『無我霧中』
ほんの五分前のことだ。
『本部より通信。応答せよマッティングリー刑事。』
通信機に応答し内容を確認すると、すぐさまエンジンを叩き起こし、濃い霧に包まれた道を切り裂くように、 アクセルを強く踏み込んだ。
現場はここから車で十数分だが、被害者の置かれた状況を考えれば事態は一刻を争う。 一般車を蹴散らすように現場のアパートに急行した。
これで今月だけで二十件目。 この三か月、同じ事件を追い続けている。 『また霧中病だ。被害者はアデル・ペリー。近隣住民から通報が入った。お前が現場から一番近い。頼むぞ。』
犯人に繋がる情報は殆ど無い。 そして事件に巻き込まれて無事だった人も同様だった。
「間に合えよッ!」
焦る気持ちを抑えてハンドルを操り、現場に到着すると、車を飛び出してアパートに突入した。
「警察です! アデルさん! どこですか!」
情報にあった名前を呼びかけながら寝室を探す。
これまでの被害者は必ず寝室にいた。
寝室の扉を勢いよく開けると、彼女はベッドに静かに横たわっていた。
彼女の顔にはVRゴーグルが装着され、生命維持装置に繋がれていた。
全ての被害者がそうだったように。
「アデルさん! 大丈夫ですか! アデルさん!」
必死になって揺り起こすと、 小さくうめき声をあげて生体反応を見せた。 「… …生きてる!」
彼女の装着しているVRゴーグルを外し、必死に呼びかける。
「アデルさん! 目を覚まして!」
彼女は急にゴーグルを外されたことに激しく動揺し、眼球を必死に動かして自分の身に何が起きたのか把握し ようと努めているようだった。
「アデルさん、私はマッティングリー刑事です。あなたは長い間、夢を見ていたのですよ。分かりますか?」
できるだけゆっくり話をしたが、私の話が聞こえていないかの様に辺りを落ち着かない様子で見渡している。 口元を覆っていた生命維持装置や点滴を外すと、青白い顔があらわになった。
「本部、こちらマッティングリー。被害者を発見。生存を確認しましたが、ひどく混乱しています。」
通信機で応援を要請している間に、彼女はいつの間にかベッドから降りていた。
「アデルさん、まだ無理に起きない方が… …」 そう声をかけようとした瞬間、彼女は突然叫び声を上げその場にひっくり返ってしまった。
慌てて駆け寄ると過呼吸状態になっていたため、息を吐くように促す。 背中をさすりながら彼女が見ていた方に目をやると、そこには一枚の鏡が壁からぶら下がっていた。 自分の顔を見て驚いたらしい。霧中病の症状の一つだ。 長い間夢を見ていると、夢の世界がその人の現実になる。
その期間が長ければ長いほどその症状は深刻だ。
「あっ… …ああ… …わたしは… …?」
彼女は震える手で自分の顔を覆い、混乱する記憶を遡ろうとしているようだった。
「アデルさん、大丈夫です。すぐに思い出すことができますよ。じきに私の仲間も来ます。」
何とか落ち着かせようとしていると、先ほど呼んだ応援が到着し、彼女を預けることができた。 車の運転席に戻り、一息つく。
「まったく… …霧中病か… …厄介な事件だ。」
私がこの事件の捜査会議に参加したのは三か月前のことだ。
「事の始まりは、あるベンチャー企業が医療用に開発した、睡眠障害を解消するためのソフト、『無我夢中』が 世界中で爆発的なヒットをしたことだ。」
しかめ面の刑事部長に促されスライドの方を見やると、開発者らしき青年がVRゴーグルを手に、無邪気な笑 顔をカメラに向けている。
「そのソフトには、人が夢を見るメカニズムを応用し、装着したVRゴーグルから映像を視床下部に投影するこ とで本人にとっていい都合の夢を自在に見せる機能があった。」
刑事部長がプロジェクターを操作すると、普及している地域を示す表が示された。
「装置を連続して使用すると、何日でもその夢の中に居られることをあるユーザーが発見し、自ら生命維持装置 を付けて長期間に渡り夢にこもり続ける者が続出した。」
次のスライドにはVRゴーグルを装着して横たわる人の写真が映し出された。
