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【孤独と情熱の画家】フィンセント・ファン・ゴッホ:37年の狂気と、弟テオと紡いだ「光」の真実

みんな、こんにちはなのだ!「ずんだもん美術館」へようこそなのだ。

誰もが一度は目にしたことがある、あの夜空にグルグルと激しく渦巻く星たち。世界で最も愛されている名画のひとつ、ゴッホの『星月夜(ほしづきよ)』なのだ。

星月夜

Tシャツやマグカップの定番デザインにもなっているこの美しい絵だけど……みんなは知っているかな? ゴッホがこの絵を描いた時、彼は精神病院の「鉄格子の窓」から夜空を見上げていたのだ。

今回のターゲットは、わずか37年という短い人生を狂気的な「情熱」だけで駆け抜け、西洋美術史に消えない炎を灯した男、フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)なのだ!

「自分の耳をカミソリで切り落とした」「生前は絵がたったの1枚しか売れなかった」など、彼の人生はとにかく挫折と奇行のオンパレード。一見すると、ただの“狂った天才”に思えるかもしれないのだ。

でも、本当にそうなのかな? 彼が描き続けた光り輝く色彩の裏側には、彼を無条件で支え続けた弟「テオ」との、涙なしには語れない血の滲むような絆があったのだ。

👇 YouTube『ずんだもん美術館』孤独と情熱の画家ゴッホ。魂を削り続けた37年の真実

不器用すぎて世界に拒絶され続けたゴッホが、なぜ今、何十億円もの値がつく「時代の寵児」になったのか。彼の魂の叫びを、ボクと一緒にパトロールしていくのだ!


第1章:何をやっても上手くいかない男――絶望の暗闇から這い出た27歳のスタート

ゴッホといえば、パッと目が覚めるような「ひまわりの黄色」や「夜空の青」をイメージする人が多いと思うのだ。でも、彼が絵を描き始めた初期の作品は、実はこんなに真っ暗だったのだ。

ジャガイモを食べる人々

「えっ、これがゴッホの絵!?」って耳を疑うほど泥臭くて、どんよりとしていて、登場人物の表情もどこか険しいのだな。

これが彼の初期の最高傑作『ジャガイモを食べる人々』なのだ。 驚くべきことに、ゴッホが画家を志したのは27歳。美術の世界では、ものすごく遅いスタートだったのだ。それまでの彼は、画商、本屋の店員、教師、さらには牧師を目指したりしていたけれど、どれも情熱が空回りして、クビになったり失敗したりの連続だったのだ。

特に牧師を目指した時はすごかったのだ。貧しい炭鉱の人々に尽くそうとするあまり、自分の服も聖書も家もすべて人にあげてしまい、自分はボロボロの格好で地べたに寝そべって説教をしたのだ。その結果、「教会の品位を汚す不審者」として追放されてしまったのだな。真面目すぎて、社会に全く適合できない生きづらさの極みだったのだ。

「自分は何の役にも立たない、檻の中の鳥のような人間なんだろうか……」

そう絶望のどん底にいた彼に、「兄さんは絶対に絵を描くべきだ。ボクが生活費を支えるから」と手を差し伸べたのが、4歳年下の弟・テオだったのだ。

テオの肖像写真


ここから、ゴッホが死ぬまで続く、テオからの仕送りと、ゴッホからの手紙のやり取りが始まるのだ。その数、なんと600通以上! 当時のゴッホがテオに宛てた、胸が苦しくなるような手紙の一部を紹介するのだ。

「テオへ。僕は決して、怠け者なんかじゃない。檻に閉じ切られた鳥のように、何かをしたいのに、どうすればいいか分からないんだ。僕の魂の火は、誰にも見てもらえないまま消えてしまうのだろうか?」

「描くこと」だけが、彼がこの世に留まるための唯一の命綱だったのだな。

さっきの『ジャガイモを食べる人々』の絵に戻るのだ。よく見ると、ランプの光に照らされた人々の「手」が、ゴツゴツと醜く不自然に歪んで描かれているのだ。 ゴッホは手紙の中でこう語っているのだ。「この手は、自ら土を掘り返してジャガイモを収穫した手だ。汗水垂らして得た食事を尊く描きたかったのだ」と。 当時のサロン(美術展)からは「汚らしくて下手くそな絵」とボロクソに叩かれたけれど、彼にとってはこれこそが究極の「美」であり、人間の尊厳だったのだな。


