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【日めくり短編 115】 河童山、辻を回る

この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

一 午前四時二十分

 ゴゴゴゴゴゴ……。

 僕の脳内には、常に効果音が鳴っている。

 中学二年の夏、三軒隣の毒島鉄雄先生の家に上がり込み、六畳間を埋める本の壁から黄ばんだ貸本劇画を引き抜いてもらった日以来、僕の世界にはずっと集中線が走っている。廊下を歩けばザッザッザッ、扉を開ければギィィ、水を飲めばゴキュリ。

 毒島先生は昔、劇画を描いていた人だ。そして昭和四十一年に、この町の御神体を写生している。三時間かけて描いたのだと、先生は将棋を指しながら二回、僕に自慢した。その話を鵜飼詩織にしたとき、彼女は「ふうん」としか言わなかった。

 七月二十四日、午前四時二十分。烏丸通の空はまだ藍色で、東の端だけが薄く白んでいた。アスファルトは昨日の熱を吐き続けている。僕は白い法被の袖を通し、右手に紙袋を提げて西河原町へ向かっていた。

 五時集合、曳き手。町内の男衆だけでは頭数が足りず、去年から近所の高校生も駆り出されている。去年は年齢が足りず、綱を持てなかった。今年は持てる。それだけのことで、僕は昨夜ほとんど眠っていない。

 紙袋の中身は、八ページの原稿である。宵山の三日間で描き上げた。渡す相手は決まっていた。

 鵜飼詩織は、たぶん、この町で唯一の僕の読者だ。去年の宵山、居祭の前で三時間河童を写生していた僕が、帰り際にスケッチブックを落とし、それを拾ったのが彼女だった。以来、漫研の薄い部誌を毎回買う町内の人間は、彼女ひとりである。感想はいつも短い。「暗い」「河童の目がこわい」「前より上手い」。三つ目を言われた日、僕は帰り道で自転車を三回蛇行させた。

 スマートフォンが鳴った。その詩織だった。

「佐々木」

 声が低かった。

「皿が、無い」

 僕の足が止まった。脳内に、太い縦書きの効果音が浮かんだ。

 ――ドッ、と。

二 午前四時五十分

 河童山かっぱやまの話を、五時までに済ませておかなければならない。

 祇園祭の山鉾のうち、災害などを機に巡行へ加わらなくなった山を「休み山」と呼ぶ。休むだけで、消えたわけではない。町内は宵山にご神体を飾る「居祭(いまつり)」で祭に参加し続け、百年、二百年と機を待つ。近年、そういう山が一基また一基と目を覚ましている。

 河童山は元治元年の大火で焼けた。以来百六十二年、西河原町は蔵の御神体と、囃子だけを守ってきた。復興も、まず囃子から始まった。鉦と太鼓の音を先に取り戻し、それから何年もかけて木を組む。河童山の囃子方が復活したのは十年前、白木の曳山が組み上がったのは、今年である。

 今年の後祭は、十二基になる。七月二日のくじ取り式で、河童山が引いた札は八番だった。

 御神体は、河童だ。膝を抱えて座る高さ六十センチの木彫で、背に甲羅、口は嘴のように尖り、頭頂の浅い窪みに青磁の皿が上向きに据えられている。皿はほんのわずか傾いている。昔からそうだと、町内の誰もが思っている。雨が降れば水が溜まり、溜まった水は、いつのまにか無くなっている。

 もうひとつ、今年から変わったことがある。

 復興規約に、囃子方の性別を問わないという一条が入った。祇園祭で女が山鉾に乗ることは、まだどこでも当たり前ではない。西河原町では春まで揉めた。会長――詩織の祖父は最後まで難色を示し、押し切ったのは若頭の宇治田さんだった。

 だから今日、河童山の囃子方の座には、十七歳の女子高生がひとり乗る。

 その皿が、無い。

 僕が蔵の前に着いたとき、東の空はもう白く、向かいの町家の瓦の輪郭が見えはじめていた。詩織は白い襦袢の上に法被を羽織って立っていた。右手に鉦の撞木を握ったまま、指の関節が白くなっていた。

