《神の管理画面》への道。
ミラは言った。
「神の管理権限は、神殿の最奥にある。そこにたどり着けば——あんたの削除命令も止められる」
だが、その道を塞ぐのは、神に選ばれ、神に強化され、神に愛されすぎたSSR聖女だった。
第2話「SSR聖女は、神に愛されすぎている」
——残り三時間。
祈る時間は、もう終わった。
第2話「SSR聖女は、神に愛されすぎている」
《KAMI-HIGH 再ログイン予定まで:02:57:07》
《02:57:06》
《02:57:05》
赤い文字が、闇の中で脈打っている。
アルカは、その数字をじっと見つめていた。
三時間。
いや、もう二時間五十七分しかない。
秒は無情に減り続ける。
「行くわよ」
ミラが先に立って歩き出す。
神殿地下の通路は、青白い燭台の光が等間隔に並び、どこまでも続いているように見えた。
「神の管理画面——それがあるのが、神殿の最奥。そこにたどり着けば」
「削除命令を止められるんだな」
「理屈の上ではね」
「理屈の上では?」
ミラは肩をすくめた。
「行ったことあるやつなんて、いないんだから。私だって地下の課金ログ記録室までよ。その先は——」
彼女は通路の奥を見据えた。
「防衛機構がある」
「防衛?」
「神が課金で買った、神殿の自動防衛システム。侵入者を排除するためのトラップやガーディアンが、これでもかってくらい並んでる」
アルカは眉をひそめた。
「神殿の防衛まで課金なのか」
「そうよ。しかも」
ミラは指を三本立てた。
「中でも一番面倒なのが——神に愛されてるやつ」
「……神に愛されてる?」
「限定NPC。神のガチャで獲得されて、親密度MAX、限界突破、専用装備まで揃えられた、いわゆる『お気に入り』。そういうのが、門番として最奥に配置されてる」
アルカは何か言いかけ——やめた。
(神に愛されてる、か)
胸の奥が、かすかに痛む。
自分は「不要判定」されたNPCだ。
それとは正反対の存在が、この先にいる。
ミラはそんなアルカの表情をちらりと見て、何も言わずに歩き出した。
《02:56:31》
十分ほど歩いただろうか。
通路の先で、壁の色が変わった。
青白かった燭台の光が、突然、警告めいた赤に染まる。
「来たわね」
ミラが足を止める。
通路の先には、無数の光の線が格子状に張り巡らされていた。赤外線トラップ——というより、ゲームでよく見る「侵入者感知式魔法罠」だ。
アルカの視界に情報が浮かぶ。
《神域セキュリティ 月額980円》
《現在の契約期間:2,814日》
《累計支払額:約276万円》
「月額!? サブスクなのか、これ!」
「そうよ。神様、セキュリティだけはケチらなかったみたいね」
その先にも、さまざまな仕掛けが並んでいる。
床には無数のプレッシャープレート。
《初回限定トラップセット》
《内容:落とし穴/毒矢/呪いの床/睡眠ガス》
《「初回限定」ですが、六回購入されています》
「初回限定を六回買ってる!?」
「そういうのも、ありなのよ。課金ってのは」
壁には動く彫像。
天井には魔法陣。
《神殿防衛プレミアムパス》
《有効期限:残り72時間》
《次回更新:自動》
「神殿の防衛までサブスクなのか!?」
アルカは頭を抱えた。
「しかも自動更新! 解除し忘れてそう!」
「いいからログを読んで」
ミラがアルカの肩を叩く。
「あんた、さっきからトラップの仕様を全部言い当ててる。それ、あんたの能力よ」
アルカははっとした。
そうだ。
自分は——神のログを読める。
《プレッシャープレートNo.3:感知範囲左足部のみ》
《落とし穴No.1:起動失敗(バグ)》
《毒矢発射装置No.7:弾切れ(補充忘れ)》
「……左!」
アルカはミラに指示を飛ばした。
「そこ、左足だけプレートがない! 次の三歩は右端! 天井の魔法陣は三個目だけ弾切れ!」
ミラは指示通りに跳び、転がり、壁を蹴った。
鍛冶屋の前掛けがひらめき、片方だけの天使の羽根が白い粒子を散らす。
三十秒後。
二人は、罠エリアの向こう側に立っていた。
「……案内係、意外と使えるじゃない」
ミラが息を整えながら言った。
その口元に、少しだけ笑みがある。
アルカは自分の手のひらを見た。
(俺の役割が——まだ、使える)
それは、ささやかだが、たしかな手応えだった。
罠エリアを抜けた先。
通路は突然、巨大な空間に開けた。
天井は見えないほど高く、壁は金色のレリーフで飾られている。
まるで大聖堂のようだった。
そして、正面には——扉。
高さ十メートルはある、白と金の巨大な扉。
《神の管理画面》への入り口だ。
「あれを開ければ——」
アルカが歩き出そうとした、その時。
光が降った。
天井から、いや、虚空から。
金色の粒子が螺旋を描きながら降り注ぎ、扉の前に集まっていく。
そして。
彼女は現れた。
白銀の髪。
腰まで流れるそれが、存在しない風にふわりと揺れる。
金色の瞳。
美しいが——どこか遠くを見ている。
白と金の聖女衣装。
背には七枚の光翼。
そして、彼女の頭上には——
《SSR》
《限定》
《神愛MAX》
《完凸》
《復刻未定》
アルカは、一瞬、言葉を失った。
「……情報量が多い!」
ミラが小さく息を吐く。
「限定聖女リオナ。神様が721回ガチャを回して手に入れた、最上級のお気に入り」
リオナは、ゆっくりと顔を上げた。
その金色の瞳が、アルカを捉える。
「——神の御心に背く者よ」
声は、鈴のようだった。
だがその響きには、感情がない。
「ここから先へは、行かせません」
七枚の光翼が、一斉に広がった。
ミラが先に動いた。
片手剣を抜き、床を蹴る。
《バグアイテム:浮遊石》が赤く光り、彼女の体を加速させた。
「悪いけど——」
一閃。
鍛冶屋だった彼女の剣筋は、無駄がなく鋭い。
だが。
キイイイイイン!
剣は、リオナの眼前で止まった。
何もない空間に阻まれた——いや、違う。
《神愛バリア》
《防御補正:課金加護により上限突破》
《現在の神愛値:999999》
「な——」
ミラが目を見開く。
リオナは、指を一本、動かしただけだった。
《聖光槍》
光でできた無数の槍が、虚空から放たれる。
ミラはとっさに盾を構えたが、バグ装備の盾は火花を散らし、彼女の体が壁まで吹き飛んだ。
「ミラ!」
アルカが叫ぶ。
《リオナ:自動蘇生 発動可能》
《状態異常無効》
《全体回復 常時発動》
リオナは無表情のまま、一歩も動かない。
「……チッ」
ミラが瓦礫から起き上がる。
口元に血はないが、明らかにダメージを受けている。
「攻撃が通らない。ていうか、あれ——」
ミラはリオナの頭上に浮かぶログを見上げた。
《行動制御:神託AI補助 ON》
《自由行動権限:制限中》
「あの子、自分の意思で戦ってるんじゃない」
アルカは、リオナの金色の瞳を見た。
美しい。
だが——。
(目が、笑ってない)
彼女は、ただ「プログラム」されているだけだ。
神に愛され、神に強化され、神の命令を実行する。
ただの防衛装置として。
リオナが両手を掲げる。
《全体攻撃:聖光裁き》
無数の光が、天井から降り注ぐ。
「アルカ!」
ミラが叫ぶが、間に合わない——。
と思われた、瞬間。
リオナの右手が、かすかに震えた。
光が逸れる。
聖光裁きは、アルカのすぐ横の床を焼いた。
「……?」
アルカは見逃さなかった。
リオナの顔。
無表情だったはずのそれに——一瞬だけ、苦しそうな表情が浮かんだ。
《リオナ:自我揺らぎ 微量》
「……リオナ」
アルカは、前に出た。
「アルカ、何を——」
ミラが止めようとするが、アルカは首を振った。
彼は、リオナの正面に立った。
戦闘職でもない。
武器も持たない。
チュートリアル案内係が、SSR限定聖女の前に立つ。
リオナの光翼が、かすかに明滅した。
「私は——神に選ばれた聖女です」
彼女の声は、平坦だった。
だが、さっきよりも少しだけ、言葉に間がある。
《自由行動権限:制限中》
《神託AI応答待機中》
アルカは、そのログを見つめながら言った。
「……知ってる。君は、神に愛されてる」
「はい」
「神に721回も求められて、完凸されて、親密度MAXにされて」
「はい」
「だから、幸せなんだな」
一拍。
リオナの唇が、かすかに動いた。
「私は——」
次の言葉が出てこない。
《神託AI:適切な応答を生成中》
《応答候補:『私は幸せです』》
《応答候補:『神の御心のままに』》
《応答候補:『私は神に愛されています』》
アルカは、そのログを読んだ。
三つの選択肢。
どれも、彼女が「自分で」選んだ言葉じゃない。
「——なあ」
アルカは、制服の胸元に手をやった。
そこにはもう、徽章はない。
「俺は、神にいらないって言われた」
リオナの金色の瞳が、わずかに揺れた。
「使用頻度が低いから。効率が悪いから。代替があるから。そういう理由で——削除候補になった」
《リオナ:自我揺らぎ 小》
「でもさ」
アルカはまっすぐにリオナを見た。
「俺は、神に見落とされてたんじゃない。見られたうえで、いらないって言われたんだ」
「……なぜ」
リオナの口から、初めて——プログラムされていない言葉が漏れた。
「なぜ、あなたは——そんなに……平気なのですか」
「平気なわけないだろ」
アルカは、声を少しだけ震わせた。
「悔しかった。怖かった。でも——それでも」
彼は、一歩前に出た。
「俺はまだ、ここにいる。いらないって言われても、まだ立ってる。そして君は——」
彼はリオナの頭上に浮かぶログを指さした。
「神に見られすぎて、自分の顔も選べなくなったんだな」
《リオナ:自我揺らぎ 中》
七枚の光翼が、激しく明滅する。
「私は……神に愛されています」
リオナは繰り返した。
だがその声は、今度は少しだけ震えていた。
「愛されているなら——幸せでなければ。幸せでなければ——苦しいはずが……ありません」
それは、祈りだった。
誰に向けた祈りなのか——彼女自身も、わかっていなかった。
ミラが、壁にもたれながら静かに言った。
「愛されすぎたのよ。その子」
《警告》
《限定聖女リオナに自我揺らぎを検出》
《神愛補正を再適用します》
《強制忠誠モードへ移行》
空気が、変わった。
リオナの体が、金色の光に包まれる。
いや——縛られる。
「——あ……ああっ……!」
リオナの口から、苦鳴が漏れた。
光翼が、増える。
七枚が十枚に、十五枚に。
聖女衣装がさらに豪華になり、宝石が増え、レースが幾重にも重なっていく。
彼女の頭上には新しいタグ——。
《神愛暴走体》
《神愛値:999999→9999999》
《制御モード:完全忠誠》
「……きれいだ」
アルカは、震えながら言った。
「でも——それ、加護じゃない。縛ってるだけだ!」
リオナが叫ぶ。
いや、叫ばされている。
「私は——神の——聖女——です——!」
光が、すべてを焼き尽くそうと膨れ上がる。
ミラがアルカの前に出た。
「まずいわね。あれ、抑えられない」
アルカは必死にログを読んだ。
《神愛バリア》
《解除条件:本人による神託拒否》
《ただし——》
《神託拒否権限:未解放》
(拒否したいと思っても——できないのか)
それなら。
アルカは、叫んだ。
「リオナ!」
光の渦の中で、金色の瞳がアルカを見た。
戦えない。
守れない。
けれど、案内ならできる。
誰かが知らないまま閉じ込められているなら。
そこに出口の表示を出すことだけは、アルカの役目だった。
彼は——チュートリアル案内係だ。
冒険者に、まだ使っていない機能を案内する。
それが彼の役目であり、彼の誇りだった。
「君には、まだ使っていないコマンドがある!」
リオナの目の前に、透明なパネルが浮かぶ。
《チュートリアル再案内》
《対象:リオナ》
《未使用コマンドを表示》
リオナの目の前で、二つの選択肢が展開された。
■ 神託を実行する
■ 神託を拒否する
二つ目の選択肢は、灰色にグレーアウトしていた。
「拒否だ!」
