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tarohanamana
地方では、努力だけでは埋まらない教育格差がある
「勉強すれば、誰にでもチャンスはある。」
そう信じたい。
しかし現実には、住んでいる場所によって、
スタートラインそのものが違うことがある。
東京には、高校も大学も、
偏差値ごとに数多くの選択肢がある。
第一志望に届かなくても、少し下のレベル、
あるいは得意分野に合った学校へと進路を調整できる。
一方、地方では事情が違う。
例えば旧帝国大学を目指してあと少し届かなかったとしても、その県内には同じレベルの大学が存在せず、選択肢が一気に少なくなることも珍しくない。
大学だけではない。
難関大学受験に対応した塾や、経験豊富な講師、
同じ目標を持つ仲間との競争環境も、都市部に集中している。
つまり、地方では「努力する環境」そのものが少ないのである。
もちろん、今はオンライン授業や映像教材も充実してきた。
それでも、すぐ質問できる先生がいて、
ライバルが隣で努力している環境には、
まだ及ばない部分もある。
だから、この問題を単純に
「本人の努力不足」で片づけることはできない。
そこには、「教育機会の格差」という、
見えにくい壁が存在している。
そして、その壁は教育だけで終わらない。
優秀な若者ほど都市へ進学し、
そのまま都市で就職する。
地方は若者が減り、学校や塾も縮小し、
さらに教育環境が弱くなる。
その結果、また若者が流出する。
この循環が、東京一極集中をさらに加速させているのかもしれない。
本当の意味で教育格差をなくすとは、
学費を安くすることだけではない。
どこに生まれても、同じような選択肢に出会えること。
努力した人が、住んでいる場所ではなく、
その努力によって未来を選べる社会。
そんな環境こそが、
本当の「教育の平等」なのではないだろうか。
