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南方熊楠を疑う

 ぼくの住む和歌山では南方熊楠は絶対の存在です。しばしば「知の巨人」などと称され、また100年以上前の人物であるにもかかわらず、その知や行動は伝説的に語られています。

 少なくとも和歌山では熊楠を批判的に取り上げる論説はまず見かけません。酒癖の悪さなど、人物像の一部として語られる欠点はあっても、一呼吸しながら彼の思想や行動そのものを考える機会は少ないように感じます。ただ、熊楠を無批判に語るだけでは、なにかを見落としてしまうのではないかとぼくは思ってしまいます。

キーワード① 畸人としてのエピソード

 熊楠について語られるときにとかく目立つのは畸人としてのエピソードで、英国人に頭突きして大英博物館をくびになったとか、標本をキャラメル箱に入れて天皇に見せたといった話はよく知られています(ひどいのでは「胃が四つあった」というものまであります)。こうした逸話をついつい読んでは親近感を覚えてしまう自分がいるわけですが、近年では、この手の奇人性は、たとえばADHDといった言葉にやわらかく置き換えられることが増えています。

 そしてぼくが思うこととして、現代の多様性の観点からすれば、この手のエピソードは、正直いってどうでもいい部類の話だということです。

キーワード② 博物学

 南方熊楠は、とにかく博識の人です。ただ、ここでいう博識とは、現代の高等教育で学ぶ専門分野とは少し異なります。仮に高校生の子供がいて、「熊楠のように、博物学を学ぶべく大学に行きたい」などと言った日には、たいていの親は「こんなの金持ちの道楽だ」などと言って全力で止めるでしょう。この親の言動は、熊楠の学問の本質を意外と突いているのではないでしょうか。

(ロイヤル・コペンハーゲンの「フローラ・ダニカ(デンマークの花)」というシリーズは、19世紀の博物学を強くイメージさせる。)

 最近の大学界隈のトレンドは、社会に実装しやすい知識や、技能・資格取得へと強く傾いています。文理融合という言葉もうたわれていますが、これは博物学を意識したものでは断じてなく、大学側が文系の学問を理系に寄せることで国からの補助金を少しでも多くせしめ取ろうとする算段に過ぎません。熊楠のようにさまざまな分野を横断して思考する姿は、現代の高等教育では「コスパが合わない」と切ってしまう対象となっています。

 そういえば熊楠が住んだ和歌山県田辺市では現在新しい公立大学を作る動きがありますが、こちらは別の機会にお話ししたいと思います。

キーワード③ 『Nature』

 熊楠は自然科学系の専門誌『Nature』に多数投稿しており、田辺市の南方熊楠顕彰館によれば、掲載論文は51本あったと紹介されています。

 Wikipediaによると、『Nature』は1869年創刊とありますので、明治初年にはすでに世に出ていたことになります。そして20世紀初頭の『Nature』に日本人の論文が多数掲載されていたということです。ぼくがネトウヨならここは日本人として誇るべきところなのでしょうが、注意すべきは、当時の『Nature』の位置づけで、今どきの感覚では、『Nature』は「厳しい査読を通過した論文誌」としてのイメージが強いわけですが、当時は決してそういうわけでもなく、アジア人が英語の論壇に入っていったというふうに見るほうが妥当なイメージがあります。

キーワード④ 自然保護

(紀伊半島は山脈とちがい「紀伊山地」なので、とにかく重厚な山なみが連なっている。珍しい粘菌はもちろん、今でもニホンオオカミがいるかもしれないと思わせてしまう。まさにゲニウス・ロキ。)

 また、熊楠は自然保護の先駆者として語られています。神社合祀反対運動などはその代表的な事例ですが、そこにあったのは純粋な自然愛だけではなく、自身の研究フィールドを、馬鹿げた政治や阿呆くさい開発によって奪われることへのマグニチュード8級の怒りが存在していたことも事実です。とにかく神社合祀に対するひとつひとつの反論がとにかく粘菌のようにねちっこく、そして手ごわい

結論

 以上いくつかの観点から考えてみたわけですが、熊楠をただ「すごい人」として語るだけではどこかの民主主義人民共和国の首領さまのように単なる神格化となってしまい、彼の本来持つ持つ広さや複雑さが見えにくくなります。タイトルでは「疑う」と書きましたが、熊楠の生きた時代や神格化された部分を少し別の角度からとらえ直すという作業を加えることで、南方熊楠という人物がより鮮明に捉えられるきっかけになるのではと思っています。

 ただ、このような視点でみても、ぼくからすれば、熊楠はやはり規格外の人間であったという結論に至るわけです。近所に住んでいるとちょっと大変な御仁かもしれませんが、それでもついついちょっとした話の種にしそうです。そしてぼくの本名はヒロシということもあって、つい博物学に興味を覚えてしまうというのもあるんでしょうが。


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