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医療援助の発展に人類学がどのような役割をはたしたか

What role has anthropology played in the development of medical aid?

Anti-cholera Inocution in Caltutta in March 1894

Anti-cholera Inocution in Caltutta in March 1894, Simpson, W. J. (William John), Sir, 1855-1931.

池田光穂

1.  序:What role has anthropology played in the development of medical aid?

医 療援助の発展に人類学がどのような役割をはたしたか、について問うことの意義はなんであろうか。おそらく、そのようなことに関心をもつ 研究者はわずかだろう。日本の学界では、近年開発人類学に対する関心が高まっているといえ、医療援助に関与した研究者はきわめて少なく特殊なジャンル上の 問題だと認識されているようだ。それゆえ、多くの人類学者にとってさほど大きな意味を持たないというのがこの問いの答えだろう。だが、医療援助に関する議 論は人類学の中心的テーマから外れた特殊な問題にすぎないのであろうか。そうとも言いきれまい。植民地科学としての人類学の歴史的および科学社会学的検証 や「開発言説」の批判的研究を通して(eg. Stocking ed. 1991; Escobar 1995; Said 1978)、近代人類学が実践科学としてその誕生の初期から現地の社会変化に深く関わってきたことは明らかである。人類学が文化相対主義にもとづいた民族 誌を提示し、近代西洋社会にとって認識論的な衝撃を与えた一方で、人類学はまたその科学の有用性を主張し実践の問題にむすびつける努力を怠ったことはな かった。近代人類学はこの二重の営為なくしては存在してこなかったのである。しかし昨今の人類学内部からの批判的検討においては、民族誌記述の客観性や他 者表象操作の政治性などの問題に比重がおかれており、応用人類学をめぐる冒頭のような問いかけがおこなわれることはきわめて少なかった(玉置 1988;Hobart ed. 1993)。応用科学としての人類学について批判的に考えることを、さまざまなアポリアに直面した人類学の苦境とその創造的な乗り越えの試み(cf. Clifford 1988;清水 1992;太田 1993)に連動させて考える時期に我々は直面している。

こ の論文において筆者は、医療援助に関わる応用人類学を時間の流れに即して考察する。この分野はやがて応用医療人類学(applied medical anthropology)というかたちでパラダイムの確立をみるが、その際に留意しておくべき点がある。それは応用医療人類学が最初からひとつのまとま りをもった運動体だったわけでなく、また単一の起源をもつものでもないということである。この分野は複数の歴史と起源をもつ学問領域であり、現在において もなお多様さを失っていない。この多様性の原因は、この分野の理論や方法がその時代における医療援助を支える社会の文脈の多様性と密接な関係をもってきた からではないだろうか。そして理論が研究対象の社会から純粋に抽出されるのではなく、その研究を可能にした歴史的および社会的状況から創造されるのではな いだろうか。

したがって筆者は医療援助に対して次のような認識論的立場をとる。救い手を差し伸べてきた先進諸国すなわち「援助する側」が、医療援助と いう枠組みを最初に想像/創造したのであり、「援助される側」はそれに連動して創られたり、時に対抗的に形成されたものだと(cf. 池田 1993)。医療援助の歴史のなかで「援助する側」と「援助される側」という二分法にもとづく枠組みが人びとによって無批判に受け入れられ、それが医療人 類学のさまざまな理論の源泉になってきたのである。実践的な問題にかんする筆者の立場は、現在の医療援助のシステムを無批判に推進することでもないし、ま たそれを全面的に否定することでもない。この認識論的批判を梃子にして、医療援助をより適切な代替システムに置き換えるさまざまな実験的努力を怠るべきで はない、というのが筆者の立場である。







クレジット:「健康の開発」史——医療援助と応用人類学、文学部論叢(地域科学編),第49号,pp.41-72, 熊本大学文学会,1996年2月

リ ンク

引用参考文献

クレジット:「健康の開発」史——医療援 助と応用人類 学、文学部論叢(地域科学編),第49号,pp.41-72, 熊本大学文学会,1996年2月

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