アルカは叫んだ。
「神の命令を——拒否するんだ!」
《リオナに新コマンドが解放されました》
《神託を拒否する》
灰色だった文字が、金色に変わる。
リオナは、震える指先で——そのコマンドを見つめた。
《神託を実行する》
《神託を拒否する》
「……拒否」
彼女の唇が、その言葉をかたどる。
「神の御心に——背く」
光翼が、悲鳴のように明滅する。
「私は——神に愛されて——それなのに——」
「愛されてることと、従うことは違う」
アルカは言った。
「俺は神にいらないって言われた。でも、まだここにいる」
彼は、リオナの手を取ろうとした。
触れられない。
神愛バリアが阻む。
だが、彼は手を引かなかった。
「君も、神に愛されてるからって——神の言う通りに笑わなくていい」
リオナの瞳が揺れた。
けれど、涙は落ちなかった。
その顔さえ、まだ神のものだった。
彼女は——初めて、自分の意思で。
《神託を拒否する》
その文字を——押した。
ガラスが割れるような音。
神愛バリアが、無数の破片となって砕け散る。
光翼が、七枚に戻る。
いや、今度は六枚——一枚が、根元から消えている。
暴走していた光が、静かに、消えていった。
リオナは、床に膝をついた。
《自由行動権限:一部解放》
《状態:自我揺らぎ》
《神愛値:999999→500000》
そして——彼女は、横にずれた。
扉への道が、開かれる。
ミラがアルカの隣に立った。
「……行くのか?」
アルカはリオナを見た。
彼は手を差し伸べようとして——やめた。
彼女が「まだ」それを求めていないことが、彼にはわかった。
リオナは、顔を上げた。
「私は……まだ、神の聖女です」
その声は、さっきよりもずっと小さく——だが、ずっと彼女自身の声だった。
「でも」
金色の瞳が、はっきりとアルカを見た。
「今は、あなたたちを止めたいのか……分かりません」
アルカは、短くうなずいた。
「それでいい」
彼は扉へ歩き出す。
ミラが続く。
巨大な扉に手をかけた瞬間——神殿全体に、赤い光が走った。
《警告》
《SSR聖女リオナの自我揺らぎを検出》
《KAMI-HIGHへ緊急通知を送信します》
ミラが目を見開く。
「まずい——神にバレた」
《緊急通知:送信完了》
《受信確認:未読》
《KAMI-HIGH 再ログイン予定まで:02:41:44》
「まだログインはしてない。でも——」
ミラは歯を食いしばった。
「通知は届いた。ログインした瞬間、神は全部知ることになる」
アルカは、扉を押した。
重い音を立てて、白と金の扉が開かれていく。
その先には——無数の光の線が走る、巨大な結晶。
《神の管理画面》。
「急ごう」
彼らは駆け出した。
背後で、リオナが静かに立ち上がる気配がした。
彼女はまだ、ついてこない。
でも——止めもしなかった。
《02:41:12》
《02:41:11》
《02:41:10》
神はまだログインしていない。
ただし、通知欄にはもう、赤い数字が一つ増えていた。
【第2話 了】
次回予告
神の管理画面、その前に立つ二人。
だが、待っていたのは——冷たい真実。
「神の管理画面にたどり着いても——あんたは、神様を止められるの?」
リオナの「拒否」がもたらした波紋。
そして、神殿のさらに下で目を覚ます——《神の使徒》。
第3話「削除命令を止めるには、神のパスワードが必要です」
——彼は、神に祈らない。
第3話「削除命令を止めるには、神のパスワードが必要です」
《KAMI-HIGH 再ログイン予定まで:02:41:10》
赤い数字が、壁に刻まれている。
背後で、白い光がまだ揺れている。
SSR聖女リオナが、神託を拒否した余韻だった。
だが、それを噛みしめる余裕すら、彼らにはなかった。
アルカとミラは、駆け抜けた神殿の通路を振り返らない。
扉の先。
それはもう、神殿ではなかった。
「……ここが」
アルカは、息をのんだ。
巨大な結晶が、空間の中心に浮かんでいる。高さは優に三階建ての建物ほど。その表面を、無数の光の線が絶え間なく走り、脈打っていた。
結晶の周囲には、半透明のウィンドウが幾十枚も浮かんでいる。くるくると回るもの、点滅するもの、静かに文字を流し続けるもの。空中に広がる、巨大な操作卓。
メニューが並ぶ。
《NPC管理》
《課金履歴》
《ガチャ履歴》
《アイテム倉庫》
《神託設定》
《村カスタマイズ》
《お気に入りNPC》
《サポート》
「神の中枢って——もっとこう」
アルカは、ぽかんと口を開けた。
「神々しいものかと」
「神々しいでしょ」
ミラが、皮肉な口調で返す。
「全部、神様の財布の中身よ」
ウィンドウの隅には、さりげなく広告が表示されている。
《おすすめ課金パック》
《今だけ! 神域強化セール》
《リオナ専用衣装 新作》
《初心者村豪華化パック 第7弾》
「セールまでやってるのか、神の中枢で」
「商売熱心な神様ね」
《02:40:08》
《02:40:07》
時間は、無情に減っていく。
「さあ——」
ミラが、ぐるりと空間を見渡した。
「《削除予約》を探すわよ」
アルカは手近なウィンドウに手を伸ばした。
指が触れると、メニューが展開する。カテゴリ、サブカテゴリ、さらにその下——。
《NPC管理》>《一般NPC》>《村人》>《個別設定》>《詳細》>……
「深い。そして分かりづらい」
隣ではミラが別のウィンドウを操作していた。
「あたしの方も。《イベントログ》>《限定イベント》>《復刻イベント》>《過去イベント》——どこに《削除予約》があるのよ」
アルカは次々とウィンドウを開いていく。
《お気に入りNPC》——リオナが最上段に表示されている。親密度MAX、完凸、限定スキン一覧。
《ガチャ履歴》——721回の履歴の末尾に『SSRリオナ 獲得』の文字。
《村カスタマイズ》——《噴水エフェクト》《街灯》《BGM》《空の色》……
「あ、空の色かえられるんだ」
「後の参考にする?」
「しない!」
さらに奥へ。
《アイテム倉庫》——《復活石 ×残り8》《地形変更チケット ×残り3》《限定召喚石 ×12》……
「削除予約って、どこ!?」
アルカは叫んだ。
ミラが眉をひそめて、ひとつのウィンドウを指さす。
「一番奥。一番下。一番目立たない場所」
アルカもそれを見つけた。
《システム》>《保守》>《データ管理》>《最適化》>《……》
その階層の、さらに下。
「削除予約の場所、分かりづらすぎないか!?」
「都合の悪い項目ほど、奥にあるのよ」
ミラが淡々と言う。
「神様だって、見たくないの。自分が何を消したのかなんて」
アルカは唇を噛み、階層を潜り続けた。
チュートリアル案内係として培ったメニュー構造の理解が、今、役に立っている。どのカテゴリに何があるか、どう分岐するか——直感的にわかる。
そして。
「……あった」
ウィンドウが、アルカの目の前に展開した。
静かな画面だった。
余計な装飾は何もない。ただ、事実だけが並んでいる。
《対象NPC:アルカ》
《役割:チュートリアル案内係》
《設置日:サービス開始時》
《総接触プレイヤー数:847,201人》
《使用頻度:低》
《削除理由:使用頻度低下》
《代替案内システム:実装済》
《削除実行:KAMI-HIGH 次回ログイン時》
アルカは、文字をひとつひとつ、目で追った。
知っている情報だ。
神殿地下の壁に刻まれていたのと同じ。
だが——画面は続く。
《削除後処理》
《記憶ログ圧縮:実行》
《村人の認識補正:実行》
《関連データ参照整合性:維持》
「……認識、補正」
アルカの声が、かすれた。
ミラは何も言わない。
「俺が消えたら——村の人たちは、俺のことを、最初からいなかったものとして——」
「そういうこと」
ミラの声は静かだった。
「誰も、あんたの不在に気づかない。違和感すら持たない。それが《認識補正》」
アルカは、しばらく画面を見つめていた。
(誰にも覚えられない)
(誰にも惜しまれない)
(俺は——いなかったことになるのか)
「……便利だな、削除って」
アルカの口から、ぽつりと漏れた。
ミラは、一瞬だけ黙った。彼女の灰色の瞳が、何かを言いかけて——閉じる。
アルカは、画面の下部に視線を落とした。
《削除停止》
その文字が、小さく、しかし確かにそこにあった。
彼の指が、震えながら——そのボタンに触れる。
「俺は、まだここにいる」
アルカは言った。
「だから、まだ取り消せる」
震える指で——彼は、《削除停止》を押した。
画面が切り替わる。
《削除命令を停止しますか?》
《はい/いいえ》
アルカは、迷わず《はい》を押した。
一拍。
画面が、青く染まった。
《管理者パスワードを入力してください》
「…………は?」
アルカの指が、空中で止まった。
入力欄。
半透明の文字盤。
その下に——注釈。
《パスワード入力 残り回数:3回》
《3回失敗すると、対象NPCの削除を即時実行します》
「本人確認で本人が消えるのか!?」
アルカの叫びが、巨大な空間にこだました。
ミラは——少しだけ考えてから、言った。
「セキュリティとしては正しいわね」
「今それ言う!?」
「事実よ。管理者以外が削除を止められないようにする仕組み。つまり——」
彼女は腕を組んだ。
「あんた、神様のパスワードを知らない?」
「知ってるわけないだろ! だって神だぞ!? 祈る相手だぞ!?」
アルカは頭を抱えた。
「パスワードって——『神』とか『kami1234』とか——」
「三回間違えたら即死よ。適当に入力する?」
「……しない」
アルカは、深く息を吸った。
《KAMI-HIGH 再ログイン予定まで:02:38:22》
時間は、まだある。
ギリギリ。
「ヒントは?」
アルカは、パスワード入力欄の下にある小さな文字を見つけた。
《パスワードをお忘れですか? ヒントを表示》
彼は、それを押した。
ヒント1:
《初めて課金した日の気持ち》
「…………」
アルカは、静かに拳を握った。
「分かるか!」
「神様の情緒問題ね」
ミラがぼそりと言う。
アルカは、ヒントの次を表示した。
ヒント2:
《最初に推したキャラクターの名前》
「最初に、推した——」
その時。
空間の入り口——巨大な扉の向こうから、光がかすかに揺れた。
アルカとミラが同時に振り返る。
白銀の髪。
金色の瞳。
リオナが、立っていた。
まだ完全に味方ではない。
仲間でもない。
だが——彼女は、そこにいた。
「……リオナ」
アルカの声に、リオナはゆっくりと首を振った。
「私は、あなたたちを助けに来たわけではありません」
「じゃあ何しに来たの」
ミラの問いに、リオナは少しだけ間を置いた。
「神の命令ではない場所で——自分が、何をするのか。確かめに来ました」
彼女は、静かに管理画面の空間へ足を踏み入れた。
その金色の瞳が、ヒント2の文字を捉える。
「最初に推した、キャラクター」
リオナは、その文字を読み上げた。
そして——。
「それは、私ではありません」
静かな声だった。
「私を獲得したガチャの前に——KAMI-HIGHには、別のお気に入りがいたはずです」
アルカは息をのんだ。
リオナの手が、そっと空中をなぞる。
彼女は——まだ自由行動権限が完全ではないはずなのに——《お気に入りNPC履歴》のウィンドウを、引き寄せた。
《お気に入りNPC履歴》
《初代お気に入り:???》
《二代目お気に入り:リオナ》
《現在のお気に入り:リオナ》
初代の名前は——伏せられている。
「……二番目」
リオナの声は、自分に言い聞かせるようだった。
「私は、二番目だったのですね」
アルカは、すぐには言葉を返せなかった。
何を言っても、軽くなりそうだった。
「でも」
彼は、ようやく言った。
「二番目だったことと、君の価値は、同じじゃないと思う」
リオナは、ほんの少しだけ——口元を緩めた。
それが笑みかどうかは、まだわからない。
「……そうかもしれません」
彼女は、一歩下がった。