第2章:パリでの衝撃と「日本」への憧れ――勘違いから生まれた奇跡の色彩

オランダで全く芽が出なかったゴッホは1886年、弟テオを頼って芸術の最先端「パリ」へと乗り込むのだ。そこで田舎者のゴッホは、人生最大のカルチャーショックを受けるのだ。

なんと、当時パリで大流行していた「印象派(モネやルノワール)」に出会ってしまったのだ! 光をキラキラと反射する明るい色彩や、筆跡をそのまま残す新しい絵の具の使い方を見て、ゴッホは気づいたのだ。「ボクの絵、暗すぎ……!?」と。

そこから彼のパレットは一気に明るくなり、流行の点描画法なども貪欲に取り入れていくのだ。そして、もうひとつ彼を狂わせたのが、日本の「浮世絵(ジャポニスム)」だったのだ!

タンギー爺さん

この『タンギー爺さん』という絵の背景を見てほしいのだ。富士山に花魁(おいらん)、そして歌川広重の浮世絵が壁一面にこれでもかと描かれているのが分かるかな? ゴッホは浮世絵の「鮮やかな色使い」や「影を描かない大胆な構図」に脳天を撃ち抜かれ、なんと何百枚もコレクションし、漢字まで一生懸命真似して模写を重ねたのだ。

ジャポネズリー:梅の開花

ゴッホにとって、まだ見ぬ国・日本は「光に溢れた地上の理想郷」だったのだ。 彼はテオにこう言い残すのだ。「もっと南に行けば、日本のような明るい太陽と、美しい色彩に出会えるはずなのだ!」

こうして彼はパリを飛び出し、南フランスの田舎町「アルル」へと向かうのだ。……ちなみに、日本を南国か何かと完全に勘違いしているけれど、この勘違いこそが美術史を変える傑作たちを生むことになるのだから面白いのだな。


第3章:アルルの黄色い家と「耳切り事件」――夢の共同生活と狂気のクリスマス

1888年、アルルに到着したゴッホのテンションはMAXだったのだ。 彼は「黄色い家」と呼ばれる一軒家を借り、「ここに世界中の才能ある画家を集めて、みんなで一緒に暮らして絵を描く芸術家村を作るのだ!」と夢想したのだ。今でいうクリエイターのシェアハウスなのだな。

黄色い家

でも、ゴッホはとにかく性格が偏屈で、激しすぎる男。誰も彼の誘いに乗ってくれなかったのだ。 そんな中、唯一やってきてくれたのが、あのポール・ゴーギャンだったのだ!

ゴッホは嬉しくて嬉しくてたまらなかったのだ。彼を歓迎するために、あの有名な『ひまわり』を何枚も描いて、ゴーギャンの部屋を飾り立てたのだ。

ひまわり

絵の具をチューブから直接塗りつけたような、この「厚塗り」を見てほしいのだ。ゴッホにとって黄色は「幸福」と「太陽」のシンボル。「友よ、よくぞ来てくれた!」という、子供のような純粋な喜びが絵の中から爆発しているのだな。

しかし……そんな天才二人の共同生活は、わずか2ヶ月で無惨に崩壊するのだ。

ゴッホの椅子
ゴーギャンの椅子

「目の前のリアルを描け」というゴッホと、「頭の中の記憶と想像で描け」というゴーギャン。水と油の二人は、毎晩のように激しい激突を繰り返したのだ。 そして迎えたクリスマスイブの前夜、ついに恐ろしい事件が起きるのだ。

ゴーギャンが「もう出て行く」と告げた瞬間、ゴッホの脳のメーターは完全に振り切れてしまったのだ。錯乱した彼は、カミソリを手に取ると、なんと自分の「左耳」を切り落としてしまったのだ! それだけじゃないのだ。彼はその切り落とした耳を新聞紙に包み、馴染みの娼婦の元へ届けて「これを大切に持っていてくれ」と言い残して去ったのだ。……いや、怖すぎるのだ!