「三時に飾りの点検をした。あった」彼女は言った。

「四時十分にもう一度見たら、無い」

「保存会は」

「まだ言ってない」詩織は蔵の戸を睨んだ。

「言ったら止まる。復興一年目に御神体の一部を紛失しました、って」

 言葉が途切れた。彼女が本当に恐れているものは、それだけではない。

「――しかも、無くなった日に乗ってたのは女や、って話になる」

「巡行は九時半、烏丸御池出発」

「うちの山は八時に町を出る」

 三時間だ。劇画なら、扉ページに大きく「タイムリミット三時間」と入れて、下に稲妻を三本走らせる場面である。実際に走ったのは、僕の背中の汗だけだった。

「なんで僕に電話したの」

「あんた以外に、この件で頭が回りそうな人がおらん」詩織は言った。

「町内の人は、みんな今日の当事者やから」

「僕も曳き手だけど」

「あんたは十七歳の素人や。誰も期待してへん」

「……励ましてる?」

「急かしてる」

三 午前五時十分

 蔵の前に、会長がひとりで座っていた。

 鵜飼幸三、八十三歳。詩織の祖父で、河童山保存会の会長。元は材木商で、木を見る目にだけは町内の誰も逆らわない。無口というより、必要な語数が人より三割ほど少ない人である。

 折り畳みの丸椅子に腰かけて、組み上がった白木の曳山を見上げていた。

「おはようございます」

 会長は僕を見た。

「去年、居祭の前で三時間座っとったやつやな」

「はい」

「なんぼ見ても、あれは河童やろ」

「……はい」

「そうやな」

 会話が終わった。僕は立ち去るきっかけを失って、隣に立ったまま同じ山を見上げた。

 白木は朝の光を吸って、乳色に見えた。漆はまだ一滴もかかっていない。金具も半分は仮のものだ。この山が本当の姿になるには、これから二十年か三十年かかる。

「漆をかけるとこまでは、わしは見られん」会長が言った。

「せやから今年出す。それだけや」

 僕は返事をしなかった。

 三メートル離れたところに詩織が立っていた。囃子方の装束で、撞木を握って、祖父のほうを見ていなかった。会長も孫娘を見なかった。春に規約が変わってから、この人は詩織に囃子のことを一度も尋ねていない、と町内の誰かが言っていた。

 僕は今、その距離を見ていた。三メートルは、劇画なら二コマ分ある。

四 午前五時三十分

 容疑者から始めるのが、劇画の手順である。

 一人目は宇治田さんだった。三十代半ば、眉が濃く、頬に古い傷があり、笑うと余計に怖い。復興の実務を一手に引き受けた人で、町内では「あの人がいなければ山は建たなかった」と言われ、同時に「あの人は急ぎすぎる」とも言われている。

 昨日の夕方、僕はその宇治田さんが風呂敷包みを抱えて高倉通を北へ足早に歩いていくのを見ていた。

 その宇治田さんが、蔵の角から出てきた。風呂敷包みを抱えていた。僕は反射的に詩織の前に出た。そこは譲れない。

「なんや、佐々木の坊か」

 宇治田さんは包みを開いた。青磁の皿が入っていた。同じ形、同じ色、ただし新しい。

「予備や」

「予備」

「巡行中に落ちて割れたらどうすんねん。明治の実測図が会所に残っとる。あの寸法で、春から稲荷の窯元に頼んどった。昨日引き取ってきた」

「会長は」

 宇治田さんの顔が、少し動いた。

「言うてへん」

 僕は黙った。この人は御神体の複製を町内の合意なしに焼かせた。それは今日の紛失とは別に、この人の中に残る種類の話だ。

「言うといたるけどな、坊。予備は代わりにならん。御神体に載せるのは本物だけや。それが決まりや」宇治田さんは頬の傷を撫でた。

「わしは復興を止めんために作った。会長は元のかたちに戻すために止める。どっちも正しい。それだけの話や」

 僕は頭の中の容疑者一覧に線を引いた。

 三時の点検を実際に行ったのは宇治田さん本人だと、詩織はさっき言っていた。自分で外して隠した人間が、わざわざ「皿はあった」と報告し、そのうえで八時に外して撮影すると町内に触れ回るはずがない。

