虹の始まりは落とし穴 12
「私を誰と心得る! 今度会ったらただではおかんぞ!!」
ヨンは指を突き付けて怒鳴り散らしたが、分は遥かに向こうが上だ。
「はい(笑) 今度会ったらなんっでも言う事を聞きます! もう犬になれと言われればなります!」
だが、そんな日が来るわけない。
「誠に、誠に申し訳ありません(笑)」
「待て! 行くな!!」
笑いながら頭を下げる男をヨンは必死で引き止める。
しかし男は立ち上がると穴の上から枯れ草を蹴り入れ、降ってきた草や土を腕で防いでる間に姿が見えなくなってしまった。
「またなー♪ 楽しかったぞー♪♪」
そんな声が遠くから聞こえてくる。
「待ちやがれ! 待たぬかー! この不届き者めー!! 早く戻ってこーい!!!」
ヨンは穴の中で、生まれて初めての悪態を、声の限りに叫び続けた。
***
からくも難を逃れたサムノムは泥だらけのままチョン・ドッコの屋敷に向かった。
「若様ー、サムノムが帰って来ましたー」
ドッコはサムノムの泥だらけの姿を見て驚き、何があったのかと訊ねてきたが、さすがに相手を目一杯怒らせたとは言えず約束の場所には代理が来ており本人は体調を崩して来られなかった、この格好はちょっと転んだだけだと言っておいた。
「そうか…初めてお目にかかった時、お付きの者が風 邪を引いていたからそれを貰ってしまったのかもしれんな…」
ドッコの呟きをちゃんと聞き取れず思わず聞き返す。
「え? お二人の馴れ初めですか?! 初めて聞きました。 お風邪を召されていたんですか?」
「ああ…(お付きの者が)咳をしながらも楽しそうにクネに乗るお姿がとても愛らしかったのだ」
「あ……愛らしい…?」
ーあの男が?ー
恋は盲目とはよく言ったものだ。
それはさておき、どうやってこの恋を収拾しようかとサムノムは頭を捻る。
「あの若様、代理の方には一応若様の気持ちを代弁してきましたが、やはり本人に直接伝えるのが相手への誠意を示す事になると思うのです」
「そ、そうだな…っ」
「それで…若様はこの恋を本当に終わらせたいのですよね?」
「……胸が張り裂けそうだが…私とあのお方が結ばれる日など永遠にこない…ならば…いっその事傷が浅いうちに諦めた方がよいのだ…」
「分かりました。 では、最後にもう一度だけ文を送ります」
「ど、どんな?」
サムノムは文机の前に行くと紙を広げ筆を取り、サラサラと書き出した。
『私はしてはいけない恋をしました
それでも貴女を想っていた毎日は
この上なく幸せな日々でした
ですから私はこう思うのです
叶わぬ恋をしたのではなく
思い出に残る恋をしたのだと
私の事はどうかお忘れ下さい
遠い空の下
貴女の幸せを祈っています』
「思い出に残る恋…!」
ドッコは涙ぐんでいる。
「よくもまぁこんな歯の浮くような言葉がさらっと出てくるもんだ」
下男が横から文章を読んで呆れたように言った。
「仕事ですから」
“貴女”と書く事に少々抵抗はあるがあの男がこの文で怒りを収めてくれる事を願う。
ドッコは袖で涙を拭うと文に封をし下男に渡す。
「これを…いつもの場所に」
「はい、若様」
下男が出て行くとドッコはサムノムの衣を包んだ風呂敷を差し出した。
「これ、お前の衣だ…今着ている衣はやる、売れば幾らかにはなるだろう…それとこれ…」
上乗せすると言っていた額に更に色を付けてある。
「あの…こんなにいいんですか?」
ドッコが泣くほど想いを寄せる相手を思いっ切り怒らせて穴に突き落として置き去りにして逃げてきたサムノムは、成功報酬を貰うのも正直気が引けるというのに。
というか…自分でやっておいてなんだが………
かなり非道い。
「いいんだ…お前には世話になった…旅先でも元気でな」
「いつかきっといい人に巡り会えますよ! 若様の内面を知れば必ず!」
「……ああ」
内面って、おい。
***
穴に置き去りにされたヨンはとにかく大声で助けを呼び続けていた。
「おい兄ちゃん、こんな所で何遊んでんだ」
一刻も経った頃、やけに厳つい顔の男が穴を覗き込んできた。
ー助かった!ー
「す……すまないが、ここから出してくれないか…」
叫び続けた喉は完全に潰れている。
「タダって訳にゃあいかねぇなぁ(笑)」
だが、男はニヤニヤと笑いながら見返りを要求した。
「…助けてくれたら……」
ヨンは懐からあの男に突き付けた短剣を取り出し放り投げる。
「売ればそれなりの値がつくはずだ」
受け取った男は短剣の柄や鞘に施された見事な細工に頷いた。
「ほぉ…こりゃいいや、交渉成立だな」
男は手を伸ばし余裕でヨンを引き上げた。
「助かった…礼を言う」
「まいどあり♪ おっとそうだ兄ちゃん、サムノムって野郎を知らねぇか?」
「?……すまんが…」
「チッ…あの野郎どこに逃げやがった、返済期限はとっくに過ぎたってぇのに!」
ーなんだ…この男、金貸しか…ー
「ま、いいや、兄ちゃん。また穴に落ちたら俺を呼びな(笑)」
男は短剣を玩びながら去って行き、ヨンは大きく息をついて座り込んだ。
こんなにヘトヘトになるまで体力気力を使ったのは生まれて初めてだ。
「あの❌❌野郎…覚えてやがれ…!」
すっかり悪態が板についたヨンであった。