「そこからは最悪だ。長期間使用した者に心身のバランスを著しく崩す者が続出。その苦しみから逃れるために また夢に逃げる。まるで麻薬だ。衰弱して使用中に気が付ない間に命を落とした者もいる。事態は深刻だ。」
次のスライドには事件の発生件数が表示された。
「そして、いよいよ我々が担当するこの地区でも事件が発生した。」
この地区の事件の発生場所を示すスライドに切り替わる。
「この一週間で立て続けに十件。いずれも発見が遅れて重篤な状態だ。何より厄介なのが、被害者が出ているの も関わらず、若者を中心にこのバカな真似をする者が後を絶たない事だ。」
刑事部長がただでさえ深い眉間のシワを、さらに深くしつつ話を続ける。 「現在はソフトの販売元をたどるなどしているが、未だに決定的な情報が出ていない。まず第一優先は、これ以 上の被害者を出さないよう、ネットの売買記録などを元に地道な捜査をするより他ない。さあやるぞ!」
刑事部長にはっぱをかけられ、全員が慌ただしく動き出す。 振り向くと、スライドは開発者の青年が映ったものに戻されていた。 どこにでもいそうなな青年だ。この時はまさか自分の作ったソフトがここまで世界中でヒットすることも、後 に悪用されて世界的な騒動を起こすことも知らないのだ。
「まったく、呑気な顔してやがる… …。」
そう独り言ちてから、はや三か月が経つ。 マスコミはこの世界的な事件を、無我夢中という製品名と、被害者が一様に目の前の霧を払うような仕草を 度々見せる事から『霧中病』と名付けて連日報道したが、皮肉なことにそれがますます装置の認知度を高めてし まい、新たな被害者を生み出すという悪循環が続いていた。
開発者のドミニク氏も身をくらましている。 地道な捜査が功を奏し、アデルのように早期に発見して救助できた者も増えたが、流行病のように人々の心に 巣くった病はなかなか沈静化の兆しが見えない。
カウンセリングも徐々に進んでいるが、現実の世界に絶望し、夢の世界に逃げ込んていた人々にとって、もう 一度歩み始めるのは容易なことではない。 これまで元の暮らしに戻れた者はいなかった。 さっきのアデルも残念だが、あの様子だとただではすむまい。 深く濃い霧が立ち込める道を車で進む。 手がかりは少ないが、これ以上犠牲者を出さないためにも休んでいられない。 この事件にはまだ謎に包まれた部分がある。まるでこの町全体を覆う霧のように。
「… …明日くらい病院にも行ってみるか。」
彼女が何か貴重な証言をしてくれるかもしれない。 ただしそれは、彼女にとっては辛いことを思い出させることに他ならない。
「まったく… …悪夢みたいな事件だ。本当に夢ならいいものを… …」
私は自らの気持ちのように晴れない霧の向こうを睨みつけた。
翌日、私はアデルの入院先の大学病院を訪れていた。 昨日は結局、あれからほとんど成果がなかった。 一縷の望みをかけて彼女の病室を探す。 この街に一つしかない大学病院の貴重なベッドは、今やそのほとんどが症状が重篤な霧中病患者により占めら れてしまっている。
どの病室からも、後遺症の幻覚症状にうなされる患者の悲痛なうめき声や叫び声が聞こえてくる。 サナトリウムさながらの様相に思わず耳を塞ぎたくなる衝動にかられる。 が、元よりそれは覚悟の上だ。気を取り直し歩を進める。 目的の病室の前まで歩を進め、意を決してドアをノックする。 しばらく待ったが返事がないのでそっと開けて中を覗くと、色白の女性がベッドから身を起こし、窓の向こう を眺めていた。
色白の女性… …アデルはこちらを見るでもなく、窓に顔を向けたままだった。
「… …こんにちは、アデルさん。ノックしましたが返事が無かったので。… …中に入っても?」
私の問いかけに何の反応も示さない。 私はひとまずNOではないと判断し、会話を試みるため彼女の正面に回り込んだ。
「アデルさん、分かりますか? 昨日あなたの家に行った刑事のマッティングリーです。」
