【マンガワン騒動】失墜した小学館への「信頼」── “被害者配慮”という名の隠蔽で彼らは何を守ろうとしたのか
諸星「まず、香港から覚醒剤が20キロ密輸されます…シャブ20キロと…この密輸されたシャブをひとまず税関に── 見逃してもらいたいんです」
猿渡「見逃す?」
諸星「はい。そうすれば香港のマフィアは自分らのことを信用します。この1回目のシャブの密輸を見逃すことによって、次、チャカ200丁を密輸させますはい。このチャカの荷受けは自分の知ってる中国人にやらせます…中国人と…最終的にはこの中国人も、このチャカも全部パクります」
岸谷「ああ、泳がせ捜査ってやつだ」
諸星「はい、そうです」
──えっ?そうなると最初に密輸した覚醒剤は?
諸星「いや、ですから見逃すしかないんです。でもその代わりって言っちゃ何ですが、チャカ200丁が一気に摘発できるんすよ?いや、もしそれが成功したら、道警にとっても、税関にとっても…全国の新記録ですよ?」
岸谷「僕ら、日本一になっちゃうわけね?」
諸星「はい」
桜庭「はい」
諸星「あ、はいどうぞ」
桜庭「その見逃したシャブはどこに流れるんだ?」
諸星「ああ、実は元々この計画は関東のヤクザが立てたものです。ですから、そのヤクザに流します」
猿渡「うーむ。関東に出回る分には…いいか」
岸谷「ですかね?」
諸星「はい」
──いやいや待って下さい!!覚醒剤20キロってことは、グラム3万円で計算しても末端価格…6億ですよ?
猿渡「6億ねえ」
──いくら何でも無茶です!
諸星「だから、その代わりにチャカ200丁一気に抑えられるんすよ?次長!…チャカとシャブ、どっちが大事なんすか?」
──いや、そんなこと言われても…
いまだにその余波や影響がおさまる気配を見せない「小学館マンガワン騒動」。
⸻過去に未成年に対して性加害を行った漫画に原作者が、その罪が原因で活動を停止し、その後しばらくしてとある漫画編集部の計らいにより名を変え、実情を伏せ、逮捕されてからも漫画作品の原作者として活動してきたこと、そしてそれをこれまで隠蔽してきたことが世間に知れ渡ることとなり、数日後には、出版業界が引き起こした出来事として、過去に類を見ないほどの悲惨な炎上案件と成り果ててしまった。
これにより、マンガワンに掲載していた作家さんの中には、この件に対して強い憤りと反発から同媒体での「配信停止」を表名する漫画家が多勢出てくる緊急事態となった。
そんな中、2月28日、小学館は公式サイトにて
「マンガワンにおける原作者起用について」
さらに3月2日、マンガワンアプリにて
【マンガワンにおける新たな原作者起用問題と第三者委員会設置について】
【『星霜の心理士』原作者起用に関するご説明】
と、それぞれ今回の件に関する詳細な経緯やその背景、今後の方針やそれに付随する情報を明らかにした。
小学館サイドの今後の動向やそれに対する世間の反応次第では、状況は新たなフェーズに入っていくのかもしれないと予想する見方も多少は存在するのだろう。
だが、1週間足らずでここまでえげつないニュースとして広まってしまった以上、多くの消費者は極悪非道な事件として認知し、その大半は後追いすることなく次の話題へ興味を向けていくため、小学館側の“悪評・悪名を注ぐための必至の弁明”も、少なくとも短期的なスパンでみれば、おそらく「焼石に水」もしくは「後の祭り」に終わるだろう。
そして、今回の件についてある程度実態が明らかになってくると、あらためて一つの「当たり前過ぎる疑問」が強く浮かび上がってくる。
──そもそもなぜ、“隠していた”のか。
小学館が最悪の事態に陥るかどうかの瀬戸際、まさに首の皮一枚、崖っぷち一歩手前の段階でようやく出した一連の声明は、丁寧に言葉を重ねているようでいて、どこか決定的な核心を避けている。
「人権意識の欠如」「確認体制の不備」「被害者への配慮が足りなかった」
確かにそれらはすべて事実だろう。だが、それは“結果”の説明であって、“動機”の説明ではない。
今回の問題は、偶然起きたのではない。
明確な意思決定の積み重ねによって起きている。
象徴的なのが、ペンネーム変更の扱いだ。
編集部はこれを「被害者への配慮」と説明している。
しかし、本当にそうだったのだろうか。