「宇治田さん」詩織が言った。

「本物、無いです」

 宇治田さんは五秒黙り、腕時計を見た。

「八時までや。八時に皿を外して、復興記念の記録写真を撮る。それまでに戻せ」

「戻らなかったら」

「会長に言う。巡行は止まる」宇治田さんは蔵の戸に手をかけた。

「わしは止めたくないから、八時まで黙る。それだけや」

 町内に知らせなかった。それが答えだった。

五 午前六時十分

 二人目は、鵜飼湊、九歳。詩織の弟である。町家の二階から通行人にラムネの蓋を落とすことを趣味とする少年だ。

 僕が湊を挙げた理由は、いたずら好きだからではない。

「先月、湊くんに劇画を貸した。毒島先生の『河童無明かっぱむみょう』上下巻、昭和四十一年の貸本」

「あんた、小学生に貸本劇画貸してんの」

「読みたいって言うから。四回読んだって言ってた」

 僕はその感想も覚えていた。湊は、下巻の百四十ページの話しかしなかった。

「下巻の百四十ページで、河童が皿を隠す。追手から守るために、自分の頭から外して、新聞紙で三重に包んで、輪ゴムで縛って、灯油の缶の裏に置く」

 詩織の顔から表情が抜けた。それから、彼女は自分の家のほうを振り返った。

「あの子、昨日から興奮して寝てへんかった」

「蔵は」

「飾り付けと点検で、夜通し人が出入りしてた。戸は開いたままや」詩織の声が硬くなった。「四時前、みんな会所で朝飯食べてた。誰もおらん時間が、たぶん十分ある」

 物置の中は、朝日が斜めに差し込んでいた。灯油缶の裏に、新聞紙で三重に包まれ、輪ゴムで縛られた皿があった。

 僕は自分の推理が当たったことを、少しも誇れなかった。九歳が真似をしたのは、僕が貸した劇画だ。

 詩織が包みを開いた。青磁の皿は、割れていなかった。

「無事や」

「裏」僕は言った。「裏を見せて」

 彼女が皿を返した。

 高台――皿の裏を支える、細い輪状の足である。その縁が、爪の先ほど、欠けていた。

 欠けた面は白く乾いて、指で触ると角が丸かった。今朝欠けたものではない。何年も前に欠けて、そのまま埃をかぶってきた面だ。

 僕は去年、この皿を三時間写生した。それでも見ていなかった。上向きに据えられた皿の高台は、窪みの中に沈んでいる。外して裏返さない限り、誰の目にも入らない。

 背後で足音がした。湊が、パジャマのまま立っていた。目が赤く、髪が完全に爆発していた。

「ぼくは」

 九歳が言った。

「ぼくは、共犯です」

 台詞まで劇画から借りていた。僕はこの子に何を貸してしまったのかと思った。

 そして湊は泣いた。ワァァァ、と、たいへん素直な擬音で泣いた。

「ごめんなさい、ごめんなさい」

 僕は膝をついた。

「湊くん。なんで、今朝隠したの」

「宇治田さんが、八時に皿を外して写真撮る、って……」

 昨日の夕方、町会所でそう聞いたのだという。九歳は九歳の論理で動いた。外せば裏が見える。裏が見えれば、終わる。

「なんで、終わるって思ったの」

 湊は、姉を指した。

「五年前、ぼくもおったから」

六 午前六時四十分

 詩織は皿を膝に置いたまま、物置の土間を見ていた。朝日はもう土間の半分まで伸びていた。

「小六の夏。暇で、蔵に入った。湊は四歳で、勝手に付いてきた」

 彼女は言った。

「御神体の箱を開けて、皿を外して、被った」

「被った」

「河童の真似がしたかった」

 僕は何も言わなかった。ここで笑うのは劇画の掟に反する。頬に影を入れるべき場面だ。

「落とした。土間で、ころん、って、まっすぐ足のほうから落ちた。裏を見たら欠けてた。怖くて、そのまま載せ直した。上向きに戻したら、どこも変わらんように見えた」

 載せ直した皿は、欠けた側だけがわずかに窪みへ沈んだのだろう。だが河童の皿は、もともと傾いているものだと町内の誰もが思っている。五年、誰もその傾きを疑わず、誰も皿を外さなかった。

「湊は覚えてた。わたしは、忘れたふりをしてた」詩織は撞木を握り直した。「今年、規約が変わって、わたしが乗ることになった。おじいさんは反対してた。宇治田さんが押し切った。――そのわたしが、御神体を欠いた人間やって、今日、写真で分かる」

