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植民地科学と医療:熱帯病対策

Colonial Science and Medicine: Measures Against Tropical Diseases

Anti-cholera Inocution in Caltutta in March 1894

Anti-cholera Inocution in Caltutta in March 1894, Simpson, W. J. (William John), Sir, 1855-1931.

池田光穂

2.  植民地科学と医療:Colonial Science and Medicine

2.1  熱帯病対策:Measures Against Tropical Diseases

医療援助の歴史を18、19世紀の キリスト教宣教師たちによる布教と治療で始めることはできるだろうか。ドグマへの帰順の見返りとして医 療を施すことは、医療を手段としてみなすことである。しかし、それは西洋近代医療そのものがドグマと化し、医療そのものへの帰順を求める医療援助とは異な る。したがって近代化にともなう西洋開発国による植民地や低開発国への組織的な医療介入を、今日的な意味での医療援助の始まりとしたい。(→「医療宣 教」)

19 世紀の早い時期に欧米各国の衛生制度は一定の発展を遂げていた。1851年およびその翌年にパリで国際衛生会議が開催され、伝染病を 防止する衛生政策の有効性が確認されるとともに、各国の衛生制度の違いが問題になった。そこでの合意は、流行病は国境を越えて地球的に管理されなければな らないというものだった。そのため流行病対策の国際協力がはじめて議題になり、1874年には流行病を阻止する常設の国際審議会の設置が提案された。とこ ろがパリに公衆衛生国際事務局が設置されたのはそれから四半世紀以上たった1907年であった(シュライオック 1974:202-3)。この遅延の理由はなんであろう。いうまでもなく西洋の人びとにとって熱帯地域は病気が猖獗する地帯である。植民者の健康を維持し 植民地の住民が熱帯病に罹患することによる植民地自体の生産性の低下を防止することは、宗主国の衛生政策において重要な課題になる。しかし衛生政策はそれ を裏づける「熱帯医学」の成立があって初めて可能になったからである。熱帯地をフィールドにした医学すなわち熱帯医学が形成されるのは19世紀後半であ る。植民地における医学的研究論文が報告されるのは早くても細菌学が科学として成立する1870年以降のことである。香港に在住していたマンソンがフィラ リア線虫の蚊の媒介説を1879年に報告する。1880年にはフランス軍医ラブランがマラリア原虫について初めて報告し、のちにロスがその媒介経路を解明 する。1881年ハバナのフィンレーが黄熱の媒介蚊について最初の報告をおこなう(ドラポルト 1993)。1883年にはエジプトでコレラが大流行するが、コッホ自身やパスツールの門下たちはエジプトやインドに遠征して、その病原を追い求めてい る。熱帯医学の有効性が確認され始めたのだ。植民地における白人および先住民に対する医療の必要性から、熱帯医学校が19世紀末から20世紀初頭に設立さ れるようになる。熱帯医学研究の名門ロンドン校(現在の London School of Hygiene and Tropical Medicine)である熱帯医学学校(School of Tropical Medicines)が植民地医療サービス局を支援するために開校されたのは19世紀も終わろうとしている1897年であった。

植 民地における熱帯医学研究が促進された理由はいくつかあげられる。第一に、植民地の維持管理を医学の面からおこない、植民地の生産性を 向上させ、植民地および宗主国に利益をもたらそうとしたことである。第二に、消化管寄生虫症、黄熱、マラリアなどの「熱帯病」は、植民地の人びとを発展の 遅れた地域にとどまらせ「文明の恩恵」から遠ざけている。そのため宗主国は医療によってそれらの障害を取り除く「使命」があると考えたこと。そして第三 に、19世紀の科学主義の伝統にたった生物医学者たちが、「熱帯医学」を生物医学と公衆衛生学が融合した新しい医療分野としてとらえ、それに積極的に取り 組んだことである(Corner 1964)。援助する者とされる者が形成される背景には、それを支える理論的な位置づけが必要であった。熱帯医学は、それに実体的な根拠を与えたのだ。








リ ンク

引用参考文献

クレジット:「健康の開発」史——医療援 助と応用人類 学、文学部論叢(地域科学編),第49号,pp.41-72, 熊本大学文学会,1996年2月

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