見出し画像

「リモートワークを奪われた人」はどのくらい多数派なのか

出社回帰への怒りがSNSを流れる。その声は本物だ。だが、その外側には、リモートワークを奪われる以前に、働く場所を交渉する制度さえ持たなかった人々がいる。2026年の研究と日本の中小企業データから、働き方を「職場の民主主義」の問題として捉え直す。

朝、家を出る。駅まで歩き、混んだ電車に乗り、ようやく会社に着く。そこでノートパソコンを開き、オンライン会議に接続する。画面の向こうにいるのは、別の階の同僚だったり、別の拠点の取引先だったりする。夕方になれば、同じ道を反対向きに戻る。

この往復に、本当に意味があるのか。

リモートワークを経験した人が出社回帰に抵抗するとき、そこには単なる「家で楽をしたい」という欲望だけがあるのではない。通勤に使っていた時間を、睡眠や育児や介護や家事に戻した経験がある。自分の一日を、自分で少しだけ組み立てられるようになった経験がある。出社命令は、その小さな主権を取り上げる出来事として感じられる。だからSNSには怒りが流れる。Amazonをはじめとする大企業の週5日出社回帰が、あれほど強い反発を呼んだのも不思議ではない。

しかし、ここで一度立ち止まる必要がある。SNSでよく聞こえる声は、社会の声そのものなのだろうか。

日本では、中小企業が全企業の99.7%を占め、そこで働く人は従業者全体の69.7%に達する。ところが、リモートワークをめぐる報道に登場するのは、Amazon、Apple、Googleといった巨大企業か、都市部のIT企業で働く専門職がほとんどだ。日本の労働者の多数を占める中小企業の人々は、リモートワークを奪われたと怒る以前に、働く場所を交渉する制度を最初から持っていなかったかもしれない。

リモートワークをめぐる本当の問題は、オフィスと自宅のどちらが優れているかではない。自分の生活を大きく左右する勤務条件について、誰が発言でき、誰の言葉が社会的な問題として聞き取られるのか。その配分の問題である。

リモートワークをめぐる本当の問題は、オフィスと自宅のどちらが優れているかではない。

リモートワークは「終わった」のか

大企業の出社回帰は、確かに進んでいる。Amazonは2025年1月から、原則として週5日のオフィス勤務へ戻した。金融やテクノロジー業界でも、出社日数を増やす企業が相次いだ。著名企業のCEOが「文化」「創造性」「協働」を掲げて決定を発表すれば、それは大きなニュースになる。私たちはそこから、社会全体がパンデミック以前へ巻き戻されているような印象を受ける。

だが、マクロな数字が示す風景は、そこまで劇的ではない。Gallupの2025年調査では、米国の「リモート対応可能な仕事」に就く人の51%がハイブリッド勤務、28%が完全リモート、21%が完全出社だった。ハイブリッドの割合はやや下がったものの、2022年以降の構成はおおむね安定している。全面出社は増えている。しかし、柔軟な勤務が消滅したわけではない。

日本でも同じことが言える。国土交通省が2026年3月に公表した2025年度の「テレワーク人口実態調査」では、直近1年間にテレワークをした雇用者の割合は16.8%だった。決して高くはない。けれども、コロナ後に続いていた減少から、初めて増加へ転じた。国交省自身が「安定基調」と表現している。

つまり、報道で目立つのは、働き方の多数派ではなく、決定の極端さである。週2日を週3日に変えた企業より、週5日へ戻したAmazonのほうがニュースになる。大企業には固有名詞があり、CEOの発言があり、従業員の反発があり、対立の絵がある。小さな会社で在宅勤務が静かに認められたり、静かに拒まれたりする出来事には、同じニュース価値が与えられない。

リモートワークの終焉という印象は、現実の変化だけでなく、何がニュースになりやすいかによって作られている。

生産性をめぐる議論は、なぜいつも噛み合わないのか

リモートワーク論争が混乱する最大の理由は、「リモート」という言葉で、まったく異なる勤務形態を一括りにしていることにある。

週5日を一人で自宅勤務することと、週2日を自宅、週3日を職場で働くことは同じではない。顧客対応のコールセンター業務と、新商品の企画会議も同じではない。パンデミック中、学校も飲食店も閉まり、家族全員が家にいた時期の在宅勤務と、平常時に整備された環境で行う在宅勤務も違う。