 彼女がここまで走ってきた理由が、ようやく全部見えた。守ろうとしていたのは自分の名前だけではない。押し切った人と、規約と、次に乗るかもしれない誰かだ。

「八時までに、無いって言う」詩織は立ち上がった。

「わたしが割ったって言う。巡行は止まる。それでええ」

「待って」

 僕は皿を受け取った。高台の欠けを、上から、横から、裏から見た。

 文政の年号。職人の銘。その隣に、細い刻線が三本。

 どこかで見た。

「詩織。僕、『河童無明』を六回読んでる」

「知ってる。自慢してた」

「上巻の見開き、右上、二段目のコマ」僕は言った。

「河童が皿を両手で持ち上げてる。高台が、こっちを向いてる」

 詩織が顔を上げた。

「あの高台、欠けてた」

「……は?」

「僕はずっと、印刷のかすれやと思ってた」

 僕は立ち上がった。

「刷りのかすれか、描いた線か。それは、描いた人に聞くしかない」

七 午前七時十分

 毒島鉄雄、八十五歳。西河原町の三軒隣、シャッターの下りた元・表具屋の二階に住んでいる。かつて貸本と劇画雑誌の世界で二十年描き、四十のときにペンを置き、以来四十五年、毎朝五時に町内を掃き、夕方に将棋を指し、夜は文句を言っている。

「朝からうるさい。開いとる」

 六畳間は本の壁だった。冷房はなく、扇風機が首を振り、それでも先生は長袖である。

「『河童無明』上巻の、皿を持ち上げてるコマ。あの高台の欠けは、刷りのかすれですか」

 先生の眉が上がった。

「……かすれ」

「はい」

「六回読んだと自慢しとったやつが、わしの線をかすれ扱いか」

「すみません」

「阿呆め。わしがあの太さで描いて、かすれる紙があるか」

 先生は畳を這って、本の壁の下から二段目を引き抜いた。日焼けして背表紙が割れて、それでも表紙の河童は睨んでいた。目に光がなく、頬に縦の影が刻まれている。僕が三日かけて描こうとして描けなかった河童だ。

 ページが繰られた。

 見開きの右上、二段目。河童が両手で皿を持ち上げている。高台が読者の側を向いている。

 その縁が、欠けていた。

 僕は指で押さえた。詩織が肩に手を置いて覗き込んだ。彼女の息が止まるのが、肩から伝わった。

「昭和四十一年です」僕は言った。

「六十年前です」

「そう描いた」先生は当たり前のように言った。

「休み山じゃったから、蔵に入れてもらってな。当時の会長が皿を外して、裏まで見せてくれた。三時間写生した。わしは二十五でまだ何も分かっとらんかったが、資料が命ということだけは分かっとった。嘘の絵で人を泣かせられるか」

「先生」詩織の声が掠れた。

「なんで、欠けてるんですか」

「知らん」

「知らん、って」

「知らんが」先生は湯呑みを取った。

「河童の皿は欠けとるもんじゃ、と当時の会長が言うとった。足が欠けとるから、欠けた側だけが窪みに沈む。皿は傾く。満ちれば、こぼれる。こぼれるから、また祈る。――年寄りの理屈じゃ。信じんでもええ」

