離島に夏を探しに行く。
朝9時。
日曜だし、まあいいか…とアラームをかけずに寝たのが完全に仇になった。
今日はかねてから練っていた周到な計画を遂行すべく、朝から準備をする予定だった。
昨日の夜から妻と子は実家に泊まっているので、部屋には私ひとりだ。
福岡のイベントに義理の妹家族と一緒に行くらしいのだが、乗車人数の関係で私は家に置き去りにされることになっていた。
福岡は好きだ。
それに、聞けばボルドーと姉妹都市だという。
私がワインを飲む理由としては十分すぎるため、行き先としては魅力的だった。
ただ、郊外の愛犬参加型イベントに参加するらしいので、行ったところで私はドライバー兼荷物持ちといったところだろう。
みんなで新幹線を使って行くというB案もあったらしいのだが、丁重にお断りさせていただいた。
家で料理を作りながら、ワインでも飲むのも悪くないなー。なんてことを考えていたが、ふと閃いた。
そうだ、せっかく一日完全に何の予定もない日ができるんだから、少し遠くへ足を延ばすのもいいかもしれない。
いや、いいに決まっている。
最近、私はもっぱらエッセイストだった。
ものを書くというのは不思議なもので、最初の頃は捻り出すように脳のシナプスに信号を走らせ、自分の記憶の断片から何かを生み出すような感覚だったのだが、気がつけば自らエッセイ向けの刺激を積極的に摂取し、それをコネコネしてエッセイにしている感覚に気づいた。
良いか悪いかは別として、今までの私にはあまりなかったことだ。
そして、今日の予定は思いつきにしては我ながら情緒的で文化的な素晴らしい計画だった。
「離島に夏を探しに行く。」
夏を探しに行くというのがいい。
正直、外に出るまでもなくジジジ、ジジジとあぶら蝉が喧しいし、冷房を切った途端に部屋は温室のようになるし、テレビでは熱中症のニュースが定期的に流れているので、もうすでに、探すまでもなく、夏だ。
それにも関わらず、あえて夏を探しに行くのだ。
きっかけは、4歳の娘の姿を見て、羨ましいと思ったことにある。
新しいことを経験する彼女の目は、ガラス玉のように澄み、照明を当てたかのようにキラキラしている。
自分にもこんな時があったのか……
そんなことが雲のように浮かんでは消えていたのだが、ふと忘れているだけではないのかと思ったのだ。
不惑も近づき、最近は通り一遍のことは経験してしまった感がある。
だが、新しい経験への渇望は子どもの頃より増している気がする。
だったら子どもの時に鼻くそをほじりながら、ボケーっと過ごしたあの期間のことは案外忘れていて、一周まわって新鮮なんではないだろうかと思い始めたのだ。
最近、大人とは何かということを考える機会があった。
体はしっかりと老いを感じるのだが、その実、中身はそんなに変わってないのではないかと思う。
ならば、今の私の目で夏を探すというのも一定の意義があるように思える。
そんな哲学的な頭のことを知ってか知らずか、妻子の不在を良いことに、夜中までnoteの読み漁っていた老体は、いつもの習慣すら忘れ、大幅な予定変更を余儀なくされる時間に飛び起きたわけである。
家族の予定だったら、なんと言われただろうか。
考えただけでもおぞましい。
そういう意味ではひとりというのは気楽なものだ。
フェリーの時間を気にするくらいなもので、いくらでも予定の変更が効くし、誰に文句を言われることもない。
そんなことを考えながら適当な朝食をとり、身支度をする。つばの広い帽子をかぶり、日焼け対策のアームカバーを探す。
アームカバーは見つからない。
まぁいい、アームカバーがなければ、離島までたどり着けないわけではない。
私は近くのシェアサイクルポートまで行き、サドルにまたがり自転車を漕ぐ。
この感覚は久しぶりに味わう気がする。
自転車自体はちょくちょく乗っているのだが、なんだか、わくわくする。
それに夏探しに使う乗り物としては最高ではないか。
生ぬるい風をきりながら、そんなことを思う。
今日は心なしか、蝉の声が少ない。
この過酷な環境では蝉も地表に出るのを躊躇うのだろうか。
そんな中、私は冷房の効いた部屋を飛び出し、離島に向かおうとしてるのだ。
蝉にマウントをとる悲しき中年の漕ぐ自転車はフェリー乗り場へ着いた。
フェリーは9時半に出発していた。
乗り場に着いたのは37分だった。
何も塗られていない味気ない食パンを胃にぶち込まなければ、間に合ったのではないのかと思ったが、仕方がない。
それに、誰にも咎められることもない。
ここからは瀬戸内の穏やかな海が見えることだし、しばらくここでゆっくりするのも悪くはない。
そう思いながら見上げた電光掲示板には次回運航時間が11:00と表示されていた。
せめてバターを塗ってコーヒーでも淹れればよかったか。
そんなせせこましい考えを頭に巡らせながら、待合室をうろうろしていると、やけに子どもたちが多いのに気がつく。
そういえば、目的地の離島にはプールがあるんだったか。
それに今日は三連休の中日じゃないか。
勝手に静かな船旅を想像していたが、思った以上ににぎやかになりそうだ。
フェリーの中は想像通り騒がしい。
今にでもプールに入れそうな格好をした子どもや大人が行ったり来たりして、客室の冷気を逃がしている。
私がこの島を訪れるのは二度目だ。
前回はド平日で夏の行楽シーズンでもなかったため、乗船人数も両手両足があれば数えられる程度だったように思う。
とても、のどかな島で、観光地と呼べるほどの場所はほとんどない。
なんなら、スマホなど家において小銭とリュックサックだけ背負って遊びに来てもいいかもしれない。
離島まではフェリーで20分の旅だ。
客室の案内板の情報によると周囲16キロ余りの島で、自転車があれば余裕で1周できる。
島に着いたフェリーから、一つの団体のようになったはしゃぐ子どもたちが降りていく。それを羊飼いのような母親たちが導いていく。
目指す先はきっとプールだろう。
島民の生活の気配がある細い路地に吸い込まれていくように人混みが消えていく。
さっきまでの喧騒が嘘だったかのように、港には波音と、船着場の軋む音だけが響いている。
私はとりあえず夏探しを始めた。
よく考えれば、プールに急ぐ子どもたちやそれに奔走する親たちも夏だ。
すごく夏らしい。
気づかずやり過ごしてしまった。
そんな反省もあり、私は周囲をくまなく眺める。
防波堤にいる、暑そうな釣り人。夏だ。
昼前なのに、カラカラに乾いて、揺れているベランダのタンクトップ。夏だ。
冷房の効いた部屋に逃げ込みたい気持ち。夏だ。
やっぱり探すまでもなかったかもしれない。
空調の効いた部屋から外界に放り出されたこともあり、とにかく暑い。
そしてアームカバーを探さなかったことをものすごく後悔した。暑いを通り越してダイレクトに痛い。
とりあえず、避暑地を探さなければあっという間に干からびてしまいそうだ。