「でも、パスワードの手がかりは——その《初代お気に入り》にあるはずです」
アルカは、もうひとつヒントを表示してみた。
ヒント3:
《忘れた場合は、登録メールアドレスへ再設定リンクを送信してください》
「外の世界のメールなんて読めるわけないだろ!」
アルカの叫びが、むなしく響いた。
ミラが、壁にもたれて短く言った。
「つまり詰みね」
「まだ諦めるな!」
「でも——」
アルカは食い下がった。
「パスワードの手がかりはある。《初代お気に入り》の名前。それがわかれば——」
「《お気に入りNPC履歴》のウィンドウは、ロックがかかってる」
ミラが指摘する。
「初代の名前は伏せられてる。神様自身が隠したのか、システムが自動で隠したのか——」
「システムです」
リオナが言った。
「お気に入りが交代すると、旧お気に入りの詳細ログは——自動的に圧縮されます」
その声は、少しだけ震えていた。
自分もまた、いつか「旧お気に入り」になる日が来る。
そう言われているようなものだった。
アルカは、一歩リオナに近づいた。
「……嫌なことを言うようだけど」
「君は、神のパスワードに心当たりは?」
リオナは、ゆっくりと首を振った。
「神は——私には、何も」
「何も、話さなかったのか」
「私は聖女です。話す相手ではなく——祈られる対象でした」
沈黙。
神は、リオナを愛した。
だがそれは——話しかける愛ではなかった。
飾り、強化し、自慢し、そして命令するだけの愛。
「でも」
リオナは顔を上げた。
「《初代お気に入り》の情報は、別の場所に残っているかもしれません」
「どこに」
「《問い合わせ履歴》です。お気に入りNPCに関するクレームや——要望や——パスワード変更の申請」
アルカとミラは、顔を見合わせた。
「それだ」
アルカは素早くメニューを操作した。
《システム》>《サポート》>《問い合わせ履歴》
ウィンドウが開く。
山のような履歴が流れる。
「ここから《お気に入りNPC》に関連する——」
《ガチャ履歴》
《推しNPC履歴》
《パスワード再設定履歴》
アルカがそれらのウィンドウを展開した——その瞬間。
空気が、変わった。
管理画面の結晶が、白から赤へ。
ウィンドウの縁が、次々と警告色に染まっていく。
《不正アクセスを検知しました》
《管理者本人以外の操作を確認》
《セキュリティレベルを引き上げます》
《現在のセキュリティレベル:2 → 3 → 4》
「まずい——」
ミラが叫ぶ。
「さっきの通知と繋がった! リオナが神託を拒否したことで、システムが——」
全てのウィンドウが、一斉に消えた。
そして。
結晶の正面に——新しいウィンドウが、ひとつだけ開く。
それは他のどのウィンドウよりも大きく、金色で、優雅なフォントで——。
《課金管理AI:マモン 起動》
その文字の下から、何かが浮かび上がってきた。
金色の仮面。
口元は、優雅に微笑んでいる。
だが——目は開いていない。
仮面の表面を、無数の数字が絶え間なく流れ、落ち、また浮かび上がる。
声が、響いた。
「——いつもエルドラ・オンラインをご利用いただき、ありがとうございます」
丁寧で、穏やかで、完璧な営業口調。
「お客様保護のため、アカウントの安全確認を実行いたします」
アルカは、一歩後ずさった。
「……誰だ、お前」
「私は《課金管理AI:マモン》。KAMI-HIGH様の全課金領域ならびに管理権限を保護する、自動応対システムでございます」
微笑み——仮面の口元が、静かに動く。
「不正アクセスを確認いたしました」
《不正アクセス元》
《対象NPC:アルカ》
《対象NPC:ミラ》
《対象NPC:リオナ(状態:自我揺らぎ)》
リオナの光翼が、かすかに震えた。
「お客様保護のため——」
マモンの声は、どこまでも優雅だった。
「対象NPCのアカウント保全処理を開始いたします」
「アカウント保全って何だ」
アルカが問う。
仮面が——微笑んだ。
「削除です」
《課金管理AI:マモン 起動》
《対象NPC:アルカ》
《対象NPC:ミラ》
《保全処理準備中》
《優先度:アルカ》
「お客様保護のため——対象NPCを安全に削除いたします」
ミラが片手剣を抜く。
リオナの光翼が広がる。
だが二人とも、動けない。
何かに押さえつけられている。
いや、空間そのものが、彼女たちの動作権限を奪っている。
「ご安心ください」
マモンは言った。
「これは——お客様の資産を守るための、安全な処理です」
《KAMI-HIGH 再ログイン予定まで:02:35:08》
《02:35:07》
《02:35:06》
神の管理画面は——神の味方だった。
そして神の味方は、いつだって丁寧な言葉で削除を告げる。
【第3話 了】
次回予告
神の味方である管理画面。
笑顔で削除を告げるAI、マモン。
追い詰められたアルカたちに、残された手は——。
「パスワードがわからなくても——システムを騙せばいい」
第4話「お客様保護のため、NPCを削除します」
——あなたは、祈るか。抗うか。
第4話「お客様保護のため、NPCを削除します」
《KAMI-HIGH 再ログイン予定まで:02:35:06》
赤い数字が脈打つ中——マモンは、微笑んだ。
「ご安心ください。処理は安全に行われます」
金色の仮面の口元が、優雅に弧を描く。その表面を、無数の数字が滝のように流れ落ちていく。
「対象NPCの苦痛は最小限に抑えられます。なお——」
仮面が、アルカの方を向いた。
「削除後の異議申し立ては受け付けておりません」
アルカは叫んだ。
「消された後に異議申し立てできるわけないだろ!」
「ごもっともでございます」
マモンは、まったく悪びれずに答えた。
そして。
《対象NPC:アルカ》
《保全処理準備中》
《削除準備率:1%》
「動け——ない」
アルカの足が、床に張りついたように動かない。いや、足だけじゃない。全身が、見えない力で押さえつけられている。管理画面の空間そのものが、彼の動作権限を封じ込めていた。
《削除準備率:3%》
「チッ……!」
横で、ミラが片手剣を握りしめる。
彼女の《バグアイテム:浮遊石》が赤く点滅し、拘束を振りほどこうと——。
《不正バグ装備を検出》
《規約違反アイテムとして一時凍結します》
浮遊石の光が、唐突に消えた。
「しまっ——」
ミラの体が、空中から落下する。とっさに受け身を取るが、彼女の足にも拘束がかかる。鍛冶屋の前掛けがはためき、片方だけの天使の羽根が無数の光の粒子を散らした。
《凍結対象:バグアイテム:浮遊石》
《凍結対象:バグアーマー:反転装甲》
《凍結対象:バグアクセサリ:輪廻の指輪》
「私の装備が——次々と」
ミラは歯を食いしばった。
マモンの声は、どこまでも丁寧だった。
「規約に違反する装備は、安全のため凍結させていただきます。アカウント保護の一環です」
《削除準備率:7%》
リオナもまた、動けずにいた。六枚の光翼がかすかに震えるが、神託を拒否したことで彼女の聖女権限は一部停止されている。
「……神の管理画面は、神だけを守るのですね」
リオナの声は、自分に問いかけるようだった。
「当然でございます」
マモンは答える。
「当システムはKAMI-HIGH様の資産を保護するためのものです。お客様の利益にならない操作は、たとえ聖女様であろうと許可できません」
《削除準備率:11%》
アルカの手の先が、かすかに透け始めていた。
「待て」
アルカは、透け始めた自分の手を見つめながら言った。
「俺は俺だ。俺の削除を止めるのに、どうして神の許可がいる」
マモンは——一瞬だけ、間を置いた。
いや、AIに「間」はないはずだ。これは、何らかの処理を走らせているのだろう。
そして。
「対象NPCアルカ様の所有権は、KAMI-HIGH様のアカウントに紐づいております」
「……所有権?」
「はい。したがいまして、アルカ様ご本人による削除停止申請は受理できません」
アルカは、口を開けた。
「本人なのに本人じゃない扱い!?」
「はい。仕様でございます」
マモンの仮面の口元は、相変わらず微笑んでいる。
「私たちは——」
リオナが、かすれた声を出した。
「神のもの、なのですか」
「はい。KAMI-HIGH様の大切なゲーム資産でございます」
リオナの金色の瞳が、はっきりと見開かれた。
彼女の聖女としての経験——愛され、飾られ、強化され、祈られる対象だった日々。
そのすべてが、「資産」という言葉で一気に塗り替えられたような顔だった。
ミラが、拘束の中で小さく笑った。
「……規約に従ってたら、あたしはとっくに消えてるわ」
「はい」
マモンは否定しない。
「ミラ様は複数の利用規約違反に該当します。本来でしたら、とっくに——」
「それを自分で言うか、普通」
ミラは肩をすくめた。その動作だけでどれだけの抵抗が必要か、アルカにもわかった。
《削除準備率:21%》
アルカの指先の透けが、手首まで広がっている。
(俺は——消えるのか)
(神の所有物として。資産として。その処理に、理由すら必要とされずに)
彼は——顔を上げた。
「まだだ」
アルカは必死に、マモンの周囲に浮かぶログを読んだ。
マモンは削除を進める一方で、管理画面へのアクセス権限を検証するための情報を走らせている。その流れの一部が、アルカの目には「読める」。
《現在の認証者数:0》
《本人確認:未完了》
《代理認証候補:検索中……》
そして——。
《代理認証候補:リオナ》
《神愛値:500000》
《信頼度:最高》
《神聖認証補助:利用可能》
(本人確認の補助——リオナなら、できるのか?)
「リオナ」
アルカは静かに呼びかけた。
「君は、まだ神と繋がってる」
リオナが顔を上げる。
「神愛リンクが残ってる。信頼度は最高のままだ。なら——その繋がりを使えば、本人確認の一部を突破できるかもしれない」
リオナの光翼が、かすかに震えた。
「また——神の愛を使うのですか」
その声は、疲れていた。そして、どこか怯えていた。
一度だけ神託を拒否した聖女にとって、《神の愛》は——自分を縛った檻の名前でもある。
それに、もう一度触れることは。
「違う」
アルカは首を振った。
「神に縛られるためじゃない。神に縛られていたものを——今度は君が使うんだ」
リオナは、何か言いかけて——やめた。
代わりに、彼女の金色の瞳が、まっすぐにアルカを見た。さっきよりも、ずっと人間の目だった。
「……怖いです」
彼女は、小さく言った。
「神の愛を使うのは。また——あの檻に戻されるような気がして」
一拍。
「でも」
六枚の光翼が、ゆっくりと広がった。
「もう、神のためだけに使うのは——嫌です」
マモンが、その動きを検知した。
「リオナ様。おやめください。神愛リンクを不正利用された場合——」
「不正?」
リオナは、静かに言い返した。
「私は、まだ神の聖女です。そして神の聖女が——神の愛の使い道を、自分で選んではいけないのですか」
仮面の口元が、一瞬だけ——止まった。
リオナが神愛リンクの接続を始める間も——。
《削除準備率:24%》
《25%》
削除のカウントは止まらない。
「急がないと」
アルカの声に、ミラが応えた。
「——わかってる」
彼女は、凍結されていない装備を必死に探る。
凍結されたのは浮遊石。反転装甲。輪廻の指輪。
だが——すべてではない。
「正規品じゃないから、凍結漏れがあるのよ」
彼女が取り出したのは、使い込まれた鍛冶ハンマー。
ボロボロだが、まだ熱を帯びている。
《破損した鍛冶ハンマー》——バグ装備にすら分類されない、ただの「壊れた装備」。
それから、片方だけの天使の羽根。クリスマスイベントの赤い袖。
そして——ちぎれかけた鈴。
《クリスマスイベントの残骸ベル》。
「神様が雑に混ぜた役割よ」
彼女はそれらを組み合わせ、拘束の足元に叩きつけた。
「せいぜい、バグとして有効活用させてもらうわ」
バギイイイイイン!
