もし、割れたドーナツを元に戻す魔法があるのなら
うぎぁあああ~!!
幸せそうなカップルの笑い声が聞こえる紅葉の公園で、息子の金切り声が響き渡っていた。
耳を塞ぎたくなるような、願わくば「この子は私の知らない子なんです!」と母親が宇宙の彼方へ消えたくなるような癇癪だ。
それは息子が「まるいもの」を愛するあまり‥いや、執着しすぎるがゆえに起きた悲劇だった。
◇
その日、保育園のお迎えから2人で公園に向かった。いつも夕食がてらピクニックをしている。
息子が楽しみにしているのは、おやつに食べるドーナツだった。4つ入り50円でスーパーで売っているやつ。母ちゃんのご褒美のアイスも買ってベンチに向かう。
テーブルの上にお弁当と封を開けたドーナツを並べた。
「いただきます!」
わたしがアイスを一口食べると、息子はひたすらドーナツをジーッと見ていた。
そして数秒後。「うぎぁぁぁ」と吠えるように泣き始めた。
外で癇癪を起こすのは初めてだ。どうしようとオロオロする。誰か母としての正解を教えてくれ。とりあえず、今はアイスを食べている場合じゃないことは分かった。わたしはカップの蓋をしてランチバッグに押し込んだ。
そのドーナツをみると、半分にぱっくり割れていた。
「ドーナツを元にくっつけて!」そう言いたげに息子はわたしに差し出した。
「割れていてもね、味はいっしょなんだよ?」説得するものの、顔が真っ赤になる。
息子は生まれた頃からまるの執着が凄まじい。トミカのタイヤを床にべたっとして見たり、友達の服の柄がまるだと付きまといストーカーするのだ。
だからこそ彼の癇癪を止めるには、この割れたドーナツを何が何でも元に戻さなければ。
「お願いだ、くっついてくれええ!!!」
心の中で呪文を唱えてドーナツをくっつけてみたが、そんな魔法はやっぱり存在しない。
「割れたものはくっつかないのよ。」
息子はわたしからドーナツを奪い取りくっつけようとした。けど、悲しみのあまりに力をいれすぎたようだ。ドーナツが粉々になってポロポロ落ちていった。
その瞬間、彼の小さな世界が終わりを告げた。
帰りは、うえんうえん泣いていてわたしは仏頂面で自転車を漕いだ。
周りの視線がちくちくするけれど、見渡す勇気なんてこれっぽっちも無かった。
◇
「あー疲れた。さいあく」
帰宅後、癇癪のことを姉にラインをする。すぐに返信がきた。
「あんたが仕事で疲れるように、あの子も保育園で色々あったんやで」
ハッとした。
姉は息子のことを当たり前に、一人の人格として見ていた。わたしは起きた事実にてんやわんやで、その背景にあるものを想像できなかった。
仕事で院長に怒られてへこむように、息子にもある。保育園で「今日もいちにち頑張るぞ、えいえいおー!」と朝の会から始まるように、夕方まで大冒険をして任務を終えたのだ。
それは大好きなマルのドーナツさえ食べられたら、帳消しできる悲しいことがあったのかもしれない。そもそも保育園には行きたくなくて、家でゆっくりしたかったのかもしれない。
「今日もいっぱい頑張った、頑張ったー」
わたしは小さな体をぎゅっと抱きしめた。少し苦しかっただろうか。でもくしゃっと笑って嬉しそうだ。
もし、割れたドーナツを元に戻す魔法があれば素敵だね。でもいつか息子が割れたドーナツを友達と半分こできたらいいな。
まるへの執着を超えて、誰かの喜びも悲しみも分かち合える大きな愛を知ってほしい。
だったらまずはわたしから。
この日を境にドーナツを揚げるようになった。割れにくいように工夫して。

きっと息子も誰かと半分こできる日は訪れる。
それまで、少しいびつなドーナツの穴から覗いて見える秘密の景色を分かち合おう。
そこには、喜びも、苦しみも、全て愛くるしく映っている。
