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心情を殴り書きしたような文章が好き。


心情を殴り書きしたような文章が好きだ。


自分を取り繕わない文章は、とんもない生命力が溢れていると思うから。商業化された本にはない、生身の人間の「命」が込められている。

文章なのに、その人の「生」に触れた瞬間、命のお裾分けをしてもえた気持ちになる。


それはとんでもなく価値のあるもの。
そんなnoteを読んだ時は素敵な本に出会った気持ちになり、心ばかりの応援をすることも。 


だからわたしは、失恋した直後や、育児の悩みなどの「殴り書きでごめんなさい」と締めくくられたnoteを好んで見る。


ふと思う。もしかしたら、文章というのはその人の心を覗く唯一の手段なのかもしれないと。


今の世の中、気軽に言葉を発することが許されない。 コンプライアンスが厳しく発言には気を使い、マウントやスクールカーストなど人間関係を悪化させるワードが流行るなか、もはや自由に声をあげることは許されない。 

わたしだってそうだ。いつだって、自分を圧縮させて、当たり障りない型にはまるように生きている。

テレビの生放送のワイプのように、自分が他者に見られてると意識した瞬間、無表情だったのにオーバーに笑ったり、口笛を吹きながらおどけてみたり。ピエロのようだ。


だからこそ、行き場の無くした本当の気持ちは、心の中に留めることが多くなった。

ただ何もしないでいると、その思いは心のブラックホールに吸収されて、いつの間にか無かったことになる。

だから、消える前に文字に起こす。 


この時代だからこそ、対話よりも、態度よりも、動画よりも、写真よりも、その人の本音に出会えるのが文章だろう。 

取り繕ったもの、仕掛けられたもの、目が笑ってない笑顔が多いなか、本音を綴った文章に出会えた時にはホッとする。 

その人の心に一瞬触れた気分になっては、
ああ、わたしもあと少し頑張ろうかと思える。 自分の思考に近い人と出会った時には、勝手に心の友達になったり。


文字というのは心と心を交差させる手段だ。


だからこそ、わたしは取り繕わない不格好な自分を表現するために、真っ白なnoteに思いを書いていきたい。

自分を圧縮して生き続けた代償を取り戻すために。

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