マナミ
マナミは、今の私にとって大切な人間の1人である。
けれども、ただの友人でもなければ、恋人というわけでもない。
男女の仲ではないけれども、親友というのもちょっと違う。
こういう距離感の相手はどんなカテゴリーに入るのか、私にも分からない。
◆ マナミとの出逢い
マナミと知り合ったのは、昨年(2024年)の10月のことだった。
行きつけのスナックを経営しているアカリママから「相談がある」と呼び出されて、店に足を運んだ。
姉御肌のアカリママには日頃から世話になっているので、呼び出されたら無視はできない。
店に入ると、カウンターに見慣れない母娘が座っていた。
母親のほうがマナミで、娘のほうがルリナだと紹介された。
マナミは緊張した面持ちで私に会釈してきたので、私も軽く会釈を返した。
まるで西洋絵画から出てきたみたいに目鼻立ちがはっきりとした端正な顔立ちではあるけれど、生活に疲れきったようにやつれていて、とにかく暗くて愛想が悪い。
それがマナミに対する私の第一印象だった。
娘のルリナは、さらに愛想が悪かった。
というか、無表情で何を考えているのか分からない感じの子だった。
クリッとした大きな瞳で私をじっと見つめていた。
中学生だそうだが、華奢で丸顔のせいか、もっと幼く見えた。
◆ マナミの素性
マナミは、アカリママにとっては遠い親戚にあたるらしい。
いわゆる姪っ子ということになるのだろう。
マナミとルリナは都会で暮らしていたのだけど、生活に困窮して、アカリママを頼ってこの町にやって来たのだという。
アカリママが一連の経緯を長々と説明してくれたのだけれども、娘のルリナもいるせいか、ところどころ大人の話をオブラートに包んで話してきたため、全体の流れを理解するのに多少苦労した。
とにかく、その話を私なりに解釈すると、こんなような話になる。
マナミは、もともと都会育ち。
商業高校を卒業後に就職の道を選んだという。
そして、小さな販売会社で事務職の正社員として働いて、仕事も堅実にこなしていた。
ところが、職場の上司で妻子ある男性から再三にわたって猛烈に言い寄られていた。
最初は断っていたものの、ついその情熱に負けてその男性と禁断の恋に落ちてしまったという。
それまでマナミには色恋の経験もほとんど無くて、そういう類の免疫も無かったのかもしれない。
上司であるその男は「妻とは離婚するから」と逢瀬の度にマナミに言っていたそうだが、実際にはなかなか離婚する気配もないまま、徒に月日が経っていったという。
そして、あるときマナミが妊娠してしまうと、その男は手のひらを返したように冷たくなり、「誰の子だ? それは俺の子じゃない!」と言い出して、一方的に別れを宣言してきたそうだ。
マナミはその男が誤解しているだけだろうと思って、なんとか誤解を解いて仲直りしようと頑張っていたという。
けれども、その男は逆にマナミを攻撃対象にして、職場でも巧みに印象操作してマナミを追い詰めていった。
つまり、「マナミとの不倫関係は無かったのに、マナミが身籠った責任を一方的に上司である自分に押し付けて脅してきている」という構図を、その男がまことしやかに周囲に吹聴したのである。
結局、悪い噂が広まって職場にも居づらくなったマナミは、耐えきれずに仕事を辞めた。
それでも、マナミにはせっかく授かった命をおろすという決断ができず、出産に反対する両親や友人と断絶してまでルリナを産んだ。
しかし、マナミにとっての本当に苦しい生活は、それからだった。
孤立無援のなかで育児をしながらアルバイトやパートの仕事をしていたが、不景気やコロナ禍の影響も受けて仕事もなくなり、他の仕事を探してもなかなか見つからず、貯金を切り崩しての生活になった。
役所にも相談に行ってみたのだけど、「健康なあなたが働けばいい」と冷淡な態度をとられて、すごすごと帰ってきてしまった。
そして、いよいよ食費や光熱費さえも工面できなくなるほど生活が苦しくなっていった。
そこで、ついには夜逃げ同然で都会での生活を捨てて、遠縁のアカリママを頼ってこの辺鄙な町まで来たのだという。
「甚九郎さん、
マナミのチカラになってあげてくれないかねえ…」
アカリママが私にそう相談してきた。
「もちろんですよ!」
と、その場で私は即答したものの、内心では迷っていた。
「チカラになる」と言っても、私にできることは何だろう。
例えば、ルリナの実の父親でもあるその不倫男への復讐はできるだろう。
多額の慰謝料や養育費を請求することもできるはずだ。
いや、それだけでは生ぬるいだろうか。
だとしたら、マナミが受けた苦しみ以上の苦しみをその男に味わってもらうこともできる。
その男を社会的に潰すこともできるし、その男の家庭を粉々に壊してやることだってできるだろう。
さらには、場合によってはその男をこの世から跡形もなく消してやることだってできるだろう。
・・・と考えていくうちに、私は一旦冷静になった。
それは今、私がやるべきことではないはずだ。
◆ マナミの新生活
マナミとルリナがこの町で安心して住めるように手伝ってやること。
それが私の役割なのかもしれない。
そう思い立った。
まずは、マナミとルリナがこの町での住む場所をしっかり決めてやることが先決だと思った。
そこで、私がオーナーとなっているアパートの中からちょうどよい空室ができていたので、その部屋を優先的にマナミ達に貸すことにした。
町の商店街やアカリママの店からもわりと近い場所にある。
部屋は広いとはいえないが、まだ新築だし、安全面でも問題ないし、きっと暮らしやすいだろう。
さっそくマナミとルリナにその部屋を案内してやると気に入ってくれたので、すぐに入居の手続きをしてやった。
当分の間は家賃についても実質的にタダ同然にして、マナミには負担をかけないことにした。
ついでに、すぐに必要な家具や家電も「新生活祝い」ということで私が揃えてやった。
ほぼ夜逃げ同然の状況だったため、転居に関する諸々の手続きやルリナの転校の手続きも、私が手伝ってやった。
さらに、マナミには新しい仕事も紹介してやった。
とりあえずは、私の知人が経営する倉庫での事務のパート。
高給ではないけど、きつくはないし悪くない仕事だと思う。
そして、夜はたまにアカリママのスナックも手伝ってもらうことになった。
マナミはべつにコミュニケーション能力があるわけでもないし、女としての色気がそれほどあるわけでもないけど、それなりに美人であることからスナックでもたちまち人気者となった。
マナミ目当てに来店するジジイ客達もできた。
アカリママはマナミに対して、たまにきわどい冗談を言う。
「マナミちゃん、甚九郎さんのおかげなんだからね、
甚九郎さんにちゃんとカラダでお返ししなさいよ!」
私は慌てて横からフォローを入れる。
「ママ! 今の時代はね、そういうのは、セ・ク・ハ・ラ!」
そして、小さな店の中は笑いに包まれる。
元来、私は他人とは深く関わりたくない人間だ。
なのに、どうして私がそこまでマナミとルリナに対して親切にしてしまうのか、自分自身でもよく分からない。
たぶん、これもすべてアカリママへの御恩ということかもしれない。
そうだ、そういうことにしておこう。
知人。
友人。
恋人。
家族。
この世には様々な人間関係の形があるけれど、明確な呼び方では割り切れない関係がじつは多く存在しているのではないだろうか。
もしかすると、マナミやルリナも私にとってはそんな呼び方の決められない関係の1つで、曖昧だけどそれなりに大切にしたい関係 ということになるのかもしれない。