仮に被害者への配慮を最優先にするのであれば、そもそも起用そのものを慎重に検討する必要があったはずだ。あるいは、より透明性の高い形で説明責任を果たす道もあった。
だが実際に選ばれたのは、「名前を変えて継続する」という手段だった。
これは配慮というより、
むしろ“存在しないことにする編集”に近い。
見えなくすれば、問題は存在しないことになる。少なくとも、表面上は。
この発想は、強いて言うならば
“短期的には正解に見える判断”だ。
つまり、配慮とは名ばかりの
“都合のいい倫理”にしか見えない。
きっと炎上は起きない。
これからも作品は続く。
誰も傷つけない。
きっとうまくいく。
──ように思えたのだろう。
おめでたいことに。
実際。“責任を負う側の人間”
にとってはそうだったのかもしれない。
だが、この「誰も損をしない構造」は、
極めて脆い。
一度でも前提が崩れれば、
その反動はすべてを巻き込む。
今回がまさにそうだった。
しかも厄介なのは、
この判断が決して異常なものではない
という点だ。
むしろ、業界の論理としては、
“理解できてしまう”。
連載は止めたくない。
作品は守りたい。
育ててきたものを無にしたくない。
そのために、
できる限り波風を立てずに継続する方法を探る。
その帰結が、「名前を変える」という選択だったのだとすれば、それは極めて“現場的”な判断だ。
だが問題は、
その合理性がどこに向いていたかだ。
守ろうとしていたのは、誰だったのか。
被害者か。読者か。それとも、作品か。
声明を読む限り、編集部は「被害者への配慮」を繰り返し強調している。
だが結果として起きたのは、その真逆だった。
過去の事件が、より大きな形で掘り起こされる。
関係のなかった読者や作家までもが巻き込まれる。
そして何より、被害者にとっても、再び注目を浴びる状況が生まれてしまった。
つまり、小学館側が意図した「配慮」は機能しない状況になった。
だから、彼らのやろうとしたそれはむしろ
“配慮という言葉で正当化された判断”
だったのではないか。
もし今回の件を決定的にした原因が、
仮に外部要因があったとしても、本質は変わらない。いずれの場合にせよ、
“説明責任を果たした”というよりも、
暴露される前に
“ダメージコントロールとしての自白をした”
という表現の方が適切だろう。
そしてその可能性があるとされている根拠として、今回のタイミングが、すべてを物語っているとは言えないだろうか
もし仮に、小学館側が、透明性を重視していたのなら、もっと早い段階で説明は可能だったはずだ。
だが実際には、問題が外に出る直前まで伏せられていた。
ここに、この一連の判断の本質がある。
それは配慮ではない。単なる隠蔽だ。
そして事実が明らかになった結果、
何が起きたか。
『マンガワン』に作品を掲載していた作家たちが、次々と離脱した。
これは単なる炎上への反応ではない。
「ここは信用ならない」
という明確な意思表示だ。
そして皮肉なことに、守ろうとしていたはずのものの多くが失われた。
作品は止まり、関係者は傷つき、プラットフォームの信用は崩壊した。
では結局、彼らは何を守ろうとしていたのか。
答えは、おそらくシンプルだ。
「問題が存在しない状態」そのものだ。
だが現実には、問題は消えない。
見えなくしていただけのものは、いずれ必ず表に出る。
そしてそのとき、最初に払うべきだったコストは、何倍にも膨れ上がる。
今回の騒動は、その典型例だ。
もっと小さく処理できたかもしれない問題を、都合よく隠蔽し続けたことで、かえって問題を大きく爆発させてしまった。
だからこそ、この一件は単なる不祥事では終わらない。
これは「隠すことの合理性」が、どこで破綻するのかを示した事例だ。
“被害者配慮”という言葉は、確かに正しい。
だがそれを、“都合のいい言い訳”として使われたのだと世間が看做した瞬間、その意味は反転する。
これは決して、ただの他人事ではない。
今回、小学館が本当に守ろうとしたものはいったい何だったのか。
そして、それを守れたのか、それとも守れなかったのか。
もし守られなかったのであれば、その最大の要因は何だったのか。
その問いに答えられない限り、同じことは、きっとまた繰り返される。
小学館の今後の対応にも、注視していきたい。
“違和感 × 批評 × 共感”を軸に、
同じようなテーマを他にも書いています。
気になるものがあれば、ぜひ。
