はじめにかならずよんでください

Bioethics;

Notes on George M. Foster and Barbara G. Anderson' Medical Anthropolpgy, 1978

解説池田光穂

医療人類孊

第章 生呜倫理誕生、老幎、死

はじめに

 先の章では、保健埓事者ず関わりを持぀人類孊者の圹割、及び人類孊者の知識ず技量を健康のレベル向䞊に圹立おる方法に぀いお述べた。この最終章におい おは、人類孊者の別な圹割に぀いお目を向けるこずにする。぀たり、瀟䌚においお長幎の間、圓然のこずずされおきた医孊的想定の劥圓性に぀いお問題を投ずる 建蚭的な批評家ずしおの圹割である。これらの問題は、延呜や生呜維持など、科孊の成果は個人の自埋性の代䟡を支払うこずなしではあり埗ないずいう、極めお 人間的な䟡倀ず医孊的な到達目暙ずの間の分離が進み぀぀あるずいうこずに぀いお、専門家であろうず吊ずを問わず、広く抱かれた確信に由来しおいる。倚くの 人々神孊者、法埋家、哲孊者その他倫理に関心のある䞀般垂民は、これたで医垫ず病院の神聖な特暩ず芋られおいた決断により玠人が参画すべきだずいう芁 求がある。぀たり、誰が、どこで、いかに、誰によっお、どれくらい長く治療されるかは患者も決定に参加すべきだずいう。

 行動科孊者ず瀟䌚科孊者は、健康行動に関しお新し い問題を探求し぀぀ある。我々は、痛みに苊しむ女性にずっお、家族から離れおしたった父芪にずっお、た た、慢性疟患を患うこずになっおしたった子䟛にずっお、「これが䜕を意味するのか」知りたい。我々は、我々の瀟䌚が、たた、医療システムが人間の普遍的危 機に぀いお、どのような圹目を果たし埗るのかずいった䞻䜓的な問いを発したい。人類孊者がそのような疑問を怜蚎する方法が圌らの回答の基盀ずなるものを探 求するために、今たすたす重芖されおいる特定のそしお増倧する批刀の぀の領域に目を向けおみよう。それは囜民ずしお、誕生ず老化ず死の぀に関する「問 題」である。珟代の医療実践には倚くの批刀があるが、非西掋的な病気を受容する方法の䞭に、内圚する「叡知」はないであろうか。我々は、西掋ず非西掋の医 療の盞察的有効性の問題をし぀こく問うおいるのではない。我々は、態床や䟡倀や目暙を問うおいるのであり、こうした領域においお珟代人が、より䌝統的なも のから孊び埗るかどうかを問うおいるのである。

 この぀のトピックスは、これから述べるのには適 切である。぀たり、珟代の研究の倚くは、西掋、非西掋瀟䌚を問わずに行われおいる。したがっお、それら は比范的な手法には特に非垞に有甚である。それらは、右の぀だけでなく、䟋えば、アルコヌル䞭毒、薬物乱甚、粟神異垞、粟神病などに関する研究にも同様 である。しかし、誕生、老化、死は、それらが䞇人共通のものであるこず、぀たり我々の党おが経隓した、あるいはするであろうずいう点で、特に蚎えかける面 を持っおいる。その他の問題は、人類孊者が幅広く研究しおはきたが、党おの人にずっおの生呜に぀いおは、必ずしも盎接的に觊れるものではない。

生呜の重倧事の制床化

 我々が、非西掋的瀟䌚の出産や老人の䞖話、たたは死んでいく人々に関わる掻動を芋お、たたそれらを珟圚の米囜のそれず比范するずき、倧倉倧きな違いに気 づく。米囜では、これら生呜の重倧事は党面的に—正しく蚀えば—制床化されおいるが、非工業化瀟䌚ではこれらは家族的な経隓の芪密な郚分である。そこで、 根本的な疑問が生じる。぀たり、瀟䌚的人間的問題に察する制床化されたアプロヌチず家族志向型アプロヌチのどちらにメリットがあるのかずいうこずである。 瀟䌚の耇雑化の特城は、歎史的に拡倧しおいく人間的な掻動の制床化である。これは避けられないものであろうか。避けられぬずしたら望たしいものだろうか。 我々は人間の䟡倀の䞭で、ケアの胜率や質を獲埗したず思っおいるが、実は倚くのものを倱い぀぀あるのではなかろうか。そこで、西掋ず非西掋の出産における 察照を芋るこずから始めよう。

 䌝統的瀟䌚では、出産は友人や隣人よりも助産婊の 揎助が埗られる家の䞭か、近くで行われるのが普通である。老いおいくこずもたた、次のようなこずを意味 する。぀たり、集団の珟圚進行䞭の生掻スタむルに、個人を統合するこずであっお、圹割の責任ずいうものを移動したり、圓該問題にしおいる人々の粟神的身䜓 的胜力に合わせた矩務ずいうものをどんどん枛らしおいく統合である。たいおいの堎合、老人がなし埗る有甚な仕事がいく぀かある。それは䟡倀に぀いおの感芚 を維持するのに圹立ち、皀な堎合を陀いお厳しい生態孊的条件に垞に巊右されはするが、老人は死ぬ間際たでケアを期埅する。死ぬ瞬間がやっおくるず、死は誰 からも幌い子䟛達さえにも隠されずに家の䞭その近くで迎えられるのである。

 䞖玀に入っおからも、このパタヌンは米囜にお いおもごく普通のあり方であった。やがお粟巧な生呜維持延呜装眮ずいった医療技術の急速な進歩ずずも に、家はもはや誕生や死を迎えるのにたすたすふさわしくない堎ずなっおきたように芋える。たた、䜏む街を倉え、仕事のもらえる堎所を探し求めるために、人 々の皌動性や郜垂ぞの移䜏がたすたす増加するに぀れ、家庭の安定や家庭ぞの定着も匱たり始めた。家庭内での老人の䞖話は、嫌な仕事になり、時に忌避されも する。結局のずころ、誕生、老化、死に関しおは、たすたす家庭の基盀から遠ざけられ、制床化の枠組みにはめ蟌たれおきおいる。これは、䞀般的な転換の圢で あり、それらを盞互に぀なぎ合わせおいた䌝統的様匏が倱われおきた過皋である。そしお、それは我々があたりにも遠くぞ行き過ぎたのではないかずたすたす問 いかけおいる制床化珟象なのである。

 特に䌝統的瀟䌚ず珟代的瀟䌚ずでは、誕生や死の儀 匏や老化に぀いおの子䟛達の知識においお、際だった察照性がある。人間にた぀わる出来事の党般的な経隓 から子䟛達を排陀するような機䌚ず誘因の少ない共同䜓では、人生の内奥に察しお、懞念や動揺が぀きたずうこずは少ない。健康で暮らしおいる時や、痛みに苊 しむ時の䞡芪や老人の姿は、自分自身の振るたい方に぀いお、適切な手がかりを䞎え、誕生や死に぀いおの理解に圹立぀モデルずなる。生呜の䞍思議さや神秘、 人間の身分にた぀わる代償や報酬、それに人間が生呜や健康をコントロヌルするのには限界のあるこずを知るこずなどは、隠すべきこずでなく、皆が知っおいる こずなのである。これたで芋おきたように非西掋瀟䌚にも粟神疟患はある。しかしこうした瀟䌚では、人生の重倧事を隠し立おない開攟的なやり方がなされおお り、それがほずんどの人々の心理的安定のために圹に立たないずは信じがたい。

 これず察照的に我々の瀟䌚の子䟛達は、䌝統的瀟䌚 における、共同䜓ずしおの、あるいは日垞的盞互䜜甚からさえも隔離されおきおいる。誕生や死が閉ざされ た、衛生的な、異皮の空間で生ずるずころでは、我々はそれらを人間生掻の必然的偎面であり、予期でき、避け難いものであるずしお、受け入れるこずを孊ぶ機 䌚を党お吊定される。劊嚠や老化が、入院を正圓化する病理的な状態ず芋なされるようになるず、このような生呜の根本的な性質に察する䞍安や吊定感情が容易 に起こる。

 我々は、家族や家庭が垞にどこでもいたわり合い、 枩かく、感情のこもった人々の集団であるず仮定しおはならない。そうでないこずもしばしばある。しか し、そのようにはなり埗るし、たた、䌝統的な堎面ではしばしばそうである。我々は、病院や蚺療所、病埌療逊所が扶助的なものでないず考えおはならない。時 に扶助的なものもあるが、䞀般的に蚀っお、官僚的な構造の性栌がそれに䜜甚する。誕生、老化、死に察する人間の行動は、制床や資源よりも個人的な資質がは るかに重芁である。医療の分野では、他の領域も同じであろうが、効率性を厇拝するがゆえに、非人栌的な芁求が、個人的信頌関係や心理的欲求よりも優先する 傟向がある。

 人類孊者や意識の高い垂民たちが次のような質問を するのは、こうした背景に抗しおである。぀たり、珟代の出産のやり方は、我々にずっお新しい生呜の創造 の郚分である、基本的な䟡倀や䜓隓を芋倱わせおいるのではないか。老人を斜蚭に閉じこめるこず、たた、圌らはもはや人生の建蚭的圹割を持たないず䞻匵する こずは、圌らを—そしお宗教的には自分達自身を—人間的䜓隓の重芁な郚分から匕き離すこずになっおいないだろうか。たた、人間の生呜は神聖であり、それを 救助・延長するためには、いささかも努力を惜しんではならないず䞻匵するこずによっお、我々自身が自らの知胜や技術的胜力の犠牲になっおいるのではない か。我々は生呜の—および、死の—尊厳ず生呜操䜜の技術的目暙を混同しおはいないだろうかこのような疑問は怜蚎しおも良いこずである。誰もが䞀぀の答え に䞀臎するこずはないにしおも、怜蚎するこずで、䜕が起こり぀぀あるかに぀いおより深い理解を䞎えおくれるし、我々自身の芋解を䜜り、こうした問題に察す る決断を固めるのに圹立぀こずが出来る。

誕生

 生呜の神秘は畏怖ず関心ずを匕き起こす。それは人間にずっおその生呜力を通じお死の運呜を償う、吉兆の時期である。誕生は栞家族を満たし、より倧きな家 庭を圢成する重芁な「支え」ずなり、人間の連続性を保蚌する。䌝統的な瀟䌚では、子䟛は昔からのやり方を継承し、自分達の土地を維持し、自掻できなくなっ た䞡芪の面倒を芋るこずを玄束するものである。しかし、よく蚀われるように、誕生はごく平凡な恐ろしいこずなどない出来事ず芋られおいるのではない。もち ろん、誕生が党く興奮を起こさない瀟䌚もある。チャンスは、゚スキモヌ女性の次のような䟋の報告しおいる。「ホヌプ岬たでボヌトで行くうち、圌女は『トむ レに行きたい』ず䞊陞した。ボヌトが圌女を眮いお出発した埌、圌女は子䟛を産み、ぞその緒を切り、砂を掘っお埌産にかけた。生たれた子䟛はパヌカヌで包ん で、圌女は岞蟺を走りボヌトで远いかけおきた」ずいう(Chance 1966:42)。しかし、こうした話は䟋倖であり䞀般的ではない。ダりンズは、アメリカ・むンディアンのラむフ・サむクルを分析し、ゞャングルの䞭に消 えお、しばらくするず子䟛ず共に戻っおきお䜕事もなかったのように自分の仕事を続けるずいう未開の母芪像のステレオタむプを疑問芖しおいる。「これは䞖界 のある地域では本圓かもしれないが、ワショ族やその近隣の郚族では芋られない。子䟛の誕生は非垞に重芁な事柄ずしお儀匏で包たれる」ず圌は蚘しおいる (Downs 1966:42)。ミヌドずニュヌトンは、およそほどの䌝統的村萜の瀟䌚における出産を分析し、介助なしの出産は、なくはないが「それは米囜人がタ クシヌの䞭で子䟛を産んで噂話になるほどのごく皀なこずである」ずいう(Mead and Newton 1967:169)。

 倚くの非西掋瀟䌚では、子䟛が誕生したずき、女性 の陣痛や誕生などが匕き寄せた粟霊ずの長い闘いが始たる。胎児はただ十分な人間になっおいないので、た やすく超自然的䞖界におびき寄せられる。぀たりそこからただ解攟されおいないず芋なされおいるのである。出産は痛みや苊しみの時で、出血や䜓液の枛少な ど、垞に死に脅かされるが、これらは病の特城である。倚くの瀟䌚においお劊嚠や出産は病ず語矩的に結び぀いおいるが、このこずは別に驚くたでもない。チン ツンツァンでは、劊嚠䞭の女を゚スタ・゚ンフェルマ(esta anferma)ずいうが、これは「病気である」ずいうこずである。そしお子䟛が生たれるずき、぀たり、セ・アリビア(se alivia)で、母芪は「回埩する」のである。この衚珟は぀ずも、他のタむプの病からの回埩の堎合の䜿い方ず同じである。同様に、南アメリカのアラり カ・むンディアンは、出産の堎合には郚倖者を厳しく排陀する䞀方、「子䟛達は皆その堎に居合わせるべきである。なぜならお母さんは今病気なのだから」ず考 えおいる(Hilger 1957:14)。無菌法が知られおおらず、懐胎を含めお人䜓機胜のシステムの知識がわずかしかない瀟䌚では、劊嚠や出産は䞍安に満ちたものであろう。非 西掋瀟䌚における母芪ず幌児の高死亡率は、そうした恐怖の論理を裏曞きするず共に実際的な危険性に察する魔術的な配慮が無効であるこずを蚌明する。

 出産の実践に぀いおアメリカで倚くの批刀がある䞭 で、我々が、郚族瀟䌚や蟲民瀟䌚の出産を理想的なモデル、぀たり、暙準的な出産の手順ずしお再構築する のを緊急に求めおいるのではないこずは明らかである。぀たり、我々が犯しお捚おた楜で安党なアプロヌチずしお支持しおいるわけではない。我々の芋るずこ ろ、問題はむしろ出産の営みを非人間化するこずなしに必芁な郚分は進歩した産婊人科技術を利甚しお出産のより満足なパタヌンをいかに確立するかなのであ る。

 倧倚数のアメリカ人にずっお、医療は死に぀いお も、出産においおも、生呜の最終裁定者である。「正垞な」出産に察する凊方は、そのパタヌンにおいおも、 入院手続きの眲名から、陣痛が䜕分おきに起こるかや「砎氎」したずき参加チヌムの気を合わせた動きたでほずんど違わない。アメリカにおける病院指導方 の出産に぀いおの抵抗の倚くは、人間ずしおの基本的な芁求が医療システムによっお、非人間的で機械的な凊理をされおいるこずに由来する。ラむフ・サむクル は、医孊的な珟象ではなく基本的に瀟䌚的なものであり、たた医孊が支配性を瀺嚁しおきた堎所では、我々は心理的な、時には肉䜓的な健康においお高い代償を 支払っおきたず、倚くの人々は考えるようになっおきおいる。

 問題の䞀郚は、医療が近代化され、郜垂化されるず 共に、家族のケアの機胜のみでなく(Parsons and Fox 1952)、家族の暩嚁や「䞡芪」の機胜たで次第に匕き継がされおきたこずにある。ずりわけ病院は、瀟䌚から昔なじみの家族の危機の取り扱いを切り攟しお きた。䌝統的䞖界ではモラルや宗教の分野であり、たた瀟䌚的領域のものずされおきた生ず死に関する決定が西掋文化の䞭では、医療の領域にはめ蟌たれおきた のである。メカニックは次のように述べおいる。「実際我々は、医療ケアを求めるこずが党く合理的でか぀自然なこずずしおきたため・・・・・我々が医療の分 野だず芋おいるものの䞭に民俗的、宗教的抂念が残っおいるのに、正盎なずころ驚かされる」(Mechanic 1975:50)。

 誕生、老化、死ずいった最も予枬しうる人間の状態 に関しお、人間の状況に特別の意味を䞎え、喜びや絶望の根拠ずさせ、それらの順序正しい進行を助長した り、阻止しようずするこずなどに、科孊的な解釈ず文化的解釈ずでは確かに倧きな隔たりがあるずいえる。぀たり、しばしば存圚するそれらの認識ず願望ずの隔 たりや個人ずその家族ずの隔たりを認識しおいないために医療埓事者は叀くからの危機を解決するのに、新しい危機を無意識に生み出しおいるのである。
 病院での出産ずいう普通の圢態に満足できないアメリカ人にずっお、それに代わり埗る圢態を探し求めたいずするのは次の぀の信念に基づいおいる。それを 順次に怜蚎しよう。

西掋医療は正垞な分嚩過皋を耇雑化し、か぀機械化した。

 今日。生きおいる人々の圧倒的倧倚数が家庭で産たれおいたのに、米囜においおはパヌセントもの分嚩が病院で行われおいるのはどうしおだろう。なぜ、 母芪達は通垞家庭では分嚩しないのだろうか

 本質的には医垫にずっおは䞍䟿なこずになるためだ ず批刀者達が蚀っおいる。医垫が参加の患者に病院に行くように説埗できれば、圌はそれ以倖の仕事には支 障なく、患者をその堎所で蚺られるわけである。

「病院では産科医は赀ん坊が産たれるずきでもそこに いる必芁はない。圌が䜕ずかしおその堎に居合わすこずが出来るなら、それで十分結構だが、もし赀ん坊が 産たれるずきでも、たたたたよそぞ蚀っおおり、居合わせないにしおも、むンタヌンや看護婊がうたく凊眮を行っおくれるであろう」(Hazell 1969:139-140)。しかし、こうした行為は医療䞊の匷いタブヌ、぀たり医垫以倖の者が出産を扱う胜力はないず蚀うこずに背くこずになり、した がっお滅倚に暎露されるこずはなく、たた病院での党おの出産が医垫の立ち䌚いの元に行われるずいうのが公的な前提合衆囜統蚈玢匕、合衆囜囜勢調査局で ある(Mead and Newton 1967:195)。出産蚌明曞は医垫がサむンするため、そうした虚構は容易に支持される同曞。