 詩織は皿を両手で持って、しばらく動かなかった。それから笑った。声を上げて、涙をこぼして、不細工に笑った。

「五年」

「五年」

「五年、無駄に怖かった」

「うん」

「あんた、笑うな」

「笑ってない」

 笑っていた。

「小僧」先生が言った。「その本、湊に貸したままやろ。上巻はどこにあるんじゃ」

「あの子の枕の下です」

「返させろ。四回読んだ子供に、五回目を読ませんのは罪じゃ」

八 午前七時四十分

 蔵の前に戻ると、会長はまだ丸椅子に座っていた。

 僕は皿を宇治田さんに渡すつもりだった。それで八時に間に合う。誰も何も知らずに、山は町を出る。

 詩織が僕の手から皿を取った。

 そして祖父の前に立った。

「おじいさん」

 会長が顔を上げた。

「この皿の高台、欠けてます。五年前、わたしが落としました」

 僕の脳内で、効果音が二つ三つ鳴りかけて、全部消えた。

「小六の夏に蔵に入って、被って、落として、黙ってました。今朝それを弟が隠したから、探すのに三時間かかりました」詩織は皿を差し出した。

「巡行前に言うべきやと思いました」

 会長は皿を受け取った。裏返して、高台の欠けを親指で撫でた。老眼鏡はかけなかった。指で分かるという顔だった。

 長い間があった。

「六十年前も欠けとった、と毒島が言うとります」僕は口を出した。

「昭和四十一年の劇画に描いてあります」

「そうか」

 会長はそれだけ言った。驚かなかった。

「……知ってたんですか」

「知らん」会長は言った。

「けど、六十年前に外したやつがおるんやったら、そいつも黙ってたんやろ。黙って載せて、六十年、誰も困らんかった」

 詩織の肩が下がった。

「おじいさん」彼女は言った。

「なんで、反対したんですか。わたしが乗るの」

 会長は白木の山を見上げた。

「乗るのが女やから、と町内では思われとる」

「ちがうんですか」

「ちがう」会長は言った。

「乗ったやつが何ぞ壊したときに、この町内が庇うかどうか、わしには分からんかった。庇わんかったら、その子が一生背負う。そんで、二度と誰も乗らん。規約に一条足すのは簡単やが、庇う人間は規約では作れん」

 会長は皿を膝に置いた。

「今朝、四人おったな」

 九歳の弟。八十五の劇画描き。八時まで黙ると言った若頭。それと、十七歳の素人。

「四人おったら、もうええ」会長は立ち上がった。膝が鳴った。

「規約は残す。皿は載せる。欠けたまま載せる」

「写真は」宇治田さんが蔵の中から出てきた。

「裏も撮れ」会長は言った。

「記録は記録や」

「はい」

「宇治田」

「はい」

「窯元の皿はどうした」

 宇治田さんが五秒黙った。

「……会所の金庫に」

「阿呆。金庫に入れる皿があるか」会長は歩き出した。「明治の実測図には欠けが載っとらんやろ。ほんなら、お前の予備のほうが偽物や」

 宇治田さんは頬の傷を撫でて、それから、初めて笑った顔で怖くなかった。

九 午前八時

 御神体の頭に、皿が載った。

 上向きに、いつものかたちで。わずかに傾いて。

 会長が両手で据え、宇治田さんが写真を撮った。裏の一枚も撮った。詩織は少し離れて、それを見ていた。会長は最後に、孫娘に向かって顎で座を指した。

 乗れ、ということだった。

 河童山が町を出た。白木の屋根が朝日を受けて、まだ木の匂いがした。詩織は囃子方の座に上がり、僕は綱の左側、前から七人目についた。

 湊が、パジャマの上に法被だけ着て、沿道から手を振っていた。あの子は今日、二階の窓からラムネの蓋を落とさないだろう。

 毒島先生は、掃除の途中の竹箒を持ったまま、路地の角から山を見ていた。目に光がなかった。あれはたぶん、あの人が本気で何かを見るときの顔だ。

十 午前九時三十分

 烏丸御池。

 橋弁慶山が先頭で出て、山鉾が一基ずつ御池通を東へ流れていく。寺町御池でくじ改め。八番、河童山。囃子と車輪の軋みと、曳き手の掛け声が朝の熱の中で混ざった。

 エンヤラヤー。

 綱は重かった。想像していた重さの二倍だった。三十メートル後ろで山が動いているという実感がまるでなく、ただ、肩と腰と足の裏が、順番に自分のものでなくなっていく。僕は劇画的なモノローグを鳴らそうとして、失敗した。頭の中にあったのは、汗が眉毛で止まるかどうかの計算だけである。

 前を歩く宇治田さんの踵を、僕は三回踏んだ。三回目に振り返られた。怖かった。

 先頭が河原町御池を回ったのが十時。八番のうちの山が辻に入ったのは、それから三十五分後だった。

 辻回し。

 車方が青竹を敷き、水を撒く。車輪が竹に乗る。音頭取りが扇子を上げる。

 ヨーイ、ヨーイ、エンヤラヤー。

 綱が引かれる。一度で回りきらない。二度目も途中で止まる。人垣から声が上がる。ギリギリギリ、と本当に音が鳴って、僕は初めて、脳内の効果音が現実に追い越されるのを聞いた。