これにも無反応。彼女の視線は私を貫通して、はるか先を見ているかのようだった。 こんな状態の彼女から有益な情報が引き出せるのか自信はなかったが、やるしかない。
「自分でも酷なことをしていることは十分承知の上ですが、これ以上犠牲者を出さないためにも、捜査に協力し て頂けないでしょうか?」
傍で話しかけているのにまるで井戸の底にでも投げかけているかのようだ。 反応が返ってこなければ来るまで投げかけるまでと、私はペンと紙を準備して懲りずに質問した。 出身、両親のこと、通っていた学校や仕事について、あの装置はどこで手に入れたのか、しまいには昔飼って いた犬の話までして、何とか反応を引き出そうとあれこれ質問をしていたが、視線すら合わなかった。 私は心が折れかけながらも、用意していた最後の質問を投げかけた。
「アデルさん、あなたが見ていた夢ですが、」
「あれは夢じゃないわ。」
夢、というワードが出た瞬間、彼女は明確に私の質問に答えた。 私は驚いて思わずメモ帳を落としそうになったが、このチャンスを逃してはなるまいと必死に食らいつく。
「夢ではないというのはどういうことですか?」
「私にとっては『あれ』が欲しかった現実。私がいるべき世界はここじゃない… …」
私はメモを取るのも忘れ未だに視線の合わない彼女の言葉を聞いていた。 「どうして私を夢から出したの? 私は夢の世界で生まれて初めて幸せだって思えたのに… …」
彼女は窓の外を見つめながら、幾筋も涙を流していた。
「私にはこの世界で生きていくのは辛すぎる。私をあの世界に帰して。帰してよ… …」
彼女は子どものように泣きじゃくり始め、心拍を計測していた機器が激しく鳴動し始める。 看護師たちが慌てて病室に駆け込み彼女の介抱を始めた辺りで私は捜査を諦め、病室を後にした。 足早に病院の廊下を進みながら、私は犯人への怒りを強めた。 だが一番私の心を占めていたのは、私が彼女へしたことへの正しさについての疑問だった。 私がしたことは間違っていたのか? 車に乗り込み、街を覆う霧が深まるのを見ながら、私の疑問もまた霧のように深まっていった。
「… …じゃあ、あのまま放っておいて、死ぬまで夢の中にいた方が幸せだったって言うのかよ… …」
独り言ちても返事を返す者はいない。 落ち着くためにタバコに火を点ける。 車内にまでもやがかかったようになり、私を煙が包んだ。 何もする気が起きず、しばらくそうしていると、本部から通信が入った。
「… …」 いつもなら飛びついてでも通信に応答する所だが、体に力が入らない。 放っておくと、一度切れたが、しばらくしてもう一度かかってきた時、ようやくのろのろと応答する。
「はい?」
『マッティングリー、ビッグニュースだ! 装置を販売していた組織の本部が分かったぞ!』
「… …なんですって! 場所は?」
『隣町の港だ! 早速向かってくれ! 危険かもしれん、先に着いても無茶はするなよ?』
無線を切るのもそこそこに私は車を疾走させた。 隣町まで三十分もかからないが、誰一人逃がす気は無かった。 けたたましいサイレンの音を響かせながら隣町を目指した。 人をひかなかったのが奇跡なくらいの運転だったが、運よく五体満足で港に辿り着けた。 指示のあった倉庫に迷わず突入する。
一体犯行グループが何人いるかなんて関係なかった。 私の脳裏には先ほどまで病室で一緒だったアデルの顔が浮かんでいた。 私は片っ端からドアを開けては中を調べ、階段を駆け上がり、全ての階をくまなく探して回った。 だが、奴らの姿はどこにも無い。 私は少々不気味に感じながら、最後のドアを慎重に開け、銃を構えて突入した。
「警察だ!」
部屋には一人の男が椅子に深く腰掛けていた。 私の気配に気づいた男が椅子を回転させ、こちらをゆっくりと振り返った。
「やあ、マッティングリー君。早かったじゃないか。よくここが分かったね。」
「… …なぜ私の名を?」
「さあ、どうしてだろうね?」
私はいたずらっぽい笑みを浮かべたこの男の顔に見覚えがあった。どこかで会ったろうか?
