灰色の海に、ぽつんと一つ
大きな組織の中でアジャイルをやろうとするのは、海に浮かぶ小さな島で暮らすのに似ている。
自分たちのチームは、船で言えば甲板の上まで手入れが行き届いている。デイリーで声をかけ合い、レトロで本音を出し、スプリントごとに少しずつ航海術がうまくなっていく。ところが視線を上げて水平線を見ると、そこにあるのは同じように孤立したいくつもの島だ。別ラインの開発チーム、品質を守る部門、事業を企画する人たち。どの島にも灯りは点っているのに、島と島のあいだには、渡る手立てのない灰色の海が横たわっている。
「オープンに協働しよう」。アジャイルの教科書はそう言う。言うのは簡単だ。実際にやろうとすると、こちらの声は波にさらわれて向こうに届かず、向こうの事情もこちらからは見えない。何度か手を振って、返事がないことに慣れて、やがて手を下ろす。あの無力感を、たぶんあなたも知っている。
この記事は、その海をどう渡るかの話だ。壁を壊す話ではない。壁は、たぶん壊せない。壊せないものを壊そうとするから、心が折れる。壊すのではなく、航路を引く。島を一つずつ、細い線でつないでいく。今日から、自分の島の桟橋から始められることだけを書く。
「どこへ向かっているのか」という声
航路の話をする前に、島の中の話を一つだけ。
いくつかのプロジェクトにスクラムマスターとして関わってきて、繰り返し出くわす症状がある。手元のタスクはちゃんと進んでいる。バーンダウンも右肩下がりで、数字だけ見れば健康だ。なのに、ある日ふと、メンバーの声にこういう色が混じる。「目の前のことは進んでるんですけど……僕たち、どこに向かってるんでしたっけ」。
これは危険信号だ。事業ビジョンやプロダクトビジョンという、いちばん根っこの情報が、チームの隅々まで行き渡っていないときに出る症状だと思っている。ビジョンは一度発表して壁に貼って終わり、ではない。本当は、日々のプランニングやレトロ、バックログの優先順位づけ、そのすべての意思決定を照らす北極星であるべきものだ。
北極星が見えていないと、どうなるか。メンバーは、渡された海図の座標へ黙って舵を切るだけの水夫になる。「なぜこの島を目指すのか」を知らないまま櫂を漕ぐ。アジャイル本来の強みである自律的な提案も、状況に合わせて舵を切り直す柔軟さも、そこからは生まれない。北極星があるからこそ、途中の進路変更が「迷走」ではなく「前進のための修正」になる。軸がブレないから、変化に適応できる。順番が逆なのだ。
だから、島の中でまずやるべきは、「なぜこの海を渡るのか」「自分たちのプロダクトはどうありたいのか」を、しつこいくらい繰り返し語り、対話し続けること。うんざりされるくらいでちょうどいい。それがスクラムマスターやプロダクトオーナー、リーダー層のいちばん地味で、いちばん効く仕事だと、最近あらためて思い知らされた。
さて。島の中に北極星が灯った。ここからが本題だ。その灯りを、どうやって隣の島まで届けるか。
全部の島を、一度には照らせない
海を渡ろうとして最初に犯すのは、たいてい「全体を一気に変えよう」とする失敗だ。組織図の頂点から号令をかければ、すべての島が同時に開かれる。そう夢見たくなる。無理だ。一つのチームで巨大な組織構造を直接動かすのは、素手で潮の流れを変えようとするようなもので、疲れ果てるだけで海は一ミリも動かない。
コントロールできるのは、自分の島の桟橋までだ。だったら、そこから始めればいい。自分たちが手を伸ばせる範囲、影響の届く範囲から、じわじわと境界を広げていく。石を一つ、水面に落とす。生まれた波紋が、隣の島の岸を静かに叩く。その繰り返しでしか、海は狭くならない。
以下は、その桟橋から打てる四つの手だ。順番に効かせる必要はない。あなたの島から見て、いちばん近い島に効きそうなものから始めればいい。
一つ目 ―― 自分の島に、灯台を建てる
海を渡る第一歩は、船を出すことではない。まず、自分の島をこれ以上ないほど明るく照らすことだ。
相手から情報が来ないと嘆く前に、こちらから全部を開いてしまう。スプリントレビューのデモ会を「見学自由」にして、隣のチームや関係部署に招待を投げ続ける。開発の進捗だけでなく、自分たちが目指すビジョンも、いま直面してうまくいっていない課題も、誰でも覗ける場所に置き出す。うまくいっている話だけを飾るのではなく、詰まっているところまで見せるのがコツだ。
何をやっているか分からない島は、警戒される。灯りが点いているのか消えているのかも分からない島には、誰も船を向けない。逆に、暗い海の中で煌々と灯台を灯し、しかも「うちはいま、この暗礁で難儀しています」と正直に光らせている島には、不思議と人が関心を寄せる。助けたくなる。灯台は、来てくれと叫ぶための設備ではない。ここに島がある、と黙って知らせ続けるための設備だ。
二つ目 ―― 橋を架ける前に、対岸の地面を知る
ここで、私自身のいちばん恥ずかしい失敗を書いておく。
灯台を建てた勢いのまま、私は隣の島へ船を出した。そして、やってはいけないことをやった。正論をぶつけたのだ。「もっとアジャイルにやりましょう」「情報はオープンにすべきです」。自分たちのやり方の正しさを、そのまま持ち込んで布教しようとした。