 では、病院での分嚩が母芪ず赀ん坊のためにより安 党ではないずいうのか、実際には倚忙である医者の時間に぀いお考慮されるべきではないのか、ず珟システ ムの擁護者は尋ねる。迷路のような病院の冷たさ、病人や死に行く人々向けに䜜られおいる痛み指向性の蚭備機噚、ラむトや医療噚具がズラッず蚭備され、䞍安 をかき立おる分嚩宀、倫や家族はたずえ蚱された時でもほんの短時間しか付き添えない、さらに、匷者の特暩的な䞖界に突然玛れ蟌んだような心蚱ない気持 ち—こうしたものが母芪の心理的な䞍快感に関係しおいるばかりか、神によっお定められた手順で進められるべき事柄に察しお、実際には、害になるものずしお これらが䜜甚しおいるず倚くの人々に思われおいるのである。

 医療掻動家アヌムズは、結果的に難産になった分嚩 の初期にはしばしば母芪の垌望に反しお時期尚早で過床の薬物䜿甚がよく行われるこず、たたこれが効 果的陣痛を劚げたり、䞍必芁に鉗子分嚩を助長したりしお、母芪ず子䟛を危険に萜ち入れるず䞻匵しおいる(Arms 1975:54-58)。

 党おの批刀が医療に埓事しない人間からのものずい うわけではない。産科医であるりむリアム・J・スりィヌニィは、「アメリカで行われおいる病院分嚩ずい う立堎がベストだず確信しおいるのではない」ず蚀っおいる。もし母芪が自分のベッドで子䟛を産むなら、芏定されおいる分嚩䜓䜍—あぶみに足をのせるような —で分嚩するより、党おがリラックスしお行われ、より裂傷も少ないようだ、ず圌は指摘しおいる。「未開の人々のほずんどは、重力の䜜甚を利甚しおしゃがむ 栌奜や分嚩甚怅子で分嚩する。たた、圌らは奜きな向きで暪たわっおいる。䟋えば陣痛のきおいる䞀人の婊人は、もし陣痛が匱くなったからず蚀っお、䞀人にさ れたらすきなように向きを倉えるのである」。むギリスでは患者はそのようにしお分嚩しおいる。「だが」ず圌は結論する。「アメリカの病院のやり方には、そ れは適さない。患者の足が䞊げられおいるず、圌女に察しお凊理しやすいのはもちろんである」(Sweeney 1973:304-305)。芁するに、珟システムの理論的根拠は、母芪ず子䟛の安党のためにあり、それを維持する決定芁因は医者の郜合にあるずいうこず らしい。メキシコ北郚で広く行われるようになった倉化の䞀぀ずしお、「仰臥䜍やそういう暪たわった䜓䜍が増えおきたこずは、医垫の匷芁のためなのです」ず コミンスキヌは述べおいる(Cosminsky 1974:12 傍点筆者。助産婊達はむンディアンのひざたずいた分嚩姿勢が今埌ずられるこずはないず教えられおいるのである同曞。

出産は病院から家庭ぞ戻されるべきである。

 母芪ず新生児に察するケアがより科孊的に進んだレベルのものになればなるほど、死亡率や出生時損傷、奇圢をより効果的に予防するこずが出来るずいう医療 䞊の匷い確信があるが、ある著名な医療瀟䌚孊者は文献を再調査する䞭で「こうした䟋に圓たる、いかなる蚌拠も」発芋しおいないずいう(Mechanic 1975:56)。アメリカでは他のどの囜よりも高い比率で出産が病院で行われおいるが、䞀般に信じられおいるこずずは反察に、この囜が出産するのに最も 安党な囜であるずは決しお蚀えない。珟に我々はスりェヌデン、フランス、オランダ、日本、ニュヌゞヌランド、オヌストラリアなどの囜々に続いおこの方面で は、番目の䜍眮にいるのである。

 状況によっおは、家庭分嚩が病院分嚩より安党であ るずわかっおきた。倧郚分がむギリス生たれの看護婊—助産婊から線成されおいた「アパラチア開拓看護 サヌノィス」は、時には銬の背に揺られお険しい䞘をめぐり、人里離れた家々で、長幎の間、極悪の条件で出産を扱った。ケンタッキヌでは、幎間に䞀人の 母芪も死なさなかった。「残念なこずに亀通手段が発達し、ケンタッキヌ山脈を越えるこずが出来るようになり、そしお患者の入院化を進める政策が始たっお、 圌女達ぞの支払いを止めおしたったため、開拓者看護サヌノィスによる家庭分嚩は䞭止されおしたった」ずモンタグは曞いおいる。「こうしお今では、劊婊は厳 しい山々の道のりを超えお、䜕マむルもがたぎしず車を運転しお病院に行かねばならず、さもなくば圌らは子䟛を持おないのである」(Montagu 1962:113-115)。郜垂のスラム街ずいう条件䞋にあっお、シカゎ母性センタヌはヶ月の間に件を越える出産を扱ったが、䞀人も母芪を 死亡させなかった。これもモンタグが指摘しおいるこずだが、この数字は合衆囜の平均である出産件に぀き䞀件の母䜓死亡ずいうこずに比范しおも芋事 なものである同曞。

 しかしながら、家庭分嚩の提唱者は、数字の問題よ りも病院ではなく家庭で子䟛を産むこずでもたらされるより豊かな内容に基づいお、家庭分嚩を勧めおい る。ヘむれルは「子䟛の誕生は家庭内で重倧時であり、誰もがその結果に圱響されるず私は確信する」ず曞いおいる(。こうした態床は、りィリヌが フランスのピレネヌの村人達に印象づけられた物事を匷く思い出させる。村人は、そこには「新しく矎しい劊婊のための病院がある」のを知っおはいるが、その 病院のケアは「家族のものが自分にしおくれるような芪身な䞖話を《他人》には出来ないために、どうしおも家庭内ケアより劣る。・・・・・子䟛の誕生は家庭 内での最も重芁な出来事である。母芪も赀ん坊も共に、家族が䞎えるこずが出来る最倧のケアを受けるに倀する」ず匷く感じたのである(Wylie 1957:37)。

 家庭で出産の準備や手はずを敎えるこずで、産科医 䞭心ではなく母芪を䞭心ずした出産が行われるずいう感芚を匷く持぀こずが出来るずいうこずもたたある。 出産における医垫の優越を反映するのはその医孊的な口調である。「私がゞョヌンズ婊人を分嚩させた」ず胜動態を䜿っお産科医は話す、ずミヌドずニュヌトン は指摘する。お返しに、ゞョヌンズ婊人も「スミス医垫が分嚩させおくれた」ず受動態を䜿っおそれを認める(Mead and Newton 1967:174)。分嚩が無事うたくいっお、感謝されるのは普通、医垫であっお母芪の方ではない。

 家庭での出産はたた、倫にお産の時の治療的圹割す ら䞎え、時には圌はさらに、積極的に分嚩に参加する。それで陣痛は軜枛され埗るず倚くの人は考えおお り、䌝統的瀟䌚で広く行われおいるように、分嚩の盎前たで、たたしばしば陣痛の合間でも通垞の身䜓的掻動を行っおいる、慣れ芪しんだ家庭的状況の䞋では、 分嚩はより楜に行われるのである。

医垫ではなく助産婊の方が分嚩の揎助者ずしおは理にかなっおいる。

 スザンヌ・アヌムズはアメリカにおいお、助産術の法什化をおそらく最もやかたしく提唱しおいる人物である。圌女は「出産文化」の分野で研究を行った倚く の医療人類孊者から匷い支揎を受けおおり、過床に芏制された病院の持぀悪圱響を匷調しおいる(Mead and Newton 1967, Scheper-Hughes 1974, Hazell 1969, Newman 1965)。文明は出産を耇雑化する状況や態床をもたらし、そしお医垫がこれらの問題を扱い、そしおたた「最初関係した医垫が原因で起こった問題を」より 倚くの医垫ず「病院化」が取り扱うこずになるずアヌムズは䞻匵しおいる。人工の手が加わらない出産は「ちっずも厄介なものでなく、それ自身安党なものであ る」ずいうアヌムズの仮説は、我々が芋おきたように匷い疑問を匕き起こすが、倚くの人々が信じたがっおいる䞀぀の論拠であり、それ故匷い圱響力を持぀。 「今日、分嚩が危険で痛く、恐ろしいものず我々が信じおいるずすれば、それはある䞀民族ずしお出産をそのようなものにしおきたからずいうだけのこずであ る。もし我々が、分嚩の際に圹立぀唯䞀の暩嚁ずしお、医者や病院を頌るずすれば、それは我々が自分の身䜓は自分がよく知っおいる、ずいうこずから目をそら しおきたせいである」(Arms 1975:23)。

 理想的には助産婊の仕事は、家庭の寝宀で家族を出 産に向けお準備させるよう手䌝うこずである。垝王切開や難しい䜓䜍異垞の堎合など緊急の事態には、揎助 しおくれる良心的な産科医ず協力しお働く助産婊もいる。たたあくたでも病院内で家庭的な出産のやり方をたねた圢匏を取り䞊げながら病院スタッフに協力する 圢で圌女達が統合されおいく堎合もある。しかしながらペヌロッパの倚くの囜々ずは違っお、アメリカでは助産婊職はコミュニティの必芁䞍可欠な医療的、瀟䌚 的構造の䞀郚分ずなるには到っおいない。

 助産婊が珟圚、営業免蚱を䞎えられおいるのは、コ ロンビア地区内ず州だけで、それも産科チヌムの䞀員ずしおのみである。法埋的には蚱可されおはいる のだが、法埋の実際的斜行は保留されたたたである州では、独立しお働く助産婊は蚎えられないような機䌚をずらえおやるしかない。家庭分嚩が珍しくなくなっ おきたカリフォルニア州では、法埋は蚌明曞を所持しおいるならば、助産婊は掻動しおもよい、ず曖昧に芏定しおいるが、それは実際には、䞀床も州立医療審査 委員䌚から出されたこずがないのである法的な取り締たりがたすたす頻繁に起こるに぀れ、「隠れお行われおいる」家庭分嚩が明るみに出されおゆき、産科医 による制限は芪や実践者達から䞀考を逊成されおきおいる。

 自然分嚩法ずその分掟であるラマヌズ法は、この数 十幎の間に普及した病院分嚩を修正しようずする穏圓な詊みの䞭で最もよく知られ、たたよく行われおいる 方法である。それらは産科孊ず分嚩それ自身を、神秘的なものから脱皮させた掻発な詊みずしお抬頭した。しかしながら、基本的にはそれらは病院ずいう環境ず 䞡立し埗るものであっお、それを吊定するものではない。産科医のフレドリック・レボダヌは、分嚩宀でなされる因習的な倚くの手続きを吊定しおきた。そしお 圌は「暎力なき出産」、母子䞡方にずっお出産ずいう経隓をやわらげ高揚するこずを提唱した(Leboyer 1975)。抂念の䞊でよりラゞカルなのが、出産を畏敬の念を起こさせる奥深い神聖な䜓隓ずしお「再神秘化」する事を探求する「察抗文化 counterculture」のメンバヌ達の考え方ず実践である。人類孊者のナンシヌ・シェパヌ・ヒュヌズは、サンフランシスコ湟岞地区におけるこ の出産の察抗文化に぀いお蚘述しおいる。その支持者の䞭には、あからさたには病院分嚩を拒吊しないものもおり、圌らは出産に぀いおの条件が合えばそれを受 け入れるこずもある。䟋えば、マリン・カントリヌずいうある小さな病院では、劊産婊病棟ず分嚩における治療行為を倧幅に改善しお、かなり倚数に登る「颚倉 わり出産」ぞの期埅ず儀匏に察応できるようにしたシェバヌ・ヒュヌズ医垫による私信。今では、父芪ず母芪が自分達の奜きなように食りたおた分嚩宀で出 産されるこずが蚱されおいる。静かな音楜、聖歌、色ずりどりの照明などが蚱可されおおいお、長時間にわたる陣痛の間、適床の飲食もしおよいずされおいる。 陣痛のきおいる女性がベッドにくくり぀けられるこずはなく、医者や看護婊も出来るだけ圌女の意に添うこずになっおいる。最終的に新生児は䞡芪から匕き離さ れるこずはなく、短い芳察期間の埌は、圌らが垌望するずきに家に぀れお垰るず決定するこずも出来るのである。これらの改革によっお、実際に分嚩が楜にな り、人ず人の぀ながりが改善されたりしおおり、病院スタッフはそれを有意矩だず受け取っおいる。

 出産察抗文化の他のメンバヌ達は、異垞な状況䞋以 倖では、出産は病院で行われるべきでないず考えおいる。そこでは、新生児がもろいが、しかし卓越した新 しい生呜であるこずずは察照的に、非人栌化した察応がなされおいるずいうのである。ずころが、自然出産の熱心な支揎者は、自然の過皋を機械化するこず、 「颚倉わり出産」の恐れ、圌らの蚀葉で蚀うず、粟神的資源が「毒される」こず、それに「䞋手な医療者の手による身䜓の冒涜」に぀いお疑念ず恐れを抱いおい る。ちょっず行きすぎのずころはあっおも、自然掟ず察抗文化掟の぀のグルヌプは、産科医によるケアず劊嚠から分嚩たでの医孊による身䜓の管理の容認を支 えおいる仮説を再怜蚎するよう匷いおきたのである。

 助産婊ず家庭分嚩の支持者達は、䌝統的な病院での ケアに察するこういった遞択を、心理的瀟䌚的そしお医孊的に有益なものず考えおいる。しかし反察者達 は、それらを気玛れで、ル゜ヌ的で、非珟実的な、本質的に危険な詊みであるず芋なしおいる。前者は助産術を医孊的ケアの質を向䞊させるものず考え、埌者は それを䜎䞋させるものず考える。患者や、そしおたすたす数が増えおいる医垫ず瀟䌚孊者達は、自分達がこの぀の陣営の䞭間にいるず考えおいる。぀たり圌ら は医療の行き過ぎの是正を求め぀぀も、䌝統的な防衛手段を攟棄するこずに぀いおは慎重である。

 「重芁なのは」、ずアヌムズによっお報告された テヌプ録音の䞭で、りむリアム・シルバヌマンは述べおいる。「我々は包括的なルヌルを必芁ずしないこず だ。我々の倚様化した瀟䌚では異なった䟡倀䜓系があり、生ず死における危険ず利益の基準は党おの人にずっお同䞀ではない。この倚様性が受け入れられなけれ ばならない」(Arms 1975:114)。家庭分嚩を行いたいず思い実行しおいる人々に察しおも、劊嚠怜蚺の機䌚ずそのサヌノィスは提䟛されるべきである。「誕生ず死、このど ちらに぀いおも、我々はたさに危険から身を守るために、自然の過皋からどこたで遠ざかろうずしおいるか、ずいう疑問に盎面する。難しい決断をしなければな らないずいう苊しみに満ちた経隓も、人生の䞀郚なのである。我々が人生のある郚分を経隓するこずを避けお、䜕が受容でき、䜕が受容できない危険性であるか に぀いおの包括的なルヌルを立おようずするゆえに、今日、人生を十党に生きるこずが劚げられおいる」同曞。

老幎

 今倚くのアメリカ人が経隓しおいる䞀生の段階は老幎である。しかしながら人生のこの段階を䟡倀あるものず考える男女は少なくない。倚くの人は「青幎期の 生掻」ずの䞍愉快な比范の䞭で、晩幎の生掻をずらえようずしおきた。人類孊者ず他の瀟䌚科孊者達は、なぜこうしたこずになるのか疑問を発しおいる。今日の アメリカではなぜ、早期がんの宣告を喜んで受け入れるのず同じくらいに、幎を取り぀぀あるずいう考えを喜んで受け入れるこずができるのであろうか。倚くの 非西掋の瀟䌚では、そこが異なっおいる。オノンはモンゎルでの自分の子䟛時代のこずを曞きながら、「我々の民族の考えでは、名誉や富は単なる人間から䞎え られおいるものだが、円熟した老幎ずいうものは神からの莈り物である」(Onon 1972:9)ず曞いおいる。こうした理由で、幎ずっおいくこずを隠すものは誰もいない、ず圌は蚀う。「それどころか、誰もがこの人生における円熟期を埅 ち望んでいる。それは、歳月ず豊かな人生経隓で満たされた時期であり、特別な敬意ず思いやりずいう䜕よりも玠晎らしい莈り物を受けずるこずのできる季節で ある」同曞。もちろんそうした期埅をもった者のうち、その茝かしい幎代たで生きた者はほずんどなかったずいうこずは、あたり匷調されおいないが。

 人類孊者が䌝統的なコミュニティの研究においお、 老人に向けられる尊敬を誇匵しお蚘述しおきたかどうかを刀断するのは難しい。確かに倚くのコミュニ ティ、スペむン語圏アメリカのむンディアンの村や小芏暡蟲業を営む村のような「閉鎖的共同䜓的」な村では、幎ごずの䞻な慣習掻動が「はしご段」、あるいは 䞀぀の道すじずも蚀うべきものを瀺し、それによっお人はコミュニティに察する䞍断の貢献を通じお、埐々に「長」の地䜍やあるいは名高い叀老ずしおの地䜍を 獲埗し、功劎ず嚁信に富み、もはや䞖俗的な報いなどに野心を抱かない人物ずなっおいく。しかし、これらのコミュニティの䞀぀であるチンツンツァンで、フォ スタヌは老人に察する態床はアメリカにおけるそれずきわめお䌌たものであるず発芋した。コミュニティの出来事に参加したり興味を瀺し続ける幎老いた人々— 村に察し䞍断の忠誠を瀺す人々—は、若い頃の圌らの掻動のためではなくその関心ゆえに尊敬される。぀たりいったん緊匵がずければ、尊敬はただちにはがれ萜 ちおしたうのである。

 別の文化的圢態は、䌝統的瀟䌚においお長老者の圹 割は党く申し分ないず蚀い切れるかどうか疑問を起こさせる。䟋えば朝鮮では、神は人に幎の寿呜を割 り圓おるず信じられおいる。この霢を過ぎお生き続ける者は他人の犠牲の䞊でそうしおいるのである。぀たり、本圓の「限定された望たしい」人生があるずする 颚習のもずでは、それ以䞊の䜙分な幎数ずいうのは他の誰か、すなわち歳を越えお生きた者のその幎数分だけ早死にする者からの割り圓おを受けるずされお いる。そうした状況では、老人達にたずわり぀く眪の意識はどのようなものであろう。

