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編集の提案
購入オプションとあわせ買い
【津野海太郎 実践のクロニクル1977-2001】
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〈本書への推薦コメント〉
単なる機械的労働とみなされかねない「テープおこし」のような事象に、実体験の厚みからくる説得力と、切れ味のよい言葉のリズムで迫り、「編集」概念のうちに新たな思考の領野を切り拓く、魅惑に溢れた知の姿。
大山エンリコイサムさん(美術家)
私は津野さんを畏敬すべき大先輩だと思っていた。事実そうだ。でも、この本で活動しているのは私と同い年の津野さんである。まさか同輩として共同の未来のために協働できるチャンスがやってこようとは。夢のような本。
吉川浩満さん(文筆家・編集者)
話しことばと書きことば、語り手と受け手、あの時といまここ、変わりゆく社会や技術、人生のあわいで思考し、クリエイティビティを発揮する技法としての編集。津野さんの豊かな感性と信条を通して編集という営みの奥深さを堪能。
小川さやかさん(文化人類学者)
編集者の津野さんは、人の話を聞いたり読むときは、言葉だけでなく、表面に出てこない意図や文脈までも受け取っている。それを読者に伝えるときは、言葉も文脈も丸ごと歪まず受け手がキャッチできるように、材料を集めて選んで整えている。発信者も読者も、人間だ。「人の本性」に向き合い続けてきた津野さんの仕事ぶりは、現代の知的生産、知識労働のお手本になる。
篠田真貴子さん(エール株式会社 取締役)
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〈目次〉
実用本位の夢 編者によるまえがき
第1章 取材して、演出する
テープおこしの宇宙/座談会は笑う/初歩のインタビュー術/雑誌はつくるほうがいい
第2章 人とかかわる、固定観念を脱する
太い指とからっぽの部屋/植草甚一さんの革トランク/編集者としての植草甚一/雑誌のロンサム・カウボーイ
第3章 テクノロジーと歩む
シロウトがつくったマニュアル/フランケンシュタインの相対性原理/パソコン通信で対話できるか
第4章 変化を編集する、編集することで変わる
本の野蛮状態のさきへ/森の印刷所/「世界の書」――アジアの髄からマラルメをのぞく
第5章 複製技術は時を超える
印刷は編集の敵にあらず/子ども百科のつくりかた/晩年の運動/編集者というくせのゆくえ
鼎談・星座をつくりたい 津野海太郎×若林恵×宮田文久
- 本の長さ288ページ
- 言語日本語
- 出版社株式会社黒鳥社
- 発売日2022/3/15
- 寸法12.8 x 1.5 x 18.8 cm
- ISBN-104991126088
- ISBN-13978-4991126086
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商品の説明
著者について
1938年、福岡県生まれ。評論家・元編集者。早稲田大学文学部を卒業後、演劇と出版の両分野で活動。劇団「黒テント」演出、晶文社取締役、『季刊・本とコンピュータ』総合編集長、和光大学教授・図書館長などを歴任する。植草甚一やリチャード・ブローティガンらの著作の刊行、雑誌『ワンダーランド』やミニコミ『水牛』『水牛通信』への参加、本とコンピュータ文化の関係性の模索など、編集者として多くの功績を残す。2003年『滑稽な巨人 坪内逍遙の夢』で新田次郎文学賞、09年『ジェローム・ロビンスが死んだ』で芸術選奨文部科学大臣賞、20年『最後の読書』で読売文学賞を受賞。他の著書に、『したくないことはしない 植草甚一の青春』『花森安治伝 日本の暮しをかえた男』、『百歳までの読書術』、『読書と日本人』など。
宮田文久(編者)
1985年、神奈川県生まれ。フリーランス編集者。博士(総合社会文化)。2016年に株式会社文藝春秋から独立。WIRED.jp、i-D Japan、CINRAといったウェブ媒体でポン・ジュノ、タル・ベーラ、一柳慧、細野晴臣、坂本龍一らへインタビューするほか、伊藤亜紗・渡邊淳司・林阿希子『見えないスポーツ図鑑』(晶文社)や各文芸誌をはじめ、対談の構成や書籍の編集協力などを担う。本書が初めての編著となる。
登録情報
- 出版社 : 株式会社黒鳥社
- 発売日 : 2022/3/15
- 言語 : 日本語
- 本の長さ : 288ページ
- ISBN-10 : 4991126088
- ISBN-13 : 978-4991126086
- 商品の重量 : 350 g
- 寸法 : 12.8 x 1.5 x 18.8 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: 本 - 546,297位 (本の売れ筋ランキングを見る)
- 図書館関連書籍 - 225位
- 近現代日本のエッセー・随筆 - 8,849位
