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虹の始まりは落とし穴 4

 サムノムと呼ばれた男は自分を噂する露店のおじさんたちの方へにクルッと振り向くと笑顔で自分を指差し「ありがとう!」と返した。

 そして前に向き直って上機嫌で歩いていたが、前方から歩いてくる厳つい男達を目にした途端、慌てて脇道に逃げ込み身を隠した。

 男達が通り過ぎるのを待ってホッと息をつく。

 父の薬を買うために先程の高利貸しに借りた銅貨5両はすでに銀貨8両にまで膨れ上がっていた。

「……はぁ」

 溜め息をついて顔を上げると一枚の張り紙が目に入る。

『王宮の内官ネグァン募集 参内時 銀貨10両』

「じゅ、10両?! 借金返してもお釣りがくる…っ」

 しかし、王宮の内官は去勢手術を受けなければならない。

 チラッと自分の股間に目を向けたサムノムはブルブルと頭を振った。

 とてもじゃないが自分にはなれない。

 借家に戻り、父の為に買ってきた薬を煎じると部屋に運ぶ。

 父は布団に横になって背を向けていた。

「起きてよ、薬の匂いで分かるだろ」

「お前が飲め、借金の取り立てで食うのもやっとなのに薬なんて贅沢だ」

「父さん…そんな事言わずにさ、せっかく買ってきたんだから」

 サムノムが父の体に手を掛けると父はそれを振り払った。

「うるさい、やめないか! しつこい奴だな、“父さん” だと?! 俺とお前は血の繋がってない赤の他人なのにどうしていつまでも俺にくっついてくるんだ?! 1人で充分やっていけるだろ!」

「……またそんな事言う…拾ったのは父さんなんだから最後まで責任持ってくれよ! 俺には行く当てもないのに!」

「このままじゃ俺はお前のお荷物だ! 金を稼いで母親を探すんだろ?! そうやっていつまで男の振りをして生きるつもりだ!」

「…父さん」

「サムノム、いるか?」

 外から声がかけられた。

「はい、います!」

 例の両班の若様の使いだ。

「…駄々こねてないで、薬飲んで早く良くなってよ」

 立ち上がり外に出ようとしたサムノムに

「ラオン」

 養父はサムノムを本名で呼んだ。

「!」

 焦ったサムノムは外に聞こえやしなかったかと戸口に目を向け慌てて養父の元に戻る。

「その呼び方はやめてくれ! 俺はサムノムだ! ホン・サムノム!」

 養父はゆっくりサムノムの目を見た。

「ある日お前が帰ってこなかったら俺は嬉しいぞ、意味は分かるよな?」

「………………」

 何度こうやって突き放された事だろう。

 その度に傷付き、それでも養父についていった。

 また、捨てられるのが怖かった。

「俺は嬉しくない…。 行ってくる」

 養父は出て行くサムノムを見送り目を伏せた。

 自分を拾ってくれたという義理立てもあるのだろうが、それ以上に父と慕ってくるサムノムが可愛くないわけがない。

 それでも自分と一緒にいればしがない旅芸人の暮らしからは抜け出せない。

 聡明で明るく、人から好かれる才を持つサムノムにいつまでもそんな暮らしはさせられない。

 それにあの美貌だ。

 本人は自覚していないが女として生きれば間違いなく金持ちの目に留まり、何不自由なく暮らせるはずなのに頑なに男装を続ける理由が分からない。

 サムノムにもっといい生活をさせてやりたい。

 そう思う親心からの冷たい言葉も、ただサムノムを傷付けるだけだった。


***


「若様、サムノムをお連れしました」

 依頼人の両班の若様、チョン・ドッコは戦マニアで剣やら槍やら色々な武器や鎧を集め、架空の戦の戦略を立てるのが趣味の変わった人だった。

「来たか、サムノム!」

 ドッコは最近手に入れたお気に入りの三日月刀をサムノムに突きつけた。

「ちょ…やめて下さい若様……。 で? 返書の内容は?」

 サムノムは呆れつつ愛想笑いを浮かべ早速自分の仕事を始める。

「あ…ああ…これだ」

「どれどれ?」

 文机の前に座りながらドッコの広げた恋文の返書を見る。

「…舞飛ぶ花粉で私がクシャミをしていないか気遣って下さった♡」

 相手が誰なのか頑なに教えてはくれないが、高貴な身分のお方と聞いていたサムノムは初々しいこの2人の仲を取り持つべく張り切っていた。

 こと恋愛に関しては奥手なこの若様には幸せになって貰いたいと思う。

「お優しい方ですね、では、なんと返事をします?」

「な…なんと書けば?」

 ドッコはサムノムに頼り切っていた。

 ひと月前、一年振りに旅芸人一座と共に都に戻ってきたサムノムは瞬く間に雲従街では知らぬ者はいないくらいの有名人になった。

 特にサムノムの開いた『恋愛相談所』は巷で噂となり、したためた著書『誰も知らぬ朝鮮恋愛史』は書き写しが間に合わない程の売れ行きとなった。

 ただ、当の本人は一度も恋愛などした事のない、いわゆる耳年増だったのだが、次々と他人の恋を実らせた手腕が片想いに苦しんでいたドッコの耳にも入り早速相談した所、想いを綴った文を送ってはという事になり始まった文通だった。

 サムノムの書いた恋文は甘く切なく相手の心を掴み、どうやら相手もドッコに夢中になっているようだった。

「まずは若様のお気持ちを、お教え下さい」

「わ、私の気持ち…」

 サムノムは隣に立つドッコを振り仰ぎ微笑んだ。

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