7月の語学まとめ ードイツ語を中心に
今月の語学学習についてまとめる。ここ数ヶ月は学習の量も質も内容もあまり変わり映えがしなくて、あえて記事にはしていなかった。今月も特段目新しいことをしたわけではなかったのだけれど、自分の学習を振り返るという意味でこういった定点観測は有益なので、今月の学習を棚卸ししていこうと思う。
基本データ
各言語の学習時間は以下のようになった。

見ての通り、ドイツ語が全体の3分の2を占めているので、まずはドイツ語の学習について見ていきたい。ドイツ語の学習でやったことは主に次の5つだ。
1 外国語学習アプリ Duolingo
2 ドイツ語で本を読む洋書読解
3 和訳やシャドーニングの教材として活用したショート動画
4 AIといっしょに考える作文
5 イマージョンラーニングを意識したyoutubeの動画視聴
一つずつ順に見ていこう。
1 Duolingo
外国語学習アプリとして有名なDuolingo に毎回1時間程度取り組んだ。 7月には section 5 に入り、レベルとしてはB1になった。分からない単語もちょくちょく出てくるし、見たことはあるけど自分の知識としては曖昧な語が程よく出てくるので、語彙強化にも貢献している。以前も書いたが、Duolingの問題はデフォルトのままやっていても「やった気」にしかならないので、並び替え問題を作文問題として取り組んだり、ゆっくりじっくり文字を打つのではなく、音声認識機能を使って自分の声で問題に答えるなどして、ある程度の縛りプレイを自分に課して取り組んでいる。

2 原書読解
今月から、Hermann Hesse の “Demian” (ヘルマン・ヘッセ『デーミアン』)を読み始めた。
この作品は主人公シンクレアがミステリアスな雰囲気をもつデーミアンに影響され導かれていく成長物語なのだが、少年が一人前の大人になるまでの過程が精緻で詩的に描かれていて、心を動かされる場面が多い。この作品のエピグラフにもなっており、本文にも出てくる次の一節は鮮烈だ。
Ich wollte ja nichts als das zu leben versuchen, was von selber aus mir heraus wollte. Warum war das so sehr schwer?
迸り出る自分の思いそのままに生きようとしただけなのに、なんでそれがこうも難しかったんだろう。
最初は不良にゆすられてオドオドしていた子どもにすぎなかった主人公がどのような道を進んで人格を形成していくのか、家庭や道徳や宗教といった秩序のある守られた世界を抜け出して、己の道を模索していくシンクレアの魂の彷徨は、人間はどう生きるのかという問いを正面から投げかける。「自分とは何か」という容赦ない問いに答えようとする時期、自分のやりたいことを探求し開眼と幻滅を繰り返す時期、外部の世界と己の関係の折り合いに神経をすり減らす時期、そんな人生のフェーズにいる繊細な内面が描かれる。
Das Leben jedes Menschen ist ein Weg zu sich selber hin, der Versuch eines Weges, die Andeutung eines Pfades. Kein Mensch ist jemals ganz und gar er selbst gewesen; jeder strebt dennoch, es zu werden, einer dumpf, einer lichter, jeder wie er kann.