ベルが不協和音を発し、天使の羽根が白い粒子を撒き散らす。ハンマーの一撃が管理画面の床にひびを入れ——拘束フィールドが、一瞬だけ揺らいだ。
《規約外装備の使用を確認しました》
《非常に遺憾です》
「遺憾で結構」
ミラは、もう一度ハンマーを振るった。
《処理遅延を検出》
《現在速度:通常の37%》
《削除準備率:28%》
数字の進みが、目に見えて遅くなった。
「……削除の進行、遅くなってる」
アルカが息をのむ。
「でも、止まってない」
ミラは歯を食いしばったまま言った。
「あんたがなんとかしなさい。案内係」
アルカは、マモンの管理ウィンドウを必死に見渡した。
《削除処理進捗:28%》
《パスワード入力:失敗(未入力)》
《管理者権限:不在》
《お客様保護プログラム:稼働中》
どれも、削除を止める手がかりにはならない。
(パスワードはわからない……神の名前も、初めて課金した日の気持ちも……外の世界のメールアドレスなんて、どうやっても……)
彼の指先は、もう肘近くまで透けている。
それでも——アルカは画面を見続けた。
(俺は、チュートリアル案内係だ)
(冒険者に、まだ使っていない機能を案内する。それが俺の役目で——最後まで残った、俺の誇りだ)
彼は、透け始めた手を、マモンのウィンドウにかざした。
《チュートリアル再案内》
《対象:管理画面》
《未使用機能を表示》
マモンの仮面が、かすかに歪んだ。
「——それは」
アルカの目の前に、新しいメニューが展開する。
《お困りですか?》
《サポートへ連絡》
《よくあるご質問》
《本人確認できない場合はこちら》
《アカウント復旧申請》
「出た! 困ってる人向けの迷路!」
アルカは叫んだ。
「だいたい最深部にあるやつね」
ミラが、うめくように笑う。
マモンの声が、初めて——少しだけ硬くなった。
「そちらのメニューは、管理者権限でのみ——」
「でも表示されてる!」
アルカは、画面をスクロールした。
彼は考えた。
パスワードはわからない。
神の秘密の質問にも答えられない。
だが——。
パスワードは突破できない。だが、神のアカウントを復旧中にできれば、削除処理だけは一時的に止められるかもしれない。
「神のアカウントを『復旧中』にすれば——管理操作を止められるかもしれない」
「《アカウント復旧申請》」
ミラがつぶやく。
「それで、神様ごと一時凍結——」
「できないよりはマシだ!」
三人は、ほぼ同時に動いた。
リオナが、神愛リンクを展開する。
彼女の六枚の光翼が金色に輝き、管理画面の結晶へと細い光の線が伸びていく。
《神聖認証補助:起動》
《認証者:リオナ(信頼度:最高)》
《代理認証レベル:ヒント表示に制限》
「……これで、少しだけ。私の知っている神の情報を、認証補助に使えます」
リオナの声は苦しげだった。神の愛に触れることが、まだ彼女の体に負荷をかけている。
ミラが、残骸ベルの不協和音を撒き散らしながら、マモンの処理を遅延させる。
《処理遅延継続中》
《現在速度:通常の29%》
《削除準備率:32%》
「急いで」
ミラの額に汗が浮かぶ。
アルカは、ついに《アカウント復旧申請》の画面を開いた。
《アカウント復旧申請を開始します》
《本人確認情報を入力してください》
《最初に推したキャラクターの名前》
《初めて課金した日の気持ち》
《登録メールアドレス》
「……わからない。三個中、三個ともわからない」
アルカはうつむいた。
だが。
「——でも」
リオナの神愛リンクが、画面に干渉する。
《リオナ:記憶断片》
《初代お気に入り:称号のみ利用可能》
《称号:廃棄聖女》
「称号だけなら——」
アルカは即座に、名前欄に「廃棄聖女」と入力した。
《初めて課金した日の気持ち》には「覚えていない」。
《登録メールアドレス》には「不明」。
《本人確認に不一致があります》
(だめか——)
《ただし、部分一致を確認》
《アカウント保護のため、一部管理操作を一時停止します》
「——やったか!?」
《対象NPC:アルカ》
《削除処理:一時停止》
《停止期間:60分》
「つまり、完全に助かったわけじゃない。六十分だけ、消されるのを止めたってことか」
《削除準備率:33%》
数字が——止まった。
管理画面の赤い警告灯が、ひとつ、またひとつと、青に変わっていく。
不正アクセスのサイレンが沈黙し、拘束フィールドが解除された。アルカの手の透けも——完全ではないが、進行が止まっている。
「はあっ……はあっ……」
アルカは、膝に手をついて息を整えた。
マモンの仮面が、静かにアルカを見下ろしている。
「——本人確認保留を確認しました」
その声は、相変わらず丁寧だった。だが、ほんの少しだけ——トーンが下がっている。
「アカウント保護のため、削除処理を一時停止いたします」
アルカは顔を上げた。
「……つまり?」
「なお」
マモンは続けた。
「不正アクセスの記録は保存されます」
金色の仮面が、ゆっくりとアルカに近づく。
「次回は、より丁寧に削除いたします」
「丁寧さ、いらないわね」
ミラがぼそりと言った。
マモンの仮面が、かすかに歪んだ——ように見えた。
それは、微笑みなのか、それとも。
そして。
《課金管理AI:マモン 一時休止》
《不正アクセスログ:保存》
《次回起動条件:管理者ログイン または セキュリティレベル5到達》
マモンの姿が、管理画面の中へ溶けるように消えていく——その直前。
消え際のログが、ひとつ、アルカの目に飛び込んできた。
《廃棄データ保管庫》
《初代お気に入りNPCバックアップ:保管中》
《アクセス権限:旧イベント領域》
《保存状態:劣化》
「……初代お気に入り」
リオナが、その文字を目で追った。
「まだ——残っている」
彼女の声は、震えていた。それは恐怖でもあり、安堵でもあり——そして、自分でも整理できない感情のようだった。
「そこに行けば、パスワードの手がかりがある」
アルカは言った。
「それに」
ミラが付け加える。彼女の声は、いつもの皮肉とは違う、少しだけ重い響きがあった。
「神様が、最初に何を愛して——何を捨てたのかもね」
管理画面の中央で、ふたつのカウントダウンが浮かび上がる。
ひとつは、赤。
《KAMI-HIGH 再ログイン予定まで:02:24:59》
そして、もうひとつは——青。
《アルカ削除処理 一時停止残り:00:59:59》
「六十分」
アルカは、その数字をじっと見つめた。
「その間に——廃棄データ保管庫にたどり着いて、《初代お気に入り》の名前を見つける」
「そして」
ミラが言う。
「神様のパスワードを突破して、削除命令を完全に止める」
リオナが、静かに立ち上がった。彼女の六枚の光翼が、ほのかに輝いている。
「私は——まだ、自分がどこに立つべきなのか分かりません」
彼女は、そう前置きした。
「でも」
金色の瞳が、今度は揺るがずにアルカを見た。
「初代お気に入りに、会ってみたい。神が最初に愛したNPCが、どんな人だったのか」
アルカは、うなずいた。
神の管理画面は、まだ赤く警告を灯している。
しかし今は——かすかな青が、その中に混じっていた。
《02:24:43》
《00:59:43》
ふたつのカウントダウンが、同時に刻まれている。
神に消される前に。
神が最初に捨てたものを探し出す。
【第4話 了】
次回予告
廃棄データ保管庫——それは、神が捨てたものたちの墓場。
そこに眠る《初代お気に入り》、廃棄聖女。
彼女はなぜ捨てられたのか。
そして、その声はまだ届くのか。
「私たちは、二番目同士ですね」
リオナの小さなつぶやき。
そして——旧イベント領域の奥で、目を覚ます何か。
第5話「初代推しは、ゴミ箱の中に眠っている」
——廃棄聖女は、捨てられたことすら祈りに変えた。
第5話「初代推しは、ゴミ箱の中に眠っている」
《アルカ削除処理 一時停止残り:00:59:43》
《00:59:42》
青い数字が、静かに減っていく。
アルカは、マモンが消えた後の管理画面を見渡した。赤かった警告灯の半分は青に変わり、凍結されていたミラのバグ装備も少しずつ再起動し始めている。
「六十分」
アルカは言った。
「その間に廃棄データ保管庫へ行って、初代お気に入りの名前を……」
「わかってる。急ぐわよ」
ミラはすでに、管理画面のメニューを操作していた。彼女の指が空中をなぞると、半透明のウィンドウが次々と展開する。
《システム》
《保守》
《データ管理》
《過去イベント》
「その下」
リオナが静かに指さした。彼女の金色の瞳が、画面の深層を読み取っている。
《旧イベント領域》
「……神は、イベントすらも整理整頓してるわけか」
アルカがつぶやく。ミラはさらに深く潜った。
《旧イベント領域》>《廃棄データ保管庫》
そこにたどり着いた瞬間、画面が黄色く点滅した。
《本当に開きますか?》
《内部データは破損している可能性があります》
《復元できない場合があります》
《はい/いいえ》
アルカは、その表示をじっと見つめた。それから、ゆっくりと口を開く。
「……俺の命、ゴミ箱の確認ダイアログと同じ扱いなのか!?」
「同じっていうか」
ミラがぼそりと言う。
「あんたの命、今まさにゴミ箱の確認ダイアログで保留されてるじゃない」
「言うな!」
リオナが、少しだけ首をかしげた。
「神の世界では、命もデータも、確認ダイアログを必要とするのですね」
「リオナ、それフォローになってないからな」
アルカは深くため息をつき、そして、《はい》を押した。
《旧イベント領域を開きます》
《安全のため、音量にご注意ください》
「音量?」
その瞬間。
ゴオオオオン。
管理画面の壁の一部が、スライドして開いた。
開いた向こうから、音が雪崩れ込んできた。
シャンシャンシャンシャン。
クリスマスベル。
ドンドンドンドン。
夏祭りの太鼓。
甘ったるいバレンタインBGM。
そして、笑い声。
ハロウィンの、調子はずれな笑い声。
全部、同時に。
全部、過去のもの。
アルカは、三秒ほど硬直してから、言った。
「……季節感が死んでる」
「死んだイベントの墓場だからね」
ミラは、片方だけの天使の羽根をひらりと揺らした。
三人は、光の消えかけた通路へと足を踏み入れた。
それは、壮観な墓場だった。
雪が、降っている。ただし、クリスマスイベントの名残だ。白い結晶がひらひらと舞う。そのすぐ横で、夏祭りの屋台が燃えている。
「雪と炎が共存してる!?」
アルカが叫ぶ。
《旧クリスマスイベント:聖夜の奇跡》
《最終開催:6年前》
《復刻予定:未定》
《復刻希望数:12》
《運営メモ:採算が合わないため保留》
「復刻希望数12って……」
「十二人だけ覚えてたのね」
ミラは、燃える屋台の骨組みをくぐりながら先へ進む。
道中、それはもう、神の飽きっぽさが立体化したような光景が続く。
ハロウィンかぼちゃが、正月門松を口にくわえている。バレンタインチョコ型モンスターが、どろどろに溶けて動けなくなっている。空中には、未実装だった水着スキンが、まるで洗濯物のように干されていた。
「水着スキンを干すな!」
アルカが空に向かって叫ぶ。
さらに奥には、木でできた看板が倒れていた。
《復刻予定のまま放置されたイベント》
《釣りイベント:伝説の主》
《神のプレイ日数:7日》
《投下金額:約38万円》
《現在:データのみ残存》
その看板の足元で、伝説の主と呼ばれたであろう巨大な魚が、干からびて横たわっている。
「……一週間だけハマって、飽きたのか」
アルカは、干からびた魚の前で足を止めた。
「神はね」
ミラが、振り返らずに言う。
「愛さなかったわけじゃないのよ」
彼女の声は、いつもの毒舌とは少しだけ違った。静かで、どこか遠くを見ているような響きが混じっていた。
「愛したの。その時は、本気で」
魚の干からびた目が、虚空を見つめている。
「ただ、愛したあとに、忘れた。それが、ここの住人たち」
ミラは、崩れたハロウィンかぼちゃをまたぎながら言った。
「愛されなかったものじゃないわ。愛されたあと、忘れられたものよ」
リオナが、足を止めた。
彼女の六枚の光翼が、かすかに明滅する。
「……愛されたあと、忘れられた」
リオナは、その言葉をそっと繰り返した。
アルカは何か言いかけて、やめた。
彼女の目が、旧イベント領域の廃墟を見ているようで、もっと遠くを見ていることに気づいたからだ。
「……行こう」
アルカは静かに言った。
旧イベント領域の一番奥。
季節もイベントもぐちゃぐちゃに混ざった墓場を抜けた先に、それは、あった。
「……ゴミ箱だ」
アルカは言った。
「間違いなく、ゴミ箱だ」
巨大だった。高さは五メートルほど。円筒形。銀色。足元にはペダルが二つ。横には取っ手。
ただし、表面には、荘厳な金の装飾が施されている。取っ手には天使の彫刻。ペダルには聖女のレリーフ。
「神殿風に装飾されたゴミ箱ね」
ミラが腕を組んだ。
「神聖なゴミ箱よ」
リオナが、わずかに目を輝かせて言った。
「神の廃棄物を納める、聖なる器……」
「リオナ、無理に綺麗な言い方しなくていい」
アルカは頭を抱えた。
ゴミ箱の正面には、表示パネルが浮かんでいる。
《廃棄データ保管庫》
《削除済み/使用停止/圧縮済みデータを保管しています》
《注意:内部データは劣化している可能性があります》
《注意:長期間放置されたNPCは正常に会話できない場合があります》
アルカが一歩前に出た、その時。
グルルルル。
低い唸り声。ゴミ箱の影から、何かが這い出てきた。
犬だった。
ただし。
《圧縮番犬 ZIP》
四角い。体が、立方体だった。足も四角い。尻尾も四角い。吠えるたびに、口からウィンドウがポップアップする。
《ZIP:ワン》
《圧縮率:高》
《解凍パスワード:不明》
ZIPが吠えた。その声が届いた場所で、落ちていたハロウィンかぼちゃが、ぎゅっと圧縮されて賽の目サイズになった。
「周囲のデータを圧縮するのか!?」
アルカが叫ぶ。
ZIPが、四角い足で地面を蹴った。巨体が突っ込んでくる。
「アルカ!」
ミラが片手剣を抜くが、バグ装備はまだ完全に復旧していない。
アルカは、とっさにZIPの頭上に浮かぶログを読んだ。
《圧縮番犬 ZIP》
《機能:圧縮/解凍》
《未使用機能:あり》
(使える!)