「… …お前がここで装置を売っていたのか?」
私の質問に男は薄ら笑いを浮かべたまま首を横に振った。
「いいや、僕が売っていたのは『夢』さ。ゴーグルの形をした… …ね。」 「… …お前、開発者のドミニクか!」
ご名答! とばかりに指を鳴らして私を指さす男を私は強く睨みつけ、銃口を向けた。
「お前のせいで何人が苦しんでいると思っている!」
「苦しんだのは! … …起こした奴らがいるからさ。」
私の声に被せるようにドミニクもまた声をあげた。
「人が気持ちよく寝てる時に叩き起こされて気分のいい奴が どこにいる! … …誰だって自分に都合のいい夢を見ていたいんだ。僕はその夢を叶えてあげただけさ。」
「詭弁だ! そんなのは何の解決にもならない!」
「なら! 君に彼らの悲しみを癒せるのか? 苦しみを取り除けるのか? … …どちらも否さ。」
病室の彼女の悲しみにゆがんだ顔がちらつく。
「あいにくだけど、忙しいので今日はこれで失礼するよ。」
ドミニクは椅子から立ち上がると、懐から紙切れを一枚取り出し、机の上に置いた。
「… …真実が知りたいならこのメモの住所に明日の朝一人でおいで。誰かに言ったら僕は現れないよ。」
そう言い残すと、私の注意がメモに向いた瞬間、ドミニクは身をひるがえし、近くにあった窓から外へと出た。
「待て!」
私は逃がすまいと窓に向かったが、あの男の姿は影も形もなく、眼前にはただ、深い霧に包まれた街が広がる 限りだった。 私はあっけにとられながらも、次にどうするべきか思考を瞬時に巡らせた。
「マッティングリーより本部へ、犯人は開発者のドミニクだ! 現在逃走中! 周辺5㎞の捜索を要請する!」
携帯無線で怒鳴るように報告し、私は悔しさのあまり壁を殴り、悪態ををついた。 奴の捜索に加わるため部屋を出る直前、奴の残したメモの事を思い出した。 とびつくようにメモを取り中を開くと、そこには見覚えのある住所が記してあった。
「… …ふざけてんのか… …」
私はメモをしまうと、倉庫の階段を駆け下り、警察署に向かった。 報告のためではない。装備を整えるためだ。 霧のように消える相手に何が有効かなんて、分かりはしなかったが、やらずにはいられなかった。
翌朝、私は指定された場所に向かった。むろん私一人だ。 事の重大さを考えれば上司に報告し指示を仰がねばならない事案だ。 だが、下手をすればこれ以上ない手がかりを失うことになりかねない。 事実この数か月、昨日を除けばほとんど捜査は進展していなかったのだ。
既にかなりの台数が出荷済みとはいえ、少しは被害の拡大も防げるだろう。 だが、この事件に終わりはない、奴をのさばらせている限りは。
指定された場所に繋がる扉を意を決して開く。
「やあ、マッティングリー君! 本当に一人で来るとは驚いたよ!」
やたらと大げさに出迎えてくれたのは昨日の青年、ドミニクだった。
私は油断なく銃口を向けたまま応える。
「お前を捕らえるなど、私一人で十分だからな。」
私の答えに驚いたように目を丸くしてから、奴はおかしくてたまらないといった感で笑っている。
「まったく、愉快な人だ君は! … …さて、どこから話そうか?」
不愉快な笑みを浮かべながら訊ねる声に、間髪入れずに尋問する。
「どうして場所がここなんだ?」
「気に入らないかい? ここならお互い迷わずに会えるだろう?」
私は指定された場所、警察署の屋上でドミニクと対峙しながら、奴の真意を量りかねていた。
「お前の目的はなんだ?」
「僕の目的はビッグデータさ! 夢には日頃無意識下に沈んでいるその人の欲求や不安、記憶など、様々な情報 が眠っている。そこに新しいビジネスの可能性を見出したんだ!」
自分がしでかしか事の大きさを理解していないのか、熱に浮かされているかのような、鼻につく口ぶりだ。
「貴様! 人の命をなんだと思っている!」
「もちろん尊いものだと思っているとも! だからこそ『人の死』というセンセーショナルなプロモーションは、 莫大な費用をかけずにマスコミに取り上げられる、格好の宣伝材料になったろう?」