どんな人間の一生も、つまりは己へと向かう道だ。試行錯誤の道、かろうじて見える小道。だけど自分自身になれた者なんていまだかつていたためしがない。それなのに百人が百人とも、自分自身になろうと努力する。
他の作品でも感じるヘッセの「自分自身の道を行け」というメッセージがこの作品では殊更に強い。自分は何のために生まれて、何をして生きていけばいいのか、普通はそんなこと考えずに、学校の進路指導のときとかになってはじめて頭を抱える。何か自分の行くべき道があるはずだと思いたいが、それは与えられるものではなく、試行錯誤して開拓していく、場合によってはこれまでの世界を破壊して得るものなのだということを物語を通じて感じる。
7月末時点で全8章中第5章まで読み終わっており、進捗は全体の60%くらい。ドイツ語としては語彙は抽象的で難しいが、そんなに読みにくいとも思わない。分量もそれほど多くないので、多読の教材としてもいいのではないか。
3 ショート動画
Youtube のショート動画を教材にした学習法で、長いことアレンジしながら続けている。教材となる動画はたとえば次のようなもの。
ドイツの公共放送、Tagesschau のショート動画で、ロシアの旅客機が中国との国境近くで墜落したニュースを簡潔に伝えている。ショート動画は編集済みの字幕が付けられているものが多くので非常に役に立つ。おそらくはユーザーが公共交通機関等の移動中で音を出せない隙間時間に視聴することを前提にしているのだろうが、語学学習の観点からは正確なスクリプトが分かるという点で利用価値が高い。学習では以下の3つの段階を設けた。
1 文字起こし・発音や意味の確認
2 和訳
3 音声の完コピ
まずは、文字をメモアプリなどにして起こして動画のスクリプトを作成する。文字を起こしていく過程で新出の語句の意味や発音を確認する。その後、スクリプトを読みながらでいいので、動画の話者と同じスピードで話せるくらいには反復をする。
次に起こしたスクリプトを日本語にする。といっても日本語の正解がどこかにあるわけではないので、ここではAIを活用する。自分が和訳した文をAIに出力して、誤訳がないか確認する。洗練された訳文にはならなくても、大きく内容理解を損なうことはないはずだ。和訳をする理由はいくつかある。翻訳をしていけば自然と気づくが、ある外国語が理解できることとそれを日本語として表現することはまったく異なる。きちんとした日本語に訳すには、対象(原文)に対する深い理解が欠かせない。外国語の学習において、原文を読んでなんとなく理解できると、わざわざ立ち止まってその先を理解することはなかなかない。和訳という作業を通じて、今まで意味を雰囲気で把握していた語も改めて辞書で引くことになるので語感が自然と鋭くなる。適切な日本語の表現を考えているうちに、今まで言語化していなかった原文の意味についても考える場面が多くなる。結果としてターゲット言語に対する理解が深まっていき、それが正確な読解力へと繋がっていく。
和訳ができたら、再び音声に集中する。ここでの目標は音源を完コピすることだ。まずはスクリプトを見ながら、動画を一度もとめないで話者と同じスピードで話せるようになるまでひたすら聴きながら発音する。30回くらいやってると突っかからずに言えるようになってくるので、そのタイミングでシャドーイングを組み込んでいく。テキストを見ずに音源だけを聴き、聞こえた文を自分の声で再現していく学習方法だ。ここであまりに突っかかるようなら、その箇所だけを集中的に発音練習するのもいい。完全にシャドーイングできなくても、「音声を見て話者と一緒に発音する→音声だけでシャドーイング」というのを繰り返しやっていくうちにだんだんと発音が容易になっていく。体感としては50セットくらいやるとシャドーイングしなくてもテキストを完全に覚えてしまうので、そこまできたら一度打ち切る。
この学習は段階を踏むので、文字起こし・和訳・シャドーの3日に分けて取り組むことが多かった。3日間というスパンも一つの教材に集中するにはちょうどいい時間だと言える。
4 作文
アウトプットの練習としてドイツ語での作文も学習の一環として取り入れている。添削はPerplexity というAIツールを使っていて、ドイツ語作文専用のスペースを作り、辞書サイトなどを生成の参考にするように指示している。

添削にあたっては、必ず自分がドイツ語を書いているときに意図したことを日本語にしたものを添える。自分の日本語からドイツ語にするのではなく、まずはドイツ語で書いたものを自分で日本語に翻訳する感じだ。AIによる回答を得たら、自分の書いたドイツ語と見比べて、なぜ修正したのかをAIに聞く。そのときに、自分がどのような理由や思惑でその表現を使ったかをAIに伝えるようにして聞くと、納得できる回答が得られることが多いし、AIが自分の文を誤って解釈していることも発見しやすい。