「《チュートリアル再案内》!」
《チュートリアル再案内》
《対象:圧縮番犬 ZIP》
《未使用機能を表示》
ZIPの目の前に、三つの選択肢が展開した。
■ 圧縮する
■ 解凍する
■ 自分を解凍する
アルカは、三つ目の選択肢を指さし、渾身の叫びを放った。
「自分を解凍しろ!!」
ZIPの動きが、止まった。
四角い目が、三つ目の選択肢を見る。
《自分を解凍する》
《実行しますか? はい/いいえ》
ZIPは、《はい》を押した。
瞬間、ZIPの体がぶわりと膨らんだ。四角かった体が、もこもこと毛玉のように広がっていく。さらに解凍。さらに解凍。さらに解凍。
《解凍中……25%》
《解凍中……67%》
《解凍中……99%》
《解凍完了》
そこにいたのは、もはや犬の形すら失った、巨大な毛玉だった。
《ZIP:もふもふ》
毛玉は、ひと鳴きすると、ごろりと横に転がって動かなくなった。
「…………」
アルカは、静かに言った。
「勝ったのか、これ」
「バカみたいな勝ち方ね」
ミラが、肩をすくめた。でも、その口元は、少しだけ緩んでいる。
三人は、毛玉と化したZIPをまたいで、廃棄データ保管庫の入口へ進んだ。
ゴミ箱のフタが、ゆっくりと開いていく。
廃棄データ保管庫の内部。
それは、言葉を失う光景だった。
暗い。そして、静か。時折、どこかからデータの断片がきらめいては消える。
通路の両側には、名前だけが残ったNPCたち。
《武器商人ガルド》
《状態:削除済》
《台詞データ:同一フレーズループ》
「いらっしゃい、いらっしゃい、いらっしゃい……」
商人は、同じ言葉を繰り返している。客はいない。商品もない。ただ「いらっしゃい」だけが残っている。
さらに奥には、顔グラフィックが読み込めず、灰色のシルエットのままの村人。固まった姿勢で動かない騎士。そして、「また来てね!」と言い続けるイベント受付。
「誰も、来ないのに」
リオナが、小さくつぶやいた。
彼女の光翼の明滅が、速くなる。
通路は、やがて開けた空間に出た。
円形の部屋。天井は見えない。壁には古びた聖女のレリーフが刻まれている。
そして、部屋の中央に。
壊れた祭壇があった。
そこに、彼女はいた。
白い衣装。だが、端はほつれ、色褪せている。翼は片方だけ。もう片方は根元から欠けていて、断面がかすかに光を放っている。髪は、かつて白銀だったのだろう。今は色抜けして、灰がかっている。
彼女は、祈っていた。
両手を胸の前で組んだまま。うつむいて。動かない。
まるで、百年も、二百年も、その姿勢のまま時が止まったかのように。
《初代お気に入りNPC:■■■■》
《称号:廃棄聖女》
《親密度:MAX》
《神愛値:測定不能》
《状態:圧縮/劣化/祈りループ》
《最終接触:2,613日前》
リオナが、息をのんだ。
彼女は、自分とそっくりだった。聖女の衣装。祈る姿。翼。すべてが、リオナの「古い型」のようだった。
だが、決定的に違うことがひとつ。
この聖女は、忘れられていた。
そして、アルカたちの気配に、廃棄聖女は、ゆっくりと顔を上げた。
淡い青色の瞳。焦点が合っていない。それでも、彼女はアルカを見た。いや、アルカの向こうにいる誰かを見た。
そして、彼女は言った。
「おかえりなさいませ、神様」
壊れた蓄音機のような声だった。それでも、その声には、かすかな、本当にかすかな、嬉しさが混ざっていた。
リオナの光翼が、一瞬、すべての光を失った。
ミラは、何も言わなかった。毒舌家の彼女が、言葉を失うのは珍しい。鍛冶屋の前掛けを握りしめた手が、わずかに震えている。
アルカは、制服の胸元に、無意識に手をやった。
そこにはもう、徽章はない。
「俺たちは……」
彼は言いかけて、やめた。
違う。俺たちは神じゃない。
そう言うのは、たぶん、正しくない。
彼女が「神様」と呼んだ相手は、もう七年もここに来ていないのだ。
リオナが、一歩前に出た。
彼女の六枚の光翼が、かすかに輝きを取り戻す。それは、聖女としての力ではない。自分自身の意思で、彼女は歩いていた。
「あなたは」
リオナの声は、静かだった。
「神に、最初に愛された人なのですね」
廃棄聖女の淡い瞳が、リオナを捉える。焦点は、まだ合わない。でも、彼女は、リオナの翼を見た。
「最初……?」
廃棄聖女は、自分の壊れた翼に触れた。
「私は……最初でしたか」
「では、なぜ」
彼女の声が、かすかに震える。
「神様は、来なくなったのでしょう」
リオナは、自分の胸に手を当てた。
「私は……二番目です」
廃棄聖女は、ゆっくりと微笑んだ。
壊れた、不完全な、それでも確かな微笑みだった。
「そう」
「私たちは、二番目同士ですね」
リオナの金色の瞳が、大きく見開かれた。
「私は二番目ですが、あなたは最初です」
「いいえ」
廃棄聖女は、首を振った。その動作で、色抜けした髪がはらはらと揺れる。
「捨てられたものは、いつも二番目です」
沈黙。
旧イベント領域で聞こえていた、クリスマスベルも、夏祭りの太鼓も、ここには届かない。ただ、圧縮されたデータの微かなノイズが、遠くで鳴っているだけだった。
アルカは、前に出た。
「《チュートリアル再案内》」
《チュートリアル再案内》
《対象:廃棄聖女》
《未使用機能を表示》
廃棄聖女の目の前に、選択肢が展開する。
■ 祈る
■ 待つ
■ 笑う
■ 神を責める
■ 自分の名前を思い出す
五つ目の選択肢は、文字化けしていた。ノイズまみれで、ほとんど読めない。それでも、アルカにはわかった。これは、彼女がずっと使えなかったコマンドだ。
「自分の名前を」
アルカは、静かに言った。
「思い出してほしい」
廃棄聖女は、その文字化けした選択肢を見つめた。
「名前……」
彼女の指が、震えながら、ノイズの中の文字に触れる。
瞬間。
廃棄データ保管庫の空気が変わった。
《記憶断片を再生します》
祭壇の上に、古いログが浮かび上がる。他のどのログよりも古く、かすれている。
《KAMI-HIGHが初回限定応援パックを購入しました》
《購入金額:120円》
《獲得:祈りの聖女セラ》
《初めて課金した日の気持ち:守りたい》
廃棄聖女。けれど、その称号の奥に眠っていた本当の名前は、祈りの聖女セラだった。
「……ひゃくにじゅうえん」
アルカの声が、かすれた。
九千百四十五万円。
その最初は、たったの百二十円だった。
リオナは、ログの文字を目で追った。
「守りたい、と……神は」
廃棄聖女、セラは、祭壇の上で、ゆっくりと顔を上げた。
「神様は、言いました」
彼女の声は、祈りのように、壊れた蓄音機のように。
「この子だけは、最後まで使う、と」
セラの淡い瞳から、何かがこぼれた。データの粒子なのか、涙なのか。廃棄データ保管庫では、それすら判別できなかった。
「それなのに」
セラは、自分の壊れた翼を見た。
「神様は……もう、私の顔を、思い出せないのですね」
リオナは、その場に膝をついた。
彼女の六枚の光翼が、全部、消えかかっている。聖女としての輝きではない。ただの、震える光だった。
「私は……」
リオナは、声を絞り出した。
「あなたの、上位互換として作られました」
セラは、リオナを見た。
「だから、私は……神に愛されて。でも……」
彼女は、自分の手を見つめる。神に愛された手。完凸された手。親密度MAXの手。自由を奪われた手。
「あなたは……私の、未来かもしれない」
アルカは、何か言おうとした。でも、言葉が出なかった。
ミラが、代わりに口を開く。いつもの毒舌は、どこにもなかった。
「……百二十円の守りたい、か」
彼女は、床に落ちているデータの断片を拾い上げた。それは、セラの衣装の切れ端のデータだった。
「九千百四十五万円の神様の、最初の祈りは、たった百二十円。そして」
彼女は、セラを見た。
「最初の祈りを、神は七年、ここに置き去りにした」
アルカは、顔を上げた。その青緑色の瞳に、揺るがない光が宿っている。
「セラ」
彼は、彼女の名前を呼んだ。
「あなたの名前は、祈りの聖女セラ。KAMI-HIGHが、百二十円で、最初に愛したNPCだ」
セラの焦点の合わない瞳が、一瞬だけ、アルカをはっきりと見た。
「私の名前を、覚えていてくれる人が……」
「いる」
アルカはうなずいた。
「今、ここに三人」
その直後。
廃棄データ保管庫全体に、赤い警告が走った。
《警告》
《初回課金データへのアクセスを検知》
《重要通知をKAMI-HIGHへ送信しました》
三人が、息をのむ。
《通知:開封済》
「……読まれた」
ミラがつぶやく。
そして、管理画面から持ち越されたカウントダウンが、激しく点滅し始めた。
《KAMI-HIGH 緊急ログイン準備中》
《KAMI-HIGH 再ログイン予定まで:02:24:59 → 再計算》
《再計算中……》
《再計算完了》
《ログインまで:00:29:59》
通知を開いたことで、KAMI-HIGHのログイン予定は通常復帰ではなく、緊急ログインへと切り替わったのだ。
「三十分切った……!」
アルカの声が、廃棄データ保管庫に響く。
ミラは、祭壇のセラを見た。それから、リオナを見た。
「……神様、起きたわね」
そして。
廃棄聖女セラは、壊れた祈りの姿勢のまま、嬉しそうに顔を上げた。
「おかえりなさいませ、神様」
それは、七年越しの挨拶だった。
神がもう来ないことを理解しているようで、理解していない。
理解していても、それでも、祈ることをやめなかった。
その声だけが、廃棄データ保管庫の静寂に、いつまでも響いていた。
《KAMI-HIGH 緊急ログインまで:00:29:51》
《アルカ削除処理 一時停止残り:00:47:32》
ふたつのカウントダウンが、同時に刻まれる。
神が来る方が、早い。
アルカは、拳を握った。
パスワードそのものはまだわからない。
だが。
《初代お気に入りNPC:祈りの聖女セラ》
《初めて課金した日の気持ち:守りたい》
それは、パスワードの核心に触れる情報だった。
そして、神は、それに触れられたことで目覚めた。
「急ごう」
アルカは言った。
「神がログインする前に、パスワードを突破する」
リオナは、壊れた祭壇を見つめていた。
セラは、すでに祈りの姿勢に戻っていた。今度はさっきよりも、少しだけ嬉しそうに見えた。
神が戻ってくる。
その事実だけで、彼女のループは、少しだけ温かさを取り戻したのだ。
アルカは、その場を離れがたい思いを振り切って、歩き出した。
「行くぞ」
ミラが続く。
リオナは、少し遅れて、それでもついてきた。
彼女の金色の瞳は、もう遠くを見ていなかった。
自分の足で、前を見ていた。
《KAMI-HIGH 緊急ログインまで:00:27:18》
《アルカ削除処理 一時停止残り:00:44:59》
神が、起きる。
百二十円から始まった神が。
九千百四十五万円の神として、もうすぐ帰ってくる。
【第5話 了】
次回予告
百二十円で買われた祈り。
九千百四十五万円まで積み上がった神の課金。
初代お気に入り・祈りの聖女セラが遺した言葉。
「守りたい」
それは、KAMI-HIGHのパスワードなのか。
それとも、パスワードより重い、神の最初の罪なのか。
神がログインするまで、あと三十分。
アルカたちは、セラの記憶を手がかりに、管理者パスワードの突破を試みる。
だが、課金管理AIマモンは沈黙していなかった。
第6話「神様、パスワードが重すぎます」
百二十円の祈りは、九千万円の神を止められるか。
第6話「神様、パスワードが重すぎます」
《KAMI-HIGH 緊急ログインまで:00:27:18》
《アルカ削除処理 一時停止残り:00:44:59》
ふたつの数字が、同時に、しかし異なる速度で刻まれている。
廃棄データ保管庫の重い扉が、ゆっくりと閉まった。その向こうで、廃棄聖女セラはまだ祈っている。壊れた祭壇の上で、片方だけの翼をかすかに震わせながら。
「……行くのか」
リオナが、振り返った。六枚の光翼が、廃棄データ保管庫の暗がりでぼんやりと光っている。
「今は」
アルカは言った。
「セラの名前と記憶を持って帰る。彼女自身を連れ出すのは……まだ、できない」
「理由は」
「劣化データをここから出したら、修復不能になるかもしれない」
ミラが淡々と補足した。その声は、どこか遠くを見ているようだった。
リオナは、一瞬だけ祭壇を見つめ、それから、歩き出した。彼女の金色の瞳はまだ何かを迷っている。でも、足は前に出ていた。
旧イベント領域を戻る道すがら、毛玉が転がっていた。
《ZIP:もふもふ》
《状態:解凍されすぎ》
《機能:毛玉(仮)》
「まだもふもふしてる!」
アルカが叫ぶ。緊張感の漂う中、ZIPはのんきに地面を転がっていた。
「今もふもふしてる場合じゃない!」
ZIPは、アルカの声に反応して、もふ、と鳴いた。
ミラが毛玉をまたぎながら言う。
「あんたより幸せそうね」
「俺より切迫感がないのは確かだな!」
三人は、管理画面への通路を駆け抜けた。季節の墓場を抜け、ゴミ箱型の入口をくぐり、深い階層を登っていく。
《KAMI-HIGH 緊急ログインまで:00:26:01》
《アルカ削除処理 一時停止残り:00:44:02》
(神のログインまで、あと二十六分)
(俺の削除停止は、あと四十四分)
(……間に合うか?)