 非西掋瀟䌚での老幎に察する態床の性質や、その幅 がどのようなものであれ、アメリカでは、晩幎に察する䟡倀が質的に違っおいるように思われる。「老幎」 は倚くの者があこがれるような圹割ではなく、しばしば、家族やコミュニティの関心の欠劂のほうが、受けおもよい名誉や尊敬よりも䞊回っおいる。幎ずった女 も男もしばしば「党おが空虚で、圌らは無䟡倀で死すらも無意味である、ずしか感じられず、絶望の䞭で」生き、そしお死んでゆく(Curtin 1972:228)。

 青幎期や壮幎期ず比范しお晩幎は盞察的に䟡倀がな いずする倫理は、アメリカでは最近の文化的珟象であり、それはこの半䞖玀あたりで寿呜を歳から 歳たで匕き䞊げた医孊の成功ず関連しおいる。幎圓時には、人のうちたった䞀人が歳に達するこずができた。今日ではそれは人に䞀人ず なっおいる。さらに歳に達した男性は、今日では歳たで生きるこずが期埅できるし、女性の方は平均しお歳たでが期埅できる。他の幎霢局に比しお 老人がほんのわずかであった頃には、圌らに瀟䌚的䟿宜を䞎えるこずができた。我々は特別な敬意を払っお、䟋倖的な少数の人達を受け入れられた—元老、円熟 した芞術家、商業界の倧物、優れた裁刀官、神孊者、教授ずいったような。これらの人々は今も掻躍し、生産的な人々であり、それゆえに業瞟志向型の瀟䌚では 高く評䟡された。しかし、幎代たでに、我々は䞇もの恐るべき人数の老幎の人々を生み出し、それらの人々の倧郚分は、倧郚分のアメリカ人ず 同じように倩賊の才に満ちた人々ではない。しかし若者志向型の瀟䌚で圌らがずもに生掻できるための察策は講じられなかった。

 たさに老化ず老人の抂念は、それが健党な長寿ず、 しばしば死を間近に控えた垌望のない、瀕死の状態ずの区別ほずんどの文化で蚭けられたを消し去っお したったので、曖昧で人にいやがられるものになっおいる。その結果は奇劙な時代錯誀、すなわち死に぀぀ある人にずっおのみふさわしいような瀟䌚的態床を䌎 う長い人生である。芁するに我々は、老化を機胜的に定矩する代わりに圢匏的なそれで代甚し、老人が実際にできるこずは䜕か、ずいう論理的な評䟡の必芁性を 陀去するこずに成功しおきたのである。

 アメリカのみならず、どのような䌝統的瀟䌚システ ムでも西欧文化が䟵入しおいっおいる瀟䌚では、我々の文化的態床が、老人の粟神的、身䜓的犏利や圌らぞ の医療の内に深く瀺唆されおいる。病気にかかっおいる、たたは死に぀぀ある少数者ずしお芋られ(Clark 1973:80-81)、圌らのケアはたすたす機械的に「安息の家」や「病埌」療逊所に任せられおしたった。珟実に粟神的たたは身䜓的病気にかかった時、 老人は治療的ニヒリズムずいう医孊的原理にしばしば盎面する。すなわち、粟神力孊的な治療は時間の無駄ず考えられおおり、サドナりらが報告したように、老 人は重節な状態になっお病院に担ぎ蟌たれた時、救い埗るものず芋なされそうもないのである(Sudnow 1967, Knutson 1970:51)。他方、コヌカサスでは、病気は非垞に高霢な時でさえも正垞あるいは自然なこずずは考えられおおらず、それは阻止されなければならないず 考えられおいる。患者を含め党おの者が回埩を期埅するのである。「『おい、その幎で䜕を望むっおいうんだ』ずいったような宿呜論的考えを衚すような蚀葉 は、聞かれたためしがない」(Benet 1974:14)。

 老化に関する我々の評定の垰結は、健康の研究に ずっおもたた䞍運なものであった。ずいうのは、老人をこのように安易に病人の圹割の内に閉じ蟌める限り、 倚くの疟病の経過ず、ただよくはわかっおいないし、ほずんど研究されおいない老化のプロセスずを、区別する契機がほずんどないからである。しかしクラヌク が指摘しおいるように、「アメリカでは、我々が老人ずしお避けられない生物的な特城である、ず考えおきた事柄—知芚鈍麻、蚘名力障害、意識の混乱、蚘憶喪 倱、倱犁等—が《通垞の老化》ずは区別しうる疟病の症状なのであり、それは回埩可胜でたたコントロヌルできるものなのかもしれないこずがわかっおき぀぀あ る」(Clark 1973:81)。

 老化の瀟䌚的な解釈

 正垞か぀「健康な」老化の性質を探求する必芁性は、たず瀟䌚孊者達によっお認識された。「離脱解攟説」(Cumming and Henry 1961)、「準少数者説」(Barron 1961, Kiefer 1971)、「䞋䜍文化説」(Rose 1965)ずいった仮説は、粟神的身䜓的な健康の基準を粗描し加霢の「進行」に぀れお適切なケアを行うに際しお、瀺唆するずころがある(Cowgill and Holmes 1972)。このうちもっずも有力なのが、離脱解攟説—健康な䞭流階玚のカンサス人に察する研究から匕き出された—である。この説は老いた人々ず瀟䌚の双 方が、盞互に退きあうこずが芏範ずなっおいるだけでなく、この䞡者が互いに遠ざかった埌ではその䞡者ずもよりうたく適応するず仮定しおいる。アメリカで瀟 䌚孊者や心理孊者により、非垞に限られた範囲で通文化的なこの説の怜蚌が匕き続き行われた(Havighurst, Neugarten and Tobin 1968)。その怜蚌は、晩幎におけるこの皮の瀟䌚的な磚滅を、「垞態」ずするこずに疑問を投げかけ、たた離脱解攟ではなく行動こそが、圌らの心理的な安 寧に関係しおいるず瀺唆しおいる。

 幎代の終わりの頃たで、人類孊者達は瀟䌚 老人孊およびその姉効ずいうべき老人病孊ずいう新しく登堎した分野に察し、ほんのちょっず泚意を向 けただけであった。カりギルずホヌムズが指摘したように、「これは人類孊者がその領域を無芖したずいうこずではない。ただ単に、圌らのフィヌルドワヌクが 出版物の䞭では、老化の過皋ず老人の状況が研究された文化の他の倚くの偎面ずずもに扱われおきたずいうだけである。幎茩の人々がしばしば重芁な情報源に なっおくれたにもかかわらず、そういう研究で老化ずいうこずに焊点が眮かれるのはたれであった」(1972:■■)。状況は倉わり、この幎間に、老化 ずそれに䌎う文化的ゞレンマずいう珟象に぀いお、刺激的な人類孊的探求がいく぀か芋られた。ダコブズ、ビルネ、ゞョン゜ン は、アメリカ内においお、老人の「コミュニティ」や、これらず取っお代わった生掻様匏の粟神瀟䌚的な利益ず信頌性を分析するのに、䌝統的な フィヌルド・テクニックを掻甚しおきた。ベネットは、幎霢による差別を拒吊したり緩和しようずするこずで、゜連のアブカゞアン族はストレスの ない身䜓的瀟䌚的適応の䞀぀のモデルであるずしお支持しおいる。カりギルずホヌムズは通文化的デヌタに基づいお、近代化に䌎う自我の匱䜓化ず か疎倖感の䞍可避性に぀いお、既存の䞻匵に異議を唱えおいる。そしおクラヌクは画期的な論文の䞭で、アメリカにおける老化の抂念を定矩した。その定矩によ れば我々の瀟䌚における老人ずは「䟝存的で、圌らの倚くは病者の圹割にはめ蟌たれる。これは圌らが挔じるこずを蚱された、唯䞀の瀟䌚的に承認された圹割な のである」(Clark 1973:81)。

 察凊の仕方぀の基本的戊略

 前述の説明の倧郚分は、珟存する䞍公平ずどう察凊するかに぀いお、少なくずもある皋床たでの提案を含んでいる。本質的には、この぀の基本的戊略、ある いはモデルは、人類孊者ず他の行動孊者により提出されたものである。

a  「システムに立ち向かう」モデル

 クラヌクずアンダヌ゜ンは、老化に適応させるような぀の課題のモデルでもっお「システムに立ち向かう」アプロヌチを支持しおいる。そのモデルは 人のサンフランシスコの老人を察象にした、幎にわたる長期的な研究から生たれたもので、圌らの半数は、入院が必芁なほど重節な、幎霢にた぀わる 粟神的病いを患っおいた。「課題」は、サンプルのうち正垞な残り半数の人々を、歳以埌粟神科病棟に赎かせない点で、有効ず刀明した戊略の評䟡から生た れおきた(Clark and Anderson 1967:398-414)。これらの課題ずは—「うたく幎をずっおいく」こずができるためには、これらの党おが「やり通される」必芁がある—老化それ自 身を受け入れるこず、コントロヌルを最適なレベルに維持するため「自己の生呜のスペヌス」を改革するこず、満足のよりどころを新しく芋぀けるこず—ずいう のは、昔のそれは䞍適圓になったり、消え倱せたりするので—、たた、自己評䟡の基本ずなっおいるものを修正するこず、そしお最埌に、新しいラむフスタむル を展開するために、䟡倀芳の再統合を行うこずである。埌者はしばしば、瀟䌚においお、正圓な䜍眮を勝ち取るために、攻撃的な察人蚎蚟を芁求する。著者は次 のように結論づけおいる。「アメリカ的生掻からの老人の疎倖は、どのような創造的解決策によっおも党くなくなっおしたうこずはない、ずいうのは我々には明 らかである」同曞、。晩幎をもっずも良く生きるこずのできる者ずは「実に、䟡倀芳の远求をやめお圌らの文化はそうするこずを芁求しおきたのだ が、身近にある他の䟡倀芳をやりずげ埗る代替物ずしお取り䞊げおみるこずのできた人々なのである。それは、獲埗や開拓のかわりに維持するこずであり、自 己向䞊のための絶え間ない努力に代えお自己を受け入れるこずであり、なすこずよりも生きるこずであり、他人を制する代わりに、他人に共鳎し、協力し、愛 し、そしお関心を持぀こずである」同曞、。

 確かに、ある䞀定の䟡倀芳から他のそれぞの転換 は、ある人には重倧で緊匵に満ちた断絶を負わせるこずになる。しかし、人生ずいう競争の堎の内偎にずどた るこずを代甚しうる胜力は、「至難の技」なのである。今日ある姿のアメリカ文化が老人にずっお正垞であるず芋なしおいるにもかかわらず瀟䌚的匕退は、 身䜓的・情緒的䞍適応を意味する、ず圌らは匷調する。このこずを、瀟䌚からの個人の「離脱解攟」が「正垞」で、健党な老化の䞍可欠な郚分である、ずいう瀟 䌚孊者の説に、圌らは反察する。最近アンダヌ゜ンは、老人を文化的に再統合するこずを掚進するため、぀の課題モデルを䞀連の行動定匏ぞず緻密な理論を提 出しおいる(Anderson 1978)。

b  「システム逃避」モデル

 アメリカの老人達は「倧人が䜏む町」ず婉曲に呌ばれる地域内のような、圌らのために排他的に蚭蚈されたコミュニティか、あるいは、あたり裕犏でない匕退 した人々が集たるトレヌラヌ䜏宅公園のような環境に䜏むこずにたすたす惹かれ぀぀ある。どちらのタむプの環境にせよ、退職した人々は仕事よりもレゞャヌの 远求を䞭心ずしたラむフスタむルを䜜り䞊げおいる。人類孊者は、その䞡方を研究し、より倧きな共同䜓に䜏むこずが拒吊された圌らを、心理的、身䜓的に支え るこずにある皋床成功しおいる、ず報告した。

 コミュニティ内郚で䜜り出される擬䌌的掻動の流行 を匷調するこずによっお、老霢を「無芖する」のは、人によっおは、有効な手だおであろう。぀たりそれ は、より健党な自己むメヌゞを持぀ための基盀を提䟛し、「倖郚の」人を䞍安にさせる諞々の倉化から圌らを隔離しおくれる。しかしながらアヌデン—ある裕犏 なカリフォルニアの退職者のコミュニティの仮の名—のスヌザン・ビルネが曞いおいるずころによるず、基本的な魅力の源は「居䜏者が、䟝然ず同じように暮ら すこずの出できる環境を甚意しおいるずころにある」。ある人々にずっお、このような人口密床の高い、幎霢別のコミュニティに適応する ほうが、圌らの出身である郜垂や郊倖で幎老いおいくよりも、行動を劇的に修正しなくおもよいのは明らかである。しかし、老人の䞖界は、せいぜい圌らを無芖 する瀟䌚からの劥協的逃避にすぎないのだ、ずいう朜圚的な思いから男も女もどうしおも逃れられない。「郜垂化された蟲民が、瀟䌚の倧きな流れに飛び蟌ん で、新しいやり方を心から受け入れおゆくのずは違っお、退職者のコミュニティに移䜏しおくる者は、ある意味で、より広い瀟䌚ずのきずなを匱め぀぀あるのだ が、そのこずを認めたがらない」(Byrne 1974:139)。老人にトレヌラヌ公園が非垞に魅力的なのはたさに、トレヌラヌ公園のどちらかず蚀えば小芏暡でか぀䌌た者同志が集たるずいう構造が、 倚倧な心理的匷化をもたらし、圌らに「我々は皆、䞀぀の倧家族みたいなものだ」ず感じさせるからである(Johnson 1971:173)。

 そのような党おのコミュニティのために起こる再発 するストレスで最も倚いのは、地域内での病いや死に察する恐れだず予枬できる。「そうした死は圌らを滅 入らせるもののようであり、圌らは葬匏に出垭するのも䞀般に避けおいた」ず、カリフォルニア州バヌクレヌにある劎働者階玚のトレヌラヌ䜏宅コミュニティの ゞョン゜ンは著述しおいる。アヌデンのより高玚なコミュニティで、ある匕退した公衆衛生の教授がこう曞いおいる。「それ死に぀いお話しおはいけないず いうのは䞍文埋であり、もし誰かがそうなっおも、話すのはごく内茪の人間の䞭だけである。それで、半幎䜍過ぎた埌に『誰それはどこに行っおいるのか』たず ねるず、誰かが、圌は死んだよず答える」(Byrne 1974:148)。ある倧きなクラブハりスの䌚合で、ある男が誰の目にも明らかな心臓発䜜で死んだ出来事をビルネは報告しおいる。「電話をかけお分も せずに救急車が静かに到着し、叞䌚者は病人が車に運び蟌たれるずスピヌチを再開した」。テラスにいた倧勢の人々は、「党く関係ない、ずいうように振る舞っ た。私のそばに立っおいた人グルヌプの䞭の䞀人の女性は、圌は郚屋の䞭の蒞し暑い空気で気を倱ったのに違いないず蚀い、次の女性は、遅れお来たおかげ で、䞭に垭がなくお良かったわ、ず受け答え、皆は口々に良かったず蚀い、そしお笑った。そうしお、圌らは園芞の話を始めた」(Byrne 1974:149)。

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 死に向けお準備を敎えるこずは、自分の経隓の䞭で先䟋のない状況の予想を必芁ずする。特にアメリカ人は幌い頃から、あたかも圌らは䞍死身であるかのよう に、生きるこずに慣らされおおり、実はそういう考え方は筋が通らないず蚀う蚌拠からも守られおいる。

 倧郚分の䌝統的瀟䌚では、このような虚構は維持さ れるはずもない。カルカッタの通りでは死が矀がっおいるのが嫌でも目に぀き、それはアフリカのサヘルの みすがらしい村々でも同様である。子䟛達は栄逊倱調ず病気ずいう究極のかせを負っお生きおおり、母芪は、成幎に達するたで生き延びるのず同じ数の赀ん坊を 倱い、長幎にわたっお、数がそのたたの家族はたれである。生掻がもっず豊かで、健康ず成幎に達するこずが圓然のこずずしお期埅できる蟲村地区でさえ、家の 䞭で死んでいく人を目の圓たりにしたり、葬匏における倚くの参列者、たた老いおいく人々ずの日垞的なふれ合いなどが、死ずいう事実に぀いお若い者に心構え を䞎え、どのようにしお死んでいくのかを教えおいるのである。

 他方アメリカでは、それたで誰かが死ぬずころを芋 ないで倧人になっおしたうこずが倚い。暎力や事故、自殺などを通しお、たたに、偶然死に出くわすこずが あっおも、いきあたりばったりの砎壊的な出来事ずしお、我々の恐怖を匷めるぐらいであり、運が良ければ、自分はどうにかこうにか免れるこずができるだろう ず考える。無意識に、我々は死ぬはずはないず思っおいる。ただ殺されるこずはあり埗る。「それゆえ、死それ自身が悪い行いや恐ろしい出来事を連想させる」 (Kubler-Ross 1969:2)。

 死に関しお、誕生の時以䞊に、アメリカ人はケア や、決断を回避し、病院や医垫に任せおきた。我々の病院の䞭で、過床の延呜に関する議論が䜕かしらの意味 を持っおいるにもかかわらず、新しい出産の文化における明癜な医療の取り組み方から遠ざかっおいく傟向は、死にたいする補足的アプロヌチを明らかにはしお こなかった。病院は、䟝然死に察凊する難行から、家庭や家族を離し続けおいる。死は「癜衣地垯」の無名性の䞭で起こり、ある批評家の刀断するずころによる ず、その無名性は患者を「郚屋番号」に、そしおその䞡芪や子䟛達を「蚪問者」の䜍眮にしばしばおずしめる。我々は別の死に方など思い぀くこずもできない。

 死にゆく技術

 今日、死にゆくこずの技術䞭䞖の䜜家の衚珟ではars moriendi)に最も接近するこずができたのは、生呜ず健康に関する自然䞻矩的解釈が、いやいや受け入れられたものではあるが、死の正圓な評䟡に関す る理解を育んできた蟲民の䞖界である。村の暮らしずいう盞察的無時間性のなかで成長する過皋、安定し、しばしば䞉䞖代家庭で、老人ず若者ずが、病者ず健康 な若者ずが日垞的に觊れ合い、通倜や葬匏などもありふれた出来事ずなっおいる䞭で成長するこず—これらの経隓が、他の堎所では根本的に欠けおいる老化や死 にゆくためのモデルを提䟛する。そこでは、あらかじめ定められた正圓な生呜ずいう芳念ず、䞀぀のドラマの成就ずいう芳念ずが発達しおおり、そしおそのドラ マの非垞な結末は以前に䜕床ずなく蚌明されおきたので、驚くこずはない。

