子供の「信じる」を 大人の事情が潰しているかもしれない話
どうも。みなさん こんにちは。
“ダイヤの原石” 前田じあん です。
昨日、一昨日のこと。いづれの日も 娘がお友達と遊ぶ約束をして帰ってきました。
月曜日は「今日○○が遊びに来る!」と意気揚々に、帰ってくるなり玄関先から大きな声で私へ報告するのだった。
けれど待てど暮らせどインターホンは鳴らず。お友達のお母さんからも連絡はなかった。私は娘がガッカリしているだろうな と思い
「きっと何かお家の用事があって来られなかったんだよ。」
と慰めの言葉をかけた。
ずっと欲しかった香水を手に入れた水曜日。
【まえだ家 ○○事情】
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結果、昨日は無事に連絡が取れて遊ぶことができた。娘もお友達もとても喜んでいた。そして木曜日も遊ぶ約束をして
「また明日学校でね!」
と手を振り合った。
【信じてよかった。】
◆月曜日に遊べなかった理由
娘のお友達には弟と妹がいる。昨日はお友達だけ預かって我が家で宿題をして遊んだ。そしてお母さんがお迎えに来た時に
「ホントは昨日も遊ぶって言ってたんですけど、約束してないからダメって言ったんですよ。」
と月曜に遊べなかった理由を教えてくれた。
『な な、なんだってぇー!!?』
心の声があたふたした次の瞬間には 脳内で今後の対策を立てた。
◆火曜日は遊べた理由
前日は約束していたにもかかわらず遊べなかった。再度遊ぶ約束を取り付けたとは言っても、また来ないかもしれない。そんな不安を抱えながらお友達を待ってみた。
しかし、娘の期待を裏切るように下校時刻から1時間以上待ってもピンポンは鳴らず。私は再び娘に慰めの言葉をかけようとした。この時の私は大人の自我状態。大人の事情を振りかざし「だからショウガナイよ。諦めよう。」と。
しかし娘はどうしてもお友達と遊びたいという子どもの自我状態で
「○○のお母さんにLINEして。」
切実な想いを私へ投げかけた。
〈 私の心の中 〉
・連絡ないってことは遊べない or 遊びたくない
・連絡とって面倒臭がられたら嫌だなぁ
・こういうのは大人の事情ってやつだから余計な事しない方がいい
・今から遊べたとしてもすぐバイバイになっちゃうよ
そんなことが脳裏を過ったけれど、聞いてみなきゃわからないこともある。もし面倒臭がられてしまったら それはそれ だ。意を決してLINEしてみることに。
暫く待っても返信はない。(←娘にとっての暫くなので数分程度)合間に通知音がなるけれど、どれもお友達のお母さんからの返信じゃあなかった。
「明日○○にあったら許さない。」
しょげた顔をしてトイレへ向かった。まぁ予想は出来たよね、とひとり納得していると
「 ♫ ♩ ♪ 」
LINEの着信音が鳴った。急いで確認するとお友達のお母さんからだった。
「次男の習い事が終わったところで、今見ました💦今からでもいいですか?」
とのこと。そう云うことなら とその日の夜ご飯は時間を遅らせることにして、お友達との時間を楽しんだのだった。
遊べるとわかった時に娘がぽろっとこぼした言葉。
「信じてよかった。」
その時、私は自分が侵していたかもしれない大きな罪に気づいた。もしも大人の事情で慰めていたら 娘が「信じる」ことの大切さを学ぶ機会を潰していたかもしれない、という罪に。
◆それって本当に子どものため?
幼稚園での教訓を生かしてお友達との交流を楽しむ娘。そしてそれを全力サポートする私と旦那。けれど昨日の結果を踏まえて私は考える。
親からのサポートは、果たして
本当に子供たちの為に機能しているのだろうか?
子どもは子ども同士で遊んだり喧嘩したり仲直りを経験することで、子ども社会のルールを築いてゆく。そこでの失敗や成功が大人になってゆく時のコンフォートゾーンを広げる為の糧になる。子ども社会の主役は子どもであって、大人はサポート役に過ぎない。そこで子どもの成長を阻害するのが 大人の事情。
子どもを心配するあまり過保護になる
周囲の目ばかり気にして過干渉になる
つい自分の経験から物事を解釈してしまう
確認する前に諦めを促してしまう
大人のルールを押し付けてしまう
もしかしたら子どもたちは、思っている以上に多くの成功体験の機会を奪われているのかもしれない。そんなことを「信じてよかった。」という言葉から学んだ日だった。
【この時代を“ありのまま”に生きていくには】
42歳の私が子どもだった30年以上前と今とでは、何一つ同じものはない。常に揺れては移り行く時代の中で、“ありのまま”で生きる為の選択とは? 私の肌感覚では、それを家庭ごとに行うには限界があり過ぎると思っている。だからこそ
自分を大切にするための授業を教育現場に!
先月、全米でスクールサイコロジスト※として活動されている方のお話を伺う機会に恵まれた。その方から見る日本の教育現場は「?」だらけだったそうだ。1クラスの人数・授業形態・教員の教える姿勢や勤務時間。もちろん全てが間違っているという訳ではない。ただ「もっとこうしたら楽になるのに。良くなるのに。」といった思考はどうしても湧いてきてしまうらしい。
※スクールサイコロジスト
学校専門の臨床心理士のような立ち位置
(正確に表現する和訳はないそうです)
子どもたちの成長の機会を
潰してしまわないように
教職員の方々が
もっと伸び伸びと
学びの場を提供していけるように
今一度 社会全体で考えて
取り組んでいく必要があるのかもしれない