この区別をしたとき、研究の結果は意外なほど整って見える。

最もよく知られた実験の一つが、スタンフォード大学のニコラス・ブルームらによるTrip.comの社員1612人を対象としたランダム化比較試験である。社員を、週5日出社する群と、水曜・金曜を在宅勤務にする群へ無作為に分け、6か月間追跡した。ハイブリッド勤務は仕事満足度を改善し、離職率を約3分の1低下させた。一方、2年間の人事評価、昇進、エンジニアのコード量には悪化が見られなかった。少なくともこの企業、この職種、この設計では、週2日の在宅勤務は生産性を壊さず、人を辞めにくくした。

他方で、完全リモートには別の弱点がある。Microsoftの米国社員6万1182人のコミュニケーション記録を分析したLongqi Yangらの研究では、全社的な在宅勤務への移行によって、社内のネットワークが固定化し、部署をまたぐ接続が減った。近い同僚との連絡は維持されても、遠い部署との「弱い紐帯」が痩せていく。新しい情報が組織を横断しにくくなるのである。

この二つの研究は矛盾していない。個人で集中する作業には在宅が向き、関係をつくる仕事、暗黙知を学ぶ仕事、複数の部門をまたぐ調整には対面が効きやすい。問題は、どちらか一方の場所を勝者にすることではなく、仕事を分解し、目的に応じて場所を割り当てることだ。

企業が出社回帰の理由として挙げる「文化」や「創造性」が、すべて虚構だとは言えない。新人が先輩の電話対応を横で聞くこと、会議の前後に小さな相談をすること、異なる部署の人と偶然話すことには、オンライン会議では代替しにくい価値がある。けれど、その価値が存在することと、全員を毎日出社させることの合理性は別の話である。

幸福度の鍵は、場所よりも「奪われ方」にある

幸福度についても、単純な答えは出ていない。Gallupの2025年分析では、完全リモートの人は仕事へのエンゲージメントが最も高かった一方、人生全体を「良好」と評価する割合はハイブリッドや出社可能職の出社者より低く、ストレスや孤独も高かった。通勤は消えるが、人との接触も消える。集中しやすくなる一方、仕事を終える境界が曖昧になる。完全リモートは自由であると同時に、孤立を個人で処理しなければならない働き方でもある。

逆に、オフィスへ戻れば幸福になるとも限らない。米国の労働者を追跡したWen Fanらの研究では、完全な出社へ戻った人は、リモートを継続した人やハイブリッドへ移った人に比べ、低ストレス・高満足の状態に入りにくかった。とくに重要なのは、勤務時間や仕事の進め方に対する裁量が失われることである。

ここで見えてくるのは、勤務場所そのもの以上に、選択と強制の差だ。

同じ週3日出社でも、チームで必要性を話し合い、曜日を合わせ、生活上の事情に応じて例外を認める制度と、入館記録を監視し、理由を問わず全員に命じる制度では、経験される意味が違う。前者は協働のための設計であり、後者は服従の確認になりうる。

リモートワークを失った人の怒りは、自宅という場所への執着だけではない。自分の時間に関する決定権が、説明もなく会社へ回収されたことへの反応である。

暫定解としての「週2〜3日」

2026年時点の研究から、知識労働について一応の暫定解を描くことはできる。

個人で深く考える日は自宅で働く。企画、教育、難しい意思決定、関係形成が必要な日は集まる。出社日は個人の気分に任せず、チームである程度同期する。新人や異動直後の人は対面を多くし、熟練者にはより大きな裁量を与える。出社回数ではなく、成果、離職、学習、健康、協働の質を測る。

週2〜3日の出社は、その設計を実現しやすい目安である。だが、これは自然法則ではない。Trip.comの実験は、中国の大卒社員を中心とするテクノロジー企業で行われた。Microsoftの研究も、巨大な情報企業の社員を対象としている。PC一台で仕事を動かせる人々の研究から、介護、運輸、製造、飲食、小売の働き方を直接導くことはできない。

「ハイブリッドが最適」という知見は、かなり強い。しかし、それはリモート可能な知識労働についての知見である。この限定を忘れた瞬間、柔軟な働き方論は、別の階層を見えなくする。

日本企業の99.7%が、議論から消えている

日本の中小企業で何が起きているのか。2026年3月に厚生労働省が公表した「テレワークの労務管理等に関する総合実態調査」は、ここを考えるうえで重要である。従業員10人以上の企業2万社を対象とし、7982社から回答を得た。従来の企業向け統計には100人未満を対象外とするものもあったため、かなり小さな企業まで降りた調査だ。