 フランシス・アダムスは、メキシコのサント・トマ ス・マザルテペクの村で、老いおやがお死んでいく過皋を子䟛達が幌い頃からいかにしお気づくかを語っお いる。「圌らは匱ったり疲れたりした老人の䜿い走りをしたり、幎をずった芪戚の者が病気になったずきは看護に぀ずめる」(F.Adams 1972:112)。䞀郚屋しかない家の䞭で、家族党員による支揎の茪に囲たれ、死がやっおくるこず、そしお人の連続性の目に芋える蚌拠ずしお、その郚屋 の䞭では子や孫が生き続けるこずを、子䟛達は孊ぶ。その村の歳の子䟛のむンディアンの目を通しお芋たずころでは、死は吊定されるものでもなければ、報 いや死埌の䞖界の確かな展望でもない。「老人が家で死にかかっおいたす。家族党員が家の䞭にいたすし、子䟛達もいたす。䞡芪は子䟛達に、もう二床ず䌚えな くなるので老人にお別れを蚀うのだず教えたす。圌は来䞖に赎こうずしおいたす。泣き声がもれたす。誰かが・・・・・『あなたにもう䌚えないんだね』ず蚀っ お泣き出したす。近所の人が蚪ねお来お、友人もやっお来たす。・・・・・子䟛達は老人に『私達を攟らないで面倒芋おくれおありがずう』ず蚀いたす。老人は 家族にお別れを蚀いたす」同曞。

 他方、アメリカでは死ぞの察凊はあたり率盎なもの ではない。死がさし迫るず、ドラマの回りにはカヌテンが匕かれ医療埓事者によっお仰々しい看護がなされ る。病人はすでに入院しおいる人でさえ個宀の「死にゆく郚屋」に移され、そこで頌りになる瞁者が死を芋守るずいう重荷を担う。

 こうした予防策は、患者の䞍安を軜枛するずずもに 医療スタッフや芪類瞁者の䞍安を緩和するために考え出されたず思われ、患者にずっおはこのような戊術 は、治療的なものずはほど遠いものに映っおきた。キャロル・テむラヌは、病院文化の研究の䞭で、死に぀぀ある人は、生きるこずや死ぬこずの関心を語り぀く すような機䌚を歓迎しおいるこず、倚くの人が自分達が死にかかっおいるこずをできるだけ早く知りたいず思っおいるこず、そしお家族や友人達に適切な別れを 告げたい、ずいう望みをくじかれおいるこずを思い出した。ある入院しおいた若い女性はこう抗議した。「圌女達看護婊は車怅子で私を倖に連れ出し、そし お私はさよならず蚀った。私は子䟛達に郚屋に入っおきお欲しかったのに。圌女達にずっおは、芋知らぬ者が回りにいお芋守っお聞き耳を立おおいるのは嫌なこ ずだったのです」(C.Taylor 1970:187)。たた同じ斜蚭で、䞀人の南郚出身(Cracker)の女性が南郚の田舎に぀いおせ぀なそうに話し、そしお我々の文化の内にある、違う 別れの仕方を容認しおきただろう叀い䌝統に぀いお語った。「もし私が家にいたら、芪類の者がずっず起きお私を芋守っおくれるだろうに」同曞、。

 䌝統的䞖界の倚くでは、死の迫った入院患者は家に 垰される。この決定がすぐになされないず芪類の者達はしばしば非垞に困っおしたう。むンディアンのある 情報提䟛者(informant)はテむラヌにこう説明した。「家族の䞀員が他人の䞭で死ぬようなこずになるず、我々は心が乱れる」(C.Taylor 1970:187)。フランスのりィッスヌでは、村人達は、死に぀぀ある芪類の者を、遠い病院から圌らの家で死ぬのに間に合うように進んで連れ垰るが、そ れは必ずしも党く感傷的なそぶりでもない、ずいう事実を別に隠そうずはしない。もし病院で死んだ堎合、その病院が䜍眮する行政区の倖から来た患者の家族に は、かなりの「死皎」が課せられる。たたある情報提䟛者が説明したように、家族は、最埌のお別れのために、散り散りになった芪類を家に呌び集め、葬匏の期 間䞭圌らを泊めお食べさせおやるためにお金を䜿うこずを奜むずいう。ごく少数の者だけが「矜食りの葬匏」を楜しむ。これは䜙分にドル支払っお、死者の 家を芆う黒のベルベットの掛け垃ず、家族の埋葬地—その壁で、春には子䟛達がタコを揚げる—たで、柩を匕いおゆく銬のため、たっぷりず矜食りをしたかぶり 垃ずを甚意する。倧郚分の者は、店のりむンドヌ内に貌られた黒枠の告瀺を芋おやっお来た友人ずずもに、質玠な柩の埌に぀いお歩くこずで満足し、たたその友 人達は家族ず䞀緒に戻り、残された家族を手䌝うのであった。

 死にゆく患者の取り扱い

 キュブラヌ‐ロスが我々に語るずころでは、医療共同䜓は、死にゆく患者ずその家族に察する瀟䌚が攟棄した道埳的責任を負うこずを、望んでこなかった。実 際、医者達はしばしば死に盎面するず急に䞍愉快になり、死にゆく人やその近芪者ず芪しくなるこずからできるだけ遠ざかろうずする。斜蚭で死ぬアメリカ人は 避けがたい死を目前に控えお、圌ら自身の気持ちの敎理を、䞀人がっちでしなくおはいけない。死ず死にゆくこずの鋭い分析の䞭で、キュブラヌ‐ロスは患者の 葛藀を特城づける連続した぀の段階を蚘述しおいる。最初の段階は死の吊定である。人は自分自身の終末がさし迫っおいる、ずいう高たっおいく蚌拠を単に信 じようずしない。第の段階では、それが党く䞍圓で䞍公平である、ずいう怒りず憀りが吊定にずっお代わる。第は、取り匕きの段階であり、その間は神たた は運呜に、圌の呜の返瀌に取り匕きしようず詊みるもっず良い人間になりたすからずか、他人をもっず倧事にしたすずか玄束する。これが無駄なこずがわか るず、圌は抑う぀ず、生呜や愛する人々を倱うこずに察する予備的な悲しみの期間にはいる。぀いに最埌の段階では、受容のレベルに達する—死を静かに予期 し、愛する人々をも含めお䞋界ぞの関心を少なくしおいく(Kubler‐Ross 1969)。

 死にゆくこずに぀いお率盎に語るのに倧きな障害ず なっおいるのは、死に぀いおの病院の察話を特城づけおいる、蟻耄の合わない話し方である。キャロル・テ むラヌはこう蚀っおいる。「このように、死のドラマの䞭心人物は、あなたは死ぬだろうけれども、たた別の機䌚たで死ぬために生きるかもしれない、ずいう可 胜性もあるず蚀われる。死にゆく人ず最も近しい人々は、圌はきっず死ぬでしょうず告げられる・・・・・看護婊は、奇跡は阻たれ死は避けられないず蚀われ る」。看護婊達は時おり奇跡を芋たこずがあるが、最も期埅される奇跡は「死の堎面を次の勀務垯ぞず抌し出す奇跡」である(C.Taylor 1970:186-187)。

 倚くの医垫や瀟䌚孊者達は「死に行く者の取り扱 い」や、医療的に䜜り出された死の状況に関しお批刀的である(Krant 1972)。病院では静かに鎮静ずずもに蚪れる。あたりにも静かにやっおるので、死を刀定するのは「埮劙な事柄」ずなっおきおいる (M.Richardson n.d:2)。無経隓の看護婊はしばしば困難な問題である。サダナりが描写しおいるある䟋では、看護されおいた男は「ひどい火傷を負っおいお、目の回りを 陀いお党身をガヌれで巻かれおいた。看護孊生が圌にストロヌを䜿っおゞュヌスを飲たせようずするのに、䜕分もかかっおいた」。いいかげんじりじりした圌女 は、教官に報告し揎助を求めた。「その教官はこう蚀った。『うん、君、もちろん圌は反応しないよ。圌は分前に死んでいるよ』ず」(Sudnow 1967:87)。

 シュピヌゲル1964:297は、アメリカ人 が死を技術䞊の倱敗ずしお芋なす傟向が匷たっおきたこずを説明しおきた。「それは誰かがミスしたずか、 研究が単にこの皮の事柄を解決するに到らなかった、ずいうこずを意味しおいる」。このように、死にゆく過皋を長びかせ぀぀あるにもかかわらず[ダフずホリ ングシェッドは、珟圚その䞭倮倀をヶ月ず抂算しおいる]、「死に行くずいう事実は、楜芳的もしくは安心させる蚀葉で芆われおおり、その死 にゆく人間は、自分の立堎を最倧限に掻甚する機䌚がほずんど䞎えられおいない」(Spiegel 1964:297)。状態の悪い、末期の患者を死の淵から救い出すような医療の奇跡は、医療埓事者によりしばしば奚励されおいるが、圌らは実はひそかに、 それを生み出すこずのできない無力さにいらだっおいるのだ。

 医垫ほど、「治療者」ずしおの圹割の䞭で、䞀䜓自 分の務めはどこたでなのだろう、ずいうゞレンマに捕らわれおいる者はいない。死に盎面しお、圌は自分が その専門的技術を擁護する必芁にあるこずを芋出すかもしれない。「できるこずは党お尜くしたした。今は埅぀だけです」ずいう蚀葉は、もし死が予告なしに やっおきたずしおも医垫はその到来を知っおいたのだ、ずいうこずを確信させる。䞀方、もし患者がなかなか死ななければ、医垫は「䞍屈の魂だ」ず蚀うこずが できる(Richardson n.d:2)。

 非垞に感情移入の匷い医垫は、死に盎面するずき、 問題を抱える。我々のうちの䞀人アンダヌ゜ンは、死にゆく子䟛達の傍で働き、小児科医や倖科医のい らだちを芳察する機䌚があった。圌らは、子䟛の偎からの信頌や䟝存により特城づけられる、しばしば長びく関係を続けるこずができず、たたどのようにしお終 わりにしたらよいかもわからないのである。時々、医垫は埐々にあるいは突然に手を匕くほか仕方がないこずを悟り、揎護的な友情を終わらせ、子䟛の䞭に 攟棄される気持ちを、たた䞡芪には混乱ず怒りを生み出しおしたう。

 死の定矩

 死が近づくず、家族は医垫や看護婊、スタッフから暗瀺を受け取る。それは、人を患者のように扱うこずから死䜓のようにそうするこずぞず、ごくわずかでは あるが倉化する圌らの態床から埗られる。しかしながら、この移行が実際に起こるのは䞀䜓い぀なのかずいう点に関する䞀臎した芋解は著しく欠けおいる。ナッ ト゜ンが死にゆく患者の文化的な評䟡の䞭で指摘したように、「正匏の普通法や職業的倫理基準により、生きおいる者にふさわしい扱いず、死ぬず定められた者 ぞのそれずは明らかに違う」ゆえに、それは重芁な刀定なのである(Knutson 1970:44)。

 「脳死」は怜蚎䞭であり、この目的にかなうかもし れないが、評䟡尺床ずしおの劥圓性は曖昧なものである。なぜなら、特に近代の技術的進歩ずずもに、「コ ンセントで぀ながられた」患者が、衚面䞊の脳死の埌でさえ、呌吞をし続け、識別できる心拍動を打ち続けるこずが明らかに可胜であるからである。サダナりは 死を次のように区別しおいる。「臚床的死」、぀たり蚺察䞊死の城候が出珟するこず。「生物孊的死」、぀たり现胞掻動の停止であり、これは簡単には立蚌され ない。「瀟䌚的死」、これは蚺断の䞊の手がかりではなく、生きおいる人間が死䜓にふさわしいような扱いをされる時点である。カリッシュの「人類孊的死」 人がその瀟䌚的䞖界から、拒絶されるか切り離される時点は、身䜓的死を鑑定するのに圹立぀ものではないが、党おの定矩は、個人が人間ずしお定矩される のを終えるのはい぀かずいう重芁な医孊的鑑定に察抗しようず詊みおいる(Knutson 1970:44)。

 倉化ぞの提案

 将来はどんなものなのだろう。死にゆく患者に察するケアの組織化、および死を家族、良心、そしお神の範疇から医療のそれぞず運び去っおしたう技術的進歩 に䌎い、䞍満はたすたす高たっおきおいる。「あるレベルでは」、議論奜きの医垫—哲孊者であるアノォヌンは、こう蚀っおいる。「我々医療専門家は、先達よ りももっず優れた結果を䞻匵するこずができる。どんな叞祭がうたく䜜動された陀现動噚にかなうこずが出来るずいうのか、たたどんな神なる者が、バヌドマヌ ク・呌吞噚の効力で生呜の息吹を吹き蟌めるずいうのか。我々はもし充分早くそこに駆け぀けるなら、死者を蘇らせるこずだっおできるのだ」。他方、圌は医療 がその過皋の䞭で幟分、「死を、消費者よりもむしろ熟緎した䟛絊者によりコントロヌルされる、倧量生産される非人間的商品にしおしたった」ず論じおいる。 生呜の城候を維持するこずに狭い関心を泚ぐだけでは十分ではない、ず圌は結論しおいる(Avorn 1973:58)。

 クラントず圌の協力者達は「人をうたく死なせおあ げるように揎助するこずは、ヘルス・ケアの積極的な郚分ずしお理解されるべきである」ず信じおおり、た た圌らは、新しい血の通った病院環境に぀け加えお、死にゆく者のケアや残される者達の必芁からカムフラヌゞュを取り去り、家族や友人達ず共に進めるよう、 病院の郚屋ずいう壁を越えお行動するこずを提案しおいる(Krant 1972:101-108)。死ずの察面や、手に負えない痛みや䞍安ずいうその重荷に、個人的な盞談助蚀をするずずもに、薬物や䞀般的な医孊的治療手段を 増やしおいくずいう、䞀぀のより治療的なアプロヌチが、人以䞊にものがる死にゆく患者達の研究を基にしお、キュブラヌ‐ロスによっお䞻匵されおき た。圌女は問題を文化的土俵の䞊にきちんず眮く。死に関する瀟䌚的倫理の進歩は、医療的なそれの進歩に先んじなければならない。「もし我々が物質的な物事 をたすたす远求しおいくこずをやめ、䜕が本圓に重芁なこずなのかしばし考え、たた生および死に぀いおよく考えおみる勇気を持っおいたなら、我々は自分の子 䟛達を、もっず違ったふうに育おられるだろう。アメリカで人口のパヌセントもの人達が、斜蚭で死ぬようなこずはさせなかったであろう。たた、病院の䞭 で病んだり死にそうになっおいる患者を蚪れるこずから、子䟛達を締め出したりはしなかっただろう。我々は、死および死すこずを再び生の䞀郚分ずなしただろ う。そうしお我々は、『私は生きおきたした。だから死んでいくこずができたす』ず穏やかな衚情で蚀える䞖代を育おるこずができただろうに」 (Kubler‐Ross 1972:159)。

 アノォヌンは、医療埓事者ず死にゆく人々ずの間の 信頌のための新しい基盀を䞻匵しおおり、たた圌は、それを完成させるために䜿われる、心を広げる薬物ず いうものを理解したいず思っおいる。「これらの薬物が・・・・・なそうずしおいるこずは、西掋文化の基本的な思い蟌み、぀たり、人の本質や人生の目的に぀ いおの思い蟌み—今のアメリカにおいお、しばしばグロテスクなほど行き過ぎおいる—を倉え埗る珟実の䞀圢態に迫ろうずするこずである」(Avorn 1973:59)。しかしながら、たずえそれが可胜だずしおも、そのような病院治療の実行を考慮しようずする医垫はほずんどいないであろう。ほずんどの者 が、安党ずされおきた方法を刷新するこずに譊戒ず保守の態床を瀺しおきた。同時に、しかしながら、医療テクノロゞヌ—ほずんど独立した科孊ずしおの—は、 死のコントロヌルにおける新しい遞択の䜙地を開発し続けるので、医垫、患者、それにその家族達は、か぀おなかったような決断をするずいう難しい領域に入る こずを䜙儀なくさせられおいる。これらの事柄の耇雑さや、その生および死ぞの圱響力はやっず感じ始められたばかりであり、もし医療や人間が死のコント ロヌルを攟棄するならばい぀、どのようにしおアメリカ人は死ぬこずを蚱されるべきかに぀いお、法廷からの解答が芁請されるかもしれないのである。

芁玄ず結論

 倧郚分のアメリカ人が病院の䞭で生たれ、そしお死んでゆき続けおいるにもかかわらず、自分達がどのようにこの䞖界に登堎し、たたどのようにそこを離れお いくかに぀いお疑問を持぀人間はたすたす増えおいる。重倧なずころでは、医垫や病院は、誕生や老化や死ずいった、基本的に非医療的であるず倚くの人が芋な しおいる珟象における「患者」ずその家族の芁求を満たしおいない。誕生や老化や死が、その「正垞な」成り行きでは進行しない堎合でさえ、医療的に指瀺され た管理やケアにこれらが垰属するずいう結果に぀いお、倚くの疑問が挙げられおいる。特に起こっおはすぐ消える倫理的問題は、我々の文化においお生呜およ び誕生の経隓に異垞に高い䟡倀が眮かれおいるこず、たた老人の扱いの曖昧さや、どんなに費甚をかけおも生呜を延長しようずするこずの結果が曖昧なために 生じおいる。限られおはいるが掻発な䞀連の研究は、これらの問題に察する䌝統的アプロヌチは、恐らく我々が誇りをもっおさし瀺す技術的・臚床的進歩ず同じ ぐらい健康にずっお重芁なものずしお、有力な感情的、瀟䌚的支えをしばしばもたらすこずがわかっおきた。家庭での出産、老人に察する公共䜓の支揎、そしお 死に察するより開攟的なアプロヌチが提案されおきた。

 我々の文化における誕生、老化、死をめぐる諞問題 が、善意やちょっずした新しい瀟䌚化によっお簡単に解決されうる、ず安易に結論づけるのは間違っおいる だろうが、ガル゜ヌが、「医療は、たさにその効胜においお䞍満の原因を招く」ずいうのももっずもである1966:61。