 三度目で、山が向きを変えた。

 拍手が起きた。囃子が変わった。鉦の音が、たぶん一拍だけ強くなった。僕はそれを聞き分けられる人間ではないが、聞き分けられた気がした。

 河原町通を南へ。四条河原町でもう一度回って、四条通を西へ。四条烏丸に着いたのは、正午に近かった。

 巡行は、そこで解散になる。

十一 午後一時

 山鉾は新町通を通って町へ帰り、その日のうちに解体が始まる。建てるのに三日、崩すのに半日。祭というのは、消えることのほうが速い。

 僕は西河原町の路地で、詩織を待った。紙袋を提げていた。

「終わった」

 詩織が来た。襦袢の上に着替えたTシャツが汗で濡れて、髪はぐしゃぐしゃで、右手にまだ撞木を握っていた。

「終わった」僕は言った。

「僕の手、たぶん明日動かない」

「一日で音上げるな」詩織は撞木で自分の肩を叩いた。

「来年から、囃子方の座、ひとつ増えるって」

「ひとつ」

「おじいさんが宇治田さんに言うてた。二人目を探せ、って」彼女は言った。

「二人おったら、片方が休める」

 僕は紙袋を差し出した。

 詩織は路地の壁に背をつけて、立ったまま一ページずつ読んだ。二ページ目で笑い、五ページ目で黙り、最後のページで長く止まった。

 毎年おなじ日に、河童が鉦を打つ女の子のところへ帰ってくる、という八ページだった。百年でも二百年でも、その子が鉦を打っているあいだは帰ってくる。それだけの話を、僕は三日かけて描いた。

 最後のコマには、鉦を打つ女の子と、その頭上に皿を掲げた河童が描いてある。皿はどこも欠けていない。僕はそのとき、欠けを知らなかった。

「佐々木」

「なに」

「ここ」詩織が最後のコマを指した。

「ちがう」

「うん」

 僕は法被のポケットからペンを出した。路地の壁に原稿を当てて、皿の高台に、爪の先ほどの欠けを描き足した。線は三本で足りた。

 インクが乾くのを、二人で見ていた。

「これ、告白?」

 僕は脳内で効果音を探した。

 ゴゴゴでもなく、ドッでもなかった。

 鳴らなかった。

 だから口で言った。

「そう」

 詩織は原稿を胸に抱えて、しばらく壁を見ていた。それから撞木で僕の胸を、コン、と一回叩いた。鉦ではない音がした。

「来年も曳いて」

「来年も?」

「毎年出るから、うちの山」彼女は言った。

「あんた、毎年綱持って、毎年描いて」

 路地の向こうで、木と木が外れる乾いた音がしていた。白木の山が骨に戻っていく音だ。この木に漆がかかるのは、たぶん僕が四十を過ぎた頃で、そのとき綱を持っているのは僕ではない誰かだろう。それでも今日、山は辻を三度で回った。

 ラムネを二本抱えた九歳が、こちらへ走ってくるのが見えた。上巻を返しに行った帰りらしく、脇に日焼けした貸本を挟んでいた。

(了)


原案:Y
執筆:Claude



今日は何の日?

河童忌

7月24日は、近代日本文学を代表する作家・芥川龍之介をしのぶ「河童忌」です。作品の端正な文章や知的な印象だけでなく、その内側にあった不安や孤独、人間と社会を見つめる鋭い視線にも触れる日です。2026年7月24日は、芥川龍之介の百回忌にあたります。

「河童忌」は、1927年7月24日に亡くなった芥川龍之介の命日にあたる文学忌です。名称は、芥川が生前に河童の絵を好んで描いていたことや、晩年の代表作に小説『河童』があることに由来します。芥川の死後、親しい友人や文士たちは、東京・田端の料亭「天然自笑軒」に集まり、故人をしのぶ会を開きました。この集まりも「河童忌」と呼ばれ、1928年から1943年まで毎年続けられたとされています。現在は田端文士村記念館が河童忌に関する展示や催しを行い、その記憶を受け継いでいます。特定の団体が啓発目的で制定した記念日ではなく、作家を敬愛する人々の追悼と文学文化のなかで定着してきた日です。

芥川の作品には、古典を題材とした物語から、近代人の自意識や社会への違和感を描いた作品まで、さまざまな世界があります。河童忌は、著名な文豪の命日を覚えるだけの日ではありません。短い作品のなかに人間の矛盾や弱さを凝縮させた芥川文学を読み直し、自分の心や時代の空気を見つめるきっかけになります。真夏の強い光のなかに、文学の静かな影が差し込む一日です。