それでも、企業規模による差は階段のようにはっきりしている。

表 企業規模別にみた在宅勤務の認可状況。出所:厚生労働省「テレワークの労務管理等に関する総合実態調査」(2026年公表)。対象は従業員10人以上の企業。

従業員29人以下では、在宅勤務を正式な制度として認める企業は8.4%にすぎない。ただし、10.0%には「制度はないが、上司の裁量や習慣として実施する従業員」がいる。規模が小さい会社ほど、柔軟な勤務は制度ではなく、人間関係の中に置かれている。

ここは慎重に読む必要がある。中小企業がリモートワークを導入しない理由を、「古い経営者が社員を信用していないから」とだけ説明するのは雑である。少人数の会社では、一人の事務員が経理、電話、郵便、来客、備品管理を同時に担う。取引先が紙の請求書やFAXを求めれば、自社だけでデジタル化を完結できない。専任の情報システム担当者も人事担当者もいない。工場や店舗の社員が毎日現場に出るなか、事務職だけ在宅にすれば、不公平感が生まれることもある。

つまり、中小企業の出社中心主義には、文化だけでなく、職務の未分解、取引関係、投資能力、組織の薄さが絡んでいる。

しかし、構造的な制約があることと、現状が正当であることは同じではない。「うちの仕事はテレワークに向かない」という言葉には、本当に現場でしかできない仕事と、まだ業務を分解していない仕事が混ざっている。押印のためだけの出社、電話番のためだけの出社、上司が働いている姿を確認するための出社は、仕事の本質ではなく、仕事の設計の問題かもしれない。

しかも、この厚労省調査でも従業員1〜9人の企業は十分に捉えられていない。日本の企業の多数を占める小規模事業者について、私たちはまだ、働く場所の希望、拒否された経験、非公式な配慮、沈黙の理由をほとんど知らない。

データがないことは、中小企業の人々に問題がないことを意味しない。問題を社会の言葉に変えるための観測装置が弱いことを意味する。

「権利」が「お願い」に変わる場所

大企業では、在宅勤務は就業規則や人事制度の言葉で語られる。小さな企業では、それがしばしば「子どもの迎えがあるので、明日だけ家で働かせてもらえませんか」という個人的なお願いになる。

柔軟に対応してくれる経営者もいるだろう。小さな会社だからこそ、個々の事情をよく知り、規則以上の配慮ができる場合もある。だが、温情には弱点がある。誰に認めるかが不透明で、上司が替われば消え、断られても理由を問えない。受け取る側は感謝しなければならず、同じ条件を他の人が求めにくい。

制度の欠如は、自由を増やすこともあるが、同時に発言を「恩恵の申請」へ変えてしまう。

この構造は、アルバート・O・ハーシュマンの「退出・発言・忠誠」という枠組みで考えるとわかりやすい。組織に不満があるとき、人は辞めるか、声を上げるか、それでも残るかを選ぶ。だが、地方の小さな会社で転職先が限られ、社内に組合も人事部もなければ、退出のコストは高く、発言の危険も大きい。残るためには、沈黙するのが合理的になる。

厚生労働省の2025年調査では、労働組合の推定組織率は1000人以上の企業で38.7%、300〜999人で9.9%、30〜99人では0.7%だった。29人以下では組合員数自体がごく少なく、安定した推定組織率も示されていない。働き方について会社と集団的に交渉する回路は、企業が小さくなるほど急速に細くなる。

組織研究では、問題を知っている人が報復や評価低下を恐れて発言を控える状態を「組織的沈黙」と呼ぶ。エイミー・エドモンドソンのいう心理的安全性が低い職場では、良い提案であっても、言った人が損をする。小さな職場では匿名性も乏しい。「従業員アンケート」を匿名で行っても、回答内容から誰が書いたか推測される。

声がないのではない。声を出したときの価格が高すぎるのである。

SNSは、声なき人を可視化しているのか

ここで、最初のSNSの話へ戻ろう。

リモートワーク撤廃に怒る投稿は、重要な証言である。企業が生活の再設計を軽視していること、通勤時間を無償の資源として扱っていること、労働者の裁量が幸福や定着に関わることを可視化している。これを「恵まれた人のわがまま」と退けてはならない。