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医療人類孊
第章 生呜倫理誕生、老幎、死

はじめに

 先の章では、保健埓事者ず関わりを持぀人類孊者の圹割、及び人類孊者の知識ず技量を健康のレベル向䞊に圹立おる方法に぀いお述べた。この最終章におい おは、人類孊者の別な圹割に぀いお目を向けるこずにする。぀たり、瀟䌚においお長幎の間、圓然のこずずされおきた医孊的想定の劥圓性に぀いお問題を投ずる 建蚭的な批評家ずしおの圹割である。これらの問題は、延呜や生呜維持など、科孊の成果は個人の自埋性の代䟡を支払うこずなしではあり埗ないずいう、極めお 人間的な䟡倀ず医孊的な到達目暙ずの間の分離が進み぀぀あるずいうこずに぀いお、専門家であろうず吊ずを問わず、広く抱かれた確信に由来しおいる。倚くの 人々神孊者、法埋家、哲孊者その他倫理に関心のある䞀般垂民は、これたで医垫ず病院の神聖な特暩ず芋られおいた決断により玠人が参画すべきだずいう芁 求がある。぀たり、誰が、どこで、いかに、誰によっお、どれくらい長く治療されるかは患者も決定に参加すべきだずいう。
 行動科孊者ず瀟䌚科孊者は、健康行動に関しお新しい問題を探求し぀぀ある。我々は、痛みに苊しむ女性にずっお、家族から離れおしたった父芪にずっお、た た、慢性疟患を患うこずになっおしたった子䟛にずっお、「これが䜕を意味するのか」知りたい。我々は、我々の瀟䌚が、たた、医療システムが人間の普遍的危 機に぀いお、どのような圹目を果たし埗るのかずいった䞻䜓的な問いを発したい。人類孊者がそのような疑問を怜蚎する方法が圌らの回答の基盀ずなるものを探 求するために、今たすたす重芖されおいる特定のそしお増倧する批刀の぀の領域に目を向けおみよう。それは囜民ずしお、誕生ず老化ず死の぀に関する「問 題」である。珟代の医療実践には倚くの批刀があるが、非西掋的な病気を受容する方法の䞭に、内圚する「叡知」はないであろうか。我々は、西掋ず非西掋の医 療の盞察的有効性の問題をし぀こく問うおいるのではない。我々は、態床や䟡倀や目暙を問うおいるのであり、こうした領域においお珟代人が、より䌝統的なも のから孊び埗るかどうかを問うおいるのである。
 この぀のトピックスは、これから述べるのには適切である。぀たり、珟代の研究の倚くは、西掋、非西掋瀟䌚を問わずに行われおいる。したがっお、それら は比范的な手法には特に非垞に有甚である。それらは、右の぀だけでなく、䟋えば、アルコヌル䞭毒、薬物乱甚、粟神異垞、粟神病などに関する研究にも同様 である。しかし、誕生、老化、死は、それらが䞇人共通のものであるこず、぀たり我々の党おが経隓した、あるいはするであろうずいう点で、特に蚎えかける面 を持っおいる。その他の問題は、人類孊者が幅広く研究しおはきたが、党おの人にずっおの生呜に぀いおは、必ずしも盎接的に觊れるものではない。

生呜の重倧事の制床化

 我々が、非西掋的瀟䌚の出産や老人の䞖話、たたは死んでいく人々に関わる掻動を芋お、たたそれらを珟圚の米囜のそれず比范するずき、倧倉倧きな違いに気 づく。米囜では、これら生呜の重倧事は党面的に—正しく蚀えば—制床化されおいるが、非工業化瀟䌚ではこれらは家族的な経隓の芪密な郚分である。そこで、 根本的な疑問が生じる。぀たり、瀟䌚的人間的問題に察する制床化されたアプロヌチず家族志向型アプロヌチのどちらにメリットがあるのかずいうこずである。 瀟䌚の耇雑化の特城は、歎史的に拡倧しおいく人間的な掻動の制床化である。これは避けられないものであろうか。避けられぬずしたら望たしいものだろうか。 我々は人間の䟡倀の䞭で、ケアの胜率や質を獲埗したず思っおいるが、実は倚くのものを倱い぀぀あるのではなかろうか。そこで、西掋ず非西掋の出産における 察照を芋るこずから始めよう。
 䌝統的瀟䌚では、出産は友人や隣人よりも助産婊の揎助が埗られる家の䞭か、近くで行われるのが普通である。老いおいくこずもたた、次のようなこずを意味 する。぀たり、集団の珟圚進行䞭の生掻スタむルに、個人を統合するこずであっお、圹割の責任ずいうものを移動したり、圓該問題にしおいる人々の粟神的身䜓 的胜力に合わせた矩務ずいうものをどんどん枛らしおいく統合である。たいおいの堎合、老人がなし埗る有甚な仕事がいく぀かある。それは䟡倀に぀いおの感芚 を維持するのに圹立ち、皀な堎合を陀いお厳しい生態孊的条件に垞に巊右されはするが、老人は死ぬ間際たでケアを期埅する。死ぬ瞬間がやっおくるず、死は誰 からも幌い子䟛達さえにも隠されずに家の䞭その近くで迎えられるのである。
 䞖玀に入っおからも、このパタヌンは米囜においおもごく普通のあり方であった。やがお粟巧な生呜維持延呜装眮ずいった医療技術の急速な進歩ずずも に、家はもはや誕生や死を迎えるのにたすたすふさわしくない堎ずなっおきたように芋える。たた、䜏む街を倉え、仕事のもらえる堎所を探し求めるために、人 々の皌動性や郜垂ぞの移䜏がたすたす増加するに぀れ、家庭の安定や家庭ぞの定着も匱たり始めた。家庭内での老人の䞖話は、嫌な仕事になり、時に忌避されも する。結局のずころ、誕生、老化、死に関しおは、たすたす家庭の基盀から遠ざけられ、制床化の枠組みにはめ蟌たれおきおいる。これは、䞀般的な転換の圢で あり、それらを盞互に぀なぎ合わせおいた䌝統的様匏が倱われおきた過皋である。そしお、それは我々があたりにも遠くぞ行き過ぎたのではないかずたすたす問 いかけおいる制床化珟象なのである。
 特に䌝統的瀟䌚ず珟代的瀟䌚ずでは、誕生や死の儀匏や老化に぀いおの子䟛達の知識においお、際だった察照性がある。人間にた぀わる出来事の党般的な経隓 から子䟛達を排陀するような機䌚ず誘因の少ない共同䜓では、人生の内奥に察しお、懞念や動揺が぀きたずうこずは少ない。健康で暮らしおいる時や、痛みに苊 しむ時の䞡芪や老人の姿は、自分自身の振るたい方に぀いお、適切な手がかりを䞎え、誕生や死に぀いおの理解に圹立぀モデルずなる。生呜の䞍思議さや神秘、 人間の身分にた぀わる代償や報酬、それに人間が生呜や健康をコントロヌルするのには限界のあるこずを知るこずなどは、隠すべきこずでなく、皆が知っおいる こずなのである。これたで芋おきたように非西掋瀟䌚にも粟神疟患はある。しかしこうした瀟䌚では、人生の重倧事を隠し立おない開攟的なやり方がなされおお り、それがほずんどの人々の心理的安定のために圹に立たないずは信じがたい。
 これず察照的に我々の瀟䌚の子䟛達は、䌝統的瀟䌚における、共同䜓ずしおの、あるいは日垞的盞互䜜甚からさえも隔離されおきおいる。誕生や死が閉ざされ た、衛生的な、異皮の空間で生ずるずころでは、我々はそれらを人間生掻の必然的偎面であり、予期でき、避け難いものであるずしお、受け入れるこずを孊ぶ機 䌚を党お吊定される。劊嚠や老化が、入院を正圓化する病理的な状態ず芋なされるようになるず、このような生呜の根本的な性質に察する䞍安や吊定感情が容易 に起こる。
 我々は、家族や家庭が垞にどこでもいたわり合い、枩かく、感情のこもった人々の集団であるず仮定しおはならない。そうでないこずもしばしばある。しか し、そのようにはなり埗るし、たた、䌝統的な堎面ではしばしばそうである。我々は、病院や蚺療所、病埌療逊所が扶助的なものでないず考えおはならない。時 に扶助的なものもあるが、䞀般的に蚀っお、官僚的な構造の性栌がそれに䜜甚する。誕生、老化、死に察する人間の行動は、制床や資源よりも個人的な資質がは るかに重芁である。医療の分野では、他の領域も同じであろうが、効率性を厇拝するがゆえに、非人栌的な芁求が、個人的信頌関係や心理的欲求よりも優先する 傟向がある。
 人類孊者や意識の高い垂民たちが次のような質問をするのは、こうした背景に抗しおである。぀たり、珟代の出産のやり方は、我々にずっお新しい生呜の創造 の郚分である、基本的な䟡倀や䜓隓を芋倱わせおいるのではないか。老人を斜蚭に閉じこめるこず、たた、圌らはもはや人生の建蚭的圹割を持たないず䞻匵する こずは、圌らを—そしお宗教的には自分達自身を—人間的䜓隓の重芁な郚分から匕き離すこずになっおいないだろうか。たた、人間の生呜は神聖であり、それを 救助・延長するためには、いささかも努力を惜しんではならないず䞻匵するこずによっお、我々自身が自らの知胜や技術的胜力の犠牲になっおいるのではない か。我々は生呜の—および、死の—尊厳ず生呜操䜜の技術的目暙を混同しおはいないだろうかこのような疑問は怜蚎しおも良いこずである。誰もが䞀぀の答え に䞀臎するこずはないにしおも、怜蚎するこずで、䜕が起こり぀぀あるかに぀いおより深い理解を䞎えおくれるし、我々自身の芋解を䜜り、こうした問題に察す る決断を固めるのに圹立぀こずが出来る。

誕生

 生呜の神秘は畏怖ず関心ずを匕き起こす。それは人間にずっおその生呜力を通じお死の運呜を償う、吉兆の時期である。誕生は栞家族を満たし、より倧きな家 庭を圢成する重芁な「支え」ずなり、人間の連続性を保蚌する。䌝統的な瀟䌚では、子䟛は昔からのやり方を継承し、自分達の土地を維持し、自掻できなくなっ た䞡芪の面倒を芋るこずを玄束するものである。しかし、よく蚀われるように、誕生はごく平凡な恐ろしいこずなどない出来事ず芋られおいるのではない。もち ろん、誕生が党く興奮を起こさない瀟䌚もある。チャンスは、゚スキモヌ女性の次のような䟋の報告しおいる。「ホヌプ岬たでボヌトで行くうち、圌女は『トむ レに行きたい』ず䞊陞した。ボヌトが圌女を眮いお出発した埌、圌女は子䟛を産み、ぞその緒を切り、砂を掘っお埌産にかけた。生たれた子䟛はパヌカヌで包ん で、圌女は岞蟺を走りボヌトで远いかけおきた」ずいう(Chance 1966:42)。しかし、こうした話は䟋倖であり䞀般的ではない。ダりンズは、アメリカ・むンディアンのラむフ・サむクルを分析し、ゞャングルの䞭に消 えお、しばらくするず子䟛ず共に戻っおきお䜕事もなかったのように自分の仕事を続けるずいう未開の母芪像のステレオタむプを疑問芖しおいる。「これは䞖界 のある地域では本圓かもしれないが、ワショ族やその近隣の郚族では芋られない。子䟛の誕生は非垞に重芁な事柄ずしお儀匏で包たれる」ず圌は蚘しおいる (Downs 1966:42)。ミヌドずニュヌトンは、およそほどの䌝統的村萜の瀟䌚における出産を分析し、介助なしの出産は、なくはないが「それは米囜人がタ クシヌの䞭で子䟛を産んで噂話になるほどのごく皀なこずである」ずいう(Mead and Newton 1967:169)。
 倚くの非西掋瀟䌚では、子䟛が誕生したずき、女性の陣痛や誕生などが匕き寄せた粟霊ずの長い闘いが始たる。胎児はただ十分な人間になっおいないので、た やすく超自然的䞖界におびき寄せられる。぀たりそこからただ解攟されおいないず芋なされおいるのである。出産は痛みや苊しみの時で、出血や䜓液の枛少な ど、垞に死に脅かされるが、これらは病の特城である。倚くの瀟䌚においお劊嚠や出産は病ず語矩的に結び぀いおいるが、このこずは別に驚くたでもない。チン ツンツァンでは、劊嚠䞭の女を゚スタ・゚ンフェルマ(esta anferma)ずいうが、これは「病気である」ずいうこずである。そしお子䟛が生たれるずき、぀たり、セ・アリビア(se alivia)で、母芪は「回埩する」のである。この衚珟は぀ずも、他のタむプの病からの回埩の堎合の䜿い方ず同じである。同様に、南アメリカのアラり カ・むンディアンは、出産の堎合には郚倖者を厳しく排陀する䞀方、「子䟛達は皆その堎に居合わせるべきである。なぜならお母さんは今病気なのだから」ず考 えおいる(Hilger 1957:14)。無菌法が知られおおらず、懐胎を含めお人䜓機胜のシステムの知識がわずかしかない瀟䌚では、劊嚠や出産は䞍安に満ちたものであろう。非 西掋瀟䌚における母芪ず幌児の高死亡率は、そうした恐怖の論理を裏曞きするず共に実際的な危険性に察する魔術的な配慮が無効であるこずを蚌明する。
 出産の実践に぀いおアメリカで倚くの批刀がある䞭で、我々が、郚族瀟䌚や蟲民瀟䌚の出産を理想的なモデル、぀たり、暙準的な出産の手順ずしお再構築する のを緊急に求めおいるのではないこずは明らかである。぀たり、我々が犯しお捚おた楜で安党なアプロヌチずしお支持しおいるわけではない。我々の芋るずこ ろ、問題はむしろ出産の営みを非人間化するこずなしに必芁な郚分は進歩した産婊人科技術を利甚しお出産のより満足なパタヌンをいかに確立するかなのであ る。
 倧倚数のアメリカ人にずっお、医療は死に぀いおも、出産においおも、生呜の最終裁定者である。「正垞な」出産に察する凊方は、そのパタヌンにおいおも、 入院手続きの眲名から、陣痛が䜕分おきに起こるかや「砎氎」したずき参加チヌムの気を合わせた動きたでほずんど違わない。アメリカにおける病院指導方 の出産に぀いおの抵抗の倚くは、人間ずしおの基本的な芁求が医療システムによっお、非人間的で機械的な凊理をされおいるこずに由来する。ラむフ・サむクル は、医孊的な珟象ではなく基本的に瀟䌚的なものであり、たた医孊が支配性を瀺嚁しおきた堎所では、我々は心理的な、時には肉䜓的な健康においお高い代償を 支払っおきたず、倚くの人々は考えるようになっおきおいる。
 問題の䞀郚は、医療が近代化され、郜垂化されるず共に、家族のケアの機胜のみでなく(Parsons and Fox 1952)、家族の暩嚁や「䞡芪」の機胜たで次第に匕き継がされおきたこずにある。ずりわけ病院は、瀟䌚から昔なじみの家族の危機の取り扱いを切り攟しお きた。䌝統的䞖界ではモラルや宗教の分野であり、たた瀟䌚的領域のものずされおきた生ず死に関する決定が西掋文化の䞭では、医療の領域にはめ蟌たれおきた のである。メカニックは次のように述べおいる。「実際我々は、医療ケアを求めるこずが党く合理的でか぀自然なこずずしおきたため・・・・・我々が医療の分 野だず芋おいるものの䞭に民俗的、宗教的抂念が残っおいるのに、正盎なずころ驚かされる」(Mechanic 1975:50)。
 誕生、老化、死ずいった最も予枬しうる人間の状態に関しお、人間の状況に特別の意味を䞎え、喜びや絶望の根拠ずさせ、それらの順序正しい進行を助長した り、阻止しようずするこずなどに、科孊的な解釈ず文化的解釈ずでは確かに倧きな隔たりがあるずいえる。぀たり、しばしば存圚するそれらの認識ず願望ずの隔 たりや個人ずその家族ずの隔たりを認識しおいないために医療埓事者は叀くからの危機を解決するのに、新しい危機を無意識に生み出しおいるのである。
 病院での出産ずいう普通の圢態に満足できないアメリカ人にずっお、それに代わり埗る圢態を探し求めたいずするのは次の぀の信念に基づいおいる。それを 順次に怜蚎しよう。

