桜吹雪は、「さようなら」を風化させてくれた。
「はるちゃん、久しぶり。今日空いてたら遊ばん?」
中学1年生の春、自宅にかかってきた1本の電話。あの子からの想定外なお誘いは、空から降ってきたギフトだった。
わたしは2つ返事で応えた。初恋の人に会うかのように、胸が高鳴った。アイロンで髪をサラサラにして、精一杯にめかしこんだ。「大人ぽくなったね」と褒められたかったからだ。
どんなことを話すか考えながら、2人のランドマークであった公園に行ったけれど誰もいなかった。
ひらひら散っていく桜をベンチに座って眺め続けた。15分待っても、30分待っても、あの子が来ることはなかった。
◇
「岩手から来ました。宮田千秋です。宜しくお願いします」
小学6年生の新緑の季節。突如やって来た転校生に教室がざわついた。
顎下のボブヘアにぱっつん前髪、くりっとした目、笑うと八重歯が出るのが印象的。肌触りが良さそうな上質な私服に、丁寧にお辞儀をして物怖じせず自己紹介する姿は、わたしとは決定的に違う「何か」を感じた。
─わたしとあの子の違いは何だろう?
そんな彼女から放たれる空気の微量成分を分析したくて1番に話しかけた。
「わたしも先月、北海道から仙台に引っ越してきたんよ。よろしくね。」
よそ者であるわたし達が仲良くなるのは時間の問題だった。
きっかけは「トルネコの大冒険2」というゲームだ。
それは初めて千秋が家に遊びにきた日。
「あ、このゲームもってる、クリアしたー!」
と部屋の隅に積まれているゲームを見ながら彼女は言った。
わたしは信じられずにいた。このゲームは難易度が高く、何十回プレイしてもクリアできず随分と放置していたからだ。
「えっ、これむずくない?」
「わたし、試しにやってみようか?」千秋が勝ち誇ったかのように、にやっとした。
すると、清楚な外見から想像できないくらいに、熟練した手さばきでコントローラーを操り、スライムをバシバシ倒し、アイテムを駆使しながら難関なダンジョンをクリアした。
その瞬間、彼女が救世主のように映った。
「ち、千秋、すごい!天才だよ!!」
へへっと彼女は八重歯を出しながらくしゃっと笑う。
この日を境にだ。転校を重ねる度に、本当の自分に嘘を塗りたくった分厚い仮面を互いに外し合ったのは。
学校が終われば、千秋がほぼ毎日遊びに来て、わたしの部屋のベッドの上でゴロゴロしながらゲームをした。
ロトの剣という最強の武器をゲットした時、打ち上げ花火のような歓声が部屋中をこだましては抱き合った。
そして、たくさんのことを話した。
新しい教室に馴染めないもどかしさ、好きな人のこと、初めて生理が来た日のこと。
千秋は独特なユーモアがあり、表情を七変化しながら話す姿は飽きなくて、こんな日々が
1日でも長く続きますようにと心の中で願っていた。
だけど、初めて千秋の家に遊びに行ったときに嫌でも気づかされる。
彼女とわたしは住む世界が違うことに。
豪華なマンション、立派なピアノがあるリビング、花瓶からこぼれ落ちそうなほどの鮮やかなお花、出されたおやつはルマンドではなく、外国産のクッキー。ペラペラな服を着たわたしがこの空間に存在することが恥ずかしくて、早く帰りたかった。
千秋のお母さんは優しそうな人で、
「あの子が学校に行くのはね、はるちゃんのお陰なのよ」と言ってくれたけど、毛玉だらけの汚い靴下をおばさんに見られないように、正座しながら隠した。
千秋が転校してきたときに感じたあの空気の成分はこの空間から、おばさんとおじさんの努力によって生成されていた。
◇
「お母さんがしばらく放課後は遊んだらダメだって」と、涙目になりがら千秋に宣言されたのは秋の頃。
中学受験のために忙しくしていて、家族のプレッシャーに耐えながらも、勉強を頑張る姿を応援していたけど、心のどこかではこう思っていた。
「千秋がもし落ちたら、公立の中学に一緒に行って、あの頃のように遊べる日々がやってくるかもしれない…」と。相手が落ちることを考えたわたしは、嫌なヤツ。
それから、無事に千秋は合格して、わたしたちは別々の道に進んだ春の季節。
新生活に期待で胸がいっぱいになりながらも、ふと考えるのは、あの子は元気かな?
そんな時に舞い降りたのが、一本の電話だった。
なんとなく千秋は待ち合わせ場所に来ない気がしたけど、その嫌な予感はやっぱり的中した。
◇
どうしてあの日、千秋は来なかったんだろうとふと思うけど、理由は分からない。
だけどもし、わたしが千秋のお母さんだったら、こう言うかもしれない。
「あの子とは距離を置きなさい」と。
わたしはゲームばかりしていたし、おやつに出された外国産のお菓子が美味しすぎてむしゃくしゃ食べたし、 母には「そんな靴下恥ずかしい!新しいの買ってあるから履き替えなさい!」と怒られたのに、毛玉だらけの靴下を好んで履いていた。
ああ、思い返すと、ひたすら恥ずかしい。
だけど、あの頃の「恥」がバネになって、少しずつ自分を正すようになった。 自分の過ちを認めた強さは、これからの子育てでも活きてくるはずだ。
あの時、千秋とゲームをした日々は、孤独な日々に差し込んだ僅かな光。
今年の春も公園のベンチに座り、ひらひら舞う桜吹雪をながめた。
ふと、彼女を思い出す。でもそれはベンチで待ちぼうけした瞬間ではなく、兄弟猫のように戯れた愛らしい日々だった。