結果は、みごとに逆効果だった。相手の島の岸は、前より高く、硬くなった。当たり前だ。向こうには向こうの地面がある。守るべき規律があり、評価される基準があり、達成しないといけないKPIがある。サイロに立てこもっている部門は、悪意で壁を作っているわけではない。彼らなりの理由で、その壁が必要なのだ。それを無視して「あなたの土地の作り方は間違っている」と乗り込めば、跳ね返されるに決まっている。腹の底で、少しだけ、ぞっとした。良かれと思った一手が、海を広げていた。
そこから、やり方を変えた。橋を架ける前に、対岸の地面を知る。「なぜ協力してくれないのか」と責めるのをやめて、「この人たちは何を恐れ、何を成し遂げたいのか」を先に理解する。入り口は、業務の依頼でも交渉でもない。「最近、そちらのチームどうですか」という、なんでもない雑談だ。信頼という橋げたは、用件のない会話の中でしか固まらない。急がば、遠回りして地面を踏み固めろ。橋は、それからだ。
三つ目 ―― 対岸に、たった一人の灯りを見つける
組織全体を一度に開く必要はない。むしろ、そう考えるのをやめた瞬間に、道が見える。
隣の島の住人、全員を仲間にしなくていい。たった一人でいい。同じ問題意識を持っている他チームのスクラムマスター、話の通じるエンジニア、こっそり熱を持っている企画担当。対岸のどこか一つの窓に灯りを見つけて、そこにだけ細い一本の航路を通す。一人見つかれば、その島にはもう風穴が空いている。
草の根の勉強会でもいい。社内にアジャイルの小さなコミュニティを立ち上げる、あるいは既にあるものに顔を出す。所属の島をまたいで横につながった線は、組織図には載らない。載らないが、いざというとき、公式のルートよりずっと速く物を運ぶ。海賊の抜け道みたいなものだ。表の航路が塞がっても、そこだけは通じている。
四つ目 ―― 言葉ではなく、積荷で証明する
「アジャイルは大事だ」「ビジョン共有こそ肝要だ」。正論で説き伏せようとすると、二つ目の失敗に逆戻りする。人を動かすのは、演説ではなく、届いた積荷だ。
相手の島がボトルネックだと感じている小さな困りごとを、こちらのスキルで一つ、そっと片づけてみせる。大手柄でなくていい。むしろ小さいほどいい。「あのチームと組むと、話が早い。なぜか成果が出る」。そういう評判が、港から港へ、荷を運ぶ船に乗って広がっていく。正しさは説得だが、成果は証明だ。証明された島には、次から向こうのほうから船が来る。
波紋は、思ったより遠くまで届く
四つの手を、焦らず順に打っていった先で、何が起きたか。
劇的な組織改革は、起きなかった。号令一下で壁が崩れる、みたいなことは一度もない。起きたのは、もっと地味で、もっと確かなことだ。灯台の光に気づいた対岸の一人が、ある日デモ会にそっと現れた。雑談で地面を知った相手が、こちらの困りごとを先回りで拾ってくれるようになった。小さな積荷を届けた港から、「あの島と組みたい」という声が、また別の港へ伝わっていった。
石は一つしか落としていない。なのに波紋は、自分の島から見えないところまで広がっていた。組織を変えたのではない。影響を与えただけだ。この二つは、似ているようでまったく違う。前者は不可能で、後者は今日からできる。
そして分かったことがある。生き生きと協働して成果を上げている島の姿そのものが、灰色の海に疲れた他の島にとっての、希望のモデルケースになる。「ああやってもいいのか」。その一言が、次の島の桟橋で誰かに櫂を握らせる。人はコストではなく資本だ、というこのチームの信念は、実は自分の島の中だけの話ではなかった。隣の島の一人に灯りを見つけ、その人の成長に少し投資する。返ってくるものは、複利で、しかも海を越えてくる。
北極星さえブレなければ、進路はいくらでも引き直せる。壁は壊せない。けれど、海には、いくらでも航路が引ける。焦らず、一本ずつ。あなたの島の桟橋から。
追伸 ―― 「いれて」の三文字
この前の休みに、上の子を公園に連れていった。もうすぐ四歳になる息子だ。
砂場では、知らない子どもたちが三人、もう立派な国を築いていた。トンネルを掘り、山を盛り、水路まで引いている。うちの子は、少し離れたところから、それをじっと見ていた。混ざりたいのは、背中を見れば分かる。でも、あいだには見えない海があった。近づいては、止まる。それを何度か繰り返していた。
私は口を出さなかった。出したくてうずうずしたが、こらえた。しばらくして、息子が、砂場の縁で見つけた小さなスコップを一つ、無言でその子たちのほうへ差し出した。言葉より先に、積荷だ。相手の子が受け取って、それから、こう言った。「いっしょにやる?」。「いれて」と叫ぶより、スコップ一本のほうが早かった。
帰り道、抱っこの中で早々に寝落ちした息子の重みを感じながら、思った。大の大人が組織論と呼んで難しがっているものの正体は、たぶん、砂場のあれと大して変わらない。壁の向こうへ渡る方法を、四歳はもう知っている。私はそれを、ずいぶん長い遠回りをして、思い出しているだけなのかもしれない。