思想を売る人は、自分の“初期条件”を語っているか
昔、私はあるコンサルタントを神のように見ていた。
独立は最高だ。
雇われるのは思考停止だ。
借金もせず、組織にも属さず、自分の力で生きるべきだ。
その言葉は、当時の私にはまぶしかった。
できない自分が情けなかった。
怖がる自分が小さく思えた。
だから必死に真似しようとした。
でも、どうしても上手くいかなかった。
時間が経ち、冷静になってから見えてきたことがある。
その人は税理士資格を持っていなかった。
親が作った税理士事務所があり、
そこで情報を集め、
弟が資格を取得して事務所を継いだ。
本人は雇用された経験もなく、借金もしていないことを誇っていた。
学歴は 早稲田大学 。
どこでも就職できたはずなのに、しなかったという。
だが後年読んだ本には、
「就職できたのにしなかったことを後悔している」と書いてあった。
独立最高と言いながら、
心のどこかでは別の道を思っていた。
あのとき私は、ようやく理解した。
問題は思想ではなかった。
初期条件だった。
失敗しても戻れる場所がある人と、
後ろ盾がない人。
学歴という強いカードを持つ人と、
持たない人。
家業という情報源を持つ人と、
ゼロから始める人。
同じ「挑戦」でも、
リスクの重さはまったく違う。
「やらかして失敗する人生のほうがいい」
その言葉は確かに力強い。
だがそれは、
致命傷にならない前提がある人の言葉ではないか。
本当に背水の陣に立つ人は、
そんなに軽く言えない。
思想は魅力的だ。
シンプルで、断言的で、勇気をくれる。
だがその思想が、
どんな土台の上で語られているか。
そこが抜け落ちた瞬間、
それは普遍的な理論ではなくなる。
私はずっと、自分の能力不足だと思っていた。
だが違った。
再現不可能な成功モデルを、
普遍的な法則だと思い込んでいただけだった。
思想を売る人は、
自分の初期条件を語っているだろうか。
守られた構造。
逃げ道。
資本。
学歴。
家族の後ろ盾。
それらを開示せずに語られる成功論は、
どこかで現実を歪める。
私はあの人を責めたいわけではない。
ただ、もう神格化はしない。
成功は、努力だけでできているわけではない。
構造の上に乗っている。
それを見誤らない限り、
もう二度と、自分を責めなくて済む。