- カスタマーレビュー:
著者について

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カスタマーレビュー
日本からのトップレビュー
- 星5つ中5つ
本とは雑誌とは何か、編集とは何か
2022年9月7日に日本でレビュー済み本、雑誌、編集、テープ起こし、インターネット、などについて編集者、読者、生活者の視点で縦横無尽に語られている。
特に印象に残ったのは、テープ起こしの作業は演出家的なものである事、雑誌は楽しんで作っているという空気を売るという事、編集の仕事は、あるものを星座のように組み合わせて新しい価値を産むものという事、子ども達は必要な知識を与えられていない事、出版社は売れる本しか作れないがそれでは本という広い世界全てを伝えられないない事、インターネットのコミュニケーションはは批評が直に来るので傷つきやすい、だがそれを規制するのもどうかと思う、など。色々と考えさせられた。
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先達の教え
2025年10月4日に日本でレビュー済み先達の教えを感じました。
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「編集」という作業を考えるヒントが詰まった一冊
2022年4月27日に日本でレビュー済み『編集の提案』(津野海太郎著、宮田文久編、黒鳥社)には、かつて編集者としてひとつの時代を築いた津野海太郎が1977~2001年に書いた文章が収められています。
「編集の実務にかかわろうとかかわるまいと、植草(甚一)さんのしごとのすすめ方、もっといえば、あの人の生き方すべてが、ある種の編集作業だったのではないだろうか」。
「(物理学者の)木下(是雄)氏は『理科系の作文技術』という名著の著者で、ここ30年ほど、マニュアルをふくむ技術文書の日本語表現の質を高めるべく、さまざまな試みをかさねてきた。その木下氏が『本道』というのは、ようするに海老沢(泰久)氏のえらんだ方法が、期せずして『理科系の作文技術』の基本的な主張に合致していたという意味なのであろう。①作業の手順をしっかり観察する。観察したことを正確に順序だてて記録してゆく。②べつの人間が、その記録にしたがって作業を再現してみる。③おなじ結果が得られればよし。もしそうならなければ、そこでつかわれていることばには意味がなかったと判断する。――この単純明快な意味論を欠いては科学者の研究作業はなりたたない。こうした科学者のやり方を、海老沢氏はかれのマニュアルづくりで、そうと意識することなしに踏襲していたことになる。偶然にそうなったのではない。長編第一作の『監督』をはじめ、海老沢氏はこれまでにスポーツマンを主人公にした数おおくのノンフィクション小説を書いてきた。野球、モーターレース、水泳など、じぶんではやったことのない未知の技術のしくみ、人間が道具をつかうしかた、その動作を、書きことばによって再現する能力をきたえつづけてきた。マニュアルを書くにあたって、この能力が有利にはたらいたであろうことは想像にかたくない」。
「渡部昇一の『知的生活の方法』は、講談社現代新書から1976年に出版された。それは一見したところ、その7年まえにでた梅棹忠夫の『知的生産の技術』のかずおおい亜流の一冊であるかのようだ。ただし例によって前者(渡部)には後者(梅棹)にたいする微妙なあてこすりがふくまれている。たとえば読書にかぎってみても、梅棹は『読書をたのしむなどというのは、何か不健康な、倒錯的な楽しみとさえ、感じられてならない』という見解のもちぬしである。本は現実ではないのだから、本にたいするフェティシズムを警戒する。もし読まないですませられるのなら、本など読まないにこしたことはない。登山にせよ探険にせよ、まずなんらかの行動上の課題があって、本を読む。そのための実践的技術を公開するというのが梅棹の『知的生産の技術』が第一の目的とするところだった。・・・では渡部昇一の場合はどうか。かれはここでも『私有権の神聖』を主張し、『知的生活』の質はどれだけ『自分の本』を所有しているかによってきまると説く。『結婚して子供ができたとたんに、知識を愛し、芸術を愛した青年が、一冊もまともな本を買わなくなり、クラシックの音楽会行きもピタリとやめる、などという例は悲しいほど多いのである。知的な生活が細々とでも続いている確実な外的指標としては、少しずつでもちゃんとした本が増えているかどうかを見るのが、いちばん簡単な方法である。大の男が、10年間に一冊も本らしい本を買わなかった、ということは、この人は日常生活のみをやって通したということなので、知的生活はなかったと言ってもよいだろう』」。津野は、渡部の「所有中心の読書」に対する、梅棹の「行動中心の読書」に軍配を上げているが、私は渡部の見解に共感を覚えます。