河童忌は、芥川龍之介の生涯と作品をしのび、日本の近代文学が描いてきた人間の不安や孤独を考える日です。よく知られた『羅生門』や『蜘蛛の糸』だけでなく、『河童』『歯車』『或阿呆の一生』など、晩年の作品を手に取ることで、芥川文学の異なる表情が見えてきます。



劇画の日

7月24日は、漫画雑誌『ガロ』の創刊にちなむ「劇画の日」として紹介されています。漫画が子ども向けの娯楽という枠を越え、社会や人間の内面、作家自身の感覚を自由に描く表現へ広がっていった歴史を振り返る日です。

「劇画の日」は、1964年7月24日に青林堂の漫画雑誌『ガロ』が創刊されたことに由来するとされています。水木しげる記念館も、同日の創刊号発売にちなんだ日として紹介しています。

『ガロ』は、白土三平の『カムイ伝』をはじめ、水木しげるやつげ義春など、強い個性を持つ漫画家たちが作品を発表した雑誌として知られています。娯楽性だけを追うのではなく、貧困、差別、孤独、幻想、日常に潜む不安といった題材にも向き合い、従来の漫画には収まりにくかった表現の受け皿となりました。独自の作家性を持つ作品群は、後に「ガロ系」と呼ばれる文化にもつながっています。

なお、「劇画」という言葉や表現そのものは、『ガロ』の創刊によって初めて生まれたわけではありません。「劇画の日」は、劇画全体の誕生日というより、戦後の漫画表現に大きな影響を与えた雑誌の出発点を振り返る日と考えるほうが自然です。売れやすさや分かりやすさだけでは測れない作品にも発表の場所が必要であることを、『ガロ』の歴史は伝えています。

劇画の日は、一本の線や一つのコマが、時代の空気や人間の孤独まで表現できることを考える日です。現在では多様な漫画作品が読まれていますが、その自由な土壌の一部は、個性的な作家たちを受け入れた雑誌や編集者によって耕されてきました。



祇園祭・後祭の山鉾巡行

7月24日の京都では、祇園祭の「後祭」を象徴する山鉾巡行が行われます。豪華な山鉾が都大路を進む姿の奥には、疫病や災厄の退散を願ってきた祈りと、町衆が長い年月をかけて守ってきた文化があります。

7月24日に行われる「後祭の山鉾巡行」は、一般的な記念日として制定されたものではなく、八坂神社の祭礼である祇園祭を構成する重要な行事です。祇園祭は、869年に疫病が流行した際、当時の国の数にちなむ66本の矛を立て、神輿を神泉苑へ送り、災厄の除去を祈った祇園御霊会に由来すると伝えられています。現在も7月1日の吉符入から7月31日の疫神社夏越祭まで、およそ一か月にわたって神事や行事が続きます。

山鉾巡行は7月17日の前祭と7月24日の後祭に分かれています。後祭では山鉾が烏丸御池を出発し、前祭とは逆方向の経路を進みます。後祭の巡行は1966年に前祭へ合同されましたが、2014年に7月24日の巡行が復活し、祭り本来の時間の流れが取り戻されました。

美しい染織品や金工品で飾られた山鉾は、「動く美術館」とも称されます。しかし、その価値は豪華な外観だけにあるのではありません。山鉾の組み立て、祇園囃子の稽古、懸装品の保存や修復、巡行の運営などを、各山鉾町の人々が世代を越えて担っています。後祭の山鉾巡行は、古いものを展示する行事ではなく、地域の人々が手を動かし、役割を引き継ぐことで生き続けている文化です。

祇園祭の出発点には、病や災厄から人々を守りたいという願いがあります。華やかな山鉾に目を奪われる一方で、その根底にある祈りを知ると、巡行の見え方も変わります。京都の夏を彩る観光行事であると同時に、無事に暮らせることを願い、共同体の記憶を未来へ渡していく祭礼です。

祇園祭・後祭の山鉾巡行は、千年以上続く祈りと、京都の町衆文化が交わる行事です。山鉾の美しさだけでなく、それを組み立て、動かし、守り続ける人々の営みに目を向けることで、祭りの本当の奥行きが見えてきます。


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