得意げなドミニクの姿に私は意を決し、奴を捕らえるための仕掛けに指をかけた。
「ところでマッティングリー君。君はこの世界に違和感を感じたことは無いかい?」
「… …違和感?」
「この毎日濃い霧がかかった街以外の場所を君は知らない。そうだろう?」 いつの間にか、先ほどまでそうでもなかった霧が随分深くなっていた。
「君が幼い時の事を何か一つでも思い出せるかい? 君のお父さんやお母さんのことは?」
「何を… …言っている?」
「刑事になる前、君は何をしていたの? 学生時代の友達は誰? 飼っていた犬の名前は?」
私は奴から目を離さないようにしながら、私は戦慄していた。 奴に聞かれた質問について、何一つ思い出せないことに。
「マッティングリー君… …君もね、『霧中病患者』の一人なんだよ。君がこの夢を見始めて3週間が経つ。君は 相当な重症さ。もうすっかりこの夢の住人と化しているけれど、夢の中とはいえ、その執念は賞賛に値するね。」
私と奴の間には濃い霧がかかり始めていた。このままでは前回のように逃がしてしまうかもしれない。 私は混乱する思考と霧を振り払うように、仕掛けていた罠を発動させた。 犯人捕獲用の発射型ネットを四方八方から浴びせる。 いくら霧のような人間が相手でもこれでは逃げられまい。 一段と濃くなった霧を払いながら、私は奴が入っている網に近づいた。
「ひどいなぁ、マッティングリー君。こんなものを使うとは無粋だよ。」 「何を言うか! 話は署の中でじっくりきいてや… …」
声がする方に手を伸ばそうとした時、妙に体が動かしにくいことに気が付いた。 気づくと、網の中にいたのはなぜか、自分の方だった。
「な、なんだこれは?」
「そろそろ認めたらどうだい? ここは夢の中なんだ。たとえ僕を網で捕えても、手錠をかけても牢屋に入れて も、僕を捕まえることはできないんだよ。」
もう私は霧の中に完全に包まれていた。身体も思考も。何もかも全て… …。
「マッティングリー君、聞こえているかい? 残念ながら君の夢はここまでだ。楽しんでくれたかい?」
ベッドの上でVRゴーグルをかけ、生命維持装置に繋がれた男を見下ろしながら僕は彼に声をかける。
「ああそうか、君は元々マッティングリーなんて名前じゃなかったね。」
僕は男の側を離れ、彼の見ている夢の表示されるモニターを見つめた。 芝生の上で夢中でサッカーボールを追いかけている。
「今度はサッカー選手かい? 君の見る夢はいつも面白いねえ。… …せいぜいいい夢を見たまえよ。」
先ほどまで心血を注いで捜査していた事件のことはきれいさっぱり忘れ、今は別の人物になりきっている。
「実験は成功だ! 僕の作ったソフトは完璧の出来だ!」
僕が後ろを振り向くと、周りで見守っていた仲間達が拍手喝采で迎えてくれた。
「博士、やりましたね!」
「なあに、君たちの働きがあってのことさ! 皆には感謝しているよ。さあ、明日から忙しくなるぞ!」
皆と握手やハグをして喜びを分かち合った後、僕は自分のデスクに深く腰掛け、達成感にしばし酔いしれた。
「博士、一つお聞きしてよろしいでしょうか?」
コーヒーを持ってきた助手に勿論、と応えると、助手は色白の顔をほころばせ、礼を言って質問を始めた。
「博士はこの世界に違和感を感じたことはありますか?」
言われてから僕は身を固くした。
「… …ぐ、偶然かな? さっき彼の夢の中で同じ質問をしたよ。」
そうなんですか? と小首をかしげる彼女に、僕は見覚えがあった。
「君… …名前は?」
「アデルです。アデル・ペリー。先月からラボに入りました。さっきの質問ですが、どうお考えですか?」
偶然にしては出来過ぎているが、彼女は先ほど男の夢に出てきた女性と名前まで同じだった。
「… …僕はこの世界に違和感を感じ続けてきた。夢を語れば笑われ、夢を持たねばつまらないと罵られるのに、 夢を叶えられる人間なんてほんの一部さ。結局は現実的なことばかりがもてはやされる。だからこそ僕は誰でも 好きな夢を見られる機械を作ったのさ。答えになっているかな?」
