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【AWS Lore #SAA-25】狂気の門を越えて(Beyond the Gate of Madness)

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--第24話はこちらから

■扉の先へ

薄い霧のような揺らぎが、足元から静かに立ち上っていた。
空気が変わる。
色が抜け、音が遠のき、世界がわずかに二重に見える。
“層”が重なり始める前触れだと、私の内側が告げていた。

■揺らぎの始まり

アストルがゆっくりと悠然と一歩、前へ踏み出した。

その動きは老紳士そのものの優雅さを保っているのに、
その奥に潜む“熱”だけが、異様に濃い。
礼節を纏ったまま狂っている──そんな異様な気配。

「……ああ、その震え……
 どうしてそんなにも、美しいのでございましょう……ニカ様。」

私の背後で、ミリアがビクリと肩を震わせた。
ルミエラは私の袖をそっと掴む。
二人とも、声を出すことすらできない。

アストルは静かに続ける。

「恐れなくてよろしいのですよ。
 ニカ様の怯えは……わたくしにとって、祝福そのものにございます。」

優しい声。
けれど、その優しさは“歪んだ愛”の形をしていた。

胸の奥がざわつく。
視界の層が揺れ、世界がわずかに歪む。
私の内側の“層”が反応しているのが分かる。

アストルは、私のその揺らぎを見逃さない。

「……ご覧になれますか……この揺らぎを。
 ニカ様の内側の層が……わたくしを呼んでおります。」

■支える体温

「……ニカ姉……」
ミリアが小さく息を呑み、震える声で私の背中に額を押し当てる。
「……だめ……これ……前にも……感じた……
 あの時と……同じ……」

ミリアの声は震えていた。
彼女の中にある“過去の恐怖”が疼いているのが分かる。
その震えを、アストルは恍惚とした目で見つめた。

「……美しい震えでございます……」

ルミエラはミリアの手を握り返し、
もう片方の手で私の手を包む。
その温度は、確かに“人の温度”だった。

「ニカさん……大丈夫……わたし、ここにいます……」
その声は震えているのに、まっすぐだった。

その温度が触れた瞬間、
私の内側の層の揺らぎが、ほんの少しだけ静まった。
ルミエラ自身は気づいていないが、
彼女の温度には“層を安定させる力”があるのだろう。

アストルの目が不気味に細められる。

「……ほう……その温度……実に……実に興味深い……
 まるで……理の乱れを鎮めるような……
美しい……美しいですぞ!ルミエラ様!」

狂気の熱が、また一段階濃くなる。

だがその直後──
アストルの目が、一瞬だけ“正常”に戻った。

「……あぁ……申し訳ございません。
 少々、取り乱してしまったようでございます。」

その一瞬の正気が、逆に恐ろしい。
まるで“壊れた部分”が一瞬だけ表面に浮かび上がったようだった。

ミリアは私の背中にしがみつき、
震えながらも必死に言葉を絞り出す。

「……怖い……でも……ニカ姉となら……きっと大丈夫って……
 わたし……信じてるから……」

ルミエラも続く。

「ニカさん……呼吸を、ゆっくり……
 大丈夫……わたしも、ミリアさんも……一緒です……」

二人の温度が、私の揺らぎを少しだけ整えていく。
その温度がなければ、私は立っていられなかったかもしれない。

アストルはその様子を、恍惚とした表情で見つめていた。

「ニカ様が……その御足で一歩を踏み出される瞬間を……
 わたくしは……
 永きにわたり、胸の奥で温め続けておりました。
 幾度も、幾度も……夢に見て。
 どうか……どうか、このアストルの願いを叶えてくださいませ。」