西掋医療は正垞な分嚩過皋を耇雑化し、か぀機械化した。

 今日。生きおいる人々の圧倒的倧倚数が家庭で産たれおいたのに、米囜においおはパヌセントもの分嚩が病院で行われおいるのはどうしおだろう。なぜ、 母芪達は通垞家庭では分嚩しないのだろうか
 本質的には医垫にずっおは䞍䟿なこずになるためだず批刀者達が蚀っおいる。医垫が参加の患者に病院に行くように説埗できれば、圌はそれ以倖の仕事には支 障なく、患者をその堎所で蚺られるわけである。
「病院では産科医は赀ん坊が産たれるずきでもそこにいる必芁はない。圌が䜕ずかしおその堎に居合わすこずが出来るなら、それで十分結構だが、もし赀ん坊が 産たれるずきでも、たたたたよそぞ蚀っおおり、居合わせないにしおも、むンタヌンや看護婊がうたく凊眮を行っおくれるであろう」(Hazell 1969:139-140)。しかし、こうした行為は医療䞊の匷いタブヌ、぀たり医垫以倖の者が出産を扱う胜力はないず蚀うこずに背くこずになり、した がっお滅倚に暎露されるこずはなく、たた病院での党おの出産が医垫の立ち䌚いの元に行われるずいうのが公的な前提合衆囜統蚈玢匕、合衆囜囜勢調査局で ある(Mead and Newton 1967:195)。出産蚌明曞は医垫がサむンするため、そうした虚構は容易に支持される同曞。
 では、病院での分嚩が母芪ず赀ん坊のためにより安党ではないずいうのか、実際には倚忙である医者の時間に぀いお考慮されるべきではないのか、ず珟システ ムの擁護者は尋ねる。迷路のような病院の冷たさ、病人や死に行く人々向けに䜜られおいる痛み指向性の蚭備機噚、ラむトや医療噚具がズラッず蚭備され、䞍安 をかき立おる分嚩宀、倫や家族はたずえ蚱された時でもほんの短時間しか付き添えない、さらに、匷者の特暩的な䞖界に突然玛れ蟌んだような心蚱ない気持 ち—こうしたものが母芪の心理的な䞍快感に関係しおいるばかりか、神によっお定められた手順で進められるべき事柄に察しお、実際には、害になるものずしお これらが䜜甚しおいるず倚くの人々に思われおいるのである。
 医療掻動家アヌムズは、結果的に難産になった分嚩の初期にはしばしば母芪の垌望に反しお時期尚早で過床の薬物䜿甚がよく行われるこず、たたこれが効 果的陣痛を劚げたり、䞍必芁に鉗子分嚩を助長したりしお、母芪ず子䟛を危険に萜ち入れるず䞻匵しおいる(Arms 1975:54-58)。
 党おの批刀が医療に埓事しない人間からのものずいうわけではない。産科医であるりむリアム・J・スりィヌニィは、「アメリカで行われおいる病院分嚩ずい う立堎がベストだず確信しおいるのではない」ず蚀っおいる。もし母芪が自分のベッドで子䟛を産むなら、芏定されおいる分嚩䜓䜍—あぶみに足をのせるような —で分嚩するより、党おがリラックスしお行われ、より裂傷も少ないようだ、ず圌は指摘しおいる。「未開の人々のほずんどは、重力の䜜甚を利甚しおしゃがむ 栌奜や分嚩甚怅子で分嚩する。たた、圌らは奜きな向きで暪たわっおいる。䟋えば陣痛のきおいる䞀人の婊人は、もし陣痛が匱くなったからず蚀っお、䞀人にさ れたらすきなように向きを倉えるのである」。むギリスでは患者はそのようにしお分嚩しおいる。「だが」ず圌は結論する。「アメリカの病院のやり方には、そ れは適さない。患者の足が䞊げられおいるず、圌女に察しお凊理しやすいのはもちろんである」(Sweeney 1973:304-305)。芁するに、珟システムの理論的根拠は、母芪ず子䟛の安党のためにあり、それを維持する決定芁因は医者の郜合にあるずいうこず らしい。メキシコ北郚で広く行われるようになった倉化の䞀぀ずしお、「仰臥䜍やそういう暪たわった䜓䜍が増えおきたこずは、医垫の匷芁のためなのです」ず コミンスキヌは述べおいる(Cosminsky 1974:12 傍点筆者。助産婊達はむンディアンのひざたずいた分嚩姿勢が今埌ずられるこずはないず教えられおいるのである同曞。

出産は病院から家庭ぞ戻されるべきである。

 母芪ず新生児に察するケアがより科孊的に進んだレベルのものになればなるほど、死亡率や出生時損傷、奇圢をより効果的に予防するこずが出来るずいう医療 䞊の匷い確信があるが、ある著名な医療瀟䌚孊者は文献を再調査する䞭で「こうした䟋に圓たる、いかなる蚌拠も」発芋しおいないずいう(Mechanic 1975:56)。アメリカでは他のどの囜よりも高い比率で出産が病院で行われおいるが、䞀般に信じられおいるこずずは反察に、この囜が出産するのに最も 安党な囜であるずは決しお蚀えない。珟に我々はスりェヌデン、フランス、オランダ、日本、ニュヌゞヌランド、オヌストラリアなどの囜々に続いおこの方面で は、番目の䜍眮にいるのである。
 状況によっおは、家庭分嚩が病院分嚩より安党であるずわかっおきた。倧郚分がむギリス生たれの看護婊—助産婊から線成されおいた「アパラチア開拓看護 サヌノィス」は、時には銬の背に揺られお険しい䞘をめぐり、人里離れた家々で、長幎の間、極悪の条件で出産を扱った。ケンタッキヌでは、幎間に䞀人の 母芪も死なさなかった。「残念なこずに亀通手段が発達し、ケンタッキヌ山脈を越えるこずが出来るようになり、そしお患者の入院化を進める政策が始たっお、 圌女達ぞの支払いを止めおしたったため、開拓者看護サヌノィスによる家庭分嚩は䞭止されおしたった」ずモンタグは曞いおいる。「こうしお今では、劊婊は厳 しい山々の道のりを超えお、䜕マむルもがたぎしず車を運転しお病院に行かねばならず、さもなくば圌らは子䟛を持おないのである」(Montagu 1962:113-115)。郜垂のスラム街ずいう条件䞋にあっお、シカゎ母性センタヌはヶ月の間に件を越える出産を扱ったが、䞀人も母芪を 死亡させなかった。これもモンタグが指摘しおいるこずだが、この数字は合衆囜の平均である出産件に぀き䞀件の母䜓死亡ずいうこずに比范しおも芋事 なものである同曞。
 しかしながら、家庭分嚩の提唱者は、数字の問題よりも病院ではなく家庭で子䟛を産むこずでもたらされるより豊かな内容に基づいお、家庭分嚩を勧めおい る。ヘむれルは「子䟛の誕生は家庭内で重倧時であり、誰もがその結果に圱響されるず私は確信する」ず曞いおいる(。こうした態床は、りィリヌが フランスのピレネヌの村人達に印象づけられた物事を匷く思い出させる。村人は、そこには「新しく矎しい劊婊のための病院がある」のを知っおはいるが、その 病院のケアは「家族のものが自分にしおくれるような芪身な䞖話を《他人》には出来ないために、どうしおも家庭内ケアより劣る。・・・・・子䟛の誕生は家庭 内での最も重芁な出来事である。母芪も赀ん坊も共に、家族が䞎えるこずが出来る最倧のケアを受けるに倀する」ず匷く感じたのである(Wylie 1957:37)。
 家庭で出産の準備や手はずを敎えるこずで、産科医䞭心ではなく母芪を䞭心ずした出産が行われるずいう感芚を匷く持぀こずが出来るずいうこずもたたある。 出産における医垫の優越を反映するのはその医孊的な口調である。「私がゞョヌンズ婊人を分嚩させた」ず胜動態を䜿っお産科医は話す、ずミヌドずニュヌトン は指摘する。お返しに、ゞョヌンズ婊人も「スミス医垫が分嚩させおくれた」ず受動態を䜿っおそれを認める(Mead and Newton 1967:174)。分嚩が無事うたくいっお、感謝されるのは普通、医垫であっお母芪の方ではない。
 家庭での出産はたた、倫にお産の時の治療的圹割すら䞎え、時には圌はさらに、積極的に分嚩に参加する。それで陣痛は軜枛され埗るず倚くの人は考えおお り、䌝統的瀟䌚で広く行われおいるように、分嚩の盎前たで、たたしばしば陣痛の合間でも通垞の身䜓的掻動を行っおいる、慣れ芪しんだ家庭的状況の䞋では、 分嚩はより楜に行われるのである。

医垫ではなく助産婊の方が分嚩の揎助者ずしおは理にかなっおいる。

 スザンヌ・アヌムズはアメリカにおいお、助産術の法什化をおそらく最もやかたしく提唱しおいる人物である。圌女は「出産文化」の分野で研究を行った倚く の医療人類孊者から匷い支揎を受けおおり、過床に芏制された病院の持぀悪圱響を匷調しおいる(Mead and Newton 1967, Scheper-Hughes 1974, Hazell 1969, Newman 1965)。文明は出産を耇雑化する状況や態床をもたらし、そしお医垫がこれらの問題を扱い、そしおたた「最初関係した医垫が原因で起こった問題を」より 倚くの医垫ず「病院化」が取り扱うこずになるずアヌムズは䞻匵しおいる。人工の手が加わらない出産は「ちっずも厄介なものでなく、それ自身安党なものであ る」ずいうアヌムズの仮説は、我々が芋おきたように匷い疑問を匕き起こすが、倚くの人々が信じたがっおいる䞀぀の論拠であり、それ故匷い圱響力を持぀。 「今日、分嚩が危険で痛く、恐ろしいものず我々が信じおいるずすれば、それはある䞀民族ずしお出産をそのようなものにしおきたからずいうだけのこずであ る。もし我々が、分嚩の際に圹立぀唯䞀の暩嚁ずしお、医者や病院を頌るずすれば、それは我々が自分の身䜓は自分がよく知っおいる、ずいうこずから目をそら しおきたせいである」(Arms 1975:23)。
 理想的には助産婊の仕事は、家庭の寝宀で家族を出産に向けお準備させるよう手䌝うこずである。垝王切開や難しい䜓䜍異垞の堎合など緊急の事態には、揎助 しおくれる良心的な産科医ず協力しお働く助産婊もいる。たたあくたでも病院内で家庭的な出産のやり方をたねた圢匏を取り䞊げながら病院スタッフに協力する 圢で圌女達が統合されおいく堎合もある。しかしながらペヌロッパの倚くの囜々ずは違っお、アメリカでは助産婊職はコミュニティの必芁䞍可欠な医療的、瀟䌚 的構造の䞀郚分ずなるには到っおいない。
 助産婊が珟圚、営業免蚱を䞎えられおいるのは、コロンビア地区内ず州だけで、それも産科チヌムの䞀員ずしおのみである。法埋的には蚱可されおはいる のだが、法埋の実際的斜行は保留されたたたである州では、独立しお働く助産婊は蚎えられないような機䌚をずらえおやるしかない。家庭分嚩が珍しくなくなっ おきたカリフォルニア州では、法埋は蚌明曞を所持しおいるならば、助産婊は掻動しおもよい、ず曖昧に芏定しおいるが、それは実際には、䞀床も州立医療審査 委員䌚から出されたこずがないのである法的な取り締たりがたすたす頻繁に起こるに぀れ、「隠れお行われおいる」家庭分嚩が明るみに出されおゆき、産科医 による制限は芪や実践者達から䞀考を逊成されおきおいる。
 自然分嚩法ずその分掟であるラマヌズ法は、この数十幎の間に普及した病院分嚩を修正しようずする穏圓な詊みの䞭で最もよく知られ、たたよく行われおいる 方法である。それらは産科孊ず分嚩それ自身を、神秘的なものから脱皮させた掻発な詊みずしお抬頭した。しかしながら、基本的にはそれらは病院ずいう環境ず 䞡立し埗るものであっお、それを吊定するものではない。産科医のフレドリック・レボダヌは、分嚩宀でなされる因習的な倚くの手続きを吊定しおきた。そしお 圌は「暎力なき出産」、母子䞡方にずっお出産ずいう経隓をやわらげ高揚するこずを提唱した(Leboyer 1975)。抂念の䞊でよりラゞカルなのが、出産を畏敬の念を起こさせる奥深い神聖な䜓隓ずしお「再神秘化」する事を探求する「察抗文化 counterculture」のメンバヌ達の考え方ず実践である。人類孊者のナンシヌ・シェパヌ・ヒュヌズは、サンフランシスコ湟岞地区におけるこ の出産の察抗文化に぀いお蚘述しおいる。その支持者の䞭には、あからさたには病院分嚩を拒吊しないものもおり、圌らは出産に぀いおの条件が合えばそれを受 け入れるこずもある。䟋えば、マリン・カントリヌずいうある小さな病院では、劊産婊病棟ず分嚩における治療行為を倧幅に改善しお、かなり倚数に登る「颚倉 わり出産」ぞの期埅ず儀匏に察応できるようにしたシェバヌ・ヒュヌズ医垫による私信。今では、父芪ず母芪が自分達の奜きなように食りたおた分嚩宀で出 産されるこずが蚱されおいる。静かな音楜、聖歌、色ずりどりの照明などが蚱可されおおいお、長時間にわたる陣痛の間、適床の飲食もしおよいずされおいる。 陣痛のきおいる女性がベッドにくくり぀けられるこずはなく、医者や看護婊も出来るだけ圌女の意に添うこずになっおいる。最終的に新生児は䞡芪から匕き離さ れるこずはなく、短い芳察期間の埌は、圌らが垌望するずきに家に぀れお垰るず決定するこずも出来るのである。これらの改革によっお、実際に分嚩が楜にな り、人ず人の぀ながりが改善されたりしおおり、病院スタッフはそれを有意矩だず受け取っおいる。
 出産察抗文化の他のメンバヌ達は、異垞な状況䞋以倖では、出産は病院で行われるべきでないず考えおいる。そこでは、新生児がもろいが、しかし卓越した新 しい生呜であるこずずは察照的に、非人栌化した察応がなされおいるずいうのである。ずころが、自然出産の熱心な支揎者は、自然の過皋を機械化するこず、 「颚倉わり出産」の恐れ、圌らの蚀葉で蚀うず、粟神的資源が「毒される」こず、それに「䞋手な医療者の手による身䜓の冒涜」に぀いお疑念ず恐れを抱いおい る。ちょっず行きすぎのずころはあっおも、自然掟ず察抗文化掟の぀のグルヌプは、産科医によるケアず劊嚠から分嚩たでの医孊による身䜓の管理の容認を支 えおいる仮説を再怜蚎するよう匷いおきたのである。
 助産婊ず家庭分嚩の支持者達は、䌝統的な病院でのケアに察するこういった遞択を、心理的瀟䌚的そしお医孊的に有益なものず考えおいる。しかし反察者達 は、それらを気玛れで、ル゜ヌ的で、非珟実的な、本質的に危険な詊みであるず芋なしおいる。前者は助産術を医孊的ケアの質を向䞊させるものず考え、埌者は それを䜎䞋させるものず考える。患者や、そしおたすたす数が増えおいる医垫ず瀟䌚孊者達は、自分達がこの぀の陣営の䞭間にいるず考えおいる。぀たり圌ら は医療の行き過ぎの是正を求め぀぀も、䌝統的な防衛手段を攟棄するこずに぀いおは慎重である。
 「重芁なのは」、ずアヌムズによっお報告されたテヌプ録音の䞭で、りむリアム・シルバヌマンは述べおいる。「我々は包括的なルヌルを必芁ずしないこず だ。我々の倚様化した瀟䌚では異なった䟡倀䜓系があり、生ず死における危険ず利益の基準は党おの人にずっお同䞀ではない。この倚様性が受け入れられなけれ ばならない」(Arms 1975:114)。家庭分嚩を行いたいず思い実行しおいる人々に察しおも、劊嚠怜蚺の機䌚ずそのサヌノィスは提䟛されるべきである。「誕生ず死、このど ちらに぀いおも、我々はたさに危険から身を守るために、自然の過皋からどこたで遠ざかろうずしおいるか、ずいう疑問に盎面する。難しい決断をしなければな らないずいう苊しみに満ちた経隓も、人生の䞀郚なのである。我々が人生のある郚分を経隓するこずを避けお、䜕が受容でき、䜕が受容できない危険性であるか に぀いおの包括的なルヌルを立おようずするゆえに、今日、人生を十党に生きるこずが劚げられおいる」同曞。

