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昔ながらの「常識」という落とし穴。


1. 「平地に楮(こうぞ)は育たんぞ。」

耕作放棄地をお借りし、草を刈り、ご近所の方に耕耘機を動かしてもらい、いよいよ始まった楮栽培。土に触れながら作業を進めていると、ある日、ふらりとご近所の兄さんが畑を見に来られて、こう言いました。

「昔、うちでも和紙をやっとったけど、楮は平地には育たんよ。斜面がいい。」

確かに、楮の生態的にも「水はけの良い土地を好むため、山の斜面などが適している」とあります。じいちゃんの言うことは、歴史に裏付けされた紛れもない「村の常識」でした。

でも、私は各地の産地を視察し、ある先輩の畑を観察する中で、「本当に平地はよくないのだろうか?」と感じていたのです。



2. なぜ「村の常識」は生まれたのか?

高知視察の際に見かけた昔ながらの楮畑。収穫した楮を下ろす滑車もある。

なぜ、「平地では育たない」と言ったのか。
その歴史的な背景を紐解いていくと、ある仮説に至りました。

それは、「平地では育たない」のではなく、「平地で楮を育てるという発想自体が、昔はあり得なかった」ということです。

戦前やそれ以前の中山間地域において、傾斜の緩やかな「平地」は、米や野菜を作り、人間が生きるための食物を確保する上で、何よりも貴重で大切な場所でした。そのため、当時は貴重な平地を和紙の原料に使うわけにはいかず、田畑の「畦(あぜ)」や、農地には向かない「険しい斜面」のデッドスペースを利用して楮を植えていたのです。

水はけの良い厳しい斜面で育てていた経験から見れば、当時の感覚として「平地では育たない」という常識が生まれたのも、深く頷けます。


3. 耕作放棄地という、近代の「余白」。

大型草刈機に翻弄される。

しかし、現代の私たちが直面しているのは、過疎高齢化によって主を失い、荒れ果てていく「耕作放棄地」という、近代特有の問題です。昔は「喉から手が出るほど欲しかった貴重な畑」が、今は「余って困っているお荷物」になってしまっている。

つまり、昔の人が直面していた「土地の奪い合い」の時代と、現代の「土地の余り」の時代とでは、前提条件が180度違うのです。

それなら、余って困っている平地の耕作放棄地を活用して、楮の畑を作る。それは昔の人にはできなかった、現代だからこそできるアプローチなのではないかと考えました。


4. 農家に学ぶ、楮畑。

長尾さんの楮畑(8月頃)

それを証明してくれているのが、私の大先輩である長尾さんです。 長尾さんはこの地で20年以上トマトを育て続けている有機農家であり、ベテランのプロフェッショナルです。

長尾さんの畑も「平地」にありますが、長年の農業知識によって、毎年3〜4メートルにも達する見事な楮を育て、収穫されています。(とはいっても河合自体が平地の少ない中山間地で大きく見れば傾斜地です。)

ここに、もう一つの大切な気づきがありました。 過去の職人たちは、紙を漉く卓越した技術を身につけた存在ではありましたが、必ずしも「農業知識」が豊富だったわけではありません。彼らはあくまで、限られた環境と時代の制約の中で、ベストを尽くしていたのです。


5. 「昔ながら」を知る、本当の意味。

いつかの視点の図。

「昔ながら」を考えるとき、「昔の今」を考える必要があります。

当時の人々がなぜその選択をしたのか、その理由を深く知ることは、現代の私たちが学ぶべき大いなる理(ことわり)であり、最大の敬意です。

しかし、「昔ながら」という言葉を盲信し、絶対の正義(信仰)にしてしまうと、現代の技術や、時代の変化によって生まれた新しい可能性が見えなくなってしまいます。

昔の知恵を否定したいわけではありません。

ただ、現代において平地の畑が余っているのであれば、そこを活用して楮を育てることは、地域にとっても和紙にとっても良いことだと思うのです。単純に、険しい傾斜地での危険な収穫作業や、手間の負担を劇的に減らすこともできます。

昔ながらから学んだことが、現代で活かされるとき。
それは、過去の形を「そのままなぞって続けること」とは限りません。

過去の知恵(学び)を絶対におろそかにせず、リスペクトした上で、現代の課題に合わせて実装して検証を繰り返すこと。それこそが、先人たちの知恵に対する本当の敬意だと私は思っています。


──そして何より。

あの日、畑を見に来てくれた近所の兄さんは、第一声にこう言ってくれたのです。

「耕作放棄地を使ってくれて、ありがてぇなぁ。」

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