その言葉は優しい。
けれど、それは優しさの皮を被った“執着の狂気”だった。

その瞬間──
世界が、静かに“ほどけた”。

■入口の理

空気が薄くなり、胸の奥がふっと軽くなる。
色がゆっくりと抜け落ち、
音が遠くへ流されていくように静かに消えていく。

視界の輪郭がゆらりと揺らぎ、
世界が二重に重なって見えた。

私の内側の層が、
まるで呼応するように震え、熱を帯びる。

そこに──
“入口の理”が現れた。

アストルが深く、深く頭を下げる。

「さあ……
 “入口の理”は、ニカ様を歓迎しております。
 どうぞ……ニカ様!……さぁ、どうぞお進みくださいませ。」

ミリアとルミエラの手の温度が、
私の背中をそっと支える。

私を取り戻そうと、ゆっくり息を吸う。
私は、その一歩を踏み出した。

■孤独の果て

私が足を踏み入れた瞬間、世界が“閉じた”。
そう。私だけが踏み入れた。
だけど、ルミエラとミリアは、その場から進めなかった……

背後の空気が、音もなく無情にも塞がる。
ミリアとルミエラの温度が、ふっと遠ざかった。

「……ニカ姉……?」
ミリアの声が、薄い膜の向こう側に押し込められたように聞こえる。

振り返る。
二人は確かにそこにいる。
けれど、距離が違う。
空気の層が一枚、厚く薄くしっかりと挟まっている。

ルミエラが手を伸ばす。
その指先は、私の肩に触れるはずだった。

──触れない。

指先が、透明な壁に阻まれたように止まる。

「……え……?」
ルミエラの瞳が揺れる。

ミリアは必死に壁を叩く。
「ニカ姉! ニカ姉!! なんで……なんで触れないの……!」

アストルだけが、静かに微笑んでいた。

「ご安心を。
 お二人は“外側”におります。
 ニカ様は……“内側”へ進まれた。」

その声は、誇らしげですらあった。

■内なる世界へ……

私は壁に手を当てる。
その壁は、何ものをも受け付けないように冷たい。
けれど、ミリアの手の温もりが、かすかに伝わってくる。

「……ニカ姉……怖い……戻ってきて……」
ミリアの声が震える。

私は首を振る。
「大丈夫。私は……ここにいる。」

けれど、声は届いていないようだった。

アストルが静かに歩み寄る。

「ニカ様。
 ここから先は……“お一人”でございます。」

その言葉に、背筋が冷たくなる。

「なぜ……?」
私が問うと、アストルは微笑んだ。

「理由など……決まっております。」

その目が、狂気の色で満ちる。
その口は、狂気を写して非情に歪む。

「ニカ様の“内側の層”は……
 他者の温度を必要としないからでございます。」
私の胸の奥が、ひどく熱くなる。
まるで、内側から何かが“目覚めよう”としているように。

アストルは恍惚とした声で、自分の愉悦を吐露するように続ける。

「ようやく……ようやくでございます……
 ニカ様が“本来の層”へ触れられる日を……
 わたくしは……どれほど……どれほど待ち望んだことか……」

世界がゆらりと揺れる。
視界がぐらりと波打つ。
色がぐるりと反転し、音が一気に裏返る。

私の内側の層が、
アストルの言葉に反応して震えた。

「……やめて……」
私は胸を押さえる。

アストルは歪んだ表情のまま、首を傾げる。
「やめる……?
 何をでございます?」

「私の……内側に……触れようと……しないで」
私は静かに、だけど熱を込めて反発する意志を宿す。

アストルは歪んだ微笑みを見せる。
その笑みは、優しさの形をした狂気だった。

「ふっ……ふっふっふ……
触れようとしているのではございません。
 ニカ様の内側が……“開こうとしている”のでございます。」

世界が、また揺れた。

ミリアが壁越しに叫ぶ。
「ニカ姉!! 戻ってきて!!
 そんなとこ行かないで!!」

ルミエラも必死に壁を叩く。
「ニカさん!! ダメです!! 戻って!!」

二人の声が、ゆっくりと静かに遠ざかる。

アストルの声だけが、鮮明に響く。

「さあ……ニカ様。
 “内側の層”へ……お戻りくださいませ。」

私は息を吸う。
胸の奥が痛むほどに熱い。
世界はまた歪んでいく。

そして──

私は、内側へ沈んだ。


静かに閉じた扉の向こうで、
何が目覚めるのかは、まだ誰にも分かりません。

次の層でお会いしましょう。

--第2部全話はこちらから

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