虹の始まりは落とし穴 11
恐怖で蹲り動けない男の代わりに、サムノムが蛇を掴んで穴の外に放り投げる。
「………くっ」
生まれて初めて蛇を間近で見てパニクったとはいえ、こんな奴に助けられるとは!
ヨンは悲鳴を上げた恥ずかしさを誤魔化すように勢いよく立ち上がり穴を見上げた。
背の高いヨンが腕を目一杯伸ばしても地上には届きそうにない。
ーなんだってこんな所にこんな深い穴が掘ってあるんだ!ー
サムノムは男が立ち上がったのを見て自分も急いで立ち上がったが、男はサムノムを見下ろしてこう言った。
「跪け」
「へ?」
「私が先に出て助けてやる」
冗談じゃない!
そんな事になれば助けてやる代わりに何を要求されるか分かったもんじゃない。
「いやいや逆の方がいいでしょう、私が先に出て助け…」
「跪けと言ってるだろうが!」
「いやっでも…」
「早く!!」
「………」
ーこの我が儘坊ちゃんめ…(怒)ー
サムノムは渋々穴の底で四つん這いになった。
ヨンはそれを確認すると地上を見上げ土壁に手を付いて男の背に足を掛けグッと体重を乗せる。
が、片足が乗り切らないうちに馬が崩れた。
「ぐぇっ…」
足元から潰れた蛙のような声があがる。
「もう! いいですよここにいましょう! その内誰か通りますって!」
ヤケクソ気味に座り込むサムノム。
「ぅがぁ……!!!」
男は癇癪を起こし土壁を引っ掻いたかと思うと、サムノムを見下ろして怒鳴る。
「もう一度四つん這いになれ!」
「…………」
「さっさとしろー!!」
静かな林の中にヨンの声が木霊した。
***
結局、小半刻も時間を無駄にした。
男はヤレ四つん這いになれだの肩車しろだの…体格的にどう考えても逆だろ!
「はぁ……だから待とうって言ったのに……。 無駄な体力使わせて…」
「…………」
そうやってぶつくさ言っていると男が俄にサムノムを胸に引き寄せた。
「?!」
両手で二の腕を掴みジッとサムノムを見つめてくる。
男からは良い香りがした。
おそらく衣に香を焚きしめているのだろう。
ーそんなに…会うのを楽しみにしてたのか…ー
今は疑っていても一度は想いを寄せた相手なのだ。
そう簡単には割り切れないのかもしれない。
サムノムは迫られたらどうしようかとドギマギしながらも、至近距離で男の目を見返した。
正直、性格を抜きにすれば男の容姿は申し分ないのだ。
それに男として生きてきたサムノムにとって、こんな風に同年代の男の胸に引き寄せられたのが生まれて初めての経験で、非常事態なのも忘れて胸がときめく。
しかし、いくら代理でも一線を越えるわけにはいかない。
なんとか男の手から逃れようと身を捩るが男はそれを許さず、更にサムノムを胸に引き寄せた。
「!!」
「……私が持ち上げてやる」
「え…?」
静かな口調がその美声を一層際立たせサムノムの鼓動が速くなる。
男はおもむろにサムノムを抱き上げた。
「…あ…!」
驚いたサムノムは広い両肩に手を置いて男を見下ろす。
力強くたくましい腕に抱えられ、ドキドキが止まらない。
何もかもが初めての経験だった。
「届くか?!」
「…え?……あ…」
言われて我に返り慌てて地上に手を伸ばす。
「と…届きません」
すると男は更に力を込めサムノムを上へと押し上げた。
「……ふ!」
お腹の辺りに顔と息が当たるのを感じる。
「どうだ?!」
男が喋るとお腹に響くのがくすぐったい。
「も、もう少し…上に…」
一生懸命手を伸ばしていたその時だった。
「…ここを出たらいっそ “出なければよかった” と後悔させてやるからな…」
「……………………」
ー何だと?ー
呟かれた男の言葉に、生まれて初めてのときめきは一気に吹っ飛んだ。
「え? 何かおっしゃいました?」
「いやっ…なんでもない…! 届いたか?!」
「……」
サムノムは冷めた目で男を見下ろすと手を置いていた肩をバンバンと叩く。
「まだです! もっと上です!」
「ハァ…ハァッ………ふん!」
荒い息を吐きながら更にサムノムを持ち上げる。
「まだまだ!」
「手のっ……伸ばし方がっ…足りんのだ!」
「もっと力を込めて下さいよ!」
男は最後の力を振り絞ってサムノムを更に上へと持ち上げた。
「…どうだ!」
「よ……っと……上がれた!」
草を掴み爪を立てようやく穴の外に出たサムノムは地面に寝転がる。
「ハァ…ハァ…おい!」
「…………」
穴の中から呼ぶ声にサムノムは仰向けのままニンマリと笑う。
腹這いになって穴を覗くと男は荒い息のまま言った。
「さぁ、早く縄でも探してこいっ」
***
しかし、男はへらへら笑うだけだった。
嫌な予感にヨンは真顔になると端整な顔を引き攣らせる。
「……おい…何を企んでおる…」
「花若様、急ぎ人を呼んで参ります。 申し訳ない(笑)」
「まて…それはならぬ…(笑)」
男の考えている事が手に取るように理解できてヨンも引き攣った笑いを浮かべる。
何故なら、己が逆の立場なら間違いなくそうするからだ。
「半刻以内に必ず呼んできます、じゃ♪」
「あ…! 待てっ 出してくれたら…!」
男の顔が穴から消え、ヨンは焦って引き止めた。
「何も聞かずに帰してやるっ」
再び男が顔を覗かせたことに少しホッとしながら交換条件を提示する。
だから手を貸せとばかりにヨンは腕を伸ばしたが、男はニヤリと笑った。
「さっき全部聞きましたよ 。“外に出たら後悔させてやる” と(笑)」
「戯れに言っただけだ(笑)」
笑って誤魔化してみたが、元々短気な性格のヨンは堪えきれず「おい!」と怒鳴っていた。