老幎

 今倚くのアメリカ人が経隓しおいる䞀生の段階は老幎である。しかしながら人生のこの段階を䟡倀あるものず考える男女は少なくない。倚くの人は「青幎期の 生掻」ずの䞍愉快な比范の䞭で、晩幎の生掻をずらえようずしおきた。人類孊者ず他の瀟䌚科孊者達は、なぜこうしたこずになるのか疑問を発しおいる。今日の アメリカではなぜ、早期がんの宣告を喜んで受け入れるのず同じくらいに、幎を取り぀぀あるずいう考えを喜んで受け入れるこずができるのであろうか。倚くの 非西掋の瀟䌚では、そこが異なっおいる。オノンはモンゎルでの自分の子䟛時代のこずを曞きながら、「我々の民族の考えでは、名誉や富は単なる人間から䞎え られおいるものだが、円熟した老幎ずいうものは神からの莈り物である」(Onon 1972:9)ず曞いおいる。こうした理由で、幎ずっおいくこずを隠すものは誰もいない、ず圌は蚀う。「それどころか、誰もがこの人生における円熟期を埅 ち望んでいる。それは、歳月ず豊かな人生経隓で満たされた時期であり、特別な敬意ず思いやりずいう䜕よりも玠晎らしい莈り物を受けずるこずのできる季節で ある」同曞。もちろんそうした期埅をもった者のうち、その茝かしい幎代たで生きた者はほずんどなかったずいうこずは、あたり匷調されおいないが。
 人類孊者が䌝統的なコミュニティの研究においお、老人に向けられる尊敬を誇匵しお蚘述しおきたかどうかを刀断するのは難しい。確かに倚くのコミュニ ティ、スペむン語圏アメリカのむンディアンの村や小芏暡蟲業を営む村のような「閉鎖的共同䜓的」な村では、幎ごずの䞻な慣習掻動が「はしご段」、あるいは 䞀぀の道すじずも蚀うべきものを瀺し、それによっお人はコミュニティに察する䞍断の貢献を通じお、埐々に「長」の地䜍やあるいは名高い叀老ずしおの地䜍を 獲埗し、功劎ず嚁信に富み、もはや䞖俗的な報いなどに野心を抱かない人物ずなっおいく。しかし、これらのコミュニティの䞀぀であるチンツンツァンで、フォ スタヌは老人に察する態床はアメリカにおけるそれずきわめお䌌たものであるず発芋した。コミュニティの出来事に参加したり興味を瀺し続ける幎老いた人々— 村に察し䞍断の忠誠を瀺す人々—は、若い頃の圌らの掻動のためではなくその関心ゆえに尊敬される。぀たりいったん緊匵がずければ、尊敬はただちにはがれ萜 ちおしたうのである。
 別の文化的圢態は、䌝統的瀟䌚においお長老者の圹割は党く申し分ないず蚀い切れるかどうか疑問を起こさせる。䟋えば朝鮮では、神は人に幎の寿呜を割 り圓おるず信じられおいる。この霢を過ぎお生き続ける者は他人の犠牲の䞊でそうしおいるのである。぀たり、本圓の「限定された望たしい」人生があるずする 颚習のもずでは、それ以䞊の䜙分な幎数ずいうのは他の誰か、すなわち歳を越えお生きた者のその幎数分だけ早死にする者からの割り圓おを受けるずされお いる。そうした状況では、老人達にたずわり぀く眪の意識はどのようなものであろう。
 非西掋瀟䌚での老幎に察する態床の性質や、その幅がどのようなものであれ、アメリカでは、晩幎に察する䟡倀が質的に違っおいるように思われる。「老幎」 は倚くの者があこがれるような圹割ではなく、しばしば、家族やコミュニティの関心の欠劂のほうが、受けおもよい名誉や尊敬よりも䞊回っおいる。幎ずった女 も男もしばしば「党おが空虚で、圌らは無䟡倀で死すらも無意味である、ずしか感じられず、絶望の䞭で」生き、そしお死んでゆく(Curtin 1972:228)。
 青幎期や壮幎期ず比范しお晩幎は盞察的に䟡倀がないずする倫理は、アメリカでは最近の文化的珟象であり、それはこの半䞖玀あたりで寿呜を歳から 歳たで匕き䞊げた医孊の成功ず関連しおいる。幎圓時には、人のうちたった䞀人が歳に達するこずができた。今日ではそれは人に䞀人ず なっおいる。さらに歳に達した男性は、今日では歳たで生きるこずが期埅できるし、女性の方は平均しお歳たでが期埅できる。他の幎霢局に比しお 老人がほんのわずかであった頃には、圌らに瀟䌚的䟿宜を䞎えるこずができた。我々は特別な敬意を払っお、䟋倖的な少数の人達を受け入れられた—元老、円熟 した芞術家、商業界の倧物、優れた裁刀官、神孊者、教授ずいったような。これらの人々は今も掻躍し、生産的な人々であり、それゆえに業瞟志向型の瀟䌚では 高く評䟡された。しかし、幎代たでに、我々は䞇もの恐るべき人数の老幎の人々を生み出し、それらの人々の倧郚分は、倧郚分のアメリカ人ず 同じように倩賊の才に満ちた人々ではない。しかし若者志向型の瀟䌚で圌らがずもに生掻できるための察策は講じられなかった。
 たさに老化ず老人の抂念は、それが健党な長寿ず、しばしば死を間近に控えた垌望のない、瀕死の状態ずの区別ほずんどの文化で蚭けられたを消し去っお したったので、曖昧で人にいやがられるものになっおいる。その結果は奇劙な時代錯誀、すなわち死に぀぀ある人にずっおのみふさわしいような瀟䌚的態床を䌎 う長い人生である。芁するに我々は、老化を機胜的に定矩する代わりに圢匏的なそれで代甚し、老人が実際にできるこずは䜕か、ずいう論理的な評䟡の必芁性を 陀去するこずに成功しおきたのである。
 アメリカのみならず、どのような䌝統的瀟䌚システムでも西欧文化が䟵入しおいっおいる瀟䌚では、我々の文化的態床が、老人の粟神的、身䜓的犏利や圌らぞ の医療の内に深く瀺唆されおいる。病気にかかっおいる、たたは死に぀぀ある少数者ずしお芋られ(Clark 1973:80-81)、圌らのケアはたすたす機械的に「安息の家」や「病埌」療逊所に任せられおしたった。珟実に粟神的たたは身䜓的病気にかかった時、 老人は治療的ニヒリズムずいう医孊的原理にしばしば盎面する。すなわち、粟神力孊的な治療は時間の無駄ず考えられおおり、サドナりらが報告したように、老 人は重節な状態になっお病院に担ぎ蟌たれた時、救い埗るものず芋なされそうもないのである(Sudnow 1967, Knutson 1970:51)。他方、コヌカサスでは、病気は非垞に高霢な時でさえも正垞あるいは自然なこずずは考えられおおらず、それは阻止されなければならないず 考えられおいる。患者を含め党おの者が回埩を期埅するのである。「『おい、その幎で䜕を望むっおいうんだ』ずいったような宿呜論的考えを衚すような蚀葉 は、聞かれたためしがない」(Benet 1974:14)。
 老化に関する我々の評定の垰結は、健康の研究にずっおもたた䞍運なものであった。ずいうのは、老人をこのように安易に病人の圹割の内に閉じ蟌める限り、 倚くの疟病の経過ず、ただよくはわかっおいないし、ほずんど研究されおいない老化のプロセスずを、区別する契機がほずんどないからである。しかしクラヌク が指摘しおいるように、「アメリカでは、我々が老人ずしお避けられない生物的な特城である、ず考えおきた事柄—知芚鈍麻、蚘名力障害、意識の混乱、蚘憶喪 倱、倱犁等—が《通垞の老化》ずは区別しうる疟病の症状なのであり、それは回埩可胜でたたコントロヌルできるものなのかもしれないこずがわかっおき぀぀あ る」(Clark 1973:81)。

 老化の瀟䌚的な解釈

 正垞か぀「健康な」老化の性質を探求する必芁性は、たず瀟䌚孊者達によっお認識された。「離脱解攟説」(Cumming and Henry 1961)、「準少数者説」(Barron 1961, Kiefer 1971)、「䞋䜍文化説」(Rose 1965)ずいった仮説は、粟神的身䜓的な健康の基準を粗描し加霢の「進行」に぀れお適切なケアを行うに際しお、瀺唆するずころがある(Cowgill and Holmes 1972)。このうちもっずも有力なのが、離脱解攟説—健康な䞭流階玚のカンサス人に察する研究から匕き出された—である。この説は老いた人々ず瀟䌚の双 方が、盞互に退きあうこずが芏範ずなっおいるだけでなく、この䞡者が互いに遠ざかった埌ではその䞡者ずもよりうたく適応するず仮定しおいる。アメリカで瀟 䌚孊者や心理孊者により、非垞に限られた範囲で通文化的なこの説の怜蚌が匕き続き行われた(Havighurst, Neugarten and Tobin 1968)。その怜蚌は、晩幎におけるこの皮の瀟䌚的な磚滅を、「垞態」ずするこずに疑問を投げかけ、たた離脱解攟ではなく行動こそが、圌らの心理的な安 寧に関係しおいるず瀺唆しおいる。
 幎代の終わりの頃たで、人類孊者達は瀟䌚老人孊およびその姉効ずいうべき老人病孊ずいう新しく登堎した分野に察し、ほんのちょっず泚意を向 けただけであった。カりギルずホヌムズが指摘したように、「これは人類孊者がその領域を無芖したずいうこずではない。ただ単に、圌らのフィヌルドワヌクが 出版物の䞭では、老化の過皋ず老人の状況が研究された文化の他の倚くの偎面ずずもに扱われおきたずいうだけである。幎茩の人々がしばしば重芁な情報源に なっおくれたにもかかわらず、そういう研究で老化ずいうこずに焊点が眮かれるのはたれであった」(1972:■■)。状況は倉わり、この幎間に、老化 ずそれに䌎う文化的ゞレンマずいう珟象に぀いお、刺激的な人類孊的探求がいく぀か芋られた。ダコブズ、ビルネ、ゞョン゜ン は、アメリカ内においお、老人の「コミュニティ」や、これらず取っお代わった生掻様匏の粟神瀟䌚的な利益ず信頌性を分析するのに、䌝統的な フィヌルド・テクニックを掻甚しおきた。ベネットは、幎霢による差別を拒吊したり緩和しようずするこずで、゜連のアブカゞアン族はストレスの ない身䜓的瀟䌚的適応の䞀぀のモデルであるずしお支持しおいる。カりギルずホヌムズは通文化的デヌタに基づいお、近代化に䌎う自我の匱䜓化ず か疎倖感の䞍可避性に぀いお、既存の䞻匵に異議を唱えおいる。そしおクラヌクは画期的な論文の䞭で、アメリカにおける老化の抂念を定矩した。その定矩によ れば我々の瀟䌚における老人ずは「䟝存的で、圌らの倚くは病者の圹割にはめ蟌たれる。これは圌らが挔じるこずを蚱された、唯䞀の瀟䌚的に承認された圹割な のである」(Clark 1973:81)。

 察凊の仕方぀の基本的戊略

 前述の説明の倧郚分は、珟存する䞍公平ずどう察凊するかに぀いお、少なくずもある皋床たでの提案を含んでいる。本質的には、この぀の基本的戊略、ある いはモデルは、人類孊者ず他の行動孊者により提出されたものである。

a  「システムに立ち向かう」モデル

 クラヌクずアンダヌ゜ンは、老化に適応させるような぀の課題のモデルでもっお「システムに立ち向かう」アプロヌチを支持しおいる。そのモデルは 人のサンフランシスコの老人を察象にした、幎にわたる長期的な研究から生たれたもので、圌らの半数は、入院が必芁なほど重節な、幎霢にた぀わる 粟神的病いを患っおいた。「課題」は、サンプルのうち正垞な残り半数の人々を、歳以埌粟神科病棟に赎かせない点で、有効ず刀明した戊略の評䟡から生た れおきた(Clark and Anderson 1967:398-414)。これらの課題ずは—「うたく幎をずっおいく」こずができるためには、これらの党おが「やり通される」必芁がある—老化それ自 身を受け入れるこず、コントロヌルを最適なレベルに維持するため「自己の生呜のスペヌス」を改革するこず、満足のよりどころを新しく芋぀けるこず—ずいう のは、昔のそれは䞍適圓になったり、消え倱せたりするので—、たた、自己評䟡の基本ずなっおいるものを修正するこず、そしお最埌に、新しいラむフスタむル を展開するために、䟡倀芳の再統合を行うこずである。埌者はしばしば、瀟䌚においお、正圓な䜍眮を勝ち取るために、攻撃的な察人蚎蚟を芁求する。著者は次 のように結論づけおいる。「アメリカ的生掻からの老人の疎倖は、どのような創造的解決策によっおも党くなくなっおしたうこずはない、ずいうのは我々には明 らかである」同曞、。晩幎をもっずも良く生きるこずのできる者ずは「実に、䟡倀芳の远求をやめお圌らの文化はそうするこずを芁求しおきたのだ が、身近にある他の䟡倀芳をやりずげ埗る代替物ずしお取り䞊げおみるこずのできた人々なのである。それは、獲埗や開拓のかわりに維持するこずであり、自 己向䞊のための絶え間ない努力に代えお自己を受け入れるこずであり、なすこずよりも生きるこずであり、他人を制する代わりに、他人に共鳎し、協力し、愛 し、そしお関心を持぀こずである」同曞、。
 確かに、ある䞀定の䟡倀芳から他のそれぞの転換は、ある人には重倧で緊匵に満ちた断絶を負わせるこずになる。しかし、人生ずいう競争の堎の内偎にずどた るこずを代甚しうる胜力は、「至難の技」なのである。今日ある姿のアメリカ文化が老人にずっお正垞であるず芋なしおいるにもかかわらず瀟䌚的匕退は、 身䜓的・情緒的䞍適応を意味する、ず圌らは匷調する。このこずを、瀟䌚からの個人の「離脱解攟」が「正垞」で、健党な老化の䞍可欠な郚分である、ずいう瀟 䌚孊者の説に、圌らは反察する。最近アンダヌ゜ンは、老人を文化的に再統合するこずを掚進するため、぀の課題モデルを䞀連の行動定匏ぞず緻密な理論を提 出しおいる(Anderson 1978)。

b  「システム逃避」モデル

 アメリカの老人達は「倧人が䜏む町」ず婉曲に呌ばれる地域内のような、圌らのために排他的に蚭蚈されたコミュニティか、あるいは、あたり裕犏でない匕退 した人々が集たるトレヌラヌ䜏宅公園のような環境に䜏むこずにたすたす惹かれ぀぀ある。どちらのタむプの環境にせよ、退職した人々は仕事よりもレゞャヌの 远求を䞭心ずしたラむフスタむルを䜜り䞊げおいる。人類孊者は、その䞡方を研究し、より倧きな共同䜓に䜏むこずが拒吊された圌らを、心理的、身䜓的に支え るこずにある皋床成功しおいる、ず報告した。
 コミュニティ内郚で䜜り出される擬䌌的掻動の流行を匷調するこずによっお、老霢を「無芖する」のは、人によっおは、有効な手だおであろう。぀たりそれ は、より健党な自己むメヌゞを持぀ための基盀を提䟛し、「倖郚の」人を䞍安にさせる諞々の倉化から圌らを隔離しおくれる。しかしながらアヌデン—ある裕犏 なカリフォルニアの退職者のコミュニティの仮の名—のスヌザン・ビルネが曞いおいるずころによるず、基本的な魅力の源は「居䜏者が、䟝然ず同じように暮ら すこずの出できる環境を甚意しおいるずころにある」。ある人々にずっお、このような人口密床の高い、幎霢別のコミュニティに適応する ほうが、圌らの出身である郜垂や郊倖で幎老いおいくよりも、行動を劇的に修正しなくおもよいのは明らかである。しかし、老人の䞖界は、せいぜい圌らを無芖 する瀟䌚からの劥協的逃避にすぎないのだ、ずいう朜圚的な思いから男も女もどうしおも逃れられない。「郜垂化された蟲民が、瀟䌚の倧きな流れに飛び蟌ん で、新しいやり方を心から受け入れおゆくのずは違っお、退職者のコミュニティに移䜏しおくる者は、ある意味で、より広い瀟䌚ずのきずなを匱め぀぀あるのだ が、そのこずを認めたがらない」(Byrne 1974:139)。老人にトレヌラヌ公園が非垞に魅力的なのはたさに、トレヌラヌ公園のどちらかず蚀えば小芏暡でか぀䌌た者同志が集たるずいう構造が、 倚倧な心理的匷化をもたらし、圌らに「我々は皆、䞀぀の倧家族みたいなものだ」ず感じさせるからである(Johnson 1971:173)。
 そのような党おのコミュニティのために起こる再発するストレスで最も倚いのは、地域内での病いや死に察する恐れだず予枬できる。「そうした死は圌らを滅 入らせるもののようであり、圌らは葬匏に出垭するのも䞀般に避けおいた」ず、カリフォルニア州バヌクレヌにある劎働者階玚のトレヌラヌ䜏宅コミュニティの ゞョン゜ンは著述しおいる。アヌデンのより高玚なコミュニティで、ある匕退した公衆衛生の教授がこう曞いおいる。「それ死に぀いお話しおはいけないず いうのは䞍文埋であり、もし誰かがそうなっおも、話すのはごく内茪の人間の䞭だけである。それで、半幎䜍過ぎた埌に『誰それはどこに行っおいるのか』たず ねるず、誰かが、圌は死んだよず答える」(Byrne 1974:148)。ある倧きなクラブハりスの䌚合で、ある男が誰の目にも明らかな心臓発䜜で死んだ出来事をビルネは報告しおいる。「電話をかけお分も せずに救急車が静かに到着し、叞䌚者は病人が車に運び蟌たれるずスピヌチを再開した」。テラスにいた倧勢の人々は、「党く関係ない、ずいうように振る舞っ た。私のそばに立っおいた人グルヌプの䞭の䞀人の女性は、圌は郚屋の䞭の蒞し暑い空気で気を倱ったのに違いないず蚀い、次の女性は、遅れお来たおかげ で、䞭に垭がなくお良かったわ、ず受け答え、皆は口々に良かったず蚀い、そしお笑った。そうしお、圌らは園芞の話を始めた」(Byrne 1974:149)。

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 死に向けお準備を敎えるこずは、自分の経隓の䞭で先䟋のない状況の予想を必芁ずする。特にアメリカ人は幌い頃から、あたかも圌らは䞍死身であるかのよう に、生きるこずに慣らされおおり、実はそういう考え方は筋が通らないず蚀う蚌拠からも守られおいる。
 倧郚分の䌝統的瀟䌚では、このような虚構は維持されるはずもない。カルカッタの通りでは死が矀がっおいるのが嫌でも目に぀き、それはアフリカのサヘルの みすがらしい村々でも同様である。子䟛達は栄逊倱調ず病気ずいう究極のかせを負っお生きおおり、母芪は、成幎に達するたで生き延びるのず同じ数の赀ん坊を 倱い、長幎にわたっお、数がそのたたの家族はたれである。生掻がもっず豊かで、健康ず成幎に達するこずが圓然のこずずしお期埅できる蟲村地区でさえ、家の 䞭で死んでいく人を目の圓たりにしたり、葬匏における倚くの参列者、たた老いおいく人々ずの日垞的なふれ合いなどが、死ずいう事実に぀いお若い者に心構え を䞎え、どのようにしお死んでいくのかを教えおいるのである。
 他方アメリカでは、それたで誰かが死ぬずころを芋ないで倧人になっおしたうこずが倚い。暎力や事故、自殺などを通しお、たたに、偶然死に出くわすこずが あっおも、いきあたりばったりの砎壊的な出来事ずしお、我々の恐怖を匷めるぐらいであり、運が良ければ、自分はどうにかこうにか免れるこずができるだろう ず考える。無意識に、我々は死ぬはずはないず思っおいる。ただ殺されるこずはあり埗る。「それゆえ、死それ自身が悪い行いや恐ろしい出来事を連想させる」 (Kubler-Ross 1969:2)。
 死に関しお、誕生の時以䞊に、アメリカ人はケアや、決断を回避し、病院や医垫に任せおきた。我々の病院の䞭で、過床の延呜に関する議論が䜕かしらの意味 を持っおいるにもかかわらず、新しい出産の文化における明癜な医療の取り組み方から遠ざかっおいく傟向は、死にたいする補足的アプロヌチを明らかにはしお こなかった。病院は、䟝然死に察凊する難行から、家庭や家族を離し続けおいる。死は「癜衣地垯」の無名性の䞭で起こり、ある批評家の刀断するずころによる ず、その無名性は患者を「郚屋番号」に、そしおその䞡芪や子䟛達を「蚪問者」の䜍眮にしばしばおずしめる。我々は別の死に方など思い぀くこずもできない。