ただし、それがどの程度社会全体を代表しているかについて、信頼できる直接的なデータはほとんどない。誰がRTO批判を投稿しているかを、企業規模、職種、所得、地域まで含めて追跡した研究は乏しい。だから「SNSの反発は都市部の高所得者だけだ」と断定することもできない。

それでも、構造的な偏りは推測できる。そもそもリモート可能な仕事は、情報通信、金融、専門職、管理職、大企業、都市部に偏る。オンラインで自分の労働経験を一般化して語るには、仕事中にデジタル空間へ接続でき、勤務先をぼかして発信でき、場合によっては転職する選択肢を持っている必要がある。

一方、従業員15人の会社で働く人が、「うちの社長は在宅勤務を認めない」と書けば、同僚にはすぐわかるかもしれない。介護の事情を抱えていても、それを公にすれば個人情報まで差し出すことになる。現場労働者の問題は、そもそも「リモートを返せ」という言葉では表現できない。

SNSは沈黙を破る装置である。しかし同時に、すでに発言の語彙と接続環境を持つ人の声を、社会全体の声に見せる装置でもある。

Amazon社員の不満は「RTO論争」になる。小さな会社で働く人の不満は、「その会社を選んだ自分の問題」「家庭の都合」「社長との相性」へ戻される。同じ勤務条件の問題が、片方では公共的な労働問題になり、片方では私的な運の悪さになる。

日本企業の99.7%を占める中小企業で働く人々の働き方が見えにくいのは、彼らが少数だからではない。多数でありながら、経験を集約し、命名し、社会へ運ぶ回路を持たないからだ。

働く場所を決める権利ではなく、交渉する権利

では、すべての会社にリモートワークを義務づければよいのか。もちろん、そうではない。患者に触れる看護、機械を動かす製造、商品を運ぶ物流、客を迎える飲食には、場所の制約がある。小さな会社に高度なシステムを一律に要求すれば、別の負担を生む。

必要なのは、「在宅勤務を必ず認める権利」よりも、「柔軟な働き方を申請し、理由のある回答を受ける権利」である。

オーストラリアでは、育児、介護、障害など一定の条件を満たす労働者が、勤務時間や勤務場所の変更を文書で申請できる。企業は21日以内に回答し、拒否するなら労働者と協議し、拒否の影響を考慮し、「合理的な事業上の理由」を具体的に示さなければならない。紛争は公正労働委員会へ持ち込める。

2025年のChandler対Westpac事件では、子どもの送迎のため在宅勤務を求めた長期勤続者に対し、銀行側は週2日の出社方針を理由に拒否した。だが、彼女は長年リモートで高い評価を得ており、チームも複数地域に分散し、出社しても多くの連絡はオンラインだった。公正労働委員会は、生産性や顧客対応への具体的な悪影響が立証されていないとして、申請を認める命令を出した。重要なのは、在宅勤務が無条件に勝ったことではない。全社方針という抽象語だけでは、個人の事情と実績を退けられなかったことだ。

英国でも、2024年から柔軟勤務を初日から申請できる制度があり、2025年の雇用権利法は、拒否の合理性を説明し、事前に協議する仕組みを強化した。新たな合理性審査は2027年に施行される予定で、2026年現在は制度設計の途中にある。

日本にも変化の萌芽はある。2025年10月から、3歳から就学前の子を育てる労働者に対し、企業は時差出勤、テレワーク、短時間勤務など五つの措置から二つ以上を用意し、労働者が一つを選べるようにする義務を負った。ただし、企業がテレワークを選択肢に入れる義務はなく、対象者も限られる。

この発想を、育児中の人だけでなく、すべての労働者へ薄く広げることはできないだろうか。労働者には申請する権利を与える。企業には、仕事内容、顧客、コスト、チームへの影響を踏まえて回答する権利を残す。ただし、拒否するなら、定型句ではなく具体的な理由を説明する。必要なら、低コストの第三者調停へ持ち込める。

それだけでも、会話の形は大きく変わる。「うちはそういう会社ではない」が、理由として通用しなくなるからだ。

リモートできない人にも、時間の主権を

職場民主主義をリモートワークだけで考えると、現場で働く人を再び置き去りにする。

工場、店舗、病院、介護施設、物流拠点で働く人には、自宅勤務の代わりとなる柔軟性が必要だ。希望を反映した予測可能なシフト、時差出勤、時間単位の休暇、育児や介護のための中抜け、圧縮労働週、連続休暇、混雑時間を避ける勤務などである。

