■内層からの干渉
これは……触れられた……?
違う。
私は何もしていない。
何も触れていない。
――これは……向こうが、私を……呼び返している……の?
静かに更に深く沈む。
底のない場所へ、静かに落ちていくような感覚。
床も、天井も、空気も、温度も、空間のすべてが曖昧になっていく。
目を閉じた覚えはないのに、
視界は不安を煽るように暗く、
それでも“何か”がこちらを見ている気配だけは鮮明だった。
その暗闇の奥で、
光とも影ともつかない粒子が、ゆっくりと漂っている。
触れられないのに、確かに“そこにある”。
音はないのに、脈動のような揺れが空間を満たしていく。
温度がない。
ミリアの温度も、ルミエラの温度も、
外側で微かに感じた、ネリアお姉様の静かな気配すら届かない。
代わりに――
私の内側の層が、呼吸していた。
深いところでざわりと“理”がざわめく。
私の……存在に……反応している……?
でも、私はまだ何もしていない。
私は、何も触れていない。
呼び返されている。
そんな感覚だけが、繰り返し確かに感じる。
■ 記憶の揺れ
沈みゆく途中で、断片がいくつも浮かぶ。
ルミエラの心配そうな可愛い笑顔。
ミリアの手の緊張した温かい体温。
ネリアお姉様の優しくも、守られていると感じられる静かな眼差し。
アストルの歪んだ狂気の残響。
どれも触れられそうで、触れられない。
まるで水面に映った記憶を、指先でなぞっているような距離感。
「……みんな……」
声を出したつもりなのに、音はどこにも届かない。
音が掻き消されるように、するりと飲み込まれる。
外側の層との繋がりが、完全に断たれた?
■ミリアとルミエラ
「ニカ姉……? 返事して……!」
ミリアの声が震える。
ルミエラは冷静に見えるが、指先が微かに揺れていた。
「……反応が、……ニカさんの……反応が……途切れました」
「そんな……さっきまで普通に話してたよね
ねぇ……ルミエラさん……どういうこと!?」
ミリアは壁の手前にある
ニカの身体に触れようとするが、
何故かその手は届かない。
「……温度が、ない……?」
驚いたミリアは、ルミエラに顔を向ける。
ルミエラは静かに首を振る。
「違います。奪われたのではありません。
ニカさんが……“別の層”に沈んでいます」
「別の……層……?」
ミリアの声が細くなる。
「はい。これは……呼ばれている揺れです」
■お姉様の支援
1人、ニカ達を見送った宿屋の部屋。
ネリアお姉様は静かに本を開いていた。
何度かページをめくっていた、その時、
空気がじわりと、一度だけ沈んだ。
周囲の温度が変わる。
確認できる範囲の音が消える。
理の層が波打つような揺れがゆらりと走る。
ネリアお姉様は本を閉じ、
静かに立ち上がった。
「……ニカさんが、沈んだのですね」
焦りはない。
ただ、揺れの“質”を読む。
これは、危険な揺れではない。
破壊や拒絶の波形ではない。
もっと深く、静かで、呼吸のような……“受容の揺れ”。
「これは……危険ではありません。
けれど、残っているルミエラさんたちを放置もできませんね」
足音は静か。
しかし歩く速度は速い。
その足取りには、一切の迷いはなかった。
理の揺れを追うように、
ルミエラたちのいる場所へ向かう。
ネリアお姉様が到着した瞬間、
ミリアの不安とルミエラの緊張を一目で把握する。
「お二方……大丈夫ですよ。」
ネリアお姉様は静かに、2人の心配を振り払うように優しく言葉を紡いだ。
「ニカさんは、呼ばれているだけです」
■狂気の果てに
アストルは震えていた。
その震えは寒さでも恐怖でもない。
胸の奥で沸騰するように膨れ上がる、
抑えきれない歓喜と嫉妬の混ざった“揺れ”だった。
周囲の空気がわずかに歪む。
光が揺らぎ、影が脈動するように見える。
アストルの視界には、
深層へ沈んでいくニカの“位置”だけが
異様なほど鮮明に浮かび上がっていた。
「……あぁ……なんという……
深層が……ニカ様を……“選ばれた”……」
その声は震え、
歓喜とも、嫉妬ともつかない色を帯びていた。
アストルは胸に手を当て、
まるで祈るように目を閉じる。
しかしその指先は、
抑えきれない熱に震えていた。
「呼ばれておられる……
あの脈動……あの揺れ……
触れられぬ距離が……私を狂わせる……
あぁ……なんと美しい……」
深層は“選んだ者”しか受け入れない。
アストルはそれを知っている。
だからこそ、触れられない距離が
彼の狂気をさらに煽る。
「……ニカ様……私は深層には触れられません……
ですが……どうかご安心を……
私は……どれほど離れていようとも……
あなたを見失うことなど……決してございません……」
アストルの瞳は、
深層の揺れを追うように細く細く光を宿す。
その光は、狂気の熱でゆらゆらと揺れていた。
「……あぁ……しかし……
その深層の脈動……その揺れ……
触れられぬ距離が……私を狂わせる……
けれど……それでよいのです……」
アストルは微笑む。
その笑みは静かで、優しくて、
しかし底が見えないほど歪んでいた。
「触れられないからこそ……
私は……あなたを“永遠に”見続けられる……
どうか……そのまま……ご安心して沈んでくださいませ……
私は……この狂気のまま……
あなたを見届けております……ずっと……」
アストルのその言葉は、ニカには届かない。
だけど、その視線は確かにニカを捉えていた。
■呼び返しの強度
呼び返される感覚が強まる。
最初は微かな揺らぎだった。
次に、脈動のような反応が返ってくる。
そして――
静かな受容。
“こちらを覗いている”
そんな気配がある。
敵意はない。
ただ、私の存在を確かめているだけ。
「……見てる……?」
返事はない。
でも、確かに“そこにいる”。
深層の理が、私を受け入れ始めている。
その瞬間、
私の呼吸と深層の脈動が、ゆっくりと同期し始めた。
輪郭が曖昧になる。
身体の境界が、深層の揺れに溶けていく。
まるで“私”という存在が、深層に書き込まれていくような感覚。
触れられてはいない。
けれど、確かに“迎え入れられている”。
■断絶の確定
外側の声は届かない。
温度も、気配も、すべてが遠い。
内側の層は静かに呼吸している。
その呼吸が、私の存在に合わせて揺れる。
私は――
深層に触れた最初の人間として、
認識されてしまったのだ。
沈む。
さらに深く。
静かに。
そして、物語は次の層へ進む。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
ニカが深層に触れたことで、物語は次の段階へ進みます。
次回も、ゆっくりとお付き合いいただければ嬉しいです。