記憶は、どこに残っているのだろう
※※※ この「静かな夜に」シリーズは、難しいことを理解するためではなく、ふっと肩の力を抜いて読める、小さなエッセイです。 ※※※
夜になると、
ふと、昔のことを思い出す瞬間がありませんか。
特別な理由があったわけでもないのに、
急に浮かんでくる、誰かの声や、
昔歩いた道の空気、
もう使っていない部屋の匂い。
記憶は、こちらが呼び出したわけでもないのに、
気づくと、すぐそばに立っていることがあります。
記憶って、いったい、どこに残っているのでしょうか。
頭の中?
それとも、心の奥?
あるいは、身体のどこかに、静かに染み込んでいるのでしょうか?
研究の世界では、
記憶は脳のネットワークとして保存されている、と説明されることが多いようです。
経験した出来事や感情が、
神経のつながりとして形づくられ、必要なときに呼び起こされる。
でも、日常の感覚としては、
それだけでは、少し足りない気がするのは私だけでしょうか?
たとえば、
同じ写真を見ても、ある人には何も響かないのに、
別の人には、胸の奥がふっと揺れることがあります。
同じ場所に立っても、
ある人にはただの景色なのに、
別の人には、忘れていた時間が一気に立ち上がってくる。
記憶は、情報というより、
体験の“手触り”に近いのかもしれません。
音、匂い、光の角度、空気の温度。
そうした小さな感覚の断片が、
気づかないうちに、私たちの中に積み重なっていく。
脳が整理しきれなかった感覚たちが、
時間をかけて、静かに沈殿していく。
そして、あるきっかけで、
それらが、そっと顔を出す。
記憶は、過去に閉じ込められているものではなく、
いまの自分の中で、静かに生き続けているものなのかもしれません。
だからこそ、同じ出来事でも、
年齢や心の状態が変わると、感じ方も変わっていく。
記憶そのものが変わったというより、
記憶と向き合う“こちら側”が、少しずつ変わっている。
そんなふうに思えたりもします。
夜の静けさに任せて、少しロマンティックに語るならば、
ふと立ち上がってくる記憶があるなら、
それは、いまの自分に、何かをそっと知らせているのかもしれません。
懐かしさなのか、安心なのか、
あるいは、まだ言葉にならない違和感なのか。
無理に意味づけをしなくても、
ただ、浮かんできた感覚を、しばらく眺めてみるだけでいいですよね。
記憶は、答えを出すためにあるのではなく、
いまの自分と、静かにつながり直すために、現れてくることもあるのかなって・・・
いいなと思ったら応援しよう!
心から感謝いたします。