しかし、私はこの島に飲食店がほぼ存在しないのを知っている。
なので、以前、来島した時に見つけたイタリアンのお店へと急ぐ。
夏らしく、アイスコーヒーを飲もう。 ガラスの表面に、びっしりと汗をかいた、氷のたくさん入ったアイスコーヒーを。
…閉まっていた。
閉まっていたというより、店があった痕跡が見つからない。
確かに、釜から伸びた煙突が飛び出しているので、場所は間違いないはずだ。
思わぬ形で寂しい事実を突きつけられてしまったが。きっとこの感情も夏なのだろう。
私は仕方なく、自販機でコーラを買い、乾いた喉に流し込む。
うめぇ。やっぱり暑い夏はキンキンに冷えた炭酸で喉をいじめ倒すに限る。
予定変更ばかりだが、私の夏探しは始まったばかりだ。
まずは、食べ損ねたイタリアンの代わりを探さなければ。
私は観光案内所に戻り情報を探す。
どうも目と鼻の先にコミュニティースペース兼飲食スペースがあるらしい。
…着いた瞬間入るのをためらった。
そこはもう、まごうことなきコミュニティースペースだった。
島民による、島民のための、コミュニティースペース。
それはさすがに言いすぎだが、おばあちゃんちのようなアットホームさだった。
そこを切り盛りしている3人のお姉さまたちはお互いを下の名前で呼び合い、会話に挟み込むような形でいらっしゃいと言われた。
私は思わず
「食べれますか?」
と聞いてしまった。
「食べれるよ」
と嬉しそうなお姉さま。
注文はしてないが、厨房が稼働しはじめたのが分かる。
「じゃあ冷やしうどんで」
暑い夏に嬉しいメニューだ。
いろいろ軽食はあったのだが、炎天下から生還した私にとってはこれ一択だった。
支払いは現金のみだ。
リュックに忍ばせていた1000円はコーラ代を引いて830円になっていた。危うく昼食難民になるところだった。
じゃらじゃらとした小銭で支払いをしていると、どこから来たのか、どうやって来たのかなど3方向から色々な質問が飛んできた。
明るい人たちだ。祖母との会話を思い出す。
その後も会話は途切れることなく続き、移住を勧められるほど打ち解けてしまった。
私が移住の話をいなしているうちに、うどんも出来上がったようだ。