当然、街は大騒ぎになり、恐怖したゴーギャンは逃げるようにアルルを去ったのだ。ゴッホの夢見た「理想郷」は、自らの血で真っ赤に染まって終わりを迎えたのだ。


第4章:療養所の窓から見上げた奇跡――『星月夜』と命を削った絶筆

街の人々から「危ない狂人だ」と追い出されたゴッホは、自らフランスのサン=レミにある精神療養所(病院)に入院することになるのだ。 激しい精神の発作に怯え、狂気と正気の狭間を彷徨いながらも、彼は狂ったように絵筆を握り続けたのだ。描くことだけが、彼を現世に繋ぎ止める唯一の錨だったのだ。

星月夜

そうして、鉄格子の窓から見上げた夜明け前の景色から生まれたのが、あの『星月夜』なのだ。 うねり、渦巻き、強烈なエネルギーを放つ夜空。これは彼の乱れた心そのものかもしれないし、彼にしか見えなかった「宇宙の真理」そのものかもしれないのだ。

そして1890年、彼は最期の地であるパリ近郊のオーヴェール・シュル・オワーズへ移るのだ。 この頃の彼の執念は、もはや人間離れしていたのだ。なんと、亡くなるまでの最後の70日間で、約80点もの油絵を描き上げたのだ! 1日に1枚以上、完全に命の蝋燭をガリガリと削りながら描いていたのだな。

そして7月のある日、彼は画架(イーゼル)を抱えて麦畑へと向かい、自分の胸(あるいは腹部)に向けて拳銃の引き金を引いたのだ。

カラスのいる麦畑

ゴッホの絶筆と言われているのが、この『カラスのいる麦畑』なのだ。 不気味に低く垂れ込める黒い空、どこにも繋がっていない行き止まりの道、そして死神の使いのように不吉に飛び交う無数のカラス。絵全体から、圧倒的な死の予感と、孤独の叫びが聞こえてくるようなのだ……。

拳銃の弾は急所を外れ、彼は血を流しながら自力で宿屋の部屋まで戻ったのだ。 知らせを聞いてパリから血相を変えて駆けつけた弟テオの腕の中で、ゴッホはこう囁きながら、37年の生涯を閉じたのだ。

「La tristesse durera toujours(悲しみは永遠に続く)」


結論:悲しみは永遠に続くのか?

ゴッホの死からわずか半年後。 兄をあまりにも深く愛し、彼の絵の最大の理解者であった弟テオも、まるで兄の魂に引っ張られるように、精神を病んで後を追うように亡くなってしまったのだ。

現在、フランスの静かな墓地には、二人の墓が並んで建てられているのだ。テオの妻が「二人は死んでも一緒じゃなきゃダメなのだ」と、同じツタで覆われた隣同士の墓にしてくれたのだな。

生前、ゴッホが売ることができた絵は、たったの1枚だけだった。 けれど彼は手紙の中で、未来のボクたちに向けて、こんな予言のような言葉を残していたのだ。

「僕は、自分の絵の中に魂を込めたい。いつか僕の絵を見た人が、『この男は深く感じている。繊細に感じている』と言ってくれるような、そんな絵を描きたいんだ」

130年以上が経った今、世界中の人が彼の絵の前に立ち、その絵の具の「うねり」の奥にある魂の叫びに涙しているのだ。ゴッホの願いは、現代で100%、いや1000%叶っているのだな!

不器用で、狂おしいほど純粋だったフィンセント・ファン・ゴッホ。みんなも今度、彼の絵を見る機会があったら、その圧倒的な厚塗りの絵の具の奥にある「孤独」と「情熱」を、肌で感じてみてほしいのだ!


編集後記(めたん)

何をやっても社会に馴染めず、世界に拒絶され続けたゴッホ。 彼の人生を振り返ると、胸がぎゅっと締め付けられるような切なさを覚えるわね。

でも、彼は決して「孤独な狂人」としてただ野垂れ死んだわけじゃない。彼にはテオという、彼の魂を誰よりも信じ抜いた最愛の弟がいた。そして、彼らが交わした無数の手紙と、命を削って遺されたキャンバスの「光」は、今も私たちの乾いた心を熱く焦がし続けているわ。

もし彼が現代に生きていたら、世界中で自分の絵が愛されているのを見て、あの不器用な顔でどんな風に笑ったかしらね?

👇 YouTube『ずんだもん美術館』孤独と情熱の画家ゴッホ。魂を削り続けた37年の真実



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