公平とは、全員に同じ制度を与えることではない。異なる制約を持つ人に、生活を調整できる実質的な裁量を配ることだ。事務職が在宅勤務を使えるなら、現場職には別の形で時間の主権を返す。その設計なしに「一部だけ在宅では不公平だ」と言えば、公平性は全員の自由を奪う論理になってしまう。

また、中小企業に対しては、要求だけでなく支援が要る。業務の分解、クラウド化、セキュリティ、就業規則の整備を、別々の補助金や専門家へ探しに行かせるのではなく、一つのパッケージとして提供する。従業員1〜9人を含む継続的な公的調査を行い、勤務制度の有無だけでなく、希望を言えたか、拒否理由を聞けたか、非公式な配慮が誰に与えられたかまで尋ねる。

まず測らなければ、声は政策にならない。

職場に、少しだけ民主主義を

パンデミックは、巨大な社会実験だった。私たちは、毎日同じ場所へ集まらなくても、多くの仕事が動くことを知った。同時に、誰とも会わずに働き続けることの寂しさや、組織が学習する場を失う危険も知った。

そこで得た答えは、「家が正しい」でも「会社が正しい」でもない。仕事の目的に応じて場所を編集し、その決定に働く人を参加させることだった。

リモートワークを奪われた人の怒りは、正当である。だが、その怒りを、すでにリモートを経験した人だけの権利として閉じてはならない。その外側には、制度を与えられず、希望を言えばわがままと見なされ、拒否されても理由を聞けない人がいる。さらに外側には、場所を選べない仕事に就きながら、時間の選択肢さえ乏しい人がいる。

守るべきなのは、自宅の机ではない。

自分の生活に深く食い込む勤務条件について、声を上げられること。会社がその声を聞き、理由を示すこと。意見が対立したとき、一人で社長と向き合う以外の回路があること。

民主主義という言葉は、国会や選挙の話としては大きすぎるのに、職場の話になると急に遠く感じられる。しかし、多くの人が一日の大半を過ごし、時間と身体の使い方を決められる場所こそ、職場である。

そこに必要なのは、大げさな革命ではない。申請できること、説明されること、相談できること。まずは、その程度の民主主義でいい。

けれど、その「その程度」が、いまの日本では驚くほど遠い。(了)

主要参考文献・資料

注:本稿は2026年7月時点で公表されている行政統計、査読論文、公式制度資料を中心に構成した。査読前研究はその旨を明記し、因果関係が確立していない論点は断定を避けた。

中小企業庁(2026)「小規模事業者の現状等」。(中小企業は企業数の99.7%、従業者数の69.7%)

国土交通省(2026)「令和7年度 テレワーク人口実態調査」。

厚生労働省(2026)「テレワークの労務管理等に関する総合実態調査」。

厚生労働省(2025)「令和7年 労働組合基礎調査の概況」。

Bloom, N., Han, R. & Liang, J. (2024). Hybrid working from home improves retention without damaging performance. Nature, 630, 920–925.

Yang, L. et al. (2022). The effects of remote work on collaboration among information workers. Nature Human Behaviour, 6, 43–54.

Fan, W., Moen, P. & Kelly, E. L. (2023). The Return to Office and the Future of Work. Journal of Health and Social Behavior.

Ding, Y. & Ma, M. S. (2024). Return-to-Office Mandates. SSRN Working Paper.

Gallup (2025). Hybrid Work in Retreat? Barely.

Gallup (2025). The Remote Work Paradox: Higher Engagement, Lower Wellbeing.

Fair Work Ombudsman. Flexible working arrangements.

Chandler v Westpac Banking Corporation [2025] FWC 3115.

UK Department for Business and Trade (2026). Factsheet: Flexible Working, Employment Rights Act 2025.

厚生労働省(2025)「育児期の柔軟な働き方を実現するための措置」。

Hirschman, A. O. (1970). Exit, Voice, and Loyalty. Harvard University Press.

Morrison, E. W. & Milliken, F. J. (2000). Organizational silence: A barrier to change and development in a pluralistic world. Academy of Management Review, 25(4), 706–725.

Edmondson, A. (1999). Psychological safety and learning behavior in work teams. Administrative Science Quarterly, 44(2), 350–383.

いいなと思ったら応援しよう!