「ええ、非常に勉強になりました! ありがとうございます。」
ぺこりと頭を下げて離れていく彼女の後姿を、どこかホッとした気持ちで見送る。 なんだろう、なぜだか胸騒ぎがする。
気持ちを落ち着かせるためにコーヒーをすする。湯気が辺りにたちこめ、かけていた眼鏡が曇った。 曇りを取るために顔から外し、ハンカチを取り出して拭き取る。
ここ最近研究で睡眠不足だったかもしれない。少し仮眠を取ろうか。 そんなことを考えながら再び眼鏡をかけたが、その時初めて、自分の眼鏡が曇っているのではなくて、自分の 周りに霧がかかっていることに気が付いた。
思わず椅子から立ち上がって壁際に後ずさる。
「な、なんだこれは! おい、誰かいないか?」
僕の呼びかけに応える者は誰もいなかった。
まるで雪山で遭難しているかのように、視界が完全にゼロだ。
その時、誰かがこちらに駆けてくる足音が聴こえてきた。
「おい、こっちだ! 助けてくれ!」
呼びかけに応えるように、霧をかきわけて一人の男が目の前に現れた。
「警察だ! ドミニク博士、お前を逮捕する!」
そこにいたのは間違いなく僕が先ほどまで夢の中で対峙していた刑事、マッティングリーだった。
「なんで… …ここに?」
呆気に取られる自分の手に、手錠がはめられた。 事態が呑み込めないままパトカーに押し込まれ、気がついたら独房に入れられていた。
それからの記憶は曖昧だ。 様々な罪状で起訴され、裁判の結果、死刑を言い渡された。
首にロープが巻かれ、足場が外れる。
頸部を襲う衝撃と喉に食い込むロープ。 血液が頭に上るのがわかる。
足をばたつかせて必死の抵抗を試みるが、足は空を切る。
僕の意識は、そこで途切れた。
自分が見つめているのが天井だと気が付くのに、数秒の時間を要した。
「… …おい、目を覚ましたぞ! おいドミニク、俺がわかるか?」
自分の顔を見知らぬ若い男が見下ろしている。
何か喋ろうとして、喉がえらく乾いているのに気が付いた。
何とかしゃがれた声で水を求め、僕は体を起こし、がぶがぶと水をあおった。 水を一息に飲んで周囲を見渡すと、なぜだか僕はコンサートホールの様な場所にいた。 自分のことをたくさんの人が見ていた。
いつからなぜここにいるのか、全く記憶になかった。 さっきまで僕は絞首刑にあっていたはずだが、首にはロープも無ければ死んでもいなかった。
「さあ、最新の睡眠障害改善用ソフト『無我夢中』の開発者、ドミニク氏が目を覚ましましたよ!」
どこからかスピーカーを通した声が会場に響き、客席から歓声が上がった。 「… …おい、これはどういうことなんだ?」
隣にいた男に聞くと、いぶがしけな顔をしながら、小声で説明してくれた。 「お前が作ったソフトの実用化に必要な資金を投資家から集めるためにプレゼン大会に参加したんだよ。お前は 自分が作ったソフトの安全性をアピールするために被験者になって、三時間前に寝始めたとこだ。」
まだ事態を呑み込めないでいると、いよいよ眉間にしわを寄せて顔を覗き込んでくる。
「お前が言い出したんだろう、ドミニク。… …まさか覚えていないのか?」 男と見合っていると、別の司会者らしき男がマイクを持ってこちらにやってきた。
「さあ、ドミニク氏、お目覚めはいかがかな? 投資家の皆さんがあなたのプレゼンを待っていますよ?」
マイクを向けられ、会場の全ての人の視線が自分に集中する。 次第にのどが締め付けられるような苦しさを覚え始めた。 まるで辺りに霧が立ち込めてきたかのように、目の前が真っ白になっていく。
僕は恐怖にかられ、その霧を払いつつ、藁をもつかむ思いでマイクを掴み叫んだ。
「どこからが夢だ? 僕は誰だ? 誰か教えてくれ!」
困惑する周囲をよそに、僕は必死に辺りに視線を巡らせた。
そして、見てしまった。 鏡に映った自分の姿を。
首にロープが絡まり、舌を出して絶命した自分の死に顔を。
僕は叫び声をあげ、その場に倒れ伏した。
その後、無我夢中は開発者の精神と記憶野に著しい悪影響を及ばしたため、開発中止となった。