「古来、『世界の書』――つまり『世界としての書物』という観念は、『書物としての世界』という認識によって裏うちされてきた。私たちが生きている世界はおびただしい標識・記号・文字によってすっぽりおおわれている。私たちはそれらの記号群を一つ一つ読みときながら、この世界に生きている。したがって、この世界こそがまるごと一冊の本なのだという認識ですね。モンテーニュの『この大世界が教科書なのです』もそうだし、デカルトの『世間という大きな書物』もそう。寺山修司が『書を捨てて町にでよう』といったときの町――あれも若いデカルトが読んだのとおなじ種類の『大きな書物』だったのでしょう。そして町や世界を読むには、印刷された本を読むのとは別の読み書き能力がいる」。
知的好奇心を掻き立てられる一冊です。

『編集の提案』(津野海太郎著、宮田文久編、黒鳥社)には、かつて編集者としてひとつの時代を築いた津野海太郎が1977~2001年に書いた文章が収められています。
「編集の実務にかかわろうとかかわるまいと、植草(甚一)さんのしごとのすすめ方、もっといえば、あの人の生き方すべてが、ある種の編集作業だったのではないだろうか」。
「(物理学者の)木下(是雄)氏は『理科系の作文技術』という名著の著者で、ここ30年ほど、マニュアルをふくむ技術文書の日本語表現の質を高めるべく、さまざまな試みをかさねてきた。その木下氏が『本道』というのは、ようするに海老沢(泰久)氏のえらんだ方法が、期せずして『理科系の作文技術』の基本的な主張に合致していたという意味なのであろう。①作業の手順をしっかり観察する。観察したことを正確に順序だてて記録してゆく。②べつの人間が、その記録にしたがって作業を再現してみる。③おなじ結果が得られればよし。もしそうならなければ、そこでつかわれていることばには意味がなかったと判断する。――この単純明快な意味論を欠いては科学者の研究作業はなりたたない。こうした科学者のやり方を、海老沢氏はかれのマニュアルづくりで、そうと意識することなしに踏襲していたことになる。偶然にそうなったのではない。長編第一作の『監督』をはじめ、海老沢氏はこれまでにスポーツマンを主人公にした数おおくのノンフィクション小説を書いてきた。野球、モーターレース、水泳など、じぶんではやったことのない未知の技術のしくみ、人間が道具をつかうしかた、その動作を、書きことばによって再現する能力をきたえつづけてきた。マニュアルを書くにあたって、この能力が有利にはたらいたであろうことは想像にかたくない」。
「渡部昇一の『知的生活の方法』は、講談社現代新書から1976年に出版された。それは一見したところ、その7年まえにでた梅棹忠夫の『知的生産の技術』のかずおおい亜流の一冊であるかのようだ。ただし例によって前者(渡部)には後者(梅棹)にたいする微妙なあてこすりがふくまれている。たとえば読書にかぎってみても、梅棹は『読書をたのしむなどというのは、何か不健康な、倒錯的な楽しみとさえ、感じられてならない』という見解のもちぬしである。本は現実ではないのだから、本にたいするフェティシズムを警戒する。もし読まないですませられるのなら、本など読まないにこしたことはない。登山にせよ探険にせよ、まずなんらかの行動上の課題があって、本を読む。そのための実践的技術を公開するというのが梅棹の『知的生産の技術』が第一の目的とするところだった。・・・では渡部昇一の場合はどうか。かれはここでも『私有権の神聖』を主張し、『知的生活』の質はどれだけ『自分の本』を所有しているかによってきまると説く。『結婚して子供ができたとたんに、知識を愛し、芸術を愛した青年が、一冊もまともな本を買わなくなり、クラシックの音楽会行きもピタリとやめる、などという例は悲しいほど多いのである。知的な生活が細々とでも続いている確実な外的指標としては、少しずつでもちゃんとした本が増えているかどうかを見るのが、いちばん簡単な方法である。大の男が、10年間に一冊も本らしい本を買わなかった、ということは、この人は日常生活のみをやって通したということなので、知的生活はなかったと言ってもよいだろう』」。津野は、渡部の「所有中心の読書」に対する、梅棹の「行動中心の読書」に軍配を上げているが、私は渡部の見解に共感を覚えます。
「古来、『世界の書』――つまり『世界としての書物』という観念は、『書物としての世界』という認識によって裏うちされてきた。私たちが生きている世界はおびただしい標識・記号・文字によってすっぽりおおわれている。私たちはそれらの記号群を一つ一つ読みときながら、この世界に生きている。したがって、この世界こそがまるごと一冊の本なのだという認識ですね。モンテーニュの『この大世界が教科書なのです』もそうだし、デカルトの『世間という大きな書物』もそう。寺山修司が『書を捨てて町にでよう』といったときの町――あれも若いデカルトが読んだのとおなじ種類の『大きな書物』だったのでしょう。そして町や世界を読むには、印刷された本を読むのとは別の読み書き能力がいる」。
知的好奇心を掻き立てられる一冊です。
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