7月はドイツ語で作文を12作書いた。テーマに困ることもあるが、基本的には日常生活のちょっとした出来事や世の中のニュースなどから題材を考えるようにしている。傑作を書く必要はないので、心のなかのメモをちょっと膨らましたような内容のものが多い。
5 Youtube
Youtube の動画もドイツ語学習に活用している。視聴していてわからない語は調べるが、スタンスとしては聞き流すのを目指してドイツ語を摂取していた。今月は、特にBRUST RAUS というチャンネルの動画を中心に毎回1〜2本視聴していた。
BRUST RAUS の動画は、ドイツ語の字幕が編集されており、話すスピードもナチュラルで起伏に富んでおり、また用いられる表現も口語的なものやスラングが多い。カジュアルなドイツ語の表現が出てくるので、教科書や文学では出てこないフレーズが学べる。内容はフェミニズムやメディア論、ネットのトレンドについて扱ったものが多く、多分私はこのチャンネルのターゲット層ではないんだろうなと思いつつも(そもそもドイツ人じゃない時点で圏外だけど)、なんだかんだで見てしまえる動画はたくさんあるので、積極的に視聴している。
7月は計21本の動画を視聴した。おもしろかったものをいくつか紹介する。
Warum “Not Like Other Girls” so toxisch ist...(「他の女の子とは違う」がこうも有害な理由)
「私は他の女の子とは違う」というよくある自己認識やSNS上のトレンドについて、自身の体験や社会的な背景を交えながら批判的に論じた動画。話者は、自分が昔「自分は他の女の子と違うんだ」と感じていたこと、それがいかに内面化された性差別(internalisierter Sexismus・Misogynie)の表れであるかを説明する。また、映画やSNS(特にTikTok)のなかで描かれる「典型的な女の子」とそれに反発する「変わり者」という二項対立が、女性同士を不健全に対立させてしまう点を指摘している。
この動画で個人的に興味を引いたのが、「典型的な女の子」のイメージの一面を表す、Pferdemädchen という言葉。これをそのまま日本語に訳すと「馬娘」になってしまうが、これは「馬が大好きな女の子」を指す言葉のようで、馬が好きなことが少女のステレオタイプになってる文化背景がおもしろい。以前ドイツのクリスマスプレゼントの話で、娘はポニーを欲しがるものだというあるある話を聞いたことがあったが、日本人の感覚だと、「女の子らしい=馬が好き」はまず成立しないよねぇ。
Warum es egal ist, ob du beliebt in der Schule warst.(学校で人気があったかどうかはどうでもいい理由)
「学校で人気者だったかどうかが、将来にはあまり関係ない」というテーマの動画。アメリカのティーン映画のような「人気者」と「そうでない人」という階層が、大人になるとそんな序列は自然と消えてしまうと説明している。「人気者」になるためのSNSや動画のアドバイスの多くは表面的・一時的なものだと批判し、本当に大切なのは「深い友情や自分らしさ」であり、学校時代に人気があったからといって将来の幸福・成功が約束されるわけではないとのこと。
ドイツにもスクールカーストみたいなのがあることにまず驚く。そこにはアメリカのポップカルチャーの影響もあるようで、日本の事情とちょっと違うのかなとも感じた。そしておそらく日本でもクラスで上位に行くためのエセアドバイスがSNSに飛び交っていると思うと、現代の子らは大変だなと勝手に気の毒になってしまう。
Warum du nicht That Gril sein musst.(「あの女」である必要がない理由)
この動画は、話し手が理想的な「完璧な朝のルーティン」(例:早起き、健康的な食事、運動、瞑想、日記、セルフケアなど)に影響され、SNSで見かける“完璧な人”を目指していた経験を語る。しかし、その過程で過度な自己改善や完璧主義がかえってプレッシャーやストレスとなり、自分を追い込んでしまったことに気づき、最終的に他人の真似ではなく、自分に合った小さな一歩から始めることや、失敗を許すこと、そして継続することの大切さに気づいたという自己省察と学びが語られる。