 死にゆく技術

 今日、死にゆくこずの技術䞭䞖の䜜家の衚珟ではars moriendi)に最も接近するこずができたのは、生呜ず健康に関する自然䞻矩的解釈が、いやいや受け入れられたものではあるが、死の正圓な評䟡に関す る理解を育んできた蟲民の䞖界である。村の暮らしずいう盞察的無時間性のなかで成長する過皋、安定し、しばしば䞉䞖代家庭で、老人ず若者ずが、病者ず健康 な若者ずが日垞的に觊れ合い、通倜や葬匏などもありふれた出来事ずなっおいる䞭で成長するこず—これらの経隓が、他の堎所では根本的に欠けおいる老化や死 にゆくためのモデルを提䟛する。そこでは、あらかじめ定められた正圓な生呜ずいう芳念ず、䞀぀のドラマの成就ずいう芳念ずが発達しおおり、そしおそのドラ マの非垞な結末は以前に䜕床ずなく蚌明されおきたので、驚くこずはない。
 フランシス・アダムスは、メキシコのサント・トマス・マザルテペクの村で、老いおやがお死んでいく過皋を子䟛達が幌い頃からいかにしお気づくかを語っお いる。「圌らは匱ったり疲れたりした老人の䜿い走りをしたり、幎をずった芪戚の者が病気になったずきは看護に぀ずめる」(F.Adams 1972:112)。䞀郚屋しかない家の䞭で、家族党員による支揎の茪に囲たれ、死がやっおくるこず、そしお人の連続性の目に芋える蚌拠ずしお、その郚屋 の䞭では子や孫が生き続けるこずを、子䟛達は孊ぶ。その村の歳の子䟛のむンディアンの目を通しお芋たずころでは、死は吊定されるものでもなければ、報 いや死埌の䞖界の確かな展望でもない。「老人が家で死にかかっおいたす。家族党員が家の䞭にいたすし、子䟛達もいたす。䞡芪は子䟛達に、もう二床ず䌚えな くなるので老人にお別れを蚀うのだず教えたす。圌は来䞖に赎こうずしおいたす。泣き声がもれたす。誰かが・・・・・『あなたにもう䌚えないんだね』ず蚀っ お泣き出したす。近所の人が蚪ねお来お、友人もやっお来たす。・・・・・子䟛達は老人に『私達を攟らないで面倒芋おくれおありがずう』ず蚀いたす。老人は 家族にお別れを蚀いたす」同曞。
 他方、アメリカでは死ぞの察凊はあたり率盎なものではない。死がさし迫るず、ドラマの回りにはカヌテンが匕かれ医療埓事者によっお仰々しい看護がなされ る。病人はすでに入院しおいる人でさえ個宀の「死にゆく郚屋」に移され、そこで頌りになる瞁者が死を芋守るずいう重荷を担う。
 こうした予防策は、患者の䞍安を軜枛するずずもに医療スタッフや芪類瞁者の䞍安を緩和するために考え出されたず思われ、患者にずっおはこのような戊術 は、治療的なものずはほど遠いものに映っおきた。キャロル・テむラヌは、病院文化の研究の䞭で、死に぀぀ある人は、生きるこずや死ぬこずの関心を語り぀く すような機䌚を歓迎しおいるこず、倚くの人が自分達が死にかかっおいるこずをできるだけ早く知りたいず思っおいるこず、そしお家族や友人達に適切な別れを 告げたい、ずいう望みをくじかれおいるこずを思い出した。ある入院しおいた若い女性はこう抗議した。「圌女達看護婊は車怅子で私を倖に連れ出し、そし お私はさよならず蚀った。私は子䟛達に郚屋に入っおきお欲しかったのに。圌女達にずっおは、芋知らぬ者が回りにいお芋守っお聞き耳を立おおいるのは嫌なこ ずだったのです」(C.Taylor 1970:187)。たた同じ斜蚭で、䞀人の南郚出身(Cracker)の女性が南郚の田舎に぀いおせ぀なそうに話し、そしお我々の文化の内にある、違う 別れの仕方を容認しおきただろう叀い䌝統に぀いお語った。「もし私が家にいたら、芪類の者がずっず起きお私を芋守っおくれるだろうに」同曞、。
 䌝統的䞖界の倚くでは、死の迫った入院患者は家に垰される。この決定がすぐになされないず芪類の者達はしばしば非垞に困っおしたう。むンディアンのある 情報提䟛者(informant)はテむラヌにこう説明した。「家族の䞀員が他人の䞭で死ぬようなこずになるず、我々は心が乱れる」(C.Taylor 1970:187)。フランスのりィッスヌでは、村人達は、死に぀぀ある芪類の者を、遠い病院から圌らの家で死ぬのに間に合うように進んで連れ垰るが、そ れは必ずしも党く感傷的なそぶりでもない、ずいう事実を別に隠そうずはしない。もし病院で死んだ堎合、その病院が䜍眮する行政区の倖から来た患者の家族に は、かなりの「死皎」が課せられる。たたある情報提䟛者が説明したように、家族は、最埌のお別れのために、散り散りになった芪類を家に呌び集め、葬匏の期 間䞭圌らを泊めお食べさせおやるためにお金を䜿うこずを奜むずいう。ごく少数の者だけが「矜食りの葬匏」を楜しむ。これは䜙分にドル支払っお、死者の 家を芆う黒のベルベットの掛け垃ず、家族の埋葬地—その壁で、春には子䟛達がタコを揚げる—たで、柩を匕いおゆく銬のため、たっぷりず矜食りをしたかぶり 垃ずを甚意する。倧郚分の者は、店のりむンドヌ内に貌られた黒枠の告瀺を芋おやっお来た友人ずずもに、質玠な柩の埌に぀いお歩くこずで満足し、たたその友 人達は家族ず䞀緒に戻り、残された家族を手䌝うのであった。

 死にゆく患者の取り扱い

 キュブラヌ‐ロスが我々に語るずころでは、医療共同䜓は、死にゆく患者ずその家族に察する瀟䌚が攟棄した道埳的責任を負うこずを、望んでこなかった。実 際、医者達はしばしば死に盎面するず急に䞍愉快になり、死にゆく人やその近芪者ず芪しくなるこずからできるだけ遠ざかろうずする。斜蚭で死ぬアメリカ人は 避けがたい死を目前に控えお、圌ら自身の気持ちの敎理を、䞀人がっちでしなくおはいけない。死ず死にゆくこずの鋭い分析の䞭で、キュブラヌ‐ロスは患者の 葛藀を特城づける連続した぀の段階を蚘述しおいる。最初の段階は死の吊定である。人は自分自身の終末がさし迫っおいる、ずいう高たっおいく蚌拠を単に信 じようずしない。第の段階では、それが党く䞍圓で䞍公平である、ずいう怒りず憀りが吊定にずっお代わる。第は、取り匕きの段階であり、その間は神たた は運呜に、圌の呜の返瀌に取り匕きしようず詊みるもっず良い人間になりたすからずか、他人をもっず倧事にしたすずか玄束する。これが無駄なこずがわか るず、圌は抑う぀ず、生呜や愛する人々を倱うこずに察する予備的な悲しみの期間にはいる。぀いに最埌の段階では、受容のレベルに達する—死を静かに予期 し、愛する人々をも含めお䞋界ぞの関心を少なくしおいく(Kubler‐Ross 1969)。
 死にゆくこずに぀いお率盎に語るのに倧きな障害ずなっおいるのは、死に぀いおの病院の察話を特城づけおいる、蟻耄の合わない話し方である。キャロル・テ むラヌはこう蚀っおいる。「このように、死のドラマの䞭心人物は、あなたは死ぬだろうけれども、たた別の機䌚たで死ぬために生きるかもしれない、ずいう可 胜性もあるず蚀われる。死にゆく人ず最も近しい人々は、圌はきっず死ぬでしょうず告げられる・・・・・看護婊は、奇跡は阻たれ死は避けられないず蚀われ る」。看護婊達は時おり奇跡を芋たこずがあるが、最も期埅される奇跡は「死の堎面を次の勀務垯ぞず抌し出す奇跡」である(C.Taylor 1970:186-187)。
 倚くの医垫や瀟䌚孊者達は「死に行く者の取り扱い」や、医療的に䜜り出された死の状況に関しお批刀的である(Krant 1972)。病院では静かに鎮静ずずもに蚪れる。あたりにも静かにやっおるので、死を刀定するのは「埮劙な事柄」ずなっおきおいる (M.Richardson n.d:2)。無経隓の看護婊はしばしば困難な問題である。サダナりが描写しおいるある䟋では、看護されおいた男は「ひどい火傷を負っおいお、目の回りを 陀いお党身をガヌれで巻かれおいた。看護孊生が圌にストロヌを䜿っおゞュヌスを飲たせようずするのに、䜕分もかかっおいた」。いいかげんじりじりした圌女 は、教官に報告し揎助を求めた。「その教官はこう蚀った。『うん、君、もちろん圌は反応しないよ。圌は分前に死んでいるよ』ず」(Sudnow 1967:87)。
 シュピヌゲル1964:297は、アメリカ人が死を技術䞊の倱敗ずしお芋なす傟向が匷たっおきたこずを説明しおきた。「それは誰かがミスしたずか、 研究が単にこの皮の事柄を解決するに到らなかった、ずいうこずを意味しおいる」。このように、死にゆく過皋を長びかせ぀぀あるにもかかわらず[ダフずホリ ングシェッドは、珟圚その䞭倮倀をヶ月ず抂算しおいる]、「死に行くずいう事実は、楜芳的もしくは安心させる蚀葉で芆われおおり、その死 にゆく人間は、自分の立堎を最倧限に掻甚する機䌚がほずんど䞎えられおいない」(Spiegel 1964:297)。状態の悪い、末期の患者を死の淵から救い出すような医療の奇跡は、医療埓事者によりしばしば奚励されおいるが、圌らは実はひそかに、 それを生み出すこずのできない無力さにいらだっおいるのだ。
 医垫ほど、「治療者」ずしおの圹割の䞭で、䞀䜓自分の務めはどこたでなのだろう、ずいうゞレンマに捕らわれおいる者はいない。死に盎面しお、圌は自分が その専門的技術を擁護する必芁にあるこずを芋出すかもしれない。「できるこずは党お尜くしたした。今は埅぀だけです」ずいう蚀葉は、もし死が予告なしに やっおきたずしおも医垫はその到来を知っおいたのだ、ずいうこずを確信させる。䞀方、もし患者がなかなか死ななければ、医垫は「䞍屈の魂だ」ず蚀うこずが できる(Richardson n.d:2)。
 非垞に感情移入の匷い医垫は、死に盎面するずき、問題を抱える。我々のうちの䞀人アンダヌ゜ンは、死にゆく子䟛達の傍で働き、小児科医や倖科医のい らだちを芳察する機䌚があった。圌らは、子䟛の偎からの信頌や䟝存により特城づけられる、しばしば長びく関係を続けるこずができず、たたどのようにしお終 わりにしたらよいかもわからないのである。時々、医垫は埐々にあるいは突然に手を匕くほか仕方がないこずを悟り、揎護的な友情を終わらせ、子䟛の䞭に 攟棄される気持ちを、たた䞡芪には混乱ず怒りを生み出しおしたう。

 死の定矩

 死が近づくず、家族は医垫や看護婊、スタッフから暗瀺を受け取る。それは、人を患者のように扱うこずから死䜓のようにそうするこずぞず、ごくわずかでは あるが倉化する圌らの態床から埗られる。しかしながら、この移行が実際に起こるのは䞀䜓い぀なのかずいう点に関する䞀臎した芋解は著しく欠けおいる。ナッ ト゜ンが死にゆく患者の文化的な評䟡の䞭で指摘したように、「正匏の普通法や職業的倫理基準により、生きおいる者にふさわしい扱いず、死ぬず定められた者 ぞのそれずは明らかに違う」ゆえに、それは重芁な刀定なのである(Knutson 1970:44)。
 「脳死」は怜蚎䞭であり、この目的にかなうかもしれないが、評䟡尺床ずしおの劥圓性は曖昧なものである。なぜなら、特に近代の技術的進歩ずずもに、「コ ンセントで぀ながられた」患者が、衚面䞊の脳死の埌でさえ、呌吞をし続け、識別できる心拍動を打ち続けるこずが明らかに可胜であるからである。サダナりは 死を次のように区別しおいる。「臚床的死」、぀たり蚺察䞊死の城候が出珟するこず。「生物孊的死」、぀たり现胞掻動の停止であり、これは簡単には立蚌され ない。「瀟䌚的死」、これは蚺断の䞊の手がかりではなく、生きおいる人間が死䜓にふさわしいような扱いをされる時点である。カリッシュの「人類孊的死」 人がその瀟䌚的䞖界から、拒絶されるか切り離される時点は、身䜓的死を鑑定するのに圹立぀ものではないが、党おの定矩は、個人が人間ずしお定矩される のを終えるのはい぀かずいう重芁な医孊的鑑定に察抗しようず詊みおいる(Knutson 1970:44)。

 倉化ぞの提案

 将来はどんなものなのだろう。死にゆく患者に察するケアの組織化、および死を家族、良心、そしお神の範疇から医療のそれぞず運び去っおしたう技術的進歩 に䌎い、䞍満はたすたす高たっおきおいる。「あるレベルでは」、議論奜きの医垫—哲孊者であるアノォヌンは、こう蚀っおいる。「我々医療専門家は、先達よ りももっず優れた結果を䞻匵するこずができる。どんな叞祭がうたく䜜動された陀现動噚にかなうこずが出来るずいうのか、たたどんな神なる者が、バヌドマヌ ク・呌吞噚の効力で生呜の息吹を吹き蟌めるずいうのか。我々はもし充分早くそこに駆け぀けるなら、死者を蘇らせるこずだっおできるのだ」。他方、圌は医療 がその過皋の䞭で幟分、「死を、消費者よりもむしろ熟緎した䟛絊者によりコントロヌルされる、倧量生産される非人間的商品にしおしたった」ず論じおいる。 生呜の城候を維持するこずに狭い関心を泚ぐだけでは十分ではない、ず圌は結論しおいる(Avorn 1973:58)。
 クラントず圌の協力者達は「人をうたく死なせおあげるように揎助するこずは、ヘルス・ケアの積極的な郚分ずしお理解されるべきである」ず信じおおり、た た圌らは、新しい血の通った病院環境に぀け加えお、死にゆく者のケアや残される者達の必芁からカムフラヌゞュを取り去り、家族や友人達ず共に進めるよう、 病院の郚屋ずいう壁を越えお行動するこずを提案しおいる(Krant 1972:101-108)。死ずの察面や、手に負えない痛みや䞍安ずいうその重荷に、個人的な盞談助蚀をするずずもに、薬物や䞀般的な医孊的治療手段を 増やしおいくずいう、䞀぀のより治療的なアプロヌチが、人以䞊にものがる死にゆく患者達の研究を基にしお、キュブラヌ‐ロスによっお䞻匵されおき た。圌女は問題を文化的土俵の䞊にきちんず眮く。死に関する瀟䌚的倫理の進歩は、医療的なそれの進歩に先んじなければならない。「もし我々が物質的な物事 をたすたす远求しおいくこずをやめ、䜕が本圓に重芁なこずなのかしばし考え、たた生および死に぀いおよく考えおみる勇気を持っおいたなら、我々は自分の子 䟛達を、もっず違ったふうに育おられるだろう。アメリカで人口のパヌセントもの人達が、斜蚭で死ぬようなこずはさせなかったであろう。たた、病院の䞭 で病んだり死にそうになっおいる患者を蚪れるこずから、子䟛達を締め出したりはしなかっただろう。我々は、死および死すこずを再び生の䞀郚分ずなしただろ う。そうしお我々は、『私は生きおきたした。だから死んでいくこずができたす』ず穏やかな衚情で蚀える䞖代を育おるこずができただろうに」 (Kubler‐Ross 1972:159)。
 アノォヌンは、医療埓事者ず死にゆく人々ずの間の信頌のための新しい基盀を䞻匵しおおり、たた圌は、それを完成させるために䜿われる、心を広げる薬物ず いうものを理解したいず思っおいる。「これらの薬物が・・・・・なそうずしおいるこずは、西掋文化の基本的な思い蟌み、぀たり、人の本質や人生の目的に぀ いおの思い蟌み—今のアメリカにおいお、しばしばグロテスクなほど行き過ぎおいる—を倉え埗る珟実の䞀圢態に迫ろうずするこずである」(Avorn 1973:59)。しかしながら、たずえそれが可胜だずしおも、そのような病院治療の実行を考慮しようずする医垫はほずんどいないであろう。ほずんどの者 が、安党ずされおきた方法を刷新するこずに譊戒ず保守の態床を瀺しおきた。同時に、しかしながら、医療テクノロゞヌ—ほずんど独立した科孊ずしおの—は、 死のコントロヌルにおける新しい遞択の䜙地を開発し続けるので、医垫、患者、それにその家族達は、か぀おなかったような決断をするずいう難しい領域に入る こずを䜙儀なくさせられおいる。これらの事柄の耇雑さや、その生および死ぞの圱響力はやっず感じ始められたばかりであり、もし医療や人間が死のコント ロヌルを攟棄するならばい぀、どのようにしおアメリカ人は死ぬこずを蚱されるべきかに぀いお、法廷からの解答が芁請されるかもしれないのである。

芁玄ず結論

 倧郚分のアメリカ人が病院の䞭で生たれ、そしお死んでゆき続けおいるにもかかわらず、自分達がどのようにこの䞖界に登堎し、たたどのようにそこを離れお いくかに぀いお疑問を持぀人間はたすたす増えおいる。重倧なずころでは、医垫や病院は、誕生や老化や死ずいった、基本的に非医療的であるず倚くの人が芋な しおいる珟象における「患者」ずその家族の芁求を満たしおいない。誕生や老化や死が、その「正垞な」成り行きでは進行しない堎合でさえ、医療的に指瀺され た管理やケアにこれらが垰属するずいう結果に぀いお、倚くの疑問が挙げられおいる。特に起こっおはすぐ消える倫理的問題は、我々の文化においお生呜およ び誕生の経隓に異垞に高い䟡倀が眮かれおいるこず、たた老人の扱いの曖昧さや、どんなに費甚をかけおも生呜を延長しようずするこずの結果が曖昧なために 生じおいる。限られおはいるが掻発な䞀連の研究は、これらの問題に察する䌝統的アプロヌチは、恐らく我々が誇りをもっおさし瀺す技術的・臚床的進歩ず同じ ぐらい健康にずっお重芁なものずしお、有力な感情的、瀟䌚的支えをしばしばもたらすこずがわかっおきた。家庭での出産、老人に察する公共䜓の支揎、そしお 死に察するより開攟的なアプロヌチが提案されおきた。
 我々の文化における誕生、老化、死をめぐる諞問題が、善意やちょっずした新しい瀟䌚化によっお簡単に解決されうる、ず安易に結論づけるのは間違っおいる だろうが、ガル゜ヌが、「医療は、たさにその効胜においお䞍満の原因を招く」ずいうのももっずもである1966:61。



このペヌゞは、か぀おリブロポヌトから出版されたした、フォスタヌずアンダヌ゜ン『医療人類孊』の改蚳ず校蚂ずしお、りェブ䞊においおその䞭途䜜業を公開 するものです。

このペヌゞを営利目的ずしお、匕甚したり、ここから 埗られたこずを利甚されるこずを犁止したす。



他山の石タヌザンの新石噚

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