わたしのなかのグロテスク
「誕生日プレゼント!欲しそうにしてたやん?」
国道沿いのカフェ。同級生から満面の笑みで小さな水槽を渡された。
水槽に沈んでいるビー玉に、窓際から差し込む真夏の光が輝いて幻想的だった。そこにわずか数センチのウーパールーパーが気持ちよさそうに泳いでいる。
それは23歳の頃。高校の友人による結婚式の幹事の集まりをしていた時だ。
「な、なんでウーパールーパー?」
口を引きつりながら答えた。わたしは両生類が大の苦手なのだ。
「ドンキでビンゴ大会の景品選びで言ってたじゃん。ウーパールーパーを見て可愛いーって」
ああ、確かに言ったかも。でもそれは犬を見て可愛いという口癖のようなもの。
「無邪気に可愛いと言っているわたしが可愛いでしょ?」なんてね。
そんな気持ちとは裏腹に、カツオくんに似た同級生はニコニコしている。
「あ、ありがとう。名前はうーちゃんにしようかな」
「あはは、そのまんまやん!」
頭皮から流れる汗を腕で拭く友人を前に、
あの時の発言に後悔した。
◇
愛車「ホンダのライフ」の助手席に小さな水槽を置いた。リラックマのブランケットをドーナツ型にして中心に。揺れても守れるようにそっと。
ギュィンと勢いよくアクセルを踏む。ペットショップ「アミーゴ」を目指して。
到着して店員さんに話を聞いた。
「水槽用のクーラーは必須です。成長するとペットボトル一本分になることもありますよ」
ペットボトル一本分…。
その姿を想像した瞬間、世界が止まった。
そのまま帰宅すると「猫がいるからダメ!」と母が大激怒。
わたしは交際3年目になる彼氏の家まで車を走らせた。事情を話すと「いいよ、いいよ」と2つ返事で安堵する。
彼は白タオルを頭に巻いているガテン系。愛車は軽トラ。オンボロな軽トラで海岸沿いに行くのが鉄板のデートコースだった。
彼はうーちゃんのことを高級時計のように大切にしてくれた。
「今日も可愛いよ」と1日に何枚も写真が届く。ほら、友達が出産した途端に子供の写真を連続で送ってくるでしょ。あれみたいに。
久々に彼の家にいくと、アクアライトも装備され水槽は輝きを増していた。
「ポケモンみたいだよなぁ」と彼はくしゃっと笑いながらエサをあげている。
うーちゃんは大きくなっていた。蒼白く透き通った肌を神秘的に輝やかせながら泳いでいる。
その姿はグロテスクだった。
◇
その後、彼と一緒に暮らすことになる。
同棲生活は楽しいはずなのに、うーちゃんの存在に怯えていた。
仕事から帰ってきて部屋の明かりをつけると、うーちゃんがこちらをじっと見る。わたしの心を見透かされているようで、すぐに視線をそらした。
世話は分担制。餌やりは彼、水槽の水換えは交代、水槽のクーラーは彼が早朝出勤の為、わたしがつける約束。
そんなある日、事件が起きた。
水槽の水替えをしている最中だ。彼が勢いよくわたしを突き飛ばした。
「何しとるんや!?それお湯やで!!」
残業で思考力落ちていたのか、お湯を入れた水槽にうーちゃんを入れてしまったのだ。
彼は素早くお湯を捨て、冷水を入れている。
ああ、なんて事をしてしまったのだろう。
ごめんなさい、ごめんなさい、わざとじゃないの。
もう怖いと思わない。心から大切に育てるからどうか、どうか元気でいてくれますように。
思いが通じたのだろか。うーちゃんは何もなかったかのように泳いでいる。
さっきの緊張感がプツンと切れて、「よかっとぁ」と2人で胸を撫でおろした。
◇
事件から、2ヶ月あまり。
仕事から家に帰ると、彼が電気もつけず水槽の前で立ちすくんでいた。
アクアリウムライトが暗闇を青く照らしている。青の洞窟にいるかと錯覚するくらいに、幻想的な美しさに息を飲む。
青い光に顔を照らされながら、彼が無気力に一点を見続けている。あまりにも静寂な空間で唯一、エアポンプの音が時を刻んでくれていた。
わたしは、ぱちんと電気をつけた。
「うーが死んでいるんだ」
「水温が熱い。今日の朝、水槽のクーラつけないで仕事に行っただろう?」声を震わせながら彼が言う。
その日、わたしは寝坊してバタバタしながら仕事に向かったので、水槽のエアコンをつけ忘れていた。
「なぁ。お前、本当はうーが死んでホッとてないか?」
鋭い目はわたしの心を突き刺さした。それは最上級の軽蔑の目。
ううん、違う。
わざとじゃない、わざとじゃない。
わざとじゃないけど、白状する。
本当はホッとした。
疎ましかった。
居なくなればいいのにって思ってた。
どうしても、うーちゃんを愛せなかった。
そして、彼は言い放った。
「もうお前は命が宿っているものを育てるのはやめろ。子供なんてもってのほかやで」
わたしは目線を下にずらし、こくんと頷く。
彼の言う通りだ。
命が宿っているもの育てる資格はない。
その約束だけは彼と別れた後もずっと守ろうと思った。
◇
あれからわたしは母になった。
布団の上でごろごろする息子を見守っていると、水槽の中を駆け巡るうーちゃんを思い出す。
同時に命を大切に出来なかった未熟な自分も。
うーちゃんはグロテスクなんかじゃない。
グロテスクなのは紛れもなくわたしの心だ。
グロテスクと美しさ、冷たさと優しさが表裏一体ならば、そのカードは全てひっくり返った。
またひっくり返ったとしても、醜い心を自覚できたなら、自分の力で返せるはずだ。
小さな十字架を背負ってるからこそ、目の前の命とむきあえると信じよう。
ひょこっと、こちらを見るうーちゃん。
とても愛らしいと思えた。