インフルエンサーに憧れる人は多いが、その実相に気づいている人は少ない。特に若い世代になればなるほど、SNSにある投稿をありのままだと思い込みやすい。自分がどの程度SNSで投稿を演出しているかを考えれば分かるが、人の投稿を割り引いて考えるということができないために、メンタルを病む人が多いのかなとも思う。 動画にもあるが、「見た目が良いものが必ずしも中身も良いものとは限らない」という意味の、Nicht alles ist Gold, was glänzt.(光るもの全てが金ではない)がよく当てはまる話。
以上が今月のドイツ語学習。しばらく前からドイツ語は頭打ちになっていて、月100時間、200時間やっただけでは成長している実感が湧かないが、ドイツ語に触れれば触れるほど進歩の糧にはなっているという認識は保たれているので、特にこれ以上何かを学習として組み込もうとは思っていない。まだまだ実力不足だと実感する場面もなく、どれだけドイツ語に触れようが量に圧倒されることはなく、とにかくドイツ語を浴びたいくらいの気持ちが先行していて、時間さえかければ実力は自ずとついてくる段階だ(ドイツ留学するなら今がベストかもしれない、まあそんなお金ないけど)。他にも試してみたい学習法はあるが、今原書で読んでいる『デーミアン』が読み終えるまではこの感じで進もうと考えている。
ドイツ語以外の言語
ドイツ語以外の言語は、原書を読むのとYoutubeの動画の視聴くらいしかしていないので、あまり書くことはない。ここではドイツ語以外で7月に読んだ・読んでいる洋書をまとめて紹介したいと思う。
1 The Picture of Dorian Gray by Oscar Wilde (『ドリアン・グレイの肖像』 オスカー・ワイルド)
オスカー・ワイルドが書いた唯一の長編小説。画家のモデルをしているドリアンが、自分の肖像画を見て、これから年をとっていくのは自分ではなく、絵の方であってほしいと嘆いた結果、本当に永遠の若さを手に入れてしまい、不道徳や淫蕩に溺れていく話。ヘンリー卿というドリアンを感化した人物が放つ逆説めいた警句が強烈な皮肉を利かせていて、ワイルドの詩人としての才を感じさせる。 “There is only one thing in the world worse than being talked about, and that is not being talked about.” 「世間に噂されるより悪いことが一つだけある――噂もされないことだ。」 とか “To get back one’s youth, one has merely to repeat one’s follies.”「若さを取り戻したければ、愚行を繰り返すだけでよい。」 みたいな、こちらを嘲笑うかのような核心を端的につく名言の数々が物語に彩りを与えている。
2 Крейцерова соната Толстой (『クロイツェル・ソナタ』トルストイ)
嫉妬から自分の妻を殺害してしまった男の話。そうした経験から、男は人間の性欲こそがあらゆる不幸の根源であり、社会は道徳的に堕落しており、結婚もまた制度上認められた淫蕩に過ぎないと主張する。自分の配偶者に手をかけるまでの心理描写には思わず息を呑む。普通なら妻を殺すなんて言語道断という感じだが、男の回想を聞いている読者は、一人の人間が別の人間を愛し、妬み、憎み、殺すまでの心の動きを丹念に追いかけることによって、男に同情すら覚えてしまう。こんな特殊な境遇の人物をしっかり血の通った人間として描けるトルストイの筆致には脱帽する。結婚や愛をめぐる哲学的な会話にはちょっとついて行くのが大変かもしれないが、分量も長くないし、トルストイの文体はスラスラ読めてしまうので、原書に挑むにはおあつらえ向きの作品。
3 Vidas Secas, Graciliano Ramos(邦題『乾いた人びと』 グラシリアーノ・ハモス)
ブラジルの北東部で旱魃に苦しむ一家を描く。旱魃のたびに水を求めて土地を放浪し、なんとか生き延びていく家族の生活が、ドライな文体で描かれる。主な登場人物である主人、妻、長男、次男、犬の4人と1匹は、直接の会話が極端に少ない。これは貧しさゆえに語る言葉を持たないということなのかもしれないが、ひたすら地の文の描写を連続させて展開が作られるので、外国語として読むのはなかなかしんどい。牧童文化の特殊な語彙も多く、ブラジル文学のリテラシーが自分には欠如していると思い知らされた。著者のハモスは「ブラジルのドストエフスキー」とも形容される作家であり(確かにこの作品は『貧しき人々』を思い起こさせる)、『乾いた人びと』 はブラジルの学校で必ず扱われるようで、ブラジルで教育を受けた人ならだれでも知っている作品のようだ。まだ読了しておらず、苦しい読書になってしまっているが、ブラジル文学の雰囲気を味わうにはいい作品なのかもしれない。
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