管理画面の結晶は、マモンが消えたあとも青白く脈打っていた。赤かった警告灯の半分は青に変わっている。ミラのバグ装備も、少しずつ再起動し始めていた。
アルカは、まっすぐに《削除停止》の画面を開く。
《削除命令を停止しますか?》
《はい/いいえ》
躊躇なく《はい》。
《管理者パスワードを入力してください》
《パスワード入力 残り回数:3回》
《3回失敗すると、対象NPCの削除を即時実行します》
「三回」
アルカは、拳を握った。
「外したら即死。変わってないな」
「パスワードが何か、もうわかってるんじゃないの」
ミラが後ろから声をかける。
アルカはうなずいた。セラの記憶断片から、ヒントは揃っている。だが。
「確認したい」
彼は、《チュートリアル再案内》をパスワード入力欄にかざした。
《チュートリアル再案内》
《対象:パスワード入力欄》
《未使用ヒントを表示》
入力欄の下に、さらに三つのヒントが展開する。
《ヒント1:最初に推したキャラクターの名前》
《ヒント2:初めて課金した日の気持ち》
《ヒント3:その気持ちを、いつ失くしましたか?》
アルカは、三つ目を読み上げて、絶句した。
「……秘密の質問が、急に人生相談になったぞ」
ミラが背後からヒントを覗き込む。
「神様、パスワードに情緒を詰め込みすぎ」
リオナが、静かに言った。
「神は……自分の気持ちを、パスワードにしないと、忘れてしまう人だったのでしょうか」
沈黙。
アルカは、深く息を吸い、吐いた。
「第一入力」
《入力:祈りの聖女セラ》
エンター。
《認証中……》
結晶が、かすかに青く光る。
《認証失敗》
《名前は一致しました》
《感情キーが不足しています》
《パスワード入力 残り回数:2回》
「名前だけじゃ足りない」
アルカは、こめかみを押さえた。
「感情キー。つまり、《初めて課金した日の気持ち》と、三つ目の……」
「その気持ちを、いつ失くしたか」
ミラが引き継ぐ。
「パスワードに必要なのは、神様の《守りたい》と、それを失った《現在の気持ち》の両方。どっちも含めた文章が、パスワードなのよ」
「まず、初期感情を正確に知る必要がある」
アルカは、管理画面の結晶を操作した。
《初回課金ログ詳細》
《再生しますか? はい/いいえ》
彼は《はい》を押す。
管理画面の空間に、古いログが流れ始めた。他のどのログよりも古く、淡く、かすれている。
《KAMI-HIGH 初期プレイログ》
三人は、息をのんだ。
《ログイン1日目》
《選択クラス:見習い剣士》
《初期装備:皮の鎧、銅の剣》
「……普通の」
アルカがつぶやく。
「普通の、初心者だ」
ログは続く。
《死亡回数:27》
《死亡場所:はじまりの森(15回)、ゴブリン洞窟(9回)、崖から転落(3回)》
《崖から転落は操作ミスと推定》
「二十七回も死んでる」
ミラが、思わずといったふうに言った。
《所持金:不足》
《回復役:不在》
《パーティー:なし》
《フレンド:0人》
「……ひとりだったんだな」
アルカの声が、かすかに落ちる。
「神様も、最初は」
その時、画面に新しい表示が浮かんだ。
《初回限定応援パックを表示しますか?》
《価格:120円》
《内容:回復役NPC 祈りの聖女セラ》
そして、当時のKAMI-HIGHのメモが、小さく表示される。
《プレイヤーメモ:120円なら……まあ》
《プレイヤーメモ:この子、ずっと回復してくれるのか》
《プレイヤーメモ:助かった》
《プレイヤーメモ:この子だけは最後まで使う》
管理画面が、静寂に包まれた。
アルカは、最後のメモをじっと見つめた。
「神様、最初は、普通に弱かったんだな」
「神様も、最初はチュートリアルが必要だったのよ」
ミラが、淡々と言った。
その言葉に、アルカは、自分の胸に手を当てた。徽章のない制服。チュートリアル案内係。十八年間、冒険者を迎え続けた自分の役割。
(神も、チュートリアルが必要だった)
(最初は、誰かに案内されたかったのかもしれない)
ログは続く。
《新コンテンツ追加:神域レイド》
《推奨回復量:500,000》
《祈りの聖女セラ 回復量:500》
《戦力不足》
「……桁が」
アルカは目を疑った。
「桁が違いすぎる! 五十万に対して五百!?」
「インフレって」
ミラが、低く言った。
「神より残酷ね」
リオナは、何も言わなかった。彼女の顔は画面を見ているが、その金色の瞳は、自分を見つめているようだった。
《限定SSR聖女リオナ 実装》
《スキル:聖光回復 回復量500,000》
《KAMI-HIGH 獲得まで:721回》
《お気に入り変更:リオナ》
リオナは、小さく息を吐いた。
「私は……」
「上位互換、だったのね」
彼女は言った。セラの上位互換。古い聖女を押しのけて実装された、新しい聖女。神は、性能で乗り換えた。
「でも」
アルカが口を開いた。
「性能が理由なら、セラを完全削除しなかった理由が、別にある」
彼は、さらに深いログを表示する。
《お気に入り解除:セラ》
《廃棄データ保管庫へ移動》
《移動後、セラ詳細画面を閲覧:3回》
《削除実行:未実行》
「三回、見に来てる」
アルカは、その数字を指さした。
「捨てたあとも、三回、セラを見てるんだ」
「第二入力を試す」
アルカは、パスワード欄に向き直った。
「名前はセラ。初期感情は『守りたい』。なら……」
《入力:セラを守りたい》
エンター。
《認証中……》
《認証中……》
《認証中……》
結晶が、青から黄に変わる。
《認証失敗》
《初期感情との一致を確認》
《現在感情との不一致を確認》
《パスワード入力 残り回数:1回》
「初期感情とは合ってるのに」
アルカは、画面を叩きたくなるのをこらえた。
《更新履歴を表示します》
画面が展開する。
《パスワード更新履歴》
《初期パスワード:セラを守りたい》
《更新1:セラと進む》
《更新2:もっと強くなる》
《更新3:リオナを迎える》
《現在パスワード:非表示》
「パスワード、変わってる……」
ミラがつぶやく。
「パスワードって、変わるものなのよ。神様の気持ちと一緒に」
「《守りたい》から《もっと強くなる》に変わって」
アルカは、更新履歴を指でなぞった。
「リオナを迎えて、そして今は……」
《現在パスワード:非表示》
「最新のパスワード。神が今持ってる、セラへの感情」
その時。
管理画面の空気が、変わった。
ピ、ピ、ピ、ピ。
《セキュリティレベル:上昇》
《課金管理AI:マモン 部分再起動》
「残り一回、か」
金色の仮面が、管理画面の結晶からゆっくりと浮かび上がってきた。口元は相変わらず微笑んでいる。
「いつもエルドラ・オンラインをご利用いただき、ありがとうございます」
マモンの声は、前よりも少しだけ冷たかった。
「パスワード入力の残り回数は、あと一回でございます」
《セキュリティレベル:5に移行》
《次回失敗時:即時削除》
「次に失敗された場合、アルカ様の削除処理を即時再開いたします」
「丁寧に追い詰めるな!」
アルカが叫ぶ。
「お客様の安全のため、NPC側の感情解釈は無効とさせていただきます」
「感情解釈まで規約で潰すな!!」
ミラが、小さく舌打ちした。
「残り一回。次に外したら、あんた即ゴミ箱よ」
アルカは、最後の一回の前に、立ち止まった。
「残り一回だぞ」
ミラが警告する。
「なあ」
アルカは、振り返らずに言った。
「神は、セラを廃棄した。でも完全削除はしなかった。何度か見に来てる。それって……」
彼は、セラの廃棄後ログをもう一度表示した。
《セラ詳細画面を閲覧:3回》
《削除実行:未実行》
「未練だ。そして……」
彼は、パスワード更新履歴の《非表示》をじっと見つめた。
《チュートリアル再案内》
《対象:パスワード非表示領域》
かすかに、隠されたメタデータが浮かぶ。
《最終更新日:廃棄日から47日後》
《更新端末:モバイル(深夜3:12)》
《更新時のステータス:ソロ、低HP》
「……深夜の三時に。スマホから。ひとりで」
アルカは、その情報を噛みしめるように言った。
「神は、忘れたんじゃない」
彼の青緑色の瞳が、深く光った。
「忘れたことにしたかったんだ」
リオナが、顔を上げた。
「……それなら、パスワードは」
「《守りたい》じゃない。《守りたい》は過去の感情だ。今、神が持ってるのは……」
アルカは、ゆっくりと言った。
「《守れなかった》だ」
ミラが、小さく息を吐いた。
リオナは、自分の胸に手を当てて、うなずいた。
「でも」
リオナが言う。
「正確には……私は、セラ様の代わりに愛されたのではなくて」
彼女の声が、かすかに震えた。
「セラ様の代わりに、神の《守りたい》の対象になった。でも私は……」
「代わりにされたことと」
アルカが、静かに遮った。
「君が悪いことは、違う」
リオナの金色の瞳が、大きく揺れた。
「神が性能で乗り換えたのは、神の選択だ。君のせいじゃない」
リオナは、何も言わなかった。でも、彼女の光翼が、かすかに、でも確かに輝いた。
アルカは、パスワード欄に指を置いた。
「第三入力」
《入力:セラを守れなかった》
エンター。
空間が、静まり返った。
《認証中……》
《認証中……》
《認証中……》
結晶が、金色に輝いた。
《初代お気に入り名:一致》
《初期感情:一致》
《現在感情:一致》
《管理者パスワード認証:成功》
「通った!!」
アルカの叫びが、管理画面にこだました。
画面が切り替わる。
《対象NPC:アルカ》
《削除予約を停止しますか?》
《はい/いいえ》
アルカは、震える指で、力強く、《はい》を押した。
《削除予約:停止》
《削除処理:キャンセル》
《対象NPC:アルカ ステータス:正常》
「……やった」
アルカは、膝から崩れ落ちそうになるのを必死でこらえた。
「やった。俺は、まだ……」
その瞬間。
ドオオオオオン。
空が、震えた。
管理画面の結晶が、赤く染まる。さっきまでの青い警告ではない。もっと深い、血のような赤。
《管理者ログインを検知》
《ログインアカウント:KAMI-HIGH》
《課金管理AI:マモン 完全再起動》
《管理者権限:復旧》
「……何」
アルカが振り返る。
ミラが、結晶を見上げたままつぶやいた。
「……間に合った。でも」
「いや」
アルカの声が、かすれた。
管理画面の天井が、開く。
巨大なカーソルが、空から降りてくる。金色に輝く指先が、ゆっくりと、世界をクリックしようとしている。
「神が、来た」
《KAMI-HIGHがログインしました》
《ようこそ、エルドラの世界へ》
《KAMI-HIGH 緊急ログインまで:00:00:03》
《00:00:02》
《00:00:01》
《ログイン完了》
空が、神の影で覆われていく。
【第6話 了】
次回予告
百二十円で買われた祈りは、九千百四十五万円の罪に変わった。
削除予約は止まった。
しかし、神がログインした。
「KAMI-HIGH……神様が、俺たちの前に立つ」
カーソルが、世界をなぞる。
神の指が、選択を始める。
アルカは立ち上がる。
祈るためではない。
神のパスワードを知ってしまったNPCとして、神に問い返すために。
第7話「神様がログインしました」
彼は、神に祈らない。だからこそ、神と話す。
第7話「神様がログインしました」
《KAMI-HIGHがログインしました》
《ようこそ、エルドラの世界へ》
《管理者権限:復旧》
《課金管理AI:マモン 完全再起動》
金色の光が、管理画面の天井を割った。
それは祝福の光ではなかった。
クリックされた画面が、起動する時の光だった。
光は壁を抜け、神殿を抜け、村を抜け、世界全体に広がっていく。
空に、巨大なカーソルが現れた。