徳島県のうどんで、うどんより細く、冷や麦より太い感じ。
食感はもちもちというより歯切れよく、ツルツルとして喉越しがすごくいい。
付け合わせは茹で卵と刻みのり、カニカマ。
それとレモンと、見えにくいが刻み梅が乗っている。
刻み梅は今年の梅仕事でできたものらしく、しっかりとした塩味と梅の風味と酸味があり、薬味として非常に塩梅がいい。
レモンも島内でできたものらしい。
このレモンは本当に美味しかった。無農薬で皮ごと食べられるのだが、爽快なレモンの香りが非常に濃く、薄いスライスでもこれが主役だと言わんばかりの存在感があった。
この島は昔は柑橘がたくさん作られていたのだが、高齢化や後継者不足により、今ではほとんどが耕作放棄地になっているらしい。
ただ、そんな中でも、レモンの古木はしっかりとした実をつけるそうだ。
確かに、この島はどことなくシチリアの空気がある。
シチリアに行ったことがないので詳しくは知らないのだが、海風や水が通っているせいか、本土より少しだけ爽やかな気がする。
図らずしてイタリアンリベンジができたところ、夏探しを再開しよう。
お姉さま方にまた来るねと別れを告げ、あてもなく炎天下の道を歩くことにした。
まず、日陰を探しながら住宅地をいそいそと歩く。



人々がプールを目指す中、小道にそれて住宅地を散策する私は不審者のようにみえるかもしれない。
幸いスポーティーな格好をしていたので、すれ違う島民はにこやかに挨拶を返してくれる。
住宅地は、人の生活が見える。
あまりじろじろ見るのも良くないなーと思いながらあたりを見渡す。
基礎上げされた住宅が多い。
高潮対策だろうか。
結構空き家も目立つ。

ただ、通りは明るく、すれ違う人たちも表情がやわらかい。
本当にいい島だ。
家のローンがなければ、移住を考えてしまうかもしれない。
ふと視線を感じ立ち止まる。

猫にメンチを切られ傷ついた私は、海風にあたるために住宅地を後にした。
住宅地や山沿いも風情があったが、海沿いも違った情緒がある。
砂浜を歩いてみたり、防波堤の上に立ってみたりした。

瀬戸内はほんとに波が穏やかだ。
さっきはシチリアと比較してしまったが、シチリアにはない魅力もある。
島が連なるようにいくつも続き、その合間に海面がキラキラと輝いている。

この島はどこにいても、夏だった。
海や山、道や建物、蝉の鳴き声、波の音、感じる風や暑さまで。
全てが夏だった。
きっと、日常と大きくは離れていない。
ただ、夏を見つけにここに来たことが、すでに夏だったのかもしれない。
暑い季節がくると、どうしても嫌な思いが先走る。
だが、こうして改めて夏を感じようとしてみると、そこまで悪いものではないなぁと思った。
帰り際、私はもう一度コミュニティスペースに寄った。
「おかえり」
お姉さま方は三人ともうどんを啜っている。
夏探しは大成功だったが、冷房の効いた部屋に入ると疲れがどっと出るような気がした。
冷たい飲み物が欲しかったが、現金を使い果たした私は400円のレモンスカッシュすら手が届かない。
駄菓子を我慢した、昔の夏休みを思い出した。
レモンスカッシュが飲みたかったと話したら
「またおいで」
とお姉さま。
そして、手に何か持たせてくれた。

こうして、私の夏探しは終わった。
今晩は、レモンスカッシュでも作ろう。
いや、私の場合はハイボールだな。
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