もっと上手に子育てができると思っていた。
子供を産んで思うこと。わたしはもっと上手に子育てができると思っていた。
この話をすると、「子育てが上手って何?」と自分で思うけれど、子供と上手に向き合うとか、たちまち子供の学力が高くなるとかの話ではなく。
あくまでも、母親の内面的な問題。
「母親の自己肯定感が一定以上保てる」子育てだろうか。
わたしは、道端ですれ違う全てのお母さんを尊敬の眼差しで見ている。
ふと、思う。この感覚は免許を取った時に似ていると。
わたしは22歳の時に合宿で免許を取った。それまで車はお金がかかるから、一生免許を取らずチャリで暮らしていこうと思っていた。
けど、その限界がきたのが22歳。
高校生の頃は当たり前にチャリでドンキに行っていたのに、社会人になってからはチャリでドンキに行くのが恥ずかしくなったからだ。
ドンキの前にサテン生地のジャージを着た同級生がたむろしていて、引き笑いで「この間チャリに乗ってるお前見たよ」と話しかけられるのが嫌だった。チャリに乗っているだけで、手を叩くほど何がそんなに面白いのか。
彼らの愛車は、彼ら自身の分身だった。同級生の女の子は、黒の軽四のフロントガラスの内側にピンクのもふもふを飾って、サイドミラーにはリラックマの人形をぶら下げていた。
それは、「この車には可愛い子が乗っています」という無言のサイン。
男子はクラウンやシルビアを地面すれすれまで低くして、マフラーをブオンブオン鳴らしては自分の存在感を大声で叫んでいた。
田舎において、車はただの移動手段ではなく自分を表すアイデンティティなのだ。
レンタルビデオ「ゲオ」に行くためだけに、父に車を出してもらうのも嫌気がさしていたわたしは、合宿で免許を取ることにした。
正直なところ、「車なんてちょろいもんだろう」とタカをくくっていた。だって、おばあちゃんだって、ドンキでたむろしているアイツだって運転しているんだから、わたしにできないはずがない。
ところがどっこい、こんなに免許取るのが大変だったなんて!車の運転が難しいだなんて!!
運転の練習初日、私は免許を持っている全ての人を尊敬した。涼しげな顔で運転をしている人たち、天才だったのね!!!
いつもドンキにいるアイツもこの難関を突破したと思うと、初めて彼のことを心の中で拍手した。
そして今、この時の感覚をわたしは子育てにおいて再び味わっている。
「こんな大変なことを世のお母さんはやっていたのね!」と。
子育ては車の運転のようにマニュアル通りにはいかない。
オンリーワンの我が子のマニュアルを親が模索しないといけない。それは喜びもあれば、時には孤独な時もあるだろう。
心が沈んだり、浮き上がったりしながらも、わたしは今日もすれ違ったお母さんに心の中で敬礼するのである。
これからも止まったり、後退したり、寄り道したり、時にはトラブルに合いながらも息子と共にゆっくり進んでいこう。