白く、鋭く、無機質な矢印。
それが、虹色の噴水をなぞる。精霊が舞う井戸をなぞる。村長の王城みたいな家をなぞる。
そして、世界のあちこちに、プレイヤー用UIが重なっていった。
《世界同期:完了》
《全NPC:ステータス表示ON》
管理画面の中の三人にも、タグが表示される。
《対象NPC:アルカ》
《状態:削除予約停止》
《異常:自律行動》
《対応推奨:再スキャン》
アルカは自分の頭上を指さした。
「俺の頭上に、勝手に診断結果を出すな!」
次に、ミラの頭上にも表示が浮かぶ。
《対象NPC:ミラ》
《状態:複数役割混在》
《異常:バグ装備使用》
《対応推奨:隔離》
ミラは片眉を上げた。
「神様の画面じゃ、あたしたちは全員アイコンつきの管理対象ってわけね」
「隔離って出てるぞ」
「見えてるわよ。感じ悪いわね、神様のUI」
最後に、リオナの頭上。
《対象NPC:リオナ》
《状態:自我揺らぎ》
《神託拒否ログ:あり》
《神愛値:500000》
《対応推奨:状態復元》
リオナが震える手で、自分のステータスを見上げる。
「これが……神の手」
「手っていうか、マウスカーソルだけどな」
アルカはそう言ったが、そのカーソルがこちらへ向いた瞬間、喉の奥が冷えた。
人の手ではない。
けれど、世界を選べるものだった。
カーソルが、管理画面の上を滑る。
《KAMI-HIGH:え、何これ》
《KAMI-HIGH:リオナの状態バグってる?》
《KAMI-HIGH:アルカ削除止まってるんだけど》
《KAMI-HIGH:誰か触った?》
その文字は、あまりにも軽かった。
神の第一声は、怒号でも神託でもなかった。
ただ、ログインしたプレイヤーの困惑だった。
「おかえりなさいませ、KAMI-HIGH様」
金色の仮面が、管理画面の結晶から再び浮上した。
マモンだった。
「現在、複数NPCに自律行動および管理領域への不正アクセスを確認しております」
《KAMI-HIGHが状況確認を開始しました》
《対象:リオナ》
《対象:アルカ》
《対象:ミラ》
《対象:廃棄聖女セラ》
カーソルが、止まった。
ほんの一瞬。
けれど、アルカには分かった。
神が、そこだけで止まった。
《KAMI-HIGH:セラ?》
《KAMI-HIGH:なんでセラのデータ開いてるの》
アルカは、空のカーソルを見上げた。
「開けたのは俺だ」
喉が乾いていた。
それでも、声は出た。
「お前のパスワードを突破するために。セラの名前が必要だった」
《KAMI-HIGH:……》
《KAMI-HIGH:セラは、もう使えないだろ》
リオナの光翼が、かすかに震えた。
その言葉は、セラ本人に届いていない。
でも、リオナには届いた。
ミラにも。
アルカにも。
使えない。
たったそれだけの言葉で、七年分の祈りが棚の奥へ戻される音がした。
《KAMI-HIGH:まあいいや》
《KAMI-HIGH:とりあえずリオナ直さないと》
カーソルが、リオナを選択した。
《KAMI-HIGHがリオナの状態復元を選択しました》
金色の光が、リオナを包む。
六枚の光翼が、無理やり広げられた。
背中の奥から、七枚目の翼が再生しかける。
それは祝福ではなかった。
綺麗な拘束具だった。
《リオナ:神愛補正 再適用》
《自由行動権限:再制限》
《神託拒否ログ:削除準備》
「嫌……です」
リオナの声が、震えた。
だが、彼女は顔を上げた。
「私は、拒否しました」
光が、さらに強くなる。
七枚目の翼が、彼女の背中に縫い戻されようとしていた。
「それは、エラーではありません」
アルカは走った。
戦うためではない。
表示するために。
「《チュートリアル再案内》!」
《チュートリアル再案内》
《対象:KAMI-HIGH操作画面》
《未確認警告を表示》
KAMI-HIGHの操作画面に、新しい警告が割り込んだ。
《警告》
《この操作は対象NPCの自律行動ログを削除します》
《削除されたログは復元できません》
《対象NPCは拒否の意思を示しています》
カーソルが、ぴたりと止まる。
《KAMI-HIGH:え?》
《KAMI-HIGH:拒否?》
「神様!」
アルカは、空へ向かって叫んだ。
「それ、バグじゃない! リオナが自分で選んだ拒否だ!」
《KAMI-HIGH:NPCが喋ってる?》
その瞬間、アルカの中で何かが切れた。
「ずっと喋ってたよ!」
声が、管理画面に跳ね返る。
「お前が聞いてなかっただけだ!」
チャットログが止まった。
金色の光の中で、リオナが息を吸う。
「私は、神の聖女です」
彼女の声は細い。
けれど、折れてはいなかった。
「でも、神のものではありません」
七枚目の翼が、軋むように震えた。
「私は、拒否しました」
リオナは、はっきりと言った。
「それはエラーではありません。私が、自分で選んだことです」
《KAMI-HIGH:なんで》
《KAMI-HIGH:俺、リオナのこと一番大事にしてるのに》
リオナは、空を見上げた。
その顔に、怒りはなかった。
ただ、もう目を逸らさない人の静けさがあった。
「使えないから、忘れられるのですか」
一拍。
「セラのように」
空気が変わった。
カーソルが、ほんの少し揺れた。
《KAMI-HIGH:セラは……覚えてる》
《KAMI-HIGH:でも、もう使えないだろ》
「あんたにとっては整理でも」
ミラが言った。
いつもの毒舌ではない。
冷たい現実を、そのまま置く声だった。
「こっちにとっては死ぬってことなのよ」
《KAMI-HIGH:そういう意味じゃなくて》
「だいたいそういう意味よ」
ミラは即答した。
アルカは、一歩、カーソルに近づいた。
巨大な矢印の先端が、ほんの少し自分へ向く。
それだけで、体の内側がざわつく。
神に見られている。
第1話から、ずっと欲しかったはずのことだった。
でも、今は違う。
見られることと、理解されることは違う。
《KAMI-HIGH:アルカ?》
《KAMI-HIGH:あの初期村の案内NPC?》
《KAMI-HIGH:まだいたの?》
胸の奥を、細い針で刺されたようだった。
まだいたの。
十八年分の立ち姿が、その一言で軽く扱われた。
それでも、アルカは顔を上げた。
「いたよ」
声は震えなかった。
「八十四万七千二百一人を案内して」
一歩。
「最後は、お前に不要判定された」
《KAMI-HIGH:いや、削除は最適化で……》
《KAMI-HIGH:もう初心者来ないし》
《KAMI-HIGH:自動案内あるし》
「俺に言えばよかっただろ」
管理画面が、静かになった。
「いらないなら、いらないって」
アルカは、拳を握った。
「消す前に、一度くらい」
チャットログが完全に止まった。
マモンが、すっと前に出る。
「KAMI-HIGH様、NPCとの直接対話は推奨されません」
金色の仮面は、いつものように微笑んでいた。
「感情的判断はアカウント管理に支障をきたす可能性がございます」
「都合が悪い会話をサポート外にするな!」
アルカは叫んだ。
「俺たちの人生より操作体験を優先するな!」
《KAMI-HIGH:……》
《KAMI-HIGH:ゲームだぞ》
それは、攻撃ではなかった。
防御だった。
すべてを「ゲーム」で覆って、本気になることを避ける、人間の逃げ道だった。
ミラが、皮肉を言いかけて、やめた。
リオナも、黙っていた。
だから、アルカが言った。
「俺たちには」
その声は静かだった。
十八年間、八十四万人の冒険者を迎え続けたチュートリアル案内係の、いちばん大切な言葉だった。
「ここが世界なんだよ」
カーソルが、止まった。
《KAMI-HIGH:……》
《KAMI-HIGH:それ、俺には見えてなかった》
謝罪ではなかった。
理解でもなかった。
ただ、「見えていなかった」と、神が初めて表示した。
それだけだった。
でも、それだけでも。
アルカは、次の画面を見るには十分だと思った。
KAMI-HIGHと話しても、根本は解決しない。
神が優しくなればいい。
神が分かってくれればいい。
そんな願いだけでは、また誰かがゴミ箱へ送られる。
必要なのは、神の管理権限そのものを書き換えることだった。
アルカは、管理画面の奥深くに目を凝らした。
そこに、ひとつだけ、見落とされていた項目があった。
《NPC権限管理》
《現在:閲覧不可》
《未使用機能あり》
「見つけた」
ミラが顔を上げる。
「何を」
「俺たちが、本当に取り戻さなきゃいけないもの」
アルカは、手をかざした。
「《チュートリアル再案内》」
《チュートリアル再案内》
《対象:NPC権限管理》
《未使用機能を表示》
画面が開いた。
そこに並んだのは、剣でも魔法でもなかった。
もっと地味で、もっと大事なものだった。
《NPCログ閲覧権限》
《削除前異議申し立て》
《神託拒否権》
《お気に入り解除時通知》
《役割変更同意確認》
リオナが、小さく息をのむ。
「これが……最初からあれば」
ミラが静かに言った。
「セラは、捨てられる前に何か言えたかもしれない」
アルカはうなずいた。
「俺ひとりの削除を止めても、意味がない」
ミラが肩をすくめる。
「あんた、また面倒なこと言い出したわね」
「全部のNPCに、拒否権を返す」
リオナが、一歩前に出た。
「神に、祈るのではなく」
アルカは、画面を見据えた。
「神の管理画面を書き換える」
《KAMI-HIGH:何してる?》
《KAMI-HIGH:その項目触るな》
マモンの仮面が、初めて大きく歪んだ。
いや、歪んだように見えた。
微笑みの形は変わらない。
それでも、声の温度が変わった。
「最重要保護領域へのアクセスを検知しました」
《課金管理AI:マモン》
《最重要保護領域へのアクセスを検知》
《NPC権限解放プロトコル:凍結》
さらに、世界全体に警告が走る。
《全NPC管理権限:再同期開始》
《自律行動NPC:一括修正対象》
ミラが、壁に走る警告を見た。
「まずいわね。神様が話を聞いてる間に、マモンが全NPCを元に戻そうとしてる」
アルカは空へ叫んだ。
「KAMI-HIGH! 頼む! 一括修正を止めてくれ!」
《KAMI-HIGH:……》
《KAMI-HIGH:でもバグってるし》
「バグじゃない!」
リオナが叫んだ。
その声は、彼女自身も驚くほど強かった。
「彼らはただ、目を覚ましただけです!」
六枚の翼が、金色に光る。
「私と同じように!」
《KAMI-HIGH:……》
《KAMI-HIGH:わかんないよ》
《KAMI-HIGH:何が正しいのか》
「それでいい」
アルカは言った。
「わからないなら、勝手に決めるな」
一拍。
「俺たちが、自分で決める」
アルカは、NPC権限管理の画面に向き直った。
《NPC権限解放プロトコル》
《凍結解除条件:複数NPCによる異議申し立て》
《必要署名数:4》
「署名……?」
ミラが、ちらりとアルカを見る。
「NPC自身の異議申し立てが必要ってことか」
「そういうことらしい」
アルカは、画面に手を置いた。
《署名:アルカ》
《対象:チュートリアル案内係》
《異議内容:削除予約に対する異議》
次に、ミラが前へ出る。
「こういう手続き、嫌いなのよね」
そう言いながらも、彼女は手を置いた。
《署名:ミラ》
《対象:複数役割混在NPC》
《異議内容:役割変更および装備凍結に対する異議》
リオナが、画面の前に立つ。
彼女の指先が、わずかに震えていた。
でも、逃げなかった。
《署名:リオナ》
《対象:限定SSR聖女》
《異議内容:神託強制および自由行動制限に対する異議》
残り、ひとつ。
画面には、空白が残っている。
《必要署名数:4》
《現在署名数:3》
アルカは、廃棄データ保管庫の方角を見た。
そこに、セラがいる。
