“存在”だけがそこにいる
世界が白く染まった余韻が、まだ瞼の裏に残っていた。
「……っ」
振り返った瞬間、空間が“へこむ”ような感覚が走る。
でも、そこには何もない。光も影も、形すら存在しない。
なのに──
“いる” と分かる。
私は胸の奥がざわつき、呼吸が、息を吸っているのか吐いているのかすらわからないほど、浅くなる。
空気が薄くなったような、胸の奥だけが別の世界に引きずられるような、異質な感覚。
「ニ、ニカさん……?ど、どうされたのですか……?
あの……えっと……な、何か……見えて……?
あっ、違います、見えてないのはルミエラで……あれ……?」
ルミエラが心配そうに、焦りながら私を覗き込む。
丁寧さを保とうとして空回りしているのが、逆に私を不安にさせる。
でも、心配してくれてる優しさだけは、確かに伝わる。
ミリアが不安げに私の袖を掴む。
「ニカさん、やだ……なんか怖いよ……ほんとに……ねぇ……大丈夫……?」
ネリアお姉様は杖を握りしめ、
しかし“対象が見えず”視線を宙に彷徨わせていた。
「……見えません……何も……」
普段のおっとりした優しいネリアお姉様が、明かに動揺している……
それは、私の不安を掻き立てるには十分だった。
静かな声に緊張が滲む。
私の中、胸元の光粒が、脈打つように明滅した。
その光は、私にしか見えない。
そう、誰も気づかない……
深層の理がざわめき、光粒が応える
深層の床が波打ち、空気が震える。
世界が、私の周囲だけ別の理で動いているようだった。
耳鳴りのような、
でも音ではない“揺らぎ”が意識の奥に触れる。
「……っ……!」
アストルの息が不意に乱れた。
凛として、背筋が伸びた老紳士の姿勢が、ぐらりと崩れる。
片膝をつき、手が震え、瞳が恐れの余り揺らぐ。
その震えは、恐怖ではなく──“畏れ”に近い。
「アストルさん……?」
ミリアが声をかけるが、アストルは反応しない。
否、反応出来ないほどに畏れていた……
主様の影
「ア、アストルさん!?どうしたの!?」
ミリアが必死に叫ぶ。
だが、アストルは答えない。
ただ、震える声で小さく漏らした。
「……主様……お控えくださいませ……
まだ……まだ、ニカ様は……」
その声は、祈りにも似ていた。
深層の空気がアストルの言葉に反応するように揺れる。
アストルの視線の先──
そこに“存在”がいる。
形はない。
光でも影でもない。
ただ、空間が“そこだけ深く沈んでいる”。
私の視界だけが揺らぎ、
ルミエラたちには何も見えない。
ミリアが震える声で言う。
「ねぇ……ほんとに何もいないの……?
ねぇ……ニカさん、何が……ねぇ……何が見えてるの……?」
私はミリアの問いに答えられなかった。
言葉にした瞬間、私の中で何かが壊れそうで。
私の中にある何かが、私を否定している様で……
“存在”が触れる
「……っ……!」
肩に、触れられた気がした。
でも、体温を感じなかった。
冷たくも熱くもない。熱を一切感じない異様な気配。
ただ、意識の奥を撫でられるような感覚。
私の胸元の光粒が強烈に脈動し、異様な気配に反応して視界が白く弾けた。
弾けた先に、深層の奥が見える。
光の糸。
影の渦。
理の流れ。
境界の揺らぎ。
何とも言えない。
それは言葉にすることが難しいほどに複雑で、
それらが、私の意識に触れた瞬間──
世界が“呼吸”した。
形ではない。
概念としての“存在”。
それが、私の深層を触っている。
「ニカ様!!」
アストルの声が遠くで響く。
「ニカ様!!……深層は!!……まだ貴女を受け入れる準備が整っておりません……!」
アストルの手が無造作に私の腕を掴んだ瞬間、
世界に引き戻されるように、ぐらりと揺れた。
呼び声──
視界が戻る。
ルミエラが私を支えてくれる。
ミリアが涙目で心配そうな顔で私を覗き込み、
ネリアお姉様が杖をしっかりと握りしめ、周囲を警戒している。
でも──
胸の奥だけが、まだ“触れられたまま”だった。
光粒が、触れられた感触に反応する様に、
最後にひときわ強く明滅する。
そして──
──返して。
声ではない。
音でもない。
意識の奥に直接触れる“意志”。
私にだけ届いた言葉。
その言葉は、胸が痛むほど強く脈打ち、
呼吸が出来ないほどに息が詰まる。
視界がぐらぐらと揺れる。
アストルがその気配を察し、顔色を変えて息を呑んだ。
深層の理が静かに波を打つ。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
深層で起きた出来事は、ニカにとっても私にとっても大きな転機になりました。
“返して” の意味は、もう少し先でゆっくりと明らかになっていきます。
これからも、物語の行く先を一緒に見守っていただけたら嬉しいです。