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和歌の誤植がかなり多いので、和歌初心者さんにはおすすめし難いです。
国文学方面で否定されている説を用いておられる箇所も。
ご自身も序文で断っておられますが、和歌や国文学ではなくあくまで歴史学の方の書かれたものとして読むのがよいかと思います。
源実朝や西行についての書もある五味氏による、後鳥羽上皇論。
上記の他の書と同様に、後鳥羽上皇の歌人として、あるいは新古今和歌集編纂への流れを中心に描いている。
後鳥羽上皇には、武士政権に対峙した承久の乱の首謀者としての、政治家としての側面もあるが、残念ながら、そうした点にはあまり触れられていない。
そうした点があるからか、決してつまらない本ではないと思うのだが、物足りなさを感じてしまった。
同じ角川選書の田渕句美子著「新古今集 後鳥羽院と定家の時代」と比較すると本書の特徴がわかりやすい。即ち、どちらも新古今集とその時代の本だが、「新古今集〜」が扱う期間は後鳥羽上皇と定家の出会いから両者の死まで。それに対し本書は二人の出会いから新古今集の奏覧まで、つまり1200〜1205年の短期間に大部分の頁を費やす。ときの文化の主宰者である上皇の成長を探ることに主眼を置き、約5年間に行われた歌合等を丹念にフォローし、そこで詠まれた歌を新古今集に採られたものを中心にピックアップする。あわせて公武の政治の動向に意を払い、代表的な歌人に個別にスポットをあてる。
その結果、本書では相当な数の和歌が採り上げられる。しかもそのほとんどに訳がついていない。このため一般の読者は新古今集の和歌の解説本を用意し、それを頻繁に参照しないと本書を読む意味がないだろう。逆に言うと、新古今集のかなりの数の和歌に目を通す良い契機にはなる。
1205年の奏覧で時代を区切ったことに違和感がなくもない。新古今集の序の日付はいわば公式の完成日にすぎず、実際には「成立」までなお数年の編纂作業が続いたのだから。
このように本書は一般の読者向けの本ではない。だからといって無味乾燥でもない。それは、例えば歌人たちが花見の後に横笛やひちりきを吹き合いながら四人乗り合って家に帰ったといった心惹かれる光景を書き漏らしていないからだと思う。
新古今集完成に至るまでの、後鳥羽上皇の前半生が丹念に描き出されています。特に上皇が生まれて成人するまでの周囲の政治情勢・時代背景についてはたいへん興味深く読まれました。
一方で、ひそかに疑問符をつけざるを得ない点もありました。まず、特に和歌の引用において時々誤植があるので、注意が必要です。たとえば三二二頁の雅経歌、「移りゆく雲に風の声すなり」とありますが、これは当然「嵐」でなくては歌になりません。「はじめに」で「歴史家にとって苦手な和歌」という一節がありましたが、確かに多くの和歌が引かれている割には、その評釈や鑑賞には深くは踏み込まないという方針のようで、その点いささか物足りなさも感じられるかもしれません。
著者は史学畑の先生ということで、国文の者から見てはどうかと思われる点もありました。撰者たちが各自の選歌を提出し、集約されたものに上皇が合点を付した後の段階で、「撰者による精選」(三一九頁)といった表現が何度か見受けられますが、この段階ではすでに歌の出し入れは上皇が全権限を持っていたと考えられます。撰者は勝手に選んだり捨てたりは出来なかったはずなので、いささか疑問でした。
もう一つ、細かい点ですが西行について言及したくだり(三四三頁)、有名な「願はくは花の下にて春死なん」が一九九三番歌として引用されていますが、これは正確には切出歌です。のちに続古今集で採られた歌なので、ここに新古今歌として引かれるのは如何かと思います。
しかし国文関係の事柄でも、上皇から見た雅経や有家の位置など、私にとっては興味深い問題提起も少なからずありました。この時代の和歌を学ぶ者にとっては必読の書物といってよいでしょう。