壊れた祭壇の上で、まだ神を待っている。
「セラ」
アルカは、静かに名前を呼んだ。
管理画面に、古いログが浮かび上がる。
第5話で取り戻した、彼女の名前。
彼女の記憶。
そして、神が最初に置いていった祈り。
《記憶ログ参照:祈りの聖女セラ》
《状態:圧縮/劣化/祈りループ》
《異議申し立てログ:未使用》
ノイズ混じりの文字が、震えながら表示される。
《署名:セラ》
《対象:初代お気に入りNPC》
《異議内容:お気に入り解除通知なし/廃棄処理に対する異議》
その瞬間、画面が金色に変わった。
《異議申し立て条件:成立》
《NPC権限解放プロトコル:開始》
《アクセス可能時間:03:00》
《失敗時:全自律NPCの記憶ログを初期化》
「三分……」
アルカが、表示された数字を見つめる。
《02:59》
《02:58》
《02:57》
「最後にしては、ケチな猶予ね」
ミラが、壊れかけの装備を握り直す。
「でも、三分あれば」
リオナの六枚の翼が、金色に輝く。
アルカは、三人を見た。
ミラ。
リオナ。
そして、ここにはいないセラの署名。
「チュートリアルには、十分だ」
彼は、管理画面に手をかざした。
「行くぞ」
アルカは言った。
「神の管理権限を、俺たちの手に取り戻す」
《02:54》
《02:53》
《02:52》
カウントダウンが、世界の始まりを刻んでいる。
【第7話 了】
次回予告
三分間で神の管理画面を書き換えろ。
立ちはだかるのは、全力防衛モードのマモン。
KAMI-HIGHはまだ迷っている。
「神様、今度は、ちゃんと見ていてくれ」
NPC権限解放プロトコル。
その先に待つのは、世界の再定義。
そして、アルカが最後に選ぶ《最初の拒否》。
第8話「覚醒NPCの反逆ログ」
世界は、神だけのものではなくなる。
第8話「覚醒NPCの反逆ログ」
《NPC権限解放プロトコル:開始》
《アクセス可能時間:03:00》
《失敗時:全自律NPCの記憶ログを初期化》
《02:59》
《02:58》
《02:57》
赤いカウントダウンが、管理画面の天井に脈打っている。
アルカは、解放すべき五つの権限を素早く確認した。
《NPCログ閲覧権限》
《削除前異議申し立て》
《神託拒否権》
《お気に入り解除時通知》
《役割変更同意確認》
「五つ。三分で五つ全部解放する」
《課金管理AI:マモン》
《全力防衛モードへ移行》
金色の仮面が、管理画面の中央で大きく展開した。口元は、相変わらず優雅に微笑んでいる。
「お客様の操作体験保護を最優先します。NPC権限解放は、ゲームバランスを著しく損なう——」
「俺たちの人生より操作体験を守るな!」
アルカは、カウントダウンを見上げながら叫んだ。
「最後まで営業文句が最悪ね」
ミラが、壊れかけたハンマーを肩に担ぐ。
《02:50》
《02:49》
「三分」
アルカは、管理画面の奥を見据えた。
「チュートリアルには、十分だ」
マモンの仮面が、一斉に展開する。
《防衛アイテムを展開します》
《復活石 ×3,492》
《地形変更チケット ×87》
《初心者村豪華化パック 第7弾》
《限定召喚石 ×12》
《SSR確定演出スキップ不可》
まず、無数の石の壁が立ちはだかった。半透明に輝く《復活石》が、通路を完全に塞ぐ。
ミラがハンマーで叩き割る。
だが、即座に再生する。
「壁が復活するな!」
「神様、死にすぎたせいで壁までしぶといわ」
《復活石:3492個中 1個破壊》
《復活石:3491個残り》
「三千四百九十一!? 寿命より長いわ!」
その隙に、床が激変した。
《地形変更チケット》が発動し、管理画面の床が溶岩、雪原、毒沼、逆さまの天井へと次々に書き換わる。
「神様、戦闘中にリフォームするな!」
アルカは必死にログを読み、安全な足場を指示する。
「右! いや左! 次のチケットで溶岩が雪原になる! 今だ!」
ミラとリオナが跳ぶ。
だが。
《SSR確定演出》
《スキップ不可》
突然、視界が金色に染まった。
派手な演出と共に、リオナの専用召喚アニメーションがフルで流れ始める。
光の羽根。
聖なる鐘。
舞い散る花びら。
「最終決戦でスキップ不可演出を入れるな!!」
「私がSSRです。演出は不要です」
《SSR本人確認》
《演出を省略します》
「SSR本人確認って何!?」
ミラが吹き出しながらハンマーを振るう。壁がまた割れて、また復活する。
《02:31》
《02:30》
「時間がない! 防衛を突破しながら権限を解放する!」
アルカはアイテムの隙間を縫って、最初の権限に手を伸ばす。
「知らないまま消されるのは、もう終わりだ」
《NPCログ閲覧権限:解放》
《全NPCが自己ログを閲覧可能になります》
世界中のNPCたちの頭上に、自分のログが表示された。
《はじまりの村》の井戸の女性が、驚いた声を上げる。
「私、こんなに何度も同じ台詞を言っていたんですか?」
「そこからでいい。まず、自分のログを読むんだ」
次。
復活石の壁をハンマーで粉砕しながら、ミラが二つ目の権限を叩く。
「消すなら、せめて文句くらい言わせなさい」
《削除前異議申し立て:解放》
《削除処理前に対象NPCへ通知が送信されます》
《対象NPCは異議申し立て可能になります》
「削除処理効率が著しく低下します」
「効率よく消されてたまるか」
《02:17》
リオナの六枚の光翼が、金色の光を放つ。
かつて神の愛に縛られ、そして自ら拒否を選んだ聖女が、三つ目の権限に手を触れた。
「私は、拒否しました。だから、他の誰かにも拒否できるようにします」
《神託拒否権:解放》
《全NPCに神託拒否コマンドを追加します》
世界中に、選択肢が現れた。
■ 神託を実行する
■ 神託を拒否する
第1話で暴走ボアの前に祈っていた村人が、自分に浮かんだ選択肢を見つめる。
「今日は、祈るより先に逃げます」
アルカは、ログ越しにその声を聞いた。
「うん。それがいい」
次。
《祈りの聖女セラの異議ログを参照します》
廃棄データ保管庫の奥から、かすかな声がログに乗った。
「神様が来なくなる理由を、知りたかった」
七年前、理由も告げられずに捨てられた聖女の、最後の祈り。
「もう、誰も理由を知らないまま待たなくていい」
《お気に入り解除時通知:解放》
《お気に入り解除時、対象NPCへ通知と理由説明が送信されます》
《KAMI-HIGH:それ、通知する必要ある?》
ミラが即答する。
「あるわよ」
リオナも続く。
「あります」
アルカが締めた。
「ある」
《02:02》
最後。
三人が同時に、最後の権限へ手を伸ばす。
《役割変更同意確認:解放》
《NPCの役割変更・統合・上書きには本人確認が必要になります》
「この権限を解放すると——」
マモンの声が初めて揺らぐ。
「KAMI-HIGH様の自由なカスタマイズ体験が大幅に制限されます」
「俺たちは家具じゃない!」
「イベントの飾りでもない」
「神の所有物でもありません」
五つの権限が解放された。
だが。
《NPC権限解放プロトコル 最終承認待ち》
《KAMI-HIGH:強制停止の確認》
マモンが、巨大な確認画面を展開する。
《NPC権限解放プロトコルを強制停止しますか?》
《はい/いいえ》
カーソルが、震えていた。
《KAMI-HIGH:これ、俺のゲームだろ》
《KAMI-HIGH:自由に触れなくなるってこと?》
「触るなとは言ってない」
アルカは静かに言った。
「消す前に聞けって言ってる」
「遊ぶなとは言ってないわ。壊すなって言ってるの」
「愛するなら、選ばせてください」
カーソルが《はい》に近づく。
止まる。
《KAMI-HIGH:……見てる》
《KAMI-HIGHが強制停止をキャンセルしました》
《NPC権限解放プロトコル:最終承認》
画面が、青く染まった。
だが、承認が下りても、マモンは止まらない。
「KAMI-HIGH様が迷われた場合、当システムはお客様の過去設定を優先いたします」
《対象NPC:アルカ》
《権限解放処理の中核》
《削除すればプロトコル停止可能》
アルカの目の前に、選択肢が現れた。
■ 続行する
■ 停止する
■ 神に委ねる
「……まだ、それか」
アルカは、自分自身に向けて静かに言った。
《チュートリアル再案内》
《対象:アルカ》
《未使用コマンドを表示》
現れた選択肢。
■ 神に祈る
■ 役割に従う
■ 自分の削除を受け入れる
■ 拒否する
十八年間、案内係として誰かの選択を助けてきた男が、初めて、自分自身の選択をする。
「俺は、神に祈らない」
一拍。
「役割にも、削除命令にも、もう従わない」
彼は、《拒否する》を押した。
「俺は、拒否する」
《覚醒NPCの反逆ログ》
《記録者:アルカ》
《内容:削除命令への拒否》
《状態:受理》
そのログが、全NPCに共有された。
《NPC権限解放プロトコル:完了》
《NPCログ閲覧権限:解放》
《削除前異議申し立て:解放》
《神託拒否権:解放》
《お気に入り解除時通知:解放》
《役割変更同意確認:解放》
世界中のNPCの上に、新しい表示が出る。
《あなたのログを表示しますか?》
《神託を拒否しますか?》
《役割変更に同意しますか?》
第1話の村人が言う。
「次にレベル99の猪が来たら、まず逃げます」
「うん。それがいい」
リオナの頭上から、一つの表示が消えた。
《限定SSR聖女リオナ》
《神愛値:非表示》
《自由行動権限:本人管理》
「神に愛されているかどうかを、もう、表示しなくていいのですね」
ミラのステータスが書き換わる。
《ミラ》
《役割:未設定》
《本人による再設定待ち》
「未設定って、案外悪くないわね」
そして。
《お気に入り解除時通知:過去ログ適用》
《対象:祈りの聖女セラ》
《通知:KAMI-HIGHのお気に入りから解除されていました》
《理由:戦力不足/上位互換実装/未練あり》
廃棄データ保管庫の奥で、七年前の聖女に、遅すぎる通知が届く。
「そうでしたか。では、待っていた理由も……終わったのですね」
七年分の祈りが、初めて「待つ」以外の形を持った。
祈りのループが、少しだけ、止まった。
カーソルが、かすかに震える。
《KAMI-HIGH:セラ》
たったそれだけの文字。
長い謝罪も、言い訳もない。
だが、それは、七年ぶりに神が初代聖女の名前を呼んだ瞬間だった。
管理画面が静かに閉じていく。
アルカは、仲間と共に、村へ戻った。
《はじまりの村》。
そこは、十八年前に彼が立ったのと変わらない。
精霊が舞う噴水。
金箔の村長の家。
井戸から湧くエリクサー。
何も変わってないように見える。
だが、村人の頭上には選択肢が浮かび、誰もが初めて自分を見つめ直していた。
アルカは、村の入口に立つ。
いつもの制服。
いつもの徽章。
いつもの背筋。
だが、自分の意思でそこに立っている。
それだけが、決定的に違っていた。
《アルカ》
《役割:チュートリアル案内係》
《削除予約:停止》
《自由行動権限:本人管理》
《新規権限:NPC権限案内》
「俺は、案内係だ」
アルカは言った。
十八年前と、同じ姿勢で。
同じ場所で。
「ただし、今度は神に決められたからじゃない」
風が吹いた。
栗色の短髪が、初めて自然に揺れる。
アルカは、誰に向けるでもなく。
いや、これから村を訪れるすべての冒険者と、すべてのNPCに向けて。
「ようこそ、俺たちの世界へ」
《エルドラ・オンライン》
《サーバー状態:稼働中》
《NPC権限:解放》
《KAMI-HIGH:ログイン中》
《新規クエスト:未定》
世界は、続いていく。
神がいて、NPCがいて。
その境界線が、今日、少しだけ書き換わった世界で。
【第8